「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

デイサービスの内覧会

2010年03月30日 20時25分28秒 | 介護帳
 
 新しい施設には 指導者がいませんでしたが、 新任の管理者がやってきて、

 相談役のケアマネージャーなども 顔を出してくれるようになりました。

 そのアドバイスで、 パンフレットやチラシの 配布と合わせ、

 施設の内覧会 (見学会) を 開くことになりました。

 そうして 地域の人たちやケアマネージャーたちに、

 現場を見てもらうことが 大切だというのです。

 しかし 初めてのことで、 準備もなかなか進まず ままなりません。

 利用者さんのいる日は 付き切りになるし、

 いない日も 思うようにはかどりませんでした。

 結局、 当日の段取りの シュミレーションもすることができず、

 その日を迎えることに なってしまいました。

 一体どうなることか、 また、 お客さんが来ずに 閑古鳥が鳴いてるのではないか、

 心配な状態でした。

 10組も来れば 御の字と思っていたのですが、 蓋を開けてみると、

 午前中から順調に 一般客や事業者 (ケアマネ) がやって来ました。

 説明も 二人の相談員 (介護福祉専門員) が、 丁寧に 適切にしてくれました。

 来所者が3組 重なってしまったときもあり、

 僕も 一部のハード面の説明を 受け持ちましたが、

 何とか行なうことが できたと思います。

 併設のグループホームの 担当者との連携も 非常にうまくいきました。

 終わってみれば、 13組17人の来所者があり、

 アンケート結果も とても好評のうちに 終了することができました。

 ポスターやポスティング, 挨拶周りの効果で、

 近所の人も多く見え、 地域密着型の施設としては 大変嬉しいことでした。

 二人の相談員の 骨折りで、 大成功だったのではないでしょうか。

 すぐ利用を始めるという人は まだいないものの、

 今後のことに 大いに繋がったと思います。
 

肖像権 (3) -- パブリシティー権

2010年03月28日 19時44分08秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 肖像権の 「人格権」 に対して、 「財産権」についてです。

 例えば、 タレントのコンサートに行って 生写真を撮ったとします。

 この場合、 タレントは 皆に見られることを 前提としているので、

 当然 プライバシー権はありません。

 また、 写真の著作権は 撮影した人にあります。

 この写真を 個人で楽しむ分には 構いません。

 では 販売するとしたらどうでしょう。

 販売で 利益が得られますが、 それはタレントの 商品価値によるものです。

 これを 「顧客吸引力」 と言います。

 タレントの才能や努力、 事務所の投資や営業によって 築き上げられてきたものです。

 この利益は 本来タレントが得られるべきもので、

 タレントや事務所は 財産権を侵害されていることになります。

 顧客吸引力を持つ 有名人の肖像や名前を、 権利として保護する必要があります。

 これを 「パブリシティー権」 と言います。

 ネットには タレントやアイドルの画像が 横行していますが、

 これらは パブリシティー権の侵害になっているはずです。
 

肖像権 (2)

2010年03月27日 21時08分59秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 風景を写した写真の中に 人物 (観光客など) が入っている、

 いわゆる 「写り込み」 は、 肖像権を主張できないというのが 判例のようです。

 写っている人が 全て権利を主張すると、

 写り込んだロゴなど、 全てを認めなければならなくなり、

 現実に写真の撮影が 不可能になってしまうからです。

 公道で 群衆を写したとすれば、 全体で 「人混み」 という構図になり、

 一人一人の肖像権は 認められない可能性が高いそうです。

 (ただし、 そういう写真を ネットに載せるときは、

 個人を特定できないよう 画像を加工するのが無難 と言う人もいます。)
 

 きのうの日記には、 個人が特定されなければ、 肖像権は発生しないと書きました。

 一昨日の日記の パンフレットの件ですが、 利用者さんの写真の中には、

 小さくて 個人が特定できないものもありました。

 その考え方からすると、

 そういう写真は 無許可で掲載しても 大丈夫だったということになります。

 介護の現場では 訴訟も多く、 施設側は勝てないことが 多いそうなので、

 訴えられることに 過敏になっているようです。

 そのために 頑張ってやって来た作業が 中止されたり、

 何百部も印刷したものが 無駄になったり。 (- -;)

