「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「ロッキー・ザ・ファイナル」

2007年03月31日 11時12分31秒 | 映画
 
 60才になったロッキーが ボクサーに戻って、

 現役世界チャンピオンと対戦するという ロッキーシリーズの最終話。

 設定には無理があるし、構成は単純だし、

 派手な演出効果で リアリティの不足した試合シーンを 見せようとするし、

 突っ込み所は沢山ありますが、それでも 元気をもらえる映画でした。

 どんなに打ちのめされても、諦めずに 前に進み続ける。

 そのシンプルなメッセージは しっかり胸に響いてきます。

 何才になっても 希望を捨てずに 復活することはできる。

 現実的に必ずしも そうなるとは限らないとしても、

 やっていこうという気持ちには させてくれます。

(きのうの記事で http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46383043.html 、

 「境界に生きた心子」 のドラマ企画のことを 書きましたが、

 σ (^^;)も頑張ろうという気になります。)

 
 ロッキーと息子・ロバートとの やり取りも見どころでした。

 ロバートは 偉大な父の影に隠れて 自信を失っています。

 そして 現役復帰しようとする 父に訴えます。

「 父さんは もう年だろ。

 笑いものだよ。 僕まで笑われる。

 頼むからやめてくれ」

 そんな息子を ロッキーは叱責します。

「 いつからそうなった? 

 自分を信じなきゃ 人生じゃない。

 陰にかすれるのを 人のせいにして。

 そんなのは 負け犬のすることだ。

 だけど お前はそうじゃない!」

 最後の一言が 効きますね。

「 どんなことがあっても 俺はお前を愛してる。」

 この一言があるかないかで、非難されても 伝わるものは全く変わってきます。

(ここは この映画のテーマとはずれますが、このブログのテーマなので

 σ(^^;)はどうしても 感じ入ってしまいます。)

 ラストでは ロバートはロッキーに、

「 もう誰も笑ってない。 」

 と、父への尊敬を取り戻すのです。
 

 ところで、ロッキーと現役チャンピオンの試合が 実現するきっかけが、

 二人の対決を コンピューターでシュミレーションした テレビ番組だったというのは、

 いかにも今日的なアイデアで 上出来でした。
 

「境界に生きた心子」 ドラマ企画案

2007年03月30日 11時23分57秒 | 「境界に生きた心子」
 
 僕はネット上の あるシナリオライターのグループに属しています。

 そのメーリングリストを利用して、

 番組制作会社のプロデューサーなどから 時々企画の募集があります。

 先日も 某制作会社から募集がかかり、

 「境界に生きた心子」 を原作にした ドラマの企画案を提出しました。

 すると プロデューサーが関心を持ってくれて、

 「境界に生きた心子」 も読みたいので 一度会いたいと 連絡をくれました。

(昔 僕が書いたマンガにも 関心を持ってくれました。)

 そして昨日、制作会社へ行って 話をしてきました。

 この会社は 前は赤坂にあったのですが、今は青山に移転しています。

 心子との想い出の場所である 「神宮外苑銀杏並木」 のすぐ近くで、

 拙著の出版社・新風舎も 目と鼻の先です。

 何かご縁が あるのかもしれません。( ^^;)

 プロデューサーは、感動スペシャルの2時間ドラマとして

 企画書を書いてみないか と話しました。

 心の問題は 今やらなければいけないものだし、

 「私の頭の中の消しゴム」 のように 切り口次第で 感動的なドラマが描ける,

 フィクションとして良い企画書ができれば シナリオも僕が書くということで、

 テレビ局にプレゼンしたい と言ってくれました。

 ありがたい話です。

 それでまず、4~5枚のストーリーを 書いてみることになりました。

 やっと、スタートラインに立てたわけです。

 この先 ハードルは限りなく高いですが、とにかく頑張るしかありません。

 企画が通るのは 何百本何千本に1本で 現実は 物凄く難しいけれど、

 何とか少しでも 企画が進めばいいと思うのですが。

 なお、現実の 「境界に生きた心子」 では 心子は旅立っていきましたが、

 ドラマでは 観る人に希望を持ってもらうため、

 治療によって回復し 生きていくというラストにします。

 タイトルも 「境界に生きる心子」 としています。
 

 この日の帰りは、神宮外苑銀杏並木を 散歩してきました。 (^^)

