「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自死遺族--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (4)

2007年02月28日 22時54分26秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45535657.html からの続き)

 自死遺族は 次に 親族からも責められます。

 「あなたが一緒に暮らしていながら 気付かなかったの?」

 「お前が殺したんだ」

 最も嘆き苦しんでいるときに、最も傷つけられることを 言われたりします。

 自分自身でも おのれを責めてしまいます。

 「あの時 こうしていれば……」

 「あんなことを言いさえしなければ……!」

 自分のせいで死んでしまったのだと、どうしようもなく 苛まれるのです。

 怒りは自分に対してだけでなく、亡くなった人にも向かいます。

 「なんで何も 話してくれなかったの?」

 「どうして自分を残して 逝ってしまったのか?」

 亡くなった人は戻ってこないので、答は決して返ってきません。

 こういう苦しみは、病死の場合以上に 長い期間続きます。

 最悪の場合は、後追い自殺に至ってしまいます。

 すると さらに残された人は 二重三重の苦しみに陥ります。

 自死に対しては、悪いことだ,本人が弱いのだという 偏見がまだまだ根強く、

 遺族は 周囲の人にも言えなかったり、誰にも話せず 独りで抱え込んだりします。

 そのため苦痛は 否応なく増してしまうのです。

 心子のお母さんも 心子の自死のことを 近所の人にも言わなかったので、

 彼女の葬儀は 親族だけの淋しいものになりました。

 今でも近所では 心子の死因を 知らない人がいるそうです。
 

[ 演者 「グリーフケア サポート プラザ」 理事・藤井忠幸 ]

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45642418.html
 

自死遺族--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (3)

2007年02月27日 15時21分40秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45518189.html からの続き)

 講演会ふたつめの演目は、藤井忠幸理事による

 「自死遺族の悲嘆と その支援のあり方」。

 「グリーフケア サポート プラザ」 では、

 「自殺」 ではなく 「自死」 という言葉を使っています。

 「自分を殺す」 のではなくて、「自ら死す」 ということです。

 拙著 「境界に生きた心子」 の中でも、「自死」 という言葉で書いています。

 
 「グリーフケア サポート プラザ」 は、家族を自死によって亡くした

 遺族を支える会ですが、

 これから書くことは 自死をしようとする人にも 考えてほしいことです。

 一人の人間が自死すると、少なくとも5人の

 自死遺族や 嘆き悲しむ人が生まれてしまいます。

 家族を自死で失った遺族は、病気などで亡くした遺族とは また別の

 特別な苦しみがあります。

 例えば、突然に愛する人を失った その直後から警察が介入し、

 事情聴取が始まります。

 警察は 事故か事件か調べなければならないため 致し方のないことなのですが、

 遺族は 凄まじいショックの真っ只中で、現実も受け止められず 混乱しているのに、

 遺体を発見したときの状況など 目を覆いたくなる惨状を 事細かに尋問されます。

 子供であれば トラウマにもなってしまうでしょう。

 警察は 家族が犯人かもしれないという 疑いもあるので、

 保険金はいくらかかっていたかとか 残酷なことまで問い詰められるのです。

 遺族に与えるショックについて 警察が教育されているか、

 地域によって 差があるそうです。

 心子の場合は 精神科の診察券が見つかり、自殺の可能性が高かったので、

 心子のお母さんが 警察に傷つけられたという話は 幸い聞いていません。

 ちなみに、警察から連絡を 受けたときのエピソードは 下記の記事に書いています。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/17711696.html 

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45576007.html
 

「尾崎豊論」--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (2)

2007年02月26日 22時46分07秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45488583.html からの続き)

 しかし尾崎豊は、有名になるにつれて 現実の虚偽に組み込まれていき、

 ジレンマの中で 薬物をあおり、依存し、周りを巻き込み、

 自己愛との両面価値の葛藤に 苦しめられました。

 晩年は 心身ともボロボロになり、「精神の仮死状態」 に陥ってしまいました。

 『原色の孤独』 という曲の中で 尾崎は、

 「心が壊れてく。俺にも分からない。」

 「生きている奴らは みなイカサマな 賭博師さ。」

 と、歌っています。

 
 尾崎は 愛や自由,正義という 真実を求め続け、

 現実の偽善や裏切りと ただ独りで闘ってきました。

 そして 最後はそれを得られずに 散っていきました。

 彼は負けたのでしょうか? 