 (実際問題としても、 パンフの写真が

 必ずしも 利用者さんのプライバシーを 損ねているわけでもないと思います。

 また、 H施設と異なる地域で 配布したパンフレットが、

 Hの利用者さんの目に入って 訴訟を起こされる、

 という可能性も ほぼ皆無といっていいかと 思いますし……。)

(次の記事に続く)
 

肖像権 (1)

2010年03月26日 19時36分33秒 | Weblog
 
 パンフレットの “肖像権” が 問題になったことのついでに、

 「肖像権」 について ちょっと調べてみました。

 「肖像権」 というのは、

 個人の顔や姿を 許可なく公表・ 使用されない権利ですが、

 実は日本では 肖像権に対する法律は 存在していません。

 実質的には、  「プライバシー権」 の一部として、 判例で認められているのです。

 肖像権には  「人格権」 と 「財産権」 があります。

 「人格権」 は、 被写体として 無断で撮影, 描写, 公開されない権利です。

 私生活を公表されたり、 つけまわされたりしないためのものです。

 「公権力が特別の事由なく 私人を撮影してはならない」 とする

 最高裁判例がありますが、 これが 私人同士の間にも及ぶかが 議論になっています。

 顔写真が勝手に マスコミやインターネットで流されたときは、

 肖像権の侵害になります。

 一方、 社会的な事件や事故の 報道写真は、

 報道する利益のほうが 肖像権より優先されます。

 政治家や著名人も 肖像権は制限されます。

 なお、 被写体が 不特定多数の人に見られることを 前提としている場合や、

 個人が特定されない場合は、 肖像権は認められません。

 例えば、 公の場でのイベントや デモ活動に参加する場合、

 後ろ姿・ 体の一部のみが 写された場合、 写真がぼやけている場合などです。

 ただし 警察など公権力が、 デモ活動を理由なく撮影するのは 違法となります。

 ちなみに、 盗撮が罰せられるのは、 肖像権の侵害ではなく、

 わいせつ罪や 迷惑防止条例, 映画の盗撮を禁止した 法律によるものです。

(次の日記に続く)
 

デイサービスのパンフ、 使用禁止

2010年03月25日 14時54分57秒 | 介護帳
 
 今のデイサービスの職場では、

 利用者さんに来てもらうため 営業活動もしなければなりません。

 そのためのパンフレットの作成を、 僕が担当していました。

 前任者が作った パンフレットを元に、

 初めて使うパソコンフソトで 苦労しながらの作業でした。

 なお 元のパンフには、

 僕が研修を受けた 別施設 (以下 「O」 とします) の写真が 使用されており、

 それも何枚か使いました。

 また、 新たにイラストも 描き加えました。

 僕は 元々マンガ家でしたが、 もう20年くらい描いていないし、

 マンガは白黒の表現なので、 色を塗る作業は 素人同然です。

 いい画材もなく、 おまけに コピーやスキャンをすると

 色がすっかり変わってしまう というなかで、

 試行錯誤しながら やっとでき上がった次第です。

 本部やOの 許可を得、 Oへ行って 印刷も大量にさせてもらいました。

 (新しい施設では A3の用紙の印刷が できなかったので。)

 地域のケアマネージャーたちに パンフを送付したり、

 簡略なチラシを 近隣にポスティングして回ったり、

 数百部のパンフとチラシを 配布していました。

 ところが、 突如Oから 待ったがかかったのです。

 Oの写真には そこの利用者さんたちも 写っていますが、

 利用者さんから掲載の許可が はっきり得られていないというのです。

 肖像権の問題で、 訴えられた場合のことを 危惧してのことです。

 パンフを作る前、 利用者さんの許可の有無を Oに確認し、

 大丈夫という答だったのですが、 許諾の書面がなく、 前任者とは連絡が取れないと。

 実は Oでは現在、 利用者さんが転倒した しないという件で 訴訟中です。

 そのため 訴訟にナーバスになっているのです。

 それだったら もっと早く 言ってくれればいいのに、 という話なのですが。

 そして急遽、 Oの利用者さんの写真は 使えないということになり、

 またパンフを 作り直さなければならなくなってしまったのでした。

(もう配ってしまった分は 仕方ないということで。)

 そんなこんなで、 要領を得ない仕事をしています。 (・_・;)
 

発症のきっかけと 本当の原因を区別する (2)

2010年03月23日 21時44分58秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 目の前に生じたトラブルは  「きっかけ」 に過ぎず、