 マンガ原作としての企画も 考えていきたいと思っています。
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47444788.html に続く)
 

「ブラッド・ダイヤモンド」 (2)

2007年03月29日 11時56分52秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46329185.html からの続き)

 自由、家族、真実。

 ひとつのダイヤを取り巻き、三者三様の目的に向かって 彼らは動き始めます。

 時には力を合わせ、時には相手を騙し 利用し、虚々実々の戦い〈conflict〉です。

(これが この映画のコピーとなっている 5つ目の 「c」 です。

 つまり、ダイヤモンドの価値を決める 4つの 「c」

 「色〈color〉」、「カット〈cut〉」、「透明度〈clarity〉」、

 「カラット〈carat〉」 の、次の 「c」 だそうです。)

 政府軍,反政府軍が交錯する 凄まじい銃弾をかいくぐりながら、

 三つ巴、四つ巴の攻防は スリリングでサスペンスフルです。

 家族のためなら いかなる犠牲も惜しまない ソロモン。

 自由のために 命さえかける アーチャー。

 強大な闇の世界を前にして 無力なジャーナリストの立場を 打破したいマディー。

 やがて彼らの間に 例えようのない 友情や愛情が生まれてくるのです。

 そのラストは感動的でした。

 
 レオナルド・デカプリオは 前作 「ディパーテッド」 に続き、

 裏世界の悪役を 渾身の力を込めて 熱演しています。

 ゴールデン・グローブ賞で 史上初の主演男優賞Wノミネートも 頷けます。

 「タイタニック」 から 力強く成長したといえます。

 「ラストサムライ」 の監督・エドワード=ズウィックの メッセージは、

 強烈な真実で 心を動かされるものでした。
 

「ブラッド・ダイヤモンド」 (1)

2007年03月28日 11時36分36秒 | 映画
 
 激しい内戦状態の アフリカ・シエラレオネを舞台に、

 ピンクの巨大ダイヤモンドを巡って、人々の野望や欲,悲願などが 交錯します。

 「ブラッド・ダイヤモンド」 という ダイヤモンドの不正取引は 事実だそうです。

 社会派映画としても、アクション,サスペンスとしても、

 そして 愛のドラマとしても 一級の作品でした。

 政府軍と、解放軍とは名ばかりの 殺人集団と化した 反政府軍RUF。

 日常の村で、町で、突然 反政府軍が銃を乱射して 住民を無差別に虐殺します。

 そして 略取した子供たちを、今度は殺人兵へと 洗脳しているのです。

 同じアフリカ人同士が 何故 殺し合わなければならないのか? 

 RUFの資金調達のための ダイヤモンドの裏取引が アフリカ人を搾取します。
 

 メンデ族の愚直な漁師・ソロモン(ジャイモン・フンスー)は RUFの襲撃に合い、

 家族と引き離されて ダイヤモンドの採掘場へ 強制連行されます。

 そこで偶然 巨大なピンクダイヤモンドを見つけ、土中に隠しました。

 ダイヤの密売人である アーチャー(レオナルド・デカプリオ)は

 刑務所で たまたまソロモンと出会い、

 家族を探してやる代わりに ダイヤの隠し場所に 案内するよう持ちかけます。

 それを資金にして 暗黒のアフリカから脱出し、自由の身になろうとするのです。

 一方、女性ジャーナリストの マディー(ジェニファー・コネリー)は

 ダイヤの不正取引を暴くため、証拠となる真実を求めています。

 アーチャーはマディーにも働きかけ、裏取引の情報提供の見返りとして

 ジャーナリストの立場を使って ソロモンの家族を見つけることを求めます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46357255.html
 

