「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

おわりに

2010年06月11日 20時38分50秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害は、 自己を確立するための 産みの苦しみです。

 病というより、 これまでの与えられた自分を 打ち消して、

 新たに自分を 打ち立てようとしています。

 見苦しい姿でも、 生きようと必死に もがいているのです。

 BPDの人の主体性を 尊重すると共に、 ひたむきに愛するという、

 ふたつの課題を 同時に行なう必要があります。

 その危機の時代を 乗り越えさえすれば、

 境界性パーソナリティ障害が回復する日は 必ず来るでしょう。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕

(以上)
 

 心子は、 父親に束縛された 価値観から抜け出して、

 本来の自分を 確立しようとしていたのでしょうか。

 心子にとって父親は 絶大な存在だったでしょう。

 完璧を求める姿勢, 共に死ぬという約束、 それらを一度打ち消し、

 ありのままでいい, 生きていていいんだという 価値観を、

 自ら打ち立てていこうと、 心子はもがいていたのでしょうか。

 心子の障害者年金などの 手続きをするとき、

 心身とも弱って 倒れそうな彼女を、 僕は一日中 支えて歩いて回りました。

 その帰りに、 ふとしたことで 心子は憤激し、 その後はふてて 無言になりました。

 でも 帰宅してから、 心子は不承不承、 ぽつりと言ったのです。

 「今日は ありがとう……。

 寒いところ、 手続きしてくれて……」

 それは 初めてのことでした。

 悲嘆し嫌悪しながらも、 100か0かではない所から 出てきた言葉です。

 旅立っていく前に 心子は、 真っ黒なオセロの中の ひとつの白い点に、

 目を向けることが できるようになり始めていたのだと 思います。
 

怒りが感謝に変わる (2)

2010年06月10日 21時03分59秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 心子は 心底では、 ドラマチックな出来事より、

 ひっそりとした安らぎを 切々と願っていたのです。

 でも その境地に至ることなく、 旅立っていきました。

 また この手紙では、 存在への感謝よりも、

 人間から離れたいという 気持ちが現れています。

 心子は現実には、 不安定な関係に 身を投じざるを得ず、

 上へ下へと 慌ただしく揺れ動き続けるのでした。
 

 こんなこともありました。

 心子が自殺企図を繰り返し、 ナイフで 自分の首を刺そうとしたとき、

 僕は ナイフをわしづかみにして 取り上げました。

 食ってかかる心子を、 僕は力付くで押さえ込みました。

 しばらくして、 心子は静かになり、 言ったのです。

 「……いつもありがとう……。

 マー君に何度も 命を助けられた。

 清志でもない、 お母さんでもない、 森本先生でもない、

 マー君が助けてくれた。

 本当に ありがとう……」

 正に、 怒りが感謝に 変わった瞬間でしょう。

 心子は 本当は生きたいのです。

 生きていることができれば、 実は どんなにか嬉しいのです。

 存在することに、 崇敬の念も抱いていたことでしょう。

 心子が旅立つ、 十日ほど前のことでした。
 

怒りが感謝に変わる (1)

2010年06月09日 20時04分29秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害が 回復に向かい始めたとき、

 刺激的なことより 日常的なことを大切にし、

 瞬間的より 持続的な喜びに 関心を注ぐようになります。

 大きな夢よりも、 地味なことに 地道な努力を続け、

 その努力自体を 楽しむようになります。

 そして、 激しい怒りが薄らいで 穏やかになると共に、

 周囲への感謝の思いが 兆してくることもあります。

 自分を生んでくれた親や、 この世に存在することへの 畏敬の念を覚え、

 感謝の言葉を 口にするようになります。

 最終的に、 本人に見合った 自立を成し遂げ、

 これまでの重荷が その人の生きる意味と価値を 与えてくれるものになるのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は僕宛に こんな手紙を書いたことがあります。

 「マー君へ。

 いろいろありがとう。

 最近、 身と心の状態がひどく、  『生きてる』 ことさえ 信じられないくらい。

 まっ暗な部屋で 一日中ベッドの中で、 じっとしている毎日です。

 夜は長くて 、死にたいと いつも思っています。

 出来ることなら、 もう仕事は辞めて、 誰かと結婚でもして、

 しなくてもいいんだけど、 無言で、 静かに静かに、 暮らしたいの。

 もう、 人間とかと 関わりあわないで、 静かに、 静かに、 暮らしたいの。

 朝の美しい空を見たり、 夕焼けの美しさに 詩を書いたり、

 日曜日は散歩をしたり、 美しい花を見て 感動したり、

 優しい心で 静かに、 自然と、 神様と、 愛する人と、 もんちと、

 静かに…… 静かに……

             しんこ & もんち   2000. 11. 20 」

(次の記事に続く)
 

