「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自殺的行動と自傷行為 (5) (対処法)

2008年04月29日 23時04分05秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53978254.html からの続き)

 自己破壊的行為への対処は、次のようなことがあります。

○別の方法を選ぶ

 自傷行為の疑似体験。

 氷の塊を握る。腕に赤いマジックペンを塗る。

 スポーツなど身体的活動。入浴でリラックスする。

○サポートシステムを利用する

 自殺のホットラインへの電話。

 友だちやサポートグループ。

○安全な環境

 刃物など危険な物は 鍵をかけてしまい込む。

 処方された薬は 別の人が管理する。

○家族を守る

 子供や家族は、危機があったら非難する場所を 準備しておく。

○自殺の脅しへの対応

 自殺の脅しを 常には真剣に受け止めず、専門家に助けを求める。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕


 もう少し詳しい記事を 下記に書いてあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48286618.html
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54740253.html
 

自殺的行動と自傷行為 (4) (自殺のリスク要因)

2008年04月28日 23時27分29秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53960820.html からの続き)

 BPDの人は 危険なことに魅力を 感じるところがあり、

 そこから 自傷行為も生じています。

 怪我や死に対して  「そうなったら、なったまで」 と思っており、

 繰り返される 消極的な自殺的行為に 繋がっていきます。

 自傷行為をする人は 自殺企図をする人に比べて、

 自分の行為が 命の危険を招くと 思っていません。

 しかし 自傷行為があって 自殺企図をする人は、

 より抑鬱的で 不安が強く衝動的で、

 自殺的行動が 死に至る可能性を 軽く見すぎる傾向があります。
 

 自殺のリスクを 高くする要因には、以下のようなものがあります。

1.過去の自殺企図

2.入院の経歴

3.持続的なうつの既往

4.絶望感

5.衝動と攻撃性

6.反社会的性質との合併 (受刑者に多く見られる)

7.アルコール または 薬物への依存

8.親からの何らかの虐待

9.失業や たび重なる転職

10.高学歴

11.前青年期

12.老年期

13.子供時代の深刻な虐待 (とくに性的な)

   早い時期の喪失

14.経済的な不安定さ

15.定住地がない

16.犯罪歴

17.不充分な、あるいは 一貫性のない精神科的ケア

 心子は、1,3,4,5,8,9,10,13,14.が 該当しました。

 また 心子の特異なエピソードは、亡き父親との 死の約束という呪縛でした。

 これも 彼女の心的真実でしたが、心子にとっては 紛れもない事実だったのです。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53994177.html
 

自殺的行動と自傷行為 (3) (自傷行為の果たす役割)

2008年04月27日 21時29分53秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53945670.html からの続き)

 BPDの人の自傷行為は、以下のような役割を 果たしていることがあります。

○身体的な痛みを感じること

 これは自分を傷つける 最も一般的な理由とされます。

 BPDの人は、現実感がなく疎外された 感覚を抱いていますが、

 自傷行為は現実を引き戻すのに 役立つと考えられます。

 空虚感や心理的な苦痛を 紛らわすのかもしれません。

 また痛みは、自分を罰するために 使われることもあるようです。

 自己嫌悪の表現として、自分自身に痛みを与えます。

 自傷行為を繰り返すと、痛みの感覚は消えてしまいます。

 自分が 出血や火傷などを眺めるだけで、慰めになっていくといいます。

○緊張を和らげること

 しばしば自傷行為は、不安や緊張が 高まったあとに起きます。

 血が流れ落ちるのを 見ていると、体から緊張感が引いていき、

 リラックスして 解放感に浸ることができます。

○コントロールを確立すること

 多くのBPDの人は、自分の人生のコントロールを 失っていますが、

 自傷行為はある程度 コントロールが可能です。

 どのくらい深く切るか、注意深く試したりしています。

 自傷に没頭している間、痛みに耐える能力に 自尊心を感じているかもしれません。

 強い衝動的な感情を コントロールするために、

 痛みを利用していることも 考えられます。

 また自傷行為は、他人を操作するためにも 行なわれます。

 助けてほしいサイン、怒りの表現としても 役に立っています。

○安心を確保すること

 自傷行為は 罪深い喜びでもあります。

 欲求不満を感じたとき 当てにできる行為で、秘密の安心を与えてくれます。

○エクスタシーを求めること

 自傷行為で興奮する人もいます。

 スリリングな感覚や 高揚感を体験し、性的快感を感じる人もいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53978254.html