「ラストキング・オブ・スコットランド」

2007年03月27日 15時38分50秒 | 映画
 
 ウガンダのアミン大統領を描き、主演のフォレスト・ウィテカーは

 ゴールデン・グローブ賞を始め、主演男優賞を総なめにしました。

 アミンは庶民出身で、旺盛なキャラクターと カリスマ性で国民を魅了し、

 多大な期待と共に 大統領に就任しました。

 しかし 独裁者への道を たどっていくに連れて、

 暗殺される妄想に怯え、裏切り者を惨殺し、利己的なモンスターになっていきます。

 失脚するまでに 30万人の国民を 殺害したといいます。

 そんなアミンの姿を、フィクションの人物である 青年医師・ニコラスの目を通して描きます。

 ニコラスは若いながら 有能で、勇気や行動力もあって アミンの主治医に登用されます。

 しかし後半、アミンの無謀さに恐れをなし、逃れようとしますが 拘束されます。

 それに やめとけばいいのに 向こう見ずにも アミンの側室と密通し、

 アミンの逆鱗に触れるのです。

 アミンは、人間として考えられる 最悪の残虐な行為にも 少しも心が痛みません。

 世界の独裁者の内面は 共通しています。

 孤独で 人を信用せず、臆病で 残忍で、自分のためなら どんなものでも平気で犠牲にする。

 要するに 彼らは人間的に未熟、子供なのです。

 無邪気でチャーミングな一方、わがままで 人の痛みが分からず、

 何をしてもいいと思っている。

 そんな人間が 力を持ってしまうことが 恐ろしいのですね。

 彼らは 力で人を押さえ込むことが やがてどういう結果を招くか 分かっておらず、

 いつかは 自らも無残な最後を迎えます。

 それは歴史が証明しており、人類の叡智は 民主主義を生み育ててきたのに、

 今も世界に残る暴君は 何故それを学ぶことができないのか 全く不可解です。

 一日も早く この地球上から 独裁者が一人もいなくなってほしいと、

 この映画を観ても 願ったものでした。
 

「デジャヴ」

2007年03月25日 12時35分22秒 | 映画
 
 デンゼル・ワシントンが刑事役で、女性の死体事件に 既視感を覚える

 という程度の 予備知識で観ました。

 「デジャヴ」 というタイトルからして、

 サイコサスペンスのような 話かと思っていましたが、

 過去の時空と通じる 装置を作ってしまったという SFでした。

 おまけに 過去に人間を送る というシーンなどは、

 まさしく 「バブルへGO! タイムマシンはドラム式」 とそっくり! (^^;)

 しかしまあ それは偶然のご愛嬌として、全体としては かなり良くできています。

 女性を救うために 過去を変えたはずなのに、

 何故か 元の現実の通りに 進んで行ってしまう。

 一体どこで変わるのかというサスペンスには 引き込まれました。

 しかし デンゼル・ワシントンが、大量殺戮の爆破事件を防ぐためではなく、

 見知らぬ一人の女性を助けるために 過去へ行くという理由付けは いかがなものか。
 

 タイムマシンのように 時間を扱った話では必ず 論理的な矛盾が出てきますが、

 「デジャヴ」 と 「バブルへGO!」 では、

 ちょうど同じ矛盾に対して 反対の対処をしていました。

 人間を過去に送った時点から 過去はその影響を受けて変化し、

 パラレルワールドが生じます。

 その世界が 現在まで経過してきたとき、

 元々の世界にいた本人の存在は どうなるのかというパラドックスです。

 「バブルへGO!」 では そこに触れずにごまかし (^^;)、

 「デジャヴ」 では うまく(都合よく)利用して、気のきいたラストにしていました。
 

ネットオークションのトラブル?(3)

2007年03月24日 12時19分14秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46204087.html からの続き)

 ところで、σ (^^;)としては ちょっといただけない出品者もいます。

 落札した試写状を 試写会の当日、会場で手渡しするという人です。

(入場後は別行動。)

 最初は気が付かなかったのですが、実はせこい出品者かもしれません。

 試写状というのは ほとんどが1枚で二人 入場することができます。

 出品者は試写状を 何かのプレゼントの応募で当選したか、

 その他のルートで 無料で入手したのだろうと思いますが、

 試写会の当日に手渡しということは、当然 出品者も試写を観るということです。

 本来なら出品者は 一人で試写状を利用して 終りであるところを、

 落札者から代金をもらって 自分も試写を楽しむ ということになるわけです。

 何だか ずるいと思いませんか? (^_^;)