 「本当の問題」 は、 それに対して 不適切な反応をしてしまうことです。

 心子も きっかけに囚われて、 一挙に絶望して 生きる価値を失ってしまったり、

 僕に対する 全面的な信頼が 最低の裏切りに 変わってしまったりしました。

 それは 一面的な見方であり、 囚われないことを伝えるのが 必要だといいます。

 あるとき 心子の症状が悪化して、 心子は全く悲観的になり、

 もう別れようと 涙ながらに言い出したことがあります。

 そのシーンを、  「境界に生きた心子」 から引用します。
 

「 『マーのためを思って 言ってるんだよ。

 今はできることをやって、 どうしようもなくなったら 捨てるのは残酷だよ。

 それだったら 今捨てて』

 僕は かぶりを振った。

 『どうして こんな大変なのに付き合うの?』

 『大変だけじゃないからだよ。

 いいことも悪いことも、 全部あって しんこだから……』

 心子は 僕を見上げ、 強い視線で 見つめ続けた。

 とても、 きれいに見えた。

 髪をなでた。

 キスをした……。」
 

発症のきっかけと 本当の原因を区別する (1)

2010年03月21日 21時46分42秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 弁証法的行動療法の 「認証」 と並ぶ もうひとつの戦略は、

 「問題解決戦略」 です。

 しかし、 そもそも 「問題」 とは何かが 問題なのです。

 例えば、 自傷の原因は、 友だちの冷たい態度だと 本人は感じていますが、

 それは 「きっかけ」 であって、  「本当の問題」 ではありません。

 「問題」 には 二種類あります。

 ひとつは、 目の前に生じた トラブルで、

 これは 生きている限り 避けられないものです。

 もうひとつは、 こうした問題に対して、

 不適切な解決の仕方を してしまいやすいという問題です。

 境界性パーソナリティ障害の人は、

 「きっかけ」 のほうを 問題だと思ってしまい、

 「本当の問題」 には なかなか目が向きません。

 トラブルを過度に 悲観的に受け止め、

 自分が 生きる価値のない人間だと 思ってしまう、

 自己否定的な認知が 共通して見られます。

 本人の苦しみを 受け止めるだけでなく、 それが一面的な見方であり、

 それに囚われないことを 教えるのが、 次のステップとして 必要なのです。

(次の記事に続く)

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

ピンチをチャンスに変える 言葉を使う

2010年03月19日 21時47分02秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 弁証法的行動療法の柱のひとつに、  「認証」 というものがあります
 
 これは ピンチをチャンスに変える 関わり方で、 東洋的な発想です。
 
 どんな悪いことにも、 必ず 良い面や学ぶ点が あるという受け止め方です。
 
 境界性パーソナリティ障害の人は 二分法的な認知で、
 
 些細な悪い点も すべてを台無しにされたように 感じてしまいます。
 
 回復していくには、 その逆の 発想が必要です。
 
 それを 頭で理解するだけでなく、 心から実感して 身に付けていくことです。
 
 「それには何か 意味があるはずだよ」
 
 「それが分かっただけでも、 すごいじゃないか」
 
 周囲の者は、 本人も気付いていない プラスの意味を、
 
 見つけ出す名人に ならなければなりません。
 
 ところが現実には、 ダメな点を発見する 名人になってしまっています。
 
〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 
 
 以前 テレビでやっていましたが、 エジソンの母親は、
 
 幼いエジソンが 何かをやろうとして、 思う通りにいかず 泣いた時、
 
 「失敗したけれど、 そこから ~~ということが 分かってよかったね」
 
 と言って慰めたそうです。
 
 そしてエジソンは、
 
 「失敗してもいいんだ」
 
 ということを 学んだといいます。
 
 偉大な業績は 99の失敗と ひとつの成功からなる、
 
 というようなことも言われます。
 
 ボーダーの人は 失敗を恐れて、 何かを行なうことから 逃げてしまいがちですが、
 
 こんな言葉かけを 重ねていけば、 トライする姿勢が できてくるかもしれませんね。
 

「聞く」 テクニックを磨く (2)

2010年03月16日 20時08分34秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 映し返しは、 その言葉が 真意を正確に表しているかが 重要なことです。

 それが 良いか悪いかの 判断はしません。

 境界性パーソナリティ障害の人は、

 自分をありのままに表現することを 肯定される感覚を 味わうことができます。

 また 境界性パーソナリティ障害の人は、

 自分の言動が そのまま映し返されることで、 第三者的な目で眺めることができます。

 言われただけでは分からない 自分の癖を、 改めようという 動機付けになります。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子が落ち着いているときに、

 不安定なとき述べた言葉を  “映し返し”たら どうだったでしょう? 