よい自分、 悪い自分、 そして本来の自分 (3)

2010年05月20日 20時34分13秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 しかし、 心子は 母親に対しては、  「悪い子の自分」 を 経験していました。

 心子は 僕に向かっても、 母親のことを ひどくけなしたりしていました。

 病気知らずだった母親は、

 幼い頃から 体の弱かった心子の 痛みを理解することができず、

 心子は 無神経な母親の所為で 傷を負っては、 うっぷんをぶつけたといいます。

 母親とは 人生観も感性も 全く異なり、 もめ事が絶えませんでした。

 心子は 愛してもらえなかった 母親を憎んでおり、 17才で家を出ました。

 このままでは 母親を殺してしまうと 思ったそうです。

 しかし実は、 心子と母親との関係は それ相応に良かったようです。

 心子と母親は 結構旅行にも行ったり、

 母親は 心子のマンションへ 頻繁にやってきて、

 家賃や食料を届けたり、 心子のベッドに 母娘で寝たりしていました。

 心子の中には、母親に対する 愛と憎悪が同居していたでしょう。

 心子は 僕の所へ、 母を口さがなく なじるメールを送ってきたりし、

 しかしその直後には、 それを悔いるメールを 送信してきました。

 愛され方を 知らずに育ち、 愛し方も 分からなかったのです。

 「よい子の自分」 と 「悪い子の自分」 が バランス悪く併存し、

 二分法的で極端に揺れて、 不安定になっていた状態です。

 残念ながら、 それを統合する道のりを 歩み始める前に、

 心子は 幕引きをしていってしまいました。
 

よい自分、 悪い自分、 そして本来の自分 (2)

2010年05月19日 19時20分58秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 心子は 父親に厳しく育てられ、

 何でも 完璧にやりこなす価値観を 植えつけられました。

 幼かった心子は 父親を愛しており、

 父に認められるため、 完全な 「よい子の自分」 を 作り出したのでしょう。

 一心不乱に勉強し、 習い事をし (ただし後者は、 心子の心的事実でした)、

 何でも独りでする 子になりました。

 (心子は元来 勉強好きで、 勉強していれば 時間が経つのを 忘れる子でした。)

 そして、 心臓発作を抱えていた父親と、 共に逝くことを 約束していました。

 (これも 心子の心的事実です。)

 父親は 心子が10歳のとき 急逝しますが、 心子は約束を 果たせませんでした。

 父との誓いを破った、 そのことが、 その後の心子を呪縛し、

 彼女の根源的な 罪悪感, 自己否定になります。

 心子は 父親に逆らい、 「悪い子の自分」 を形成する

 機会を失ってしまったのだと 思います。

 父親が生きていれば、 思春期を迎えて 自我が育つにつれ、

 父の不完全さも 見えてきて、 自然な反抗期を 迎えるでしょう。

 しかし 心子の中では、 父親は完全無欠なままの イメージで残り、

 父親を否定するプロセスを 辿れなかったのでしょう。

 心子の主治医の先生も、 治療において、

 死者が相手なのは 非常に難しいと言っていました。

 心子は 父親に対して、 「よい子の自分」 と 「悪い子の自分」 を通過し、

 統合することができませんでした。

(次の記事に続く)
 

よい自分、 悪い自分、 そして本来の自分 (1)

2010年05月18日 20時04分25秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 思春期を迎えるまでは、 親から与えられたままに、 自分を形成します。

 それは 親の価値観に支配された  「よい自分」 です。

 思春期から 自己意識が育ってくると、 その自分に気付いて、

 お仕着せを脱ぎ捨て、 正反対の自分を まとおうとするようになります。

 それが 「悪い子の自分」 です。

 親を恨みつらみ、 困らせ、 それまでの人生を すべて否定するのです。

 この時期は、 親に対する嫌悪と 自分に対する嫌悪が 同居しています。

 しかし 境界性パーソナリティ障害の人は、  「悪い子の自分」 になりきれません。

 「悪い子の自分」 として 振る舞いながら、

 罪悪感や後ろめたさを 感じてしまいます。

 「よい子の自分」 と 「悪い子の自分」 が 統合されることなく、

 バランス悪く併存しています。

 二分法的で 極端に揺れ、 不安定になるのです。

 そこからの回復は、 双方が大切な 自分だということを受け止め、

 両方の自分を 統合することです。

 それによって、  「本来の自分」 に辿り着くのです。

 否定してきた親や、  「よい子の自分」 を 再評価することです。

 同時に、  「悪い子の自分」 に対して 距離を取り始め、

 「悪い子の自分」 を もう一度否定します。

 「よい子の自分」 に戻るのではなく、 それを受け入れ、

 「悪い子の自分」 も通過した、 新たな自分が生まれます。

 この過程は 一回限りではなく、 何度か繰り返されて 成し遂げられます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕

(次の記事に続く)
 

自分を統合する (2)

2010年05月16日 09時15分17秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 4月22日の記事に 書いたように、

 心子はある時期から、 自分を呪縛していた 父親との関係を語るようになり、

 その頃から自殺企図や、 解離を起こして 子供の人格が現れるようになっていました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60571174.html

 症状が悪化したのではないかと 僕は心配していましたが、

 主治医の森本先生は、 意識下の真実を出すようになって、

 初めて 解離した自分を  「統合」 する作業が 始まるのだと説明しました。

 心子の治療に要するのは、 幼いときのでき事を思い出して 内的な再体験をし、

 その思い出を癒していくこと、 そして心理的に 象徴的な死を通して、

 生まれ変わっていくことなのだといいます。

 それが回復へのプロセスです。

 しかし その統合の過程が、 本人にとっては 最も苦しい道のりになります。

 自身の古傷や欠陥などを 掘り下げていくことが求められ、

 それは 針のむしろのようなものでしょう。

 快方に向かい始める途中で 抑うつ状態に陥ったり、

 一時的に 解離などが生じることがあり、

 最悪の場合は 自殺に向かってしまうこともあります。

 いずれにしても、 治療は十年単位になると 言われました。

 けだし、 心子はその一歩を 踏み出していたところだったのでしょうか?

 まさしく心子は、 生死の境界を さまよい歩いていたのでしょう。
 

自分を統合する (1)

2010年05月15日 08時02分31秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の回復において、

 それまでの人生を振り返り、 出来事に どういう意味があったかを、

 ひとつの物語として 統合していくことが、 大きな山場となります。

 それは 自分をめぐる 家族の歴史全体を 理解する作業にもなります。

 語ることや 書く作業を通して、 再統合が進むに従い、

 傷や呪縛から 次第に自由になり、 主体性とコントロールを 取り戻していきます。

 深刻なケースほど この作業が求められます。

 しかし それにはある程度、 自分をコントロールできる 必要があります。

 過去に向き合うのは、 パンドラの匣(はこ)を 開けるようなもので、

 体験が深刻であるほど 一時的に不安定になり、

 自傷や自殺企図を 誘発する危険もあります。

 外来治療では リスクや時間的制限のため、

 この領域に踏み込むことには 慎重にならざるを得ません。

 でもそれは 火種を抱えたまま、

 ごまかしてどうにか バランスを取っていることです。

 治療だけでなく、 宗教, 社会奉仕, 芸術的自己表現などによって、

 それを克服していく人もいます。

 どういう方法でも、 自分の人生に 意味を取り戻し、

 再統合を成し遂げていくことです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕

(次の記事に続く)
 

パニックを コントロールする方法

2010年04月29日 21時41分02秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 フラッシュバックなどのパニックに 有効な対処法として、

 「グラウンディング・ テクニック」 があります。

 パニック状態のとき、 意識は狭窄し、 内的な感覚に 囚われてしまいます。

 それを止めるため、 外の世界に 意識を向かわせるようにします。

 地面にしっかり 足を踏ん張り、 壁や手すりなど 固い物にしっかりと触れ、

 ゆっくり腹式呼吸をしながら、 外にある物を見て、 外的感覚に集中します。

 家族などに 話しかけてもらって、 外界に意識を向かわせると やりやすくなります。

 もうひとつ、  「ブレス・ トレーニング」 があります。

 ゆっくり腹式呼吸をしながら、 息を吐きだすことに 注意を向けます。

 「リラックス」 と唱えながら、 ゆっくり繰り返します。

 恐怖のコントロールに有効です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 僕も以前に 少し瞑想や、 感情モニタリングという

 ワークショップをやったことがあります。

 人間の意識というのは 不思議なものです。

 意識を 体の一部分や 心の中に集中させたり、

 逆に 外のある部分に 集中させたりすると、

 全く違った意識状態に なっていきます。

 練習をしていくことによって、 多元的な意識を 持つことができるようになります。

 ヨーガなども 単なるストレッチではなく、

 呼吸法と合わせ、 心身のバランスを 整えていきます。

 さらに 高い次元への 意識の変容を通して、

 最終的には 宗教的な悟りに達することを 目標とするものです。

 上記日記のトレーニングは その初歩的なものでしょうが、

 気持ちを落ち着かせるのに 役立つものでしょう。
 

フラッシュバックは どう扱うのか

2010年04月28日 21時47分13秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人は、 PTSDを抱えていることが 少なくありません。

