玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

E・T・A・ホフマン『悪魔の霊酒』(4)

2015年05月01日 | ゴシック論
“カロ風”という要素はホフマンの多くの作品に共通しているのであり、その代表作『カロ風幻想作品集』を私は読んでいないが、私が読んだ作品の中で最もそうした要素の強いのは『黄金の壺』や『ブラムビルラ王女』だと思う。
 ホフマンらしい作品といえば『悪魔の霊酒』よりもむしろ『黄金の壺』の方だと思うし、“カロ風”という要素はゴシック小説よりもメルヘンにこそ相応しいと思う。
 しかしホフマンは『悪魔の霊酒』というゴシック小説に“カロ風”の要素を導入していく。第一に挙げられるのは、メダルドゥスの再三にわたる苦境を救うピエトロ・ベルカンボという名(時にドイツ流にペーター・シェーンフェルトとも呼ばれる)の道化者の理髪師の存在である。
 ベルカンボは四六時中酔っているかのように珍妙な議論を弄び、真面目とも不真面目ともとれる言辞を連ね、時にメダルドゥスをいらだたせさえする人物である。
 ジャック・カロはコンメディア・デッラルテの道化師たちを好んで描いたことで知られる版画家であり(それだけではなく〈戦争の惨禍〉というシリーズではシリアスな面を見せる画家でもあるが)、ホフマンの言う“カロ風”とはこの辺りの画風のことである。
 ピエトロ・ベルカンボのような滑稽な人物は、通常のゴシック小説にはまず登場しないタイプの人物であって、このような人物を登場させたゴシック小説として、『悪魔の霊酒』は記憶されるべきかも知れない。
 ベルカンボはなぜメダルドゥスを救うのか? 「あんたが好きだからだ」とベルカンボは言うが、冗談を絵に描いたような人物がどうしてメダルドゥスのようなゴシックを絵に描いたような人物を好むのかその理由は示されない。
 理由は別にある。メダルドゥスが犯した罪は実はメダルドゥスがそう思い込んでいるだけで、分身のようにつきまとう彼の異母兄弟ヴィクトリーン伯爵の犯罪であったかも知れないのだ。
 ベルカンボのような好人物はメダルドゥス擁護のために必要とされる存在なのである。

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