12世紀 モンゴル統一を果たした チンギス・ハーン (テムジン) の、
壮大な “叙情詩” です。
昨年日本でも、チンギス・ハーンの一代記を描いた
角川春樹制作の 「蒼き狼」 がありましたが、
ロシア人監督 セルゲイ・ボドロフの手による 「モンゴル」 は、
比べ物にならない 深遠な作品を作り上げました。
人間描写の重厚さ,映像の荘厳さ,音楽の脈動、言葉にならない表現から、
作品の奥行きが伝わってきます。
作者の人格的な深みが、それらに現れるのです。
絵画,音楽,舞踊など、言葉以外による芸術でも、
作者の思想,経験,人間観などが、否応なく表出されるわけです。
もちろん そこに技術 (表現力) が伴いますが、
技術とは 実は作者の世界観 そのものに他なりません。
「蒼き狼」 の出演者は 反町隆史、菊川怜ら日本人で、セリフも日本語ですが、
「モンゴル」 は 全編モンゴル語で、役者も モンゴル人や中国人などです。
目のぱっちりした 現代的な美形ではなく、
いかにも 12世紀のモンゴル人顔をした 俳優陣が、
リアリティある重みを 感じさせてくれます。
アジア人役者の中から 主役に抜擢された浅野忠信は、
テムジンのカリスマ性を 見事に体現していました。
モンゴル語のセリフを習得し、乗馬やモンゴルの殺陣も 自ら演じています。
「蒼き狼」 では、テムジンの幼少期から 国家統一までの史実やドラマを、
分かりやすく 描いていたのに対し、
「モンゴル」 は それらを大幅に省略した分、
テムジンの精神的な世界を 表現していました。
テムジンの生涯には 空白の期間があります。
ボドロフ監督は、その間 彼は投獄されていたのではないか という説を取り入れ、
映画の重要な部分に 据えています。
獄中でテムジンは 修行僧のように瞑想を深め、
国家統一のための 哲学を確立していったといいます。
まるで 石仏のようなメイクと、浅野忠信の存在感は 印象的でした。
勇猛さと慈愛を併せ持ち、独創的で自由な人間・テムジンを 描き出した大作は、
アカデミー外国語映画賞 候補作です。