 落ち着いている心子とは 別人の彼女が 言ったことですから、

 その真意は 心子にも分からないかもしれません。

 そして、 そんなことを言ってしまった自分を 責めて落胆したり、

 その時の怒りが 甦ったりしてしまうかもしれません。

 映し返しは、 心子には有効でなかったかもしれない とも考えてしまいますが、

 どうだったでしょう。
 

「聞く」 テクニックを磨く (1)

2010年03月15日 20時18分40秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 共感しながら 傾聴するのが基本ですが、

 「映し返し」 というテクニックがあります。

 大事なことは、 批判や評価を含めず、 鏡のように映し返すことです。

 「それは ~~ということ?」

 と話を要約し、 「違う」 と言われれば 説明してもらいます。

 行動や考え方も、 映し返すことができます。

 「~~したいということ?」

 と確かめてから、

 「それは、どうして?」

 などと尋ねます

 うまく答えられないときは、

 「もしかして ~~という気持ち?」

 と言葉にしてみせ、 次は本人に 自分の言葉で語ってもらうように 水を向けます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 言葉が達者だったので、

 映し返しのテクニックは 必要でなかったかもしれません。

 心子が 不安定になっているとき、 その気持ちは 受け止めるようにしました。

 しかし、 心子が攻撃的に ぶつけてくる言葉は、 客観的なものではなく、

 その場限りのものなので、 真意を確認することもしませんでした。

 時間が経てば、 口にした言葉も気持ちも どこかへいってしまい、

 意味はなくなってしまいます。

 僕への非難に対しては、 気持ちは受け止めても、 共感・ 傾聴するのではなく、

 真に受けず、 巻き込まれないようにすることに 努めていました。

(次の記事に続く)
 

本人の可能性を信じ、 それを伝える (2)

2010年03月13日 20時53分27秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 重要なのは、 本人の力を信じて、 希望を捨てないことです。

 本人が簡単にできることより、

 少し努力を要することに トライするよう励ますことが ポイントです。

 本人は一生懸命やっているということを 理解するのが大切です。

 「無理しなくていいよ」 という一言が、

 分かってもらえているという 安心感になります。


「きみが思っているよりも、 進歩している」

 といった 肯定的な言葉賭が基本です。

 不充分な点は これからクリアしていけばいいのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 ボーダーの人が しばしばそうであるように、 心子も 大変な頑張り屋でした。

 幼いころ、 父親に認めてもらいたい気持ちから きたものかもしれません。

 大変な計画を 最後までやり遂げてしまうこともあれば、

 現実離れした目標を打ち立てて 潰れてしまうこともありました。

 心身打ちひしがれて 息も絶え絶えのようなときでも、 心子は仕事に行こうとしたり、

 友人のカウンセラーに なろうとしてしまいます。

 心子は  「休む」 ことができなかったのです。

 僕はむしろ、 心子に休むように促しました。

 「休むことも 『仕事』 なんだよ」

 心子は 僕が諭したその言葉を 何度もつぶやきながら、

 ようやく休むことを 覚えていったのです。
 

本人の可能性を信じ、 それを伝える (1)

2010年03月12日 21時09分07秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人は、 失敗して傷つくことを 恐れています。

 チャレンジから逃げたり、 他の問題を起こして煙に巻こうとしたりします。

 でも本当は 頑張り屋の人が多く、 認めてもらいたい気持ちも 人一倍強いのです。

 その気持ちを うまく励ませば、 やってみようという モチベーションに繋がります。

 「きみならできると 信じている」

 「きみは 困難を克服する 力を持っている」

 というメッセージを 伝え続けることです。

 働きかける人自身が、 それを信じていなければなりません。

 「どうして そんなことが言えるのか」 と 問い返してくるかもしれません。

 そのときは、  「私には分かるし、 そう信じている」 と 答えるだけでよく、

 理由をいちいち 説明する必要はないと、

 リネハン (弁証法的行動療法の創始者) は述べています。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子と 付き合い始める時、 心子は 会社で苛めを受けており、