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

自殺的行動と自傷行為 (2)

2008年04月26日 21時03分26秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53851827.html からの続き)

 自傷行為をする人は、子供時代に 過酷な喪失や虐待を 経験しています。

 性的虐待を受けたBPDの人は、そうでないBPDの人に比べて、

 自殺企図が 10倍以上に上ります。

 トラウマが脳の発達を 妨げている可能性もあり、

 BPDの人の中には 脳波に異常を示す人もいます。

 自傷が行なわれるときは、

 自分の感情や他人から 離れてしまったかのように感じられます。

 この感情の麻痺から 逃れるために、自傷が試みられます。

 自傷行為をしているときは、体内のエンドルフィン系物質が 放出されます。

 それによって、不安が和らぐ,多幸的になる,痛みを感じない,

 依存的になる,解離的になると言えます。

 痛みの刺激は エンドルフィンを分泌し、モルヒネのように 痛みを和らげます。

 切迫した自殺企図をする人は、入院の必要があります

 頻繁に自傷行為をする人も 危険です。

 しかし、慢性的に自殺企図をする人は、入院して得られるものは 余りありません。

 入院によって 依存を長引かせ、自分の治療に責任を持つ 妨げになるとしたら、

 長期入院は望ましくないでしょう。

 折衷案はデイケアです。

 日中は 病院の活動に参加し、夜は自宅で過ごす という方法です。

 自傷行為や自殺行為に対する 薬物治療には、

 セロトニン再取り込み阻害薬 (SRI) が 有効です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53960820.html

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

光市母子殺害事件 差し戻し審判決 (5)

2008年04月25日 00時09分18秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53906338.html からの続き)

 昨年の 第2回集中審理の記事で、殺害の状況についての 鑑定証言を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49154711.html

 弥生さんの 首を絞めたのは逆手、夕夏ちゃんを 床に叩きつけてはいない、

 とされており、僕もこれが 納得できると思いました。

 しかし 今回の判決では、逆手ではない、叩きつけた事実は 動かしがたい、

 と断じています。

 新聞やTVの報道だけでは 納得できないことが多く、

 ネットで 詳しい判決文を検索して 読んでみました。

(http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221753029-n1.htm

 このページの 「関連ニュース」 から

 判決要旨 (1)~(9) を 読むことができます。)

 遺体所見や 少年の体勢など、裁判所は 非常に細部にわたって 検証しています。

 かなり説得力があり、弁護側の主張を退けるのに 充分であるとも思えます。

 得心できなかった部分が、大分 解消されました。

 “母体回帰ストーリー” についても然りです。

 やはり、裁判官は周到な審理を しているものだし、

 我々もマスコミ報道だけで 判断するのではなく、

 詳細に調べてみなければ 分からないものです。

 しかし、それでもまだ、疑問が残る 部分はあります。

 何が真実なのか 厳正に解き明かすことは、それほど難しいのだと思います。

 裁判員制度が 開始されたとき、

 短時間に 一般人が、ここまで精緻な究明は できないのではないでしょうか。

 事実認定は 有罪無罪を分けることもあるわけですし、

 量刑の元になるものですから、妥当な量刑判断が できるのかも心配です。

 下手をすれば 冤罪を生みかねないという懸念は、僕は前から抱いています。

 しかし、一般国民の 常識的な感覚を 取り入れるというのが

 裁判員制度の趣旨ですから、

 とにかく我々は 真剣に向き合っていかなければならないでしょう。
 

光市母子殺害事件 差し戻し審判決 (4)

