*大鳥居の向こう、対岸に<めざわりな>建物。わざわざ窓枠をいれた息子の写真、現代を切り取る作品です。現代建築では、大鳥居をはるかにしのぐ高さの<後世に名を残す>建物を作ることは容易でしょう。宗教施設か?、ラブ・ホテルか?、まさか公共(県)の施設ではないでしょう。しかし、広告効果満点の場所です。
9月のシルバー・ウィーク(老人週間?)という名の連休に、息子が中国地方を旅してきました。中国でなく中国地方です。広島から山陰をまわってきたのです。
いつものように帰ってきたデジカメの写真を見ました。最初は、いいお天気にめぐまれた秋・安芸の宮島・大鳥居の写真が出てきました。
そして突然、いやな風景になりました。
大鳥居の真後ろ、海の向こう、対岸に奇怪な建造物が写っていたのです。
嫌だなと思っても、そのことを聞いてくれる人はいません。
岡山県育ちの、私の小学校の卒業旅行は、広島(市)・宮島の1泊2日でした。それから高校(広島県)時代に一度行っていっていますから、計2度です。いわば50年前の<思い出の地>です。
50年もたてば、現代に向かっての50年ですし、すべてのことが、すっかり変わってしまいます。どこにでも、ビルがドンドン建ちます。開発、発展というものかもしれません。
しかし、です。国民!?の遺産、宮島・厳島神社の大鳥居の向こう側に、巨大建造物を建てなくても、いいじゃないか、と思うのです。
私の思い出がだいなしでなく、みんなの景観だいなし、です。
・ ・・・といった話を聞いたこともありません。話題にもならなかったのでしょうか。
むろん、建物の名前も、目的も、建築年代も知りません。この頃、景観に関心が集まっているように思うのに、何ら問題にならなかったのでしょうか。
今、 私の住む春日部市にでさえ、春日部市景観保護条例(だったかな)ができそうです。
【おまけ】
* 先日(10月1日)、瀬戸内海の景勝地・鞆の浦(広島県)の埋め立て計画を認めないとする判決が広島地裁でありました。ほんとに良かったと思いました。
* 鞆の浦は、中学校を終える春休みに友人たちと<自転車で>お別れ遠足した、<青い思い出の地>でもあります。海なし県に長く住んでいると、海を見ると、<海だ>と声を上げたくなるのです。
* もっと近くの笠岡(山陽線笠岡駅前)の海は、埋め立てられました。向かいの島は陸続きになりました。海を埋めてコンビナートを作るという1950,60年代の動きの中のことでした。海を埋め、山を削り、日本は発展してきたのでしょうが。
* このブログ、毎度おなじみ、旅の名物<おみやげ>紹介写真は、時期を逸してしまいました。
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