 そういう人に こっちだけお金を払って 試写状をもらうというのは バカバカしいし、

 入札したくないという 気持ちにもなります。

(今までに 入札したことはありません。)

 でも、もし仮に 何十枚も応募葉書を出して やっと当選した試写状だとすると、

 そのお陰で こちらが安価で映画を観られるのなら、

 払ってもいいのかとも 思うのですが。 (^_^;)
 

 まあ そんなことで、σ (^^;)は楽しみながら、

 安心して ネットオークションを活用している次第です。
 

ネットオークションのトラブル?(2)

2007年03月24日 12時17分34秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46129731.html からの続き)

 僕が落札したオークションでは ほとんどの人が迅速で 丁寧な対応をしてくれ、

 安心して気持ちよい 取り引きができます。

(ごくまれに 若干すげない人がいますが、恐らくそれも通常の範囲内で、

 他の人があまりにもいいので 目立ってしまうのだと思います。)

 僕が入札するのは 高価なものではありませんから、

 恐らく出品する人も それで儲けようとしているわけではなく、

 趣味でやっているのではないでしょうか。

 だから お互い楽しくやりたいという人が 多いのだろうと考えられます。

 あと、僕は入札するとき 過去の評価が少し悪い出品者は避けている

 という理由もあるでしょうが。

 でも 各出品者の過去の評価を見ても、大半の人が ほとんどの取引で

 「非常に良い」 という評価が付けられており、

 「悪い」 という評価は例外的です。

(ちなみにσ (^^;)も まだ 「悪い」 評価はありません。)

 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46071698.html の記事に書いた人も、

 三千有余の 「良い」 評価で、「悪い」 はひとつもありませんでした。

 これもすごいと思いますね。

 3000回以上もの取り引きをしたら、中には絶対に

 おかしな落札者に 当たるだろうと思うのですが。

 入札者は出品者を選べますが、出品者は落札者を選べませんから。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46222090.html
 

つけ麺の元祖 「大勝軒」 閉店 (2)

2007年03月22日 10時31分07秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46156665.html からの続き)

 僕は大分以前、杉並区・永福町の 大勝軒に行ったことがあります。

 ところが、ネットで調べたら この大勝軒は たまたま名前が同じなだけで、

 東池袋の大勝軒とは 全く別系統なのだと分かりました。(><)

 永福町の大勝軒も 行列ができる店として有名なのですが、

 僕は今までずっと 東池袋の大勝軒から 出た店だと思っていました。(- -;)
 

 結局 σ(・_・;) は一度も 本家・大勝軒の味を体験できず 残念でした。

 でも 子供のいなかった 山岸さんは、弟子たちに その味を託しました。

 この店で修行をして 独立していった職人たちは、何と100人に上るそうです。

 現在では 北海道,沖縄,ハワイなどにまで 店を広げているとのこと。

 ラーメンの味は 職人の心で決まるという 山岸さんの教えを、

 弟子たちは 心して守っていきます。

 山岸さんは 職人としての技だけでなく、その人間性で 多くの人たちに慕われ、

 敬愛されているといいます。
 

 46年の長きに渡って 愛されてきた本家本元も ついに店じまい。

 跡地には 52階建ての複合ビルが 建つということです。

 時代の流れとはいえ、名残惜しくてなりません。

 しかし 多くの弟子たちに 引き継がれた大勝軒の味は、

 これからも 広く人々の味覚を 楽しませていくことでしょう。
 

つけ麺の元祖 「大勝軒」 閉店 (1)