2008年04月24日 00時27分20秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53894384.html からの続き)

 今回の死刑判決という 量刑がどうだったか、僕は何とも言えない 思いがあります。

 僕は元々は 死刑制度廃止の立場ですから、死刑判決は 好ましくないと思っています。

 しかし 客観的状況から見れば、元少年の新供述が 認められない場合は、

 死刑しかないだろうという 予想は当然ありました。

 また、本村さんに 感情移入してしまっているので、

 彼の望みに沿った判決を 求める気持ちが、内心あったのも 事実だと思います。

 僕は今まで 死刑廃止と共に、被害者または遺族の傷を 癒すためのサポートシステムと、

 加害者更生のためのプログラムを、強く主張してきました。

( カテゴリー 「死刑制度と癒し」 参照

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/folder/1487258.html?m=l )

 けれども、それらが まだ実現しておらず、

 被害者の慰謝や 加害者の更生が 期待できない現時点においては、

 死刑という法定刑がある以上、それを選択せざるを 得ないのかもしれません。

 ただし、もしも これを判例として、今後 厳罰化傾向が進んでいくとしたら、

 それはとても遺憾なことだと 個人的には思います。

 本村さんは 自分の影響があるとしたら、

 十字架を背負っていかなければならない と述べていました。

 一方で、判例主義は厳に慎み、

 個別の事件ごとに判断していくべきだ とも言っています。
 

 本村さんは会見で、死刑という刑罰について問われ、次のように述べていました。

「 刑法は 社会秩序を維持する,安全な社会を作るための 手段だと思う。

 どうすれば、被害者も加害者も生まない 社会を作れるのか、

 死刑という残虐な判決を 下さなくて済むのか、

 それを考える 契機にならなければ、妻子も被告も犬死にだ。

 死刑というものがあったから、今回の事件が ここまで人々の注目を集め、

 考える機会を 作ることができた。 」

 元少年の人格形成には、彼の養育環境が 大きく影響しているでしょう。

 育児放棄や虐待などが、共感や思いやりの感情を 育むことを妨げ、

 犯罪を犯す少年を生むことに 繋がってしまうケースがあります。

 パーソナリティ障害も同様に 養育歴が深く関わり、

 それは大人の責任、とりもなおさず 社会の責任です。

 今後の社会を どうしていくか、我々に問われていることでしょう。

 死刑制度の必要のない 社会システムが、

 何とか実現していってほしいと 強く願っています。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53921569.html
 

光市母子殺害事件 差し戻し審判決 (3)

2008年04月23日 09時46分10秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53886242.html からの続き)

 今回の判決は、昨今の重罰化傾向を 明確にしたといえるでしょう。

 これまで死刑は、原則不適用・例外適用でしたが、

 今回、原則適用・例外不適用と 示したのかもしれません。

 永山基準が事実上 修正され、過去のものになった ということでしょうか? 

 あるいは、各項目のウェートの置き方が 変わったのでしょうか? 

 裁判員制度を控えて、裁判所が民意を反映する

 先鞭をつける意味も あったのかもしれません。

 オウム事件から 民意が変わってきて、凶悪事件の低年齢化や、

 子供が被害者となる 事件の増加と共に、厳罰を求めるように なってきました。

(僕はそれに 与するものではありませんが。

 なお 実際のデータでは、

 この数年 殺人事件数は減ってきており、昨年は最低だったそうです。)

 また、今まで蚊帳の外に置かれていた 被害者感情が、

 尊重されるようにも なってきました。

 それは言うまでもなく、本村さんの存在が多大でした。

 それから、従来のマニュアル的な 判例主義ではなく、

 個々の事件に沿った 判断をすべきではないか ということも問われました。

 これからは、被害者と国民も 裁判に加わるように 変わっていくでしょう。

(もっとも、被害者遺族も顔を出さないと 量刑が変わってくるとしたら、

 それもまた問題ですが。)

 裁判員制度では一般国民が、

 死刑を言い渡さなければならない シーンに直面します。

 それは世界で 日本だけのことになります。

(他の先進国では 死刑制度はなく、

 アメリカは陪審員制で 量刑は国民が決めないので。)

 そのとき我々は、どういう態度で 臨むことができるでしょうか?