 否、「未完の完」 という言葉があります。

 尾崎が残した言葉や歌は、今も多くの人の 心に刻み込まれ、

 その存在は 永遠に残っていきます。

 彼の生と魂は 普遍的な価値を持って 生き続けていくのです。

 彼の苦悩があったからこそ、そのメッセージは 今も人々を癒し 救うのです。
 

 心子の人生も 尾崎に重なります。

 ずっとずっと 小さな存在ではありますが、心子もまた 人の心に残り、

 同じ苦しみを持つ人たちの わずかな支えにでもなれば、

 心子も僕も こんな幸甚なことはありません。

 彼らは 月並みな尺度には納まらない エネルギーを持ちあぐんでいました。

 体制への反抗,自分探しの煩悶,愛情への欲求と畏怖,他者の苦しみへの共感と犠牲。

 それらに自他を巻き込みながら、疾風の如く生き去っていきました。

 ボーダーであるがゆえの 創造性と破壊性を示しているのです。

[演者・平山正美 (聖学院大学教授, 精神科医)]

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45535657.html
 

「尾崎豊論」--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (1)

2007年02月25日 22時43分56秒 | ボーダーに関して
 
 今日、「グリーフケア サポート プラザ」 という会の 講演会に参加してきました。

 自死で近しい人を失った人を サポートするNPOです。

 今日の演者の二人は、実は僕のかつての 知り合いの人です。

 ここの記事にも以前 書いたことがある 「生と死を考える会」 という会で

 ご一緒していましたが、会が分化したこともあって

 もう6~7年以上 ご無沙汰していました。

 今日は久し方ぶりで 挨拶をすることができました。

 会場では もう一人、「生と死を考える会」 での知り合いに ばったり出会い、

 本当に懐かしい 再会になりました。

 
 本日の講演会のテーマは 「生きづらい若者たちの 生と死」。

 ひとつ目の講演は 精神科医・平山正美教授による 尾崎豊論。

 尾崎豊もボーダーだったと言われ、壮絶な最期を迎えました。

 純粋で 感受性が鋭く、理想を求めて 体制に妥協しない。

 一方で ガラスのように傷つきやすく、孤独と絶望に苛まれていた。

 本当に心子と共通しています。

 尾崎は元々 癇が強くて、神経質な子だったといいます。

 これはボーダーの 生まれつきの要因を示しています。

( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45008012.html )

 母親が病弱で 入院していたため 親戚に預けられたり、

 保育園に預けられたり、小学校では鍵っ子だったそうです。

 父親は厳格で 厳しくしつけられました。

 親からの無条件の愛情を 必要とする時期に、それを得られなかったのです。

 これはボーダーの 生育歴の要因に影響しています。

( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37560460.html )
 
 
 『シェリー』 の中の、

 「優しく俺をしかってくれ。

 そして強く抱きしめておくれ。

 おまえの愛が全てを包むから。」

 という歌詞は、ボーダー故の 愛情飢餓の現れであると 僕には思えます。

 しかし現代社会は 優しくて繊細なだけの存在は 価値がないと見なされ、

 生きづらい 敗者となってしまいます。

 尾崎はそんな矛盾の中で 真実を求め、常に闘っていたのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45518189.html
 

マインドフルネス (3)

2007年02月24日 13時30分22秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45435279.html からの続き)

 不都合な感情が生じたとき、まず第一に 感情を見つめて理解し、

 次にその感情と一体化し、それを鎮めて解き放ったあとで、

 その感情の原因に 向き合うことができるようになります。

 自分の感情をケアできると 不快感が減少し、

 その感情を穏やかに 手放すことができます。

 そして 感情を生む 心の中の原因に深く入り込み、

 それを変化させる 取り組みが始まります。

 これが第五のステップで、じっくり見つめることなのです。

 
 以上のプロセスをたどるには、長い時間と努力を要するでしょう。

 専門的に習熟した セラピストの援助も必要です。

 それから、プログラムの中で取り上げられる

 「中庸」 「中道」 という経験法があります。

 ボーダーの人は 感情の振幅が激しく、

 非常に極端な感情状態に 陥ってしまいます。

 しかし 両極端の思考や行為に 捕らわれるのではなく、

 両極から離れた 「中道」 を見出すことによって 感情を改善し、

 偏った習慣や 危険な行動パターンを繰り返すことを 防いでくれるはずです。

 全てが人の責任であることも 全部自分のせいであることも ありません。

 真っ黒も 真っ白も 実際にはありません。

 両極は結びついており、何事もその間に流動しているのです。

 感情に寄り添いながら マインドフルネスのトレーニングをすることで、

 中庸の道を行く スキルを身に付けていくことができるでしょう。
 

[ 参考文献 : 「 自傷行為と つらい感情に 悩む人のために 」 (誠信書房)
 