2007年03月21日 22時53分33秒 | Weblog
 
 このところ 連日、つけ麺の元祖 「大勝軒」 店じまいのニュースをやっています。

 今では 「ラーメンの神様」 とまで言われる 店主・山岸一雄さん(72才)。

 最初は まかない料理だったという、つけ麺を商品化した 草分けです。

 46年前、東池袋に 現在の 「大勝軒」 を開業しました。

 16席しかない小さな店ですが、日本で初めての

 “行列ができるラーメン店” になったそうです。

 テレビでもしばしば紹介され、僕もそれは知っていました。

 その 「大勝軒」 が長年 皆から愛されながら、昨日 幕を引きました。

 東池袋の再開発計画による 区画整理と、高齢の山岸さんの 体調不良のための閉業です。

 先日そのことを知り、僕も 大勝軒で最後のラーメンを味わおうと

 今月12日に 東池袋へ行ってきました。

 ある程度の行列は 覚悟してましたが、予想をはるかに上回り

 百数十人が 長蛇の列を作っていました。(・_・;)

 3時間以上かかるのだろうかと推測し、やむなく諦めました。

(営業時間は11~15時)
 

 大勝軒最後の日は、何と開店11時間前から 徹夜組の大行列ができました。

 準備してある 400食分が、すでに開店前に完売!

(400人以上が並んでしまった)

 列の最後の人が、最後の大勝軒のつけ麺に ありついたのは 午後8時頃とか。

 現場には 報道陣も殺到していて、

 これは ひとつの文化現象,歴史の終りを表していますね。

(続く)
 

ネットオークションのトラブル?(1)

2007年03月20日 22時51分35秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46101244.html からの続き)

 ネットオークションでのトラブルやクレームは しばしば見聞きしますが、

 今まで僕が 約150件 落札したなかでは、

 悪質な出品者は一人もいません。

 前記のように届かなかったり 遅配はありましたが、

 出品者の責任というものは ありませんでした。

 あるとき遅配で 上映時刻に間に合いそうに ならなくなったときも、

 出品者に連絡したところ、もう一枚同じ試写状が あるということで、

 ただで 手渡しをしてくれました。

 最初はその人が 都内まで出てきてくれると 言われたのですが、

 それは余りにも 申し訳ないので、僕がその人の 最寄り駅まで行き、

 改札の内側から 試写状を受け取りました。

(その駅も 会場の最寄り駅も JRだったので、

 こうすればσ (^^;)は 試写会場までの運賃だけですむので。)

 この人も 別の試写状がもう1枚あるので 良かったら使ってほしい

 と言ってくれました。 (^^)

 また別の件では、対応が不充分な出品者だったのですが、

 郵便事故があって 届かなかったことを申し出ると、

 詫びと共に 落札額を返金してくれました。

 本当は 返金する必要はないんですが。 (^_^;)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46204087.html
 

ネットオークション、災い転じて福に (2)

2007年03月19日 22時14分32秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46071698.html からの続き)

 その時 ほぼ同時に落札した 別の試写状では、

 宅配便の速達が届かないという トラブルがありました。

 配達状況を ネットで追えるようになっていますが、

 発送したまま 配達する支店に 到着した記録がありません。

 試写会の日取りが迫っていたので 速達にしたのに、

 当日になっても届かず、宅配会社に問い合わせました。

 確認するので待ってほしい ということだったのですが、

 何時になっても確認できず、結局 届かず仕舞い。

 その試写会は 観ることができませんでした。(T.T)

 宅配会社には 怒りを表明しましたが、規則で 送料は返金するが

 中身の弁償はできないということ。

(落札額は400円程度だっので まだ良かったんですが。)

 電話の相手も 運送屋のおじさんなので、苦情への対応は不充分でした。

 でも出品者の人は とても遺憾に思ってくれて、

 なんと チケット代を返金すると 申し出てくれたのです。

 もちろん そんな必要はありませんから 丁重に辞退しました。

 宅配会社の過ちを 出品者が負うことはないのが常識なのに、

 こんな親切な人もいるのかと 思った次第です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46129731.html
 

ネットオークション、災い転じて福に (1)

2007年03月18日 21時19分08秒 | Weblog
 
 σ (^^;)はいつも ネットオークション(ヤフー)で、

 映画の試写状やチケットを 安く落札しています。

 映画の日に観れば 1本1000円なので、

 オークションでも 手数料や送料,当日の交通費などを考え合わせて、

 映画の日に観るより 高くならない範囲で 入札しています。

 先日、上映日が 「8日(金)」 と記された 試写状の出品がありました。

 僕は金曜日は その会場の近くへ行く 予定があったので、交通費を節約できます。

 その分を計算して 入札額を決め、結果的に落札できました。

 ところが、カレンダーを見ると 8日は木曜日だったのです。

 すると 往復の交通費が 余計にかかってしまいます。

(せこい話ですが (^_^;)。)