 治療を受けて 安定した上で、 過去の出来事に 向かい合う治療が 有効です。

 どんな出来事も きちんと言葉にし、 適切な対処を学ぶことで、

 乗り越えていくことができます。

 向き合わずに 心の中に押し込めているほうが、 害が大きいのです。

 回復に手間取ることもありますが、 問題を抱えながらも、

 時間をかけて、 バランスを壊さないことが 大切です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子も フラッシュバックを起こしました。

 子供の人格に戻って 父親が急死したときの出来事、

 前夫が首を吊ったシーン、

 もう一人のパートナー・清志が 自殺を図ろうとしたシーンなど。

 悪夢を見て 飛び起きたことも 何回かありました。

 残念ながら、 その治療を始めるところまでは 行きませんでした。

 ただ心子の場合は、 実際の事実が フラッシュバックするのではなく、

 心の中にでき上がった 心的事実が 再現されることが多かったようです。

 しかし それは心子の中では、 客観的に起こった出来事と 全く変わりがなく、

 間違いなく存在した 事実だったのです。

 フラッシュバックは 単なる夢や記憶と異なり、

 明らかに いま目の前で起きている 現実として体験され、

 その衝撃や苦しみは 経験しない者には 想像し難いといいます。
 

気持ちをコントロールする

2010年04月26日 19時25分38秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 情動のコントロール不全は、 この障害の 基本症状のひとつで、

 気分が変動しやすいことと、 傷つきやすいことがあります。

 程度が強い場合は、 薬で緩和することが望まれます。

 軽度の場合は、 生活習慣を整え、 安心できる環境で 過ごすようにします。

 次々に 新しい人と出会ったり、 人間関係が濃厚になると 刺激を受けやすいので、

 淡白で単純な 生活を心がけましょう。

 親子関係が落ち着いていない場合、 ほどよく距離を置いて、

 たまに顔を合わせるほうが よいこともあります。

 逆に べったり依存している場合は、

 徐々に 自分だけで過ごせる時間を 増やしていきます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 数種類の薬を処方されていました。

 現在では 多剤多用は禁物とされていますが、 心子は 腰痛の湿布や痛み止め、

 胃薬なども含めると、 通院の度に 袋一杯の薬を 持ち帰っていました。

 対人関係は、 当初 会社の苛めで 尋常でない日々を過ごしていましたが、

 その後は、 社会的な人間関係で苦しむことは 差程なかったと思います。

 母親との関係は、 価値観も感性も 全く異なり、

 揉め事が絶えないと、 生前は聞いていました。

 でも実は、 母親は心子を気にかけて 心子の部屋にやって来ては、

 ひとつのベッドで 寝たりしていたということです。

 愛情が深い分だけ、 傷つくことも多かったのでしょう。
 

頭で考えるより、 体と手を動かす

2010年04月24日 22時02分33秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 回復する土台として、 体を規則正しく動かして、 生活のリズムを 整えることです。

 境界性パーソナリティ障害の人は 本来、 勤勉な人が多いのです。

 毎日の日課を決めて、 ひとつずつ実行していきます。

 いきなり 全てできる必要はなく、

 実行できたことが 少しずつ増えていけばいいのです。

 料理などは、 複数のことを 臨機応変に進め、

 総合的に考えながら行なう、 優れた作業療法です。

 デイケアや職業訓練施設の 利用もいいでしょう。

 対人関係の トレーニングにもなります。

 あっさりとした、 距離を置いた関係を 保つようにしましょう。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は やると決めたら、 徹底的にやりぬく性格でした。

 夏休みに 心理学のセミナーを 受講したことがありました。

 某大学で開催されたセミナーは、 遠方で、

 普通の人でも 付いていくのが難しい ハードスケジュールでした。

 心子は連日 早朝から夕方まで、 一ヶ月間、

 とうとう無遅刻無欠席で 皆勤を果たしてしまったのです。

 試験も 口では全然ダメだと 言いながら、 全科目 「優」 でした。

 でも 受講し終わって、 僕の部屋へ来た途端、

 無理がたたって 倒れてしまいました。

 不順な生理に襲われて、 3日間 起きられませんでした。

 その間、 僕は 心子の痛む腰を揉み、  “重い人用” の 生理用品を買ってきて、

 鉄分不足を補うため ニラレバ炒めを作ったりしたものでした。
 

どん底の体験が 逆転のきっかけになる

2010年04月22日 21時28分32秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 人生最大のピンチが、