マインドフルネス (2)

2007年02月23日 22時52分46秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45393819.html からの続き)

 第二のステップでは、その感情を否定したり 嫌だと決めつけないようにします。

 むしろ 感情に挨拶し、「どんなご機嫌ですか?」 と尋ねてみましょう。

 マインドフルネスと 不快な感情という ふたつのものを引き合わせ、

 握手させて ひとつのものにするということです。

 それは恐いことかもしれませんが、感情の主人はあなたで

 あなたは感情以上の存在なのですから、恐れる必要はありません。

 マインドフルネスが長く続いていくと、

 それが 感情に付き添うようになっていきます。

 意識的な呼吸法を使って 集中力を高め、持続し 強めていくようにします。

 訓練していけば、だんだん マインドフルネスは育っていくでしょう。
 

 次のステップは、感情を鎮めることです。

 体と心の働きを鎮めるために 呼吸することで、

 マインドフルネスが 感情をなだめていきます。

 ちょうど、泣いている赤ん坊を 優しく抱いている母親のようです。

 赤ん坊が感情で、母親がマインドフルネスです。

 感情と一緒にいて 抱きしめることによって、感情を優しくケアするのです。
 

 第四のステップでは、感情を解放し 手放すことをします。

 問題の原因を知るために、それをじっくり見つめます。

 その感情を変化させるためには 何が有効そうであるか 見えてくるでしょう。

 セラピストがそれを援助します。

 辛い感情自体を 取り除こうとするのではなく、

 その感情を引き起こす 正に原因となっている 心の中の観念を見つけて、

 それを取り去っていくことが大切です。

 その観念は しばしば間違った信念に 基づいているものです。

 
[ 参考文献 : 「 自傷行為と つらい感情に 悩む人のために 」 (誠信書房)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45449127.html
 

マインドフルネス (1)

2007年02月22日 14時51分58秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45330439.html からの続き)

 「弁証法的行動療法」 の中心技法として書いた 「マインドフルネス」 のことが、

 下記の本にも 書いてありました。

 「 自傷行為と つらい感情に 悩む人のために 

  --ボーダーライン・パーソナリティ障害 (BPD) のための

  セルフヘルプ・マニュアル-- 」 (誠信書房)

 この本から 「マインドフルネス」 を紹介してみましょう。
 

 「マインドフルネス」 は、うつや痛みなど 広い問題を抱えた人を

 サポートするものとして 指導されています。

 禅の呼吸法を取り入れて、自分の感情などを ありのままに見つめるスキルです。

 不快な感情が起きてきたとき、次の5つのステップで その感情に向かい合います。

(1)感情を見きわめる

(2)その感情とともに留まる

(3)感情を鎮める

(4)感情を解放し、手放す

(5)じっくり見つめる

 
 まず第一のステップです。

 起こってきた感情のままに 行動化したり、目をそむけたりするのではなく、

 自分の呼吸に意識を集中して 感情を一心に観察します。

 それが一体 どんな感情なのか見極め、怒りなのか 悲しみなのか 恐れなのか、

 名前を付けることによって 正確につかみ、理解します。

 感情を それが生じてくるままに 受け取ることがマインドフルネスです。

(続く)

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45435279.html
 

今年も心子の誕生日

2007年02月21日 20時59分56秒 | 心子、もろもろ
 
 本日 2月21日は 心子の誕生日です。

 拙著「境界に生きた心子」は 心子の誕生日記念出版なので、

 拙著の発刊2周年でもあります。

 拙著の読者の方や 僕のブログ,ミクシィでも、何人かも人たちが

 心子にバースデイ・メッセージを 送ってくれました。

 多くの人たちが 心子を思って祝ってくれて、彼女は果報者です。

 心子も喜んで 感謝しているでしょう。

(僕の誕生日を 覚えている人はいませんが(笑))

