ほんとに曼珠沙華(彼岸花)が好きですか(2006.9.8)

2006-09-08 10:15:26 | Weblog

今朝、新聞に折込まれたローカル紙“東武朝日(9月8日号)”に、「さって曼珠沙華祭り」まもなく、という紹介があった。幸手市は、しょうわ町(旧庄和町・現春日部市)のとなり町。場所は、幸手権現堤というから、この地域では著名なお花見スポット。市民ボランティアの協力で植栽してきた、と書いている。

私ら、山でしか、今流にいえば里山でしか、遊ぶことのできなかった時代に、子どもの頃を過ごしたものには、キツネバナ、と呼んでいたこの花は、決して好きになれない。決して手折ることはしなかった。とめられていたかもしれない。家に飾るなんて、とんでもないだった。持ち帰ると叱られたに違いない。田んぼの畦にも咲いていたが、むしろ日陰のじめじめしたところのようにも思うし、お墓の脇にいっぱい咲いていた。この花は、夕暮れにみる、暗い緑の中の真っ赤なきつね火だった。遠くからみる花だった。私だけなんだろうか。

市民ボランティアが植えるなんて・・・皆で、見に行く花じゃない。百歩譲ってというか、日陰に妖しく咲く女の情念とか、怨念・・・(ごめんなさい)・・・なんて、女流小説家風に、そういう思いを求める人もいるかもしれない。明るい秋風の花じゃない。

子どもの頃の遊びには、たぶんおとなの生活にも、タブーがあった。初夏から夏、すなわち木々や下草が茂るころには、決して山に入らなかった。端午の節句に柏餅の葉を採りに行かされるあたりまでだ。採っていた葉っぱは、この頃売られているほんとうの柏の葉ではない。正しい名前は知らない。ふっくらしたハートの形の葉っぱ。この時期からマムシの季節になる。私らは、“はみ”(岡山弁)と言って、とても恐れていた。この夏の終わりに、新潟の山中にある都会の子向けの自然教育施設“キョロロ”で、久しぶりに“はみ”と対面した。そのすぐ後は、遊歩道を歩くのさえ恐ろしく感じたのだ。キツネバナも、そんなタブーのひとつだったかもしれない。

壁のカレンダーの9月は、曼珠沙華。ネットで曼珠沙華を探してみると、どれも明るい。どこに咲いてる?の問いかけもある。若い人は好きなのだろうか。壁紙にダウンロードさせるサイトもあった。とてもそんな気持ちには、なれない。

庄和町には、町が江戸川土手に作った“コスモス園(という名称だったかな)”があります。秋の風にそよぐ江戸川のコスモスの方が数段いい。もうすぐ、コスモスが咲きますね。