 出品者に 記載の誤りを問い合わせると、

 すでに 訂正記事として 「8日(木)」 とアップしているということです。

 ヤフーオークションは 出品のタイトルを変更できない仕組みのようで、

 訂正は 本文の一番下に掲載されます。

 でも僕は入札したとき 画面を一番下までスクロールしなかったため、

 訂正記事に 気が付きませんでした。

 それは 僕の落ち度のわけですが、出品者の人は

 間違えて申し訳ないので 交通費の分を切手で送る と言ってくれたのです。

 送料もかかってしまうし、僕は 落札した通りで構わないと申し出ました。

 ところが 出品者の人は、落札した試写状と一緒に

 もう一枚 別の試写状を 同封してくれました。

(もし観なければ破棄してほしい と書き添えて。)

 先方に責任はないわけですが、本当に親切な人もいるものです。

 ひとつ余分に 試写会を楽しむことができました。 (^^)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46101244.html
 

自死について思うこと(6)

2007年03月15日 15時57分19秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45951811.html からの続き)

 まだ失われていない 命に対しては、

 どんな苦況にあっても ぎりぎりの土壇場まで

 生への手がかりを 追求するべきでしょう。

 しかし すでに失われてしまった 命に対しては、

 苦しみを踏みしめてきた人の 歩みを重んじ、

 疲れ果てた魂の 安寧を祈りたいと 真摯に思います。

 逝った人も 残された人も 不幸な結末に させないためには、

 新たな死生観を 見いだしていく他 ないのではないでしょうか。

 自殺者の遺族が 多く抱くという、

 いわれのない罪責感も 解きほぐれていってほしいと思います。
 

 尊厳死と自死は 必ずしも同列に 論じられませんが、

 オランダでは 精神障害の苦悩を根拠にした 尊厳死の是非の 議論もあります。

 個人の生き方には 他人が口をはさめない とはいえ、こと死に限っては、

 個人の命だから 個人の自由で良い というものではありません。

 命は 当人だけのものではなく、人類の普遍的なテーマです。

 ボーダーは 我々の社会が生み出した 落とし子でもあり、

 誰も 自分が無関係だと 言うことはできないでしょう。

 肉体的苦痛による尊厳死が 国民的関心を経て 合意を形作ってきたように、

 精神的苦痛による それに関しても、

 皆が 考えてみる必要が あるのではないでしょうか。

 ただし その前提は、いかに 苦しみを減らす 手立てが講じられ、

 支援しながら 生きていけるかであるということを 忘れてはなりません。
 

自死について思うこと(5)

2007年03月14日 11時27分52秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45923285.html からの続き)

 日本では、キリスト教圏ほど 自殺を罪悪視する風潮は 少ないと言われますが、

 自殺は卑怯で 負け犬の逃げだという見方も 一部に根強くあります。

 でも 自殺を批判する人の中には、本物の蹉跌を 体験したことがあるのか

 疑問を覚える人も ままいるように思います。

 自ら 窮地をくぐってきた人ならば、死を訴える人の 胸中を推しはかることもなく、

 非難を浴びせることは できないのではないでしょうか。

 苦しみもがく人に さらに鞭打ち、踏みにじるような真似だけは

 してほしくないと 僕は願っています。
 

 僕は、果たして 自殺を美化してはいないだろうかと 自問しています。

 僕は 実際に自殺を試みるまでに 至ったことはなく、

 最後の一歩を踏み出した 心子の断末魔を 実感することはできません。

 けれども、心子の最期を 単に悲運なでき事として

 すませることのできないものが、僕の中にはあります。

 心子は これでやっと 苦しみから解き放たれたのだと 思わざるを得ない、

 そう信じるしかない というものが、どうしようもなく あるのです。

(続く)