 先日の記事にも書いたように、今年彼女は43才になります。

 写真の心子は いつまでも若いままですが。

 21日は バレンタインデイの1週間後なので、

 心子の友達はいつも チョコレートにお金を使ってしまい、

 彼女の誕生日は あまり祝ってもらえない、

 と 心子は言っていました。 (^^;)

 付き合っていたとき、僕は彼女に指輪を プレゼントしました。

 そのときの エピソードが下の記事です。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/32322965.html
 

 さっき ワインを買ってきました。

 今夜は 心子がプレゼントしてくれた クリスタルグラスで、

 皆さんの暖かいメッセージを肴に 彼女と乾杯しようと思います。 (^^)
 

弁証法的行動療法 (3)

2007年02月20日 12時00分59秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45311241.html からの続き)

 BPDの人は 激しい怒りを相手に表明します。

 怒らせるのは相手だと 思っていますが、

 実は 怒る理由は 自分自身の中にあるのではないのか? 

 そのように深い自己洞察を 行なっていきます。

 不快な感情が起こってきた時、原因を相手に求めるのではなく、

 自分自身がそう反応したのだ という因果を受け入れていくことです。

 それは とても難しいことで、治療には強い覚悟が必要です。

 セラピストにも 高度な技術や経験が要求されます。

 治療中に強い情動が 誘発された時、

 セラピストが それを取り上げることが 治療になります。

 感情をぶつけさせ、指摘していきます。

 怒らせているのは 相手なのか 自分なのか、

 セラピストのサポートによって、自分を熟視する トレーニングをしていきます。

 個人療法とグループアプローチの 併用を行ないます。
 

 弁証法的行動療法 (DBT) は、行動科学に基づく 認知行動変容技法と

 東洋の禅思想との 出会いから生まれました。

 変化に焦点をあてる 行動療法と 受容に焦点をあてる マインドフルネス、

 この両者のバランスを 保ちながら両立させる 弁証法的アプローチなのです。

 DBTによって BPDの人の自殺企図の回数が 顕著に減るといいます。

 日本でも 一部でワークショップが 開かれたりしているようですが、

 まだまだ 実施できる治療者は少ないでしょう。

 元々 欧米で東洋思想を取り入れて できた療法ですが、

 日本でも 普及していってほしいものです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45393819.html
 

弁証法的行動療法 (2)

2007年02月19日 20時59分09秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html からの続き)

 (2)の 「対人関係を有効に保つためのスキル」 は、

 人との接し方を 変えていく技法です。

 周囲への巻き込みなどを防止する 効果的な対人関係を 身に付けていきます。

 BPDの人は 人との関係の築き方が苦手ですが、

 いつも繰り返される 自分の問題のパターンに気づき、それを修正していきます。

 自己評価が非常に低い人も、自尊心を傷つけずに

 コミュニケーションを 取れるようになっていきます。

 
 (3)の 「苦悩の受容」 は マインドフルネスの応用です。

 心理的苦痛に対する ストレス耐性スキルで、

 辛いことがあっても それを受け止め、

 いつまでもくよくよしないで 前向きに生きていけるようにします。

 実際にそうするのは とても難しいことですが、

 そのために 瞑想を取り入れ、日々の訓練をしていくのです。

 執着を捨てて 自然に受け入れられるように なっていくということです。
 

 (4)の 「感情の統制」 は、不合理な信念や 行動を抑制するための

 情動コントロールの方法を学びます。

 苛立っている時に それを無理矢理 押さえつけようとしても、

 かえってストレスが溜まるだけで 逆効果です。

 気持ちを別のことにそらしたり、

 前向きのことを考える時間を 増やしていくようにします。

 感情的になった時に 行動化してしまう いつものパターンとは 違う行動を、

 取るようにしてみたりします。

 そうしていくうちに 次第に感情をコントロール できるようになっていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45330439.html
 

弁証法的行動療法 (1)

2007年02月18日 13時48分10秒 | BPDの治療について
 
 現在欧米で BPDの最も効果的な療法として、

 「弁証法的行動療法」 (DBT〔*注:〕) が注目されています。

〔*注:DBT……Dialectical Behavior Therapy 〕

 薬物依存者や 自殺企図のある重いうつ病にも 有効だということです。

 僕も 詳しくは知らないのですが、簡単に紹介してみたいと思います。

 
 DBTは ワシントン大学の マーシャ・リネハン博士が 開発した療法で、

 西洋の心理療法と 東洋の禅の思想を 融合させたものです。

 次の4つの要素から 成り立っています。

(1)マインドフルネス

(2)対人関係を有効に保つためのスキル

(3)苦悩に耐えるスキル

(4)感情の統制
 

 (1)の 「マインドフルネス」 は DBTの一番 中心的なもので、

 「あるがままに受け入れる」 ということです。

[参考記事:  http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45393819.html ]

