「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「モンゴル (MONGOL)」

2008年03月31日 21時24分29秒 | 映画
 
 12世紀 モンゴル統一を果たした チンギス・ハーン (テムジン) の、

 壮大な “叙情詩” です。

 昨年日本でも、チンギス・ハーンの一代記を描いた

 角川春樹制作の 「蒼き狼」 がありましたが、

 ロシア人監督 セルゲイ・ボドロフの手による 「モンゴル」 は、

 比べ物にならない 深遠な作品を作り上げました。

 人間描写の重厚さ,映像の荘厳さ,音楽の脈動、言葉にならない表現から、

 作品の奥行きが伝わってきます。

 作者の人格的な深みが、それらに現れるのです。

 絵画,音楽,舞踊など、言葉以外による芸術でも、

 作者の思想,経験,人間観などが、否応なく表出されるわけです。

 もちろん そこに技術 (表現力) が伴いますが、

 技術とは 実は作者の世界観 そのものに他なりません。

 「蒼き狼」 の出演者は 反町隆史、菊川怜ら日本人で、セリフも日本語ですが、

 「モンゴル」 は 全編モンゴル語で、役者も モンゴル人や中国人などです。

 目のぱっちりした 現代的な美形ではなく、

 いかにも 12世紀のモンゴル人顔をした 俳優陣が、

 リアリティある重みを 感じさせてくれます。

 アジア人役者の中から 主役に抜擢された浅野忠信は、

 テムジンのカリスマ性を 見事に体現していました。

 モンゴル語のセリフを習得し、乗馬やモンゴルの殺陣も 自ら演じています。

 「蒼き狼」 では、テムジンの幼少期から 国家統一までの史実やドラマを、

 分かりやすく 描いていたのに対し、

 「モンゴル」 は それらを大幅に省略した分、

 テムジンの精神的な世界を 表現していました。

 テムジンの生涯には 空白の期間があります。

 ボドロフ監督は、その間 彼は投獄されていたのではないか という説を取り入れ、

 映画の重要な部分に 据えています。

 獄中でテムジンは 修行僧のように瞑想を深め、

 国家統一のための 哲学を確立していったといいます。

 まるで 石仏のようなメイクと、浅野忠信の存在感は 印象的でした。

 勇猛さと慈愛を併せ持ち、独創的で自由な人間・テムジンを 描き出した大作は、

 アカデミー外国語映画賞 候補作です。
 

心子と想い出の花見

2008年03月30日 16時01分09秒 | 心子、もろもろ
〔 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/30657023.html からの転載〕
 
 今年も花見の季節です。

 心子と行った、家の近くにある 川沿いの見事な桜並木を 見にいきました。

 花曇りのなか、風が吹くと 花吹雪が舞い、幻想的でもありました。

 川面に浮かぶ 無数の花片も また風情があるものです。

 延々と続く 桜のトンネルのような 素敵な所もあります。

 川沿いの道の脇 (川の反対側)に 並ぶ桜たちが、

 その枝を 川面へ向かって 大きく延ばして降ろし、

 道を歩く人の 頭の上を覆って、

 ちょうど 桜の花びらが形作る ドームのようになっているのです。

 手を延ばせば 花に届くほど、枝は低く垂れ下がっています。

 そんな桜の下、彼女と腕を組んで 花を愛でたことを 思い出しながら歩きました。

 このところ 自然に触れる機会が少なかったですが、心が和むひとときでした。

 心子との想い出の場所を 回顧しながら歩きました。

 彼女と写真を撮った所、焼き鳥とビールを味わった出店、

 並んで座ってしゃべったベンチ、甘酒を飲んだ神社……。

 毎年 桜の時期に 歩いて回ります。

 そして、拙著の中の エピソードにも出てきた、川向こうで爆発を起こした家……。

 ところが、この家は取り壊されて 駐車場になってしまいました。

 他にも、家屋が壊されて 更地になっていたり、信号の位置が変わっていたり。

 想い出の場所も、時の流れと共に 少しずつ変わっていくのでしょう……。

 でも 街は変わっていっても、本の中の彼女は いつまでもずっと生きています。

 やはり、彼女のことを 書き残すことができて 良かったと思うのでした。
 

今年も花見

2008年03月29日 22時05分55秒 | 心子、もろもろ
 
 今年の桜は、開花から満開までが とても早かったですね。

 急に暖かくなってきて。

(この前まで ダウンコートを着てたのに。)