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53906338.html 
 

光市母子殺害事件 差し戻し審判決 (2)

2008年04月22日 21時15分58秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53880108.html からの続き)

 差し戻し審で述べられた、母体回帰,復活の儀式という 新供述を

 どう評価するかが、今日の判決の 大きなポイントでした。

 しかしこれらは、行為の態様や 個々の証拠から 整合性がないとして、

 広島高裁は 信用できないと退けました。

 元少年は二審まで、「美人だなと思い、暴行しようと思った」

 「死体は怖かったが、性欲の願望が勝っていたので 暴行した」

 と供述していました。

 元少年は、旧控訴審の国選弁護人を 最高裁でも私撰弁護人としており、

 300回近くの接見があって、弁護人が差し入れをしたり、

 親代わりになっていたといいます。

 それにも拘らず、弁護人に新供述を 一回も話していないのは 不自然であると。

 被告は 虚偽の弁解を弄することで、

 死刑の選択を回避するすべを 見いだせなくなった、と 判決は述べています。

 弁護方針が全く逆効果になって、酌量の事情さえ なくなってしまったわけですが、

 これは差し戻し審開始直後も 指摘されていたことでした。

 安田弁護士は、反省したからといって 死刑が免れるわけではない,

 そんな甘い話はないと、今日の会見で述べていました。

 そのため、事実そのものを 争わなければならないという、

 強行手段を取ったのでしょうか。

 しかし元少年は、必ずしも 死刑から逃れたいと 思っているわけではなく、

 判決前の取材に対しても、死刑でも仕方がないと 言っていました。

 ただ、今後の少年審判の 判例となるとしたら、死刑は避けたいと。

 それは弁護団も 分かっていたようですが、弁護方針が噛み合わず、

 裁判所もまた 元少年の心中を どう読み取ったのか。

 あるいは、元少年が 死刑やむなしと思っていても、

 それだけでは 死刑回避の理由にならないし、

 被害者や遺族に対する 謝罪や反省の念も 不充分なので、

 どのみち 死刑は避けられなかったのか?

もっとも 最高裁から差し戻された時点で すでに、

 極刑を回避できる可能性は 極めて少なくなっていたわけですが。

「罪責は誠に重大で、特に酌量すべき 事情がない限り、死刑を選択するほかない」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53894384.html
 

光市母子殺害事件 差し戻し審判決 (1)

2008年04月22日 12時35分25秒 | 光市母子殺害事件
 
 広島高裁の楢崎裁判長は 本日正午、

 被告の元少年に 「死刑に処する」 と 言い渡しました。

 情状面で 特段の酌量すべき 事情はないとしました。

 報道で 法廷の一部しか知らない 我々に対して、

 公判での現実や心証 を一部始終にわたって 厳密に検討した、

 裁判所の判断は 尊重すべきでしょう。

 裁判所は 弁護側の主張に対して、くまなく耳を傾け、

 ひとつひとつ検討し (業界用語で “挨拶をする” というそうです)、

 精緻な裁決を したのだと思います。

 弁護団が否定した 殺意や性的暴行目的ですが、

 広島高裁は 一審二審の事実認定を認めました。

 元少年には 今までも法廷で 事実を述べる機会があったのに、

 差し戻し審になって初めて 新たな事実を主張するのは 不自然であるとしました。

( 復活の儀式やドラえもんの話は、一審二審の弁護団の判断で、

 不謹慎で かえって少年に不利になるため、

 事実を認めて 情状を求めるという方針だった 可能性もありえます。)