 「禅」の思想を取り入れていて、心身の状態をそのままに 観察して許容する

 ということだそうです。

 「今、ここ」 で体験しているものに 意識を集中し、

 目をそらさずに 現実を直視して、良い悪いの判断をせずに受け取り、

 習慣的に行動したり しないようにします。

 精神分析は 現在ではBPDに向かないと 言われていますが、

 分析的思考によって 価値判断をせず、

 感じているものから逃げたり 抑圧したりもしない。

 例えば 激しい怒りが生じた時、今までのパターンのように

 暴力や暴言という 行動に表してしまうのではなく、

 自分の感情を見つめ続ける 訓練をします。

 そして 執着を捨てて 中庸を見出していくよう促されます。

 そうしていくことによって、現実の捉え方を変えたり、

 自分の行動や考えを 変えたりできるようになるといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45311241.html
 

心子の月命日

2007年02月17日 20時08分15秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は 心子の月命日でした。

 いつものように 墓前の彼女に会ってきました。

 4日後の 2月21日は 彼女の誕生日で、

 また 拙著「境界に生きた心子」の 発刊日でもあります。

 その日に行きたいとも 思ったのですが、当日は用事があるため 今日にしました。

 いつもの駅前の花屋さんで、心子に供える 鉢物の花を買っていきました。

 花屋さんでの会話。

「 21日は 彼女の誕生日なんですよ。」

「 へえ、いくつになるんですか?」

「 43才かな。 亡くなったのは 36才で。」

「 そうですか。」

「 マリリン・モンローと ダイアナ元妃も 境界性人格障害だったんだけど、

 みんな 享年36才なんですよ。」

「 え、ほんとですか? 

 偶然とは思えないです。 何かあるんですかね?」

「 まぁ、ボーダーは若い女性に多いから、そのくらいの年令になるのかも……」

「 でも 同じ年っていうのは 偶然じゃなくて、

 何かあるとしか思えないですね。」

「 太宰治とか 芥川龍之介とか 昭和初期頃に自殺した 小説家は、

 みんな三十代 後半なんですよね。

 太宰治も ボーダーだったんだけど、

 そのくらいの年令は 何かあるのかもしれないですね。」

「 ふ~ん……」

「 尾崎豊も ボーダーだったんですよ。

 みんな壮絶な死に方だったけど、素晴らしい才能を持ってた。」

「 彼女はどうだったんですか?」

「 うん、記憶力がものすごく いいとか、

 何でもできてしまうという ところがありましたね。

 資格も一杯 持ってたりとか。

 僕の本にも 書いてありますよ、彼女のいろんな特殊な能力。(笑)」

 などと まあ、他愛ない会話ですが、拙著のアピールもしてきました (^^; )。
 

 お墓に着くと、先月と先々月の鉢の花も まだきれいに咲いていました。

 今日のふたつの鉢も合わせて 5つの花々で飾られ、

 心子の前が 色とりどりの花びらで にぎやかになりました。 (^- ^)

 数日早い 誕生日のお祝いです。 (^^)
 

「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」

2007年02月16日 12時22分05秒 | 映画
 
 1999年のバブル崩壊を防ぐため、広末涼子の演じる真弓が

 タイムマシンで17年前の日本へ飛ぶ というコメディです。

 ドラム式洗濯機の 開発をしている途中、偶然に洗濯機がタイムマシンに

 なってしまうという かなりハチャメチャな設定です。 (^^;)

 前半のストーリー展開は 真弓の目的のための 行動が弱くて〔*注〕、

 やや かったるい感じがしましたが、

〔*注:シナリオ用語で、「貫通行動」 「超目標」 といいます。 (^^;) 〕

 バブル真っ盛りの17年前と 現在とのギャップに 驚く人物達の、

 ドタバタを面白く観られます。

 バブルに浮かれていた 当時の人たちの姿が描かれますが、

 σ (^^;)個人的には いつでもビンボーなので、

 17年前も今も 経済状況は変わりません。 (^^;)

