前夜泊まりで、翌日(6月10日)正午ごろには発つ、たったの半日の倉敷でした。
夜、人通りのない<観光・倉敷の中心>に着きました。ライトアップされた白壁の蔵が、少し冷たい感じです。
ホテルは、蔦(アイビー)のからまる煉瓦のホテル=アイビー・スクエアです。
翌朝は雨。蔦の緑とくすんだ煉瓦の色合いがとても落ち着きます。ビジネスホテルを選ぶことが続いていて、ちょっと良かった。荷物札やアメニティのデザインも、よき時代を思わせます。
倉敷紡績<クラボウ>の織物工場をそのまま生かしたホテルです。その昔、ユースホステルの延長の雰囲気もあって、その昔、若者にも人気だったように思います。
朝食をとって、敷地内にある<倉紡記念館>に寄ります。
私の育った地は、倉敷から1時間少々の山間部で、近所に小さな織物工場(下請けでしょう)がいくつもある所ですから、倉紡・倉敷=超大企業です。
ゆっくり見てまわる時間はないのですが、大きな織物工場、従業員住宅群の、写真、模型に、従業員の生活への配慮・支援の厚さを感じます。従業員のサークル・スポーツから、女子バレーボールの<クラボウ倉敷>が誕生します。
私も、中学生時代に、学校の校庭でクラボウ女子バレーの模範試合を見たことがあります。
そうして、クラボウの地域社会への還元を展示から読みとります。
<明治から昭和にかけての郷土の偉大な実業家、大原孫三郎。明治13年、大原考四郎の次男として倉敷に生まれ、東京専門学校(現早稲田大学)に進学。岡山孤児院を発足した石井十次に出会い、感銘を受ける。26歳で倉敷紡績の社長に就任し、工場労働者の福祉向上に尽力。・・・・また大原農業研究所、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所、倉紡中央病院など社会事業にも力を出します。そして、児島虎次郎に委嘱してヨーロッパの近代絵画を購入。1930年(昭和5年)には、日本初の西洋近代美術館となる大原美術館を開設するのです>
私が子どものころ、倉敷は<はるかに遠い>町でした。出かけるなんて思いもしませんでした。
ところが最近になって、子どものころに食べていた、かすかに覚えている味、<ろうけん・まんとう>が、倉敷の“労研饅頭”であることを、初めて知ったのです(朝日新聞2007年10月10日夕刊付1面)。
労研は、労働科学研究所です。岡山県倉敷の紡績工場の“女工哀史”さながらの少女たちのために、1920年代に、若い経営者と社会問題研究者が、労働科学研究所を作って、劣悪な労働環境の問題、あるいは子どもと女性の深夜労働禁止につながる研究や運動をしてきたのです。
その中で、<疲労回復に必要な栄養も研究し、安くて栄養価の高い中国の饅頭(まんとう)を日本人向けに改良し“労研饅頭”として広めた>というのです。
*こんな感じの薄い紙に包まれていました。ネットによると、愛媛県松山市で、今でも作られているそうです。
私も、これを食べて育ちました。“ろうけんまんとう”は、中華風な、わかりやすく言えば、硬く冷たい、“中に何にも入っていない”豚マン・アンマンでしょうか。・・・・正確には、黒い豆が一粒か二粒はいっていました。
急いで、大原美術館に行きました。遠足の小学生の一団と一緒に観てまわりました。子どもたちは、みんな一様に、ノートに書いていました。いくつかの絵の感想を提出するのでしょう。感じることはできても、<書くことは>難しいだろうな。
大原美術館をまわりながら、大原孫三郎の偉業を思いました。素晴らしく見事な人生です。まさに、郷土<岡山県>の誇りです。
大原美術館は、もっと時間を持ってこなければいけない、と感じます。
【おまけ】
* クラボウ記念館にも、どこにも、<労研饅頭>の記述があるわけではありません。だから、売店で<労研饅頭>を売っているわけではありません。もし売っていたら、買ったでしょうか。あんなわびしい食べ物、絶対に買わない、いや、買ってしまうかなあ。
* <労研饅頭>のことを、このブログに書いたことがあります。<ここです>