 事実認定の理由として、裁判所は 次のように述べています。

 まず、逆手で首を絞めて 殺害するのは不可能だということ。

 この点は裁判所も 非常に関心を持った問題で、

 公判で何度も 質問をしていたそうです。

 また、元少年は 弥生さんが生き返ったかどうか 確かめていないので、

 復活のために姦淫したというのも 不合理であると述べました。

 取り敢えず 速報としてアップしました。

 また 詳細を書きたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53886242.html
 

光市母子殺害事件 判決公判を前に

2008年04月21日 11時15分49秒 | 光市母子殺害事件
 
 いよいよ明日 4月22日午前10時、広島高裁で 控訴審判決が言い渡されます。

 この差し戻し審になって、初めて 弁護側から出された “傷害致死” という主張が、

 果たして どのように判断されるのか、極めて注目されます。

 判決を前に、本村さんが会見を開きました。

(明日は 判決に対する 会見になるだろうから、

 この9年間の 思いを語るには その前にという趣旨で。)

 本村さんは 一審の無期懲役判決後、

 「私がこの手で殺す」 と訴えて 物議をかもしました。

 会見で本村さんは、これは不適切だった と述べました。

 自分は私人ではあるが、メディアの前で 発言すると決めた以上、

 ある限度や わきまえを持たなければいけない、それを逸脱したものだったと。

 しかし、この発言は 極めて重要で貴重なものだったと 僕は思います。

 僕は死刑制度廃止の立場ですが、この本村さんの魂の訴えは 重く深く響きました。

 被害者遺族としては 当然の感情だと思いますし、

 被害者の心情は これだけ強烈なのだということを、

 生の声で聞かされて 心が動かされました。

 死刑存廃の考えに 少なからず影響を受けたのです。

 本村さんは 自分の一連の言動が、死刑を促す 世論を喚起し、

 裁判を動かすことに なったとしたら、

 自分は十字架を 背負っていくと言っています。

 逆に判決が 無期懲役だったとしても、それを受け止めていくと 述べていますが、

 それは どんなに険しく長い 道のりの果ての心境だったか、想像に余りあります。

 本村さんの活動は、裁判員制度を前にして、

 我々が 死刑をどのように考えるか ということについても、

 非常に働きかけるものが あるでしょう。

 襟を正して 明日の判決を 待ちたいと思います。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53880108.html
 

自殺的行動と自傷行為 (1)

2008年04月20日 21時19分10秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 BPDの症状の中で、最も 理解や対応が難しいのは 自傷行為,自殺企図です。

 心子の場合も 然りでしたし、

 現在 ネットで繋がっている BPDの人たちの中にも、そういう人がいます。

 BPDは、診断基準に、「繰り返し、故意に、自らに痛みを与えるか、

 または、自殺か自殺企図のどちらか、或いは その両方が認められる。」

 という定義が含まれる、唯一の精神疾患です。

 15~29才で 自殺をした人のうち 3分の2が、BPDと診断されました。

 BPD患者の70%以上に、自殺企図や自傷行為が見られます。

 けれども 他のパーソナリティ障害では 17.5%です。

 BPDの人の自殺既遂率は 10%に上ります。

(残念ながら、心子もこの中に 入ってしまいました。)

 一般の人の 1000倍だといいます。

 BPDの人は 怒りを感じていますが、自傷行為をする人 (するとき) は、

 それを 「外」 に向けて 表現することができません。

 自傷行為は 「内」 に向けた 怒りであると言えます。

 自傷行為には 様々な理由がありますが、衝動的な行動として 始まったものが、

 繰り返すうちに 不安を和らげる 儀式になってしまいます。

 また 自殺的な行動は、必ずしも 死にたいという願望ではなく、

 苦しみを訴えたり 助けを求める 手段だったりします。

 自殺という選択肢は、苦しみを慰めてくれる カードでもあります。

 辛いときでも、「死ねば 痛みも終わる」 と考えると、

 気持ちが落ち着くといいます。

 それはBPDの人にとって ただひとつ、

 自分の人生を コントロールできることになるのです。

 自傷行為は、何年も続く 慢性的なものです。

 一方 自殺の危険性は、長年続くとしても、いずれは減少していきます。

(続く)