 回復における 逆転のきっかけになることが しばしば見られます。

 どん底まで落ちて 開き直ったときに、

 その人の中に 本来備わっていた力が、 本領を発揮するのです。

 自分を縛っていた鎖は、 思い込みが 作り上げていたものです。

 瀬戸際まで 追い詰められたとき、

 生きたいという願望が 思い込みを打ち破るのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 僕と付き合うようになって 数ヶ月し、

 だんだん症状が 悪化してきたようにも見えました。

 父親との死の約束や 近親相姦などのことを披瀝し、 解離を起こしたり、

 子供の人格に戻ったり、 激しい発作を 起こすようになったのです。

 それまで意識下に抑圧していた どろどろした部分まで、

 僕を信頼して 見せられるようになり (無意識に)、

 著しい心理的症状となって 現れてきたのです。

 (ただし 父親との間の出来事は、 心子の心的事実であって、

 客観的事実ではなかったことが 没後になって分かりました。)

 それは心子が 自分の心の内面と 向き合う作業の、

 始まりだったと言えるのでしょう。

 その時期を経て、 心子は 分裂した自分を統合するような 前兆を見せ始めました。

 真っ黒でも真っ白でもなく、

 一面の黒いオセロの中の、 一点の白に 目を向けられるようになったのです。

 けれども その直後、 ある人の言葉が引き金となって、

 心子はホテルの最上階から 宙に舞ってしまったのでした。
 

回復を妨げる気持ちに 向かい合う

2010年04月21日 20時29分11秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 悪い状態から回復してくると、 それまで他の人に 肩代わりしてもらったことを、

 自分で しなければならなくなります。

 すると 負担が増えてきて、 また後退してしまう ということを繰り返します。

 しかし 何かのきっかけで、 本人自身が 状況を変えようと決意すると、

 見違えるように 積極的になることもあります。

 それは、 新しい目標や 楽しみが生まれたり、 受容される体験、

 逆に 支え手が亡くなるという 危機感が高まる状況などがあります。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 僕と付き合い始めるまでは、

 社会的に自立して、 てきぱきと仕事もこなしていました。

 でも 僕に依存するようになって、

 悪い状況が出てくるようになった という面もあると考えられます。

 それは 多くのBPDの人が 見せる順番と、 少し異なっていたでしょうが。

 僕の部屋で過ごす (暮らす) ときは、

 薬のせいもあって 長時間寝ていたり、 不規則な生活でした。

 次第に 体にも変調をきたし、 フルタイムで働けなくなり、

 障害者基礎年金を 受給するようになりました。

 そこからの回復を 見せる前に、 心子は人生に 幕を引いてしまいました。

 でも改善の前触れは、 芽生き始めていたのではないかと 思われます。

 次の日記に記します。
 

小さな成功体験から 変化が始まる

2010年04月20日 22時14分46秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 回復する過程には、 自信を取り戻すことが 不可欠です。

 傷ついた自己愛を、 周囲の人が どうにか支える段階が まずあって、

 少しずつ 一歩を踏み出していきます。

 例え 小さなことでも、 自分が認められる 体験をすると、

 またチャレンジをしようという 勇気が湧いてきます。

 最初はゆっくり、 三日坊主でも やめればいいと割り切って 始めればよいのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 「BPD家族の会」 の参加者からも、 お子さんである BPDの人たちは、

 自分に自信が持てず、 仕事もできないでいるという 状況をしきりに聞きます。

 「高機能BPD」 「低機能BPD」 という言い方は 好きではないのですが、

 言ってみると心子は  「高機能BPD」 だったのでしょう。

 対外的には 仕事は人並み以上に こなしていましたし、

 何をやっても できてしまうという面もありました。

 自分が目指すことに対しては、 どんな過酷であっても、

 艱難辛苦を乗り越えて 立ち向かっていく がむしゃらさも持っていました。

 しかし、 それが一度 わずかでもくじけると、

 一挙に自己卑下や 絶望に陥ってしまいます。

 自己愛性的な面があると同時に、 自己評価が低く、

 自分は生きる価値もないという 自己否定に苛まれていたのです。

 「BPD家族の会」 の参加者からも、

 BPDの人は 頑張るときは本当に頑張る という話しも聞きます。

 完全を求めて 頑張ってしまいますが、 求めていたことが100%できないと、

 やっぱり 自分は全くダメだと 一遍に落ち込んでしまいます。

 半分でもできたら上出来だという 適当さが必要なのでしょう。