 心因性腰痛で入院しました。

 心子はそれを 労災として認めさせたいと、

 労働組合に入って、 会社と団交し、 徹夜で資料作りもしました。

 ただし当時、 精神的苦痛を労災認定するのは 非常に困難で、

 心子は心身ボロボロになって 打ちのめされたりしました。

 悲壮な気構えを 見せるかと思うと、

 もう 何をやっても無駄だと、 全てを投げ出そうとしました。

 今までこれだけ 頑張ってきたのに、

 いじめた連中と会社を 見逃していいのかと、 僕は切々と説きました。

 心子がまだ ボーダーだと分かる前で、

 上記記事のようなことを 考えたわけではありません。

 ただ、 ここまで手を尽くしてきたことを 無駄にしたくない、

 心子が傷ついたまま 終わってほしくないという思いで、

 もちろん 心子にはできると信じていました。

 そして、 ようやく心子は思い直して、 再びやる気になったのです。

(次の記事に続く)
 

優れている部分に 焦点を当てる

2010年03月11日 21時38分32秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人は どんなに優れた点を 持っていても、

 自分が劣っていると 思い込んでいます。

 本人の嘆きを 受け止めたうえで、

 「でも、 あなたの~~なところを、 ○○さんがすごく褒めていたよ」

 などのメッセージを伝えます。

 それを 何度も繰り返すことで、 傷口は少しずつ 塞がっていきます。

 「君の欠点だったところが、 魅力に変わり始めている 気がするな」

 といった言い方も、 賞賛以上に 変化や成長を意識させ、

 自信回復のきっかけになります。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 様々な優れた能力を 持っていました。

 普段はそれを 自慢するというのではなく、 話題にすることは よくありました。

 カウンセラーとしての能力、 記憶力、 様々な方面の知識、

 コミュニケーション能力、 頑張る力、 子供の扱い、 等々……。

 一方、 僕を責めるとき、

 自分の正義、 誠実さ、 純粋さなどを 武器にすることもありました。

 心子はそれらに 自信を持っていましたが、 一旦落ち込むと 全て無になってしまい、

 どんな言葉も 力づけにならなくなってしまうのですね。
 

逆転の発想を 刷り込む

2010年03月10日 20時42分27秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 悪いときには、 失敗した過去のことばかりに 捕らわれてしまいます。

 でも 過去のことは変えられないけれど、 未来は変えて行けることを 伝え、

 これからの人生を いいものにしていこうと 呼びかけます。

 「今まで苦しんだ分、 これから取り戻そうよ」

 同じ 一人の悩める人間として 語りかけます。

 さらに、 最悪の状況にも いい点がある、 と逆転の発想を 刷り込んでいきます。

 「これ以上 悪くなることはない」

 「苦しい分だけ 強くなれる」

 口先で言うのではなく、 心の底から伝えます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 上記のような言葉を 心子に言ったら、 どうだったろうかと考えます。

 ちょっと心子には 伝わらなかったのではないか、 と思われてしまいます。

 失意に捕らわれている時は、 どんな言葉も 励ましにはならず、

 逆に 苦しみを分かってもらえないと 反発を食ったのではないかと思います。

 「マーには分からないわ、 希望を持てない 人間の気持ちは」

 と言われたこともあります。

 逆境から学ぶというのは 普通の人でさえ難しいことですが、

 ボーダーの人は 完全に苦しみに圧倒されてしまって、

 苦しいときに 視点を変えてみるのが 極めて困難な 症状だろうと思います。

 悪い状態のときに 変えようとするより、落ち着いたときに

 認知の癖を 変えるようにしたほうが いいのではないかと考えるのですが、

 いかがなものでしょうか? 
 

どんな事態にも動じず、 安心させる

2010年03月09日 21時23分19秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人が 希望を見失い、 弱っている状態では、

 まず 安心を取り戻させ、 落ち着かせることです。

 苦しいときは 助けを求めたらいい、

 決して一人ではない、 いつも見守っていることを 伝えます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子が 身も世もなく落ち込んだとき、 僕は心子を抱きしめ、

 「大丈夫だよ、 安心して……」

 と何度も 慰め続けました。

 自己否定に陥って、 泣いて電話をしてきたときには、

 「話したいことは 何でも言って。 俺は そのためにいるんだから」

 と労ったこともあります。

 優しく、 大きく 受け止めることが必要でした。