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

破壊的衝動性 (2) (未熟な防御規制)

2008年04月19日 22時57分11秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53824253.html からの続き)

 BPDの人は フラストレーションに対して、

 未成熟な防御規制で 反応してしまいます。

 防御規制には 次のようなものがあります。

○行動化

 不愉快な感情に対処するため、自己破壊的な行為に出ます。

 飲酒やセックスなどがあります。

○退行

 ストレスを感じると、子供っぽい振る舞いをします。

○抑制と回避

 初対面の人に 不安を感じると、引っ込み思案になり、関係を避けます。

○受動的攻撃性

 怒りをカモフラージュして 間接的に示します。

 わざと遅刻したり、約束を忘れたことにして、仕返しをしたりします。

○分裂

 スプリッティングを起こして、全て悪いと決めつけ、関係を切ってしまいます。

○投影と投影性同一視

 自分の行動を 人のせいにします。
 

 以上のような 防御規制に対して、成熟した対処方法があります。

○抑圧

 不快なことを 意識的選択的に避けます。

 スカーレット・オハラのように、「明日のことは 明日考える」

○昇華

 不快な感情を 受け入れられる方向に変えます。

 激しいスポーツや エクササイズによって、怒りを発散します。

○ユーモア

 ユーモアには広い視野や、冷静な距離感が必要です。

 また、良い友人を 持つことも大切です。

 健全な人たちの中にいるほど、破壊的衝動に抵抗しやすくなります。
 

破壊的衝動性 (1)

2008年04月19日 00時07分18秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 衝動性は BPDの中核的な 要素のひとつです。

 問題なのは、衝動行動が 自己破壊的な行動に 至ってしまうことです。

 拒食や過食,薬物乱用,あるいは、

 性的逸脱,ギャンブル,浪費などが それに当たります。

(心子の場合は、摂食障害と服薬がありましたが、

 残りの3つは ありませんでした。)

 BPDの自己破壊的衝動性は、他の精神疾患のそれと 異なるところがあります。

 自閉症の子の衝動性は、自分の内部から 起こってくるもので、

 外の世界には 関心がありません。

 ADHDの子供は、プレッシャーに対処できず、

 それによって フラストレーションを感じ、衝動的になってしまいます。

 それに対して BPDの衝動性は、近しい人への 失望の反応です。

 対人関係での 欲求不満の現れとして、感情を爆発させてしまうのです。
 

 幼少期のトラウマが、成人の衝動性をもたらす という仮説もあります。

 ある研究で BPD患者を、幼児期に虐待を受けた虐待群と 非虐待群に分けて、

 セロトニン 〔*注〕 への 反応を調べました。

〔*注: 情動に深く関連し、脳内のセロトニンが低下すると

 衝動的,攻撃的行動に 影響があります。〕

 その結果、虐待群は明らかに セロトニンへの反応が 低下していたといいます。

 また、社会的な影響も 考えられます。

 伝統や 地域社会との繋がりが 薄れたために、

 衝動性に対して 社会的抑制が弱まり、歯止めが効かなくなります。

 なお、診断基準の中で衝動性は、BPDが寛解したかを 見極める指標ともなります。

 年齢の高いBPD患者は 若い患者に比べて、衝動性を示すことが少なくなり、

 これが BPDの人が時を経て 「成熟を遂げる」 ことの 原理かもしれません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53838413.html
 
〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

「死刑執行」 ラジオ放送

2008年04月17日 23時48分02秒 | 死刑制度と癒し
 
 死刑執行現場の音声を 録音したテープを、

 文化放送がラジオ番組で 放送することになりました。

 5月6日午前10時から、

「死刑執行 (仮題)」 という番組で 55分間流します。

 音源テープは、1955年の実際の死刑執行を、

 大阪拘置所が 職員教育などのために 制作したものだそうです。

 文化放送は、裁判員制度を前に、死刑の現状を 広く伝えるためとしています。

 関係者への取材も含め、死刑の現状を 掘り下げる趣旨だといいます。

 死刑執行を告げる 刑務官の声や、読経、

 死刑囚と刑務官の 最期のやり取りなどが 録音されているということです。

 遺族の了承は 取っているとのこと。

 ただし、拘置所が作成したテープだとすると 客観性を欠き、

 実態を伝えていない可能性がある という意見もあります。

 法務省は、拘置所が執行を録音した事実は 確認していないといい、

 死刑囚に隠して 録音したものかもしれません。

 しかしながら、今まで全く 闇の中に閉ざされていた 死刑執行の現場が、

 一部でも公開されることは、

 死刑というものを考える上で 非常に貴重なことだと思います。

 1年後に始まる 裁判員制度では、

 誰しもが自ら 死刑判決を下す現実に 直面するかもしれないわけです。

 日本は先進国で唯一、死刑が増加傾向にありますが、

 大半の人は 死刑現場の実感を 持っていないと思います。

 自分の考えや裁きが どういう現実に繋がるのかということは、

 ぜひ 知っておかなければなりません。

 当日の放送を 心して聞くつもりです。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54095758.html
 

〔余談〕

 法務省が 裁判員制度のPRのために 設置した、

 「裁判員 参上!」 という看板が、センスがないと 顰蹙を買っています。

 どんな言葉がいいか、鳩山法相に ネットで寄せられた意見で 一番多かったのは、

 「友だちの友だちは 裁判員」

 だったそうです。 (^○^;)
 

同一性障害 (2)

2008年04月16日 23時32分12秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53771562.html からの続き)

 BPDの同一性障害を、4つの要素に分ける 研究者もいます。

1.役割吸収

2.苦しい矛盾

3.一貫性の欠如

4.責任感の欠如

 「役割吸収」 というのは、特定の役割や価値観に 自分を合わせてしまうことです。

 カリスマ性のある指導者に やみくもに従い、

 自分を捨てて カルト集団の中で 役割に没入したりします。

 「苦しい矛盾」 は、喪失感と空虚感から くるものです。

 適応しようとした努力が 無駄になったとき、

 現実感がないと感じたり、自分をうそっぽく 感じたりします。

 ダイアナ元妃は 常に寂しさ,空虚感,退屈を感じていたといいます。

 性的虐待を受けた体験と 高い相関関係があります。

 「一貫性の欠如」 は、カメレオンのように 周囲に染まり、

 意見や価値観を その場に合わせるものです。

 本人の苦悩は それほどありません。

 「責任感の欠如」 は、目標や興味を持続させることの 難しさを表しています。

 仕事や学問の興味が しばしば変わったり、離婚と結婚を 繰り返したりします。



 自己感を確立するためには、次のようなことが有効です。

・色々なグループ活動に参加し、相互関係や 目的に向けた努力,責任を身に付ける。

・課題をやり終えるとか、仕事は任期まで務めるとか、最後までやり遂げることを学ぶ。

 それによって 感情の忍耐力が鍛えられる。

・矛盾から逃げずに 受け止める。

 理想が常に満足させられる と期待しない。

 “一流の知性とは、相反する考えを 同時に受け入れることである。”

・広い視野を持って、失敗しても プラスとマイナスの両方を よく見つめ、

 すぐに投げ出したりしない。

 がっかりしながらも 続けることができれば、同一性を確立中ということ。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