 真弓は 大蔵省の下川路(阿部寛)と 絡み合いながら、

 次第に超目標へと 向かっていきます。

 意外な事実も発覚して 一興です。

(それにしても 阿部寛は、若い時はかっこいいだけで なんの芸もありませんでしたが、

 今は実力を備えた 渋い存在感のある 役者になりましたね。)

 山場のアクションは ちょっと無理がある所もありましたが、これはご愛嬌。

 落ちもしゃれていて 満足できました。

 タイムマシン物では 理屈的に絶対 矛盾が出てくるんですが、

 それには目をつぶります。

 好調な日本映画の 一角に位置する作品でしょう。
 

「守護神」

2007年02月15日 12時40分01秒 | 映画
 
 2月9日にオープンしたばかりの 新宿のシネコン

 「バルト9」 で観てきました。

 アメリカ沿岸警察の活躍と、訓練校での毎日を 描いた映画です。

 日本の 「海猿」 のパクリではないでしょうが (^^; )、

 オリジナルな人間ドラマの面白さや アクションシーンの迫力も、

 「海猿」 に勝るのではないかと 感じました。

 ケビン・コスナー演じる 曹長・ベンの下、新入生のジェイクたちは

 卒業率50%以下という 厳しい授業で 心身しごかれます。

 軍隊みたいなもので、必死に頑張っても 辛辣な言葉で怒鳴られ、

 人格を尊重されるようなことはありません。

 ハイスクールの水泳のチャンピオンである ジェイクに対して ベンは、

「プールは深くて 危険だな。

 2メートル以上あるか。

 隣の選手の妨害は?」

 などと、痛烈な皮肉を言うのです。

 入学早々 1時間以上も立ち泳ぎをしたり、氷水の中で耐久訓練をさせられたり。

 人命救助をするためには、こんな過酷な修業を

 くぐり抜けていかなければならないのかと 感じ入ってしまいました。

 また、救助の現場では どうしても全員を救うのが 不可能で、

 誰を救って 誰を諦めるか、 

 究極の決断をしなければならない 局面もあるということを 教えられます。

 実際のドラマで 観客にそういうシーンを見せることも 胸に迫るでしょうが、

 若い訓練生に こういう現実を突きつけるというシーンも 感慨があります。

 
 ジェイクは 能力は一級ですが、最初は自分のことしか考えず

 色々な問題を起こしたりしますが、実は辛い体験を抱えています。

 それでも、同じく過去のあるベンの 厳しい指導に 反発しながらも耐え、

 人間的にも一流の 警備隊員に育っていく姿には やはり感銘します。

 ラストも 胸を締めつけられるものがありました。

 充分に楽しめる 娯楽作品でした。
 

心子が最後の夜を 過ごしたホテルの部屋 (2)

2007年02月14日 21時03分04秒 | 「境界に生きた心子」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45129968.html からの続き)

 心子は ホテルの部屋を予約したとき、ヘビースモーカーなので 窓が開く部屋を,

 低所恐怖症なので 一番高い部屋を と偽って指定しました。

 事故後、部屋の窓は開かないように 処置されたそうです。

 心子の一周忌の日、共通の友人で 心子を好きだった 沢ちゃんは、

 心子をしのぶ “ツアー” を計画しました。

 当日の心子の足どりを そのまま再現して 追体験するというのです。

 σ (^^;)はビンボーなので、ホテルの最高級の部屋代は 払えなかったのですが、

 沢ちゃんが二人分 出すと言いました。

 フランス料理のフルコースも食し、窓の外も見てみると。

 窓の鍵をこじ開けるための 工具も用意していると言うのです。

 そんなことできるかと 僕は言いましたが、彼は本気でした。(・_・;)

 ところが、(理由は忘れてしまいましたが) その当時

 ホテルの近辺は 重警備がされていて、

 一晩中 機動隊員が大勢 繰り出していました。

 さすがに沢ちゃんも 迂闊なことはできないと、“ツアー” は断念したのですが。

 でも、心子が亡くなってから半年で 30㎏もやせてしまった 沢ちゃんは、

 本当に 後追いをしかねなかったかも? 
 

(なお のちに 僕がホテルを訪れて、

 心子が泊まった部屋のドアが たまたま開いていたので こっそり中に入ったとき、

 窓は開いて 下を見ることができました。

 やはり、その高さは 目がくらむものがありました。)