借りっぱなしの本を返しに、春日部市立図書館にいきました。新着図書の棚に、“禁じられた歌<朝鮮半島音楽百年史>”がありました。新聞の広告で、チェックして買おうかなと思っていた本でした。
まず“イムジン河”の章を読みました。本書では、“イムジン江”となっています。
1969年に、フォーク・クルセダースが、“帰ってきた酔っ払い”の大ヒットに続くシングル版として、レコーディングしながら東芝音楽工業が発売をやめ、放送も禁止された歌です。
1960年代末の若者だった者は、そのことやその意味をよく知っていました。しかし私もまた、歌うことはできました(今でも、たぶん・・・)。
その時代、放送だめ販売だめの状況だったのですが、集会で歌われ、歌詞を手書きで写したのです。歌のはやり、流布は、そうしたものです。
借りてきた本“禁じられた歌”の著者、田月仙(チョン・ウォルソン)さんは、朝鮮半島出身の両親のもとで日本に生まれ、成人してオペラ歌手として、北でも南でも歌って来られた方です。
“イムジン河”の朝鮮側からみた話で、興味深く読みました。
今、インターネット時代です。禁止されたフォーク・クルセダースの“イムジン河”を、ここで、すぐに聞くことができるのです。You Tube にあります。<ここクリックで聞くことができます>
今、この歌が、なぜ禁止になったか理解できない人もいるでしょう。“イムジン河”の歌詞を、ここに載せます。
(新聞、雑誌、単行本など出版物の原稿にする場合は、歌詞の2行以上は許されないのですが、ネット上では、歌詞を載せているサイトはいくらでもあります。だから載せます)
松山猛訳詞の“イムジン河”です、“少年Mのイムジン河”より。
1)イムジン河水清く とうとうと流る
水鳥自由に 群がり飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河水清く とうとうと流る
2)北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの
京都の学生であった松山猛さんが、子どもの頃の、遊び友だちの歌から聞き覚えていた歌から、日本語の詞を書き、メロディを加藤和彦さんが採譜したのです。
フォーク・クルセダースがコンサートではじめて歌い出したとき、会場は静まりかえったといいます。
フォーク・クルセダースは、1968年に、朝鮮民謡としてレコーディングしました。その時、 朝鮮総連は、<れっきとした作詞、作曲者が現存する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歌曲であるから、原詞と原曲に忠実にうたうこと> と抗議したのです。
原曲<イムジン江>は、朝鮮戦争休戦から4年ほどたった1957年に作られました。作曲は、高宗漢。作詞の朴世永は、現韓国の生まれ、1946年に北へ渡ったが、朝鮮戦争休戦で南北分断が固定化し、南に、帰れない思いを歌ったのです。
南北軍事境界線近くを流れる河<臨津江(イムジンガン)>を歌ったのです。
“イムジン河”は民族が分断され、南の故郷に帰れない北の人たちの思いを自由に河を渡る水鳥に託しているのです。
原曲の2番の歌詞になると、<南の韓国では凶作で草の根っこを掘るほど貧しいが北は豊作は、穀物はあふれ豊かである。統一すべきだ。>、まさに北朝鮮の愛国歌なのです。
“北”は原詞を忠実に歌うことを要求したのです。“南”は歌うことを許さなかったでしょう。
いつのことだったか、(2001年暮のことですが)日本の公共放送NHKの紅白歌合戦で、“イムジン河”が登場しました。キム・ヨンジャが歌いました。
そのとき、ほんとにびっくりしました。<NHKだぞ、禁止は解けたのかなあ>という気持ちを持ちました。
2000年6月、南北分断後の朝鮮半島で初の南北首脳会談が実現しました。田月仙さんは、TBSの筑紫哲也ニュース23で、生放送で“イムジン江”を歌っていたのです。そこらあたりから、“イムジン河”が、おおぴっらに歌われるようなのです。
その頃、北朝鮮、韓国、そして日本の関係に、どういう変化があったのか、よく考えてみたい。
都はるみ(2000年)がコンサートで歌い、キム・ヨンジャ(2002年)はCDを出しました。そして、2002年には、発売禁止になっていた68年のフォーク・クルセダースの“イムジン河”も34年ぶりに発売されたのです。
むろん、今カラオケ屋さんのリストにもあって、誰はばかることなく“イムジン河”が歌えるのです。 歌えない時代があったことも知っておきたい。
【追加 2008年3月15日】
*禁止でなく、自粛ですよ、とコメントで指摘を受けました。
*また、ネット上にはたくさんイムジン河について書かれています。関心のある方は、ぜひ併読してみてください。
*1960年代、アメリカ・ポピュラーソングの翻詞も含めて、かなり自由(厳密さを欠く)だったでしょう。著作権感覚も希薄だったかもしれません。そういう意味で、レコード発売中止などは、当然だったかもしれません。
『パッチギ』の広報担当者が証言しています。映画の宣伝でテレビ局やラジオ局を回ったときに「イムジン河」をかけて下さいと言っても、かけてもらえない、自粛は今も続いていることを実感した、と。
ちなみに、訳詞は1番だけです。松山は1番しか知らなかった。2番と3番は創作です。
何でもありのネット・ブログとはいえ、慎重に書かねばいけませんね。
著作権料なんて、どうなっているんでしょうね。JASRACは、とってはいるのでしょう。
(f)
いずれにせよ、この歌から得られる著作権料って、本人(原作者、訳詞者、補作曲者のどの人についても)にとってはどうでもいいレベルでしょう、ということだけは言えると思います。
が、ただひとつだけ確かなことは、当時から2017年の現在に至るまで、南北朝鮮は休戦状態であるという事実のみ。
そんな中で「イムジン河」が近年では当時より露出するようになった背景には、大いに〝表現の自由〟が幅を利かせるようになったからだと思われます。
政治背景を推察するならば、当時であればこの唄を「政争の具」として利用できた筈で、発売中止も、詳細は不明とは言え、明らかに政治に関わる「事情」がそうさせたと思って間違いないはずです。
それについて詳しい事情を説明する公式文書があるわけでなし、今となっては各方面の伝聞で何とでも言えるので、まさに〝諸説紛々〟としか言いようがありません。
これだけいわくが付いた〝名曲〟ですから疑問に思うのも分かりますが、下手に不確かな情報をまことしやかに拡散してはいけないと思います。
以来とても お気に入りです。
特集番組を放送していて、懐かしかったです。
と同時に、この曲は、もともと北朝鮮の曲だったことや、
フォークルが歌い、かつ歌われなくなった背景も初めて知りました。
当時は「政治的な歌」だからという理由で騒動が起きたとは聞いていましたが、
そんなことおかまいなしに、みんなで歌っていました。
好きな曲だったし、レコードは無くてもラジオなどでも曲が流れていて、
大ヒットしていた記憶があります。