 明日は 雨が降るというので、今日 ジョギングと散歩がてら、

 心子と行った 花見をしてきました。

 去年 肉離れを起こしてしまってから、久しぶりのジョギング。

 無理せず、ゆくーりと。 (^^)

 もう 葉が出ている桜もあり、今年は 本当に移ろいが早くて、見頃が短いですね。

 携帯で写真を撮っている人が とても増えてきました。

 美景のスポットでは 列をなして映してました。

 ご時世ですね。

 心子と楽しんだ 花たちは、いつ見ても 大層見事です。

 でも、心子と並んで写真を撮った 大きな桜の木が、

 随分 剪定されて、形が変わってしまっていました。(;_;)

 また少しずつ、浮世は移り変わっていきます。

 でも 心子との想い出は……。
 

「ぼくたちと駐在さんの 700日戦争」

2008年03月28日 23時20分34秒 | 映画
 
 人気ブログ小説から生まれた、半分実話という 新感覚映画です。

 監督は 「時効警察」 の塚本連平、主演は市原隼人,佐々木蔵之助,麻生久美子。

 イタズラに青春をかけている ママチャリ (市原隼人) と、6人の高校生たち。

 その町に赴任してきた 駐在さん (佐々木蔵之助)。

 彼らの間に、凄まじいイタズラ合戦が 繰り広げられます。

 次々とイタズラを考え出す ママチャリたちに対し、

 駐在さんは 国家公務員であることも忘れて 反撃する、

 日本一 大人げない男なのでした。

 塚本監督は、「時効警察」 の 脱力感あふれる演出とは 様変わりし、

 バイタリティとスピード感のある コメディに仕上げています。

 そして やはり小ネタは満載。

 舞台は1980年の栃木で、当時のヒット曲や小道具も 巧みに散りばめられています。

 終始 笑わせられ、そして 最後にほろりとさせる エンターテイメントでした。

 市原直人は表情豊かで、テンポもよく、コメディも見事に演じています。

 試写会では 出演者たちの舞台挨拶。

 これはイタズラの映画 ということで、その時もイタズラの連発でした。

 まず 司会者の前説により、来場客全員に配られていた 紙のお面を、

 合図で一斉に被って、出演者を驚かすというもの。

 一緒にやってあげました。σ (^^;)

 市原隼人がドラマ撮影のため 間に合わないかも知れない と司会者が言い、

 会場から溜め息が漏れると、市原隼人が 作品中のママチャリに乗って 舞台に現れ。

 出演者が座る椅子にブーブークラクション という古典的なイタズラのあとは、

 市原隼人のマイクに 仕掛けがされていて 甲高い声になってしまったり。

 素直に楽しめた ひとときでした。

 原作のブログ小説は、アクセスランキング20ヶ月No.1 という記録を更新中で、

 今も毎日 書き続けられているそうです。

 書き込まれたコメントによって 翌日のストーリーが変わったり、

 コメントを付けたユーザーを そのまま登場させたり、

 参加型ブログ小説の パイオニアだということです。

http://700days.blog69.fc2.com/
 

「青い花火」 (3)

2008年03月27日 21時34分04秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53448581.html からの続き)

 10年前には 先取りしたテーマだったのではないでしょうか。

(心子と僕が 付き合い始める 前の年ですね。 (^^;))

 アダルトチルドレン,虐待,イジメ,引きこもり,自傷行為,

 そして、自分が自分であることの アイデンティティ、

 色々な問題が 含まれています。

 生きづらさを感じている人間が、自分と相対することによって、

 自分を回復していく 再生のドラマ。

 演出も凝っていて、心証に訴えかけてきました。

 NHKは時々、こういう珠玉のドラマを 放送してくれます。

 原作は鎌田敏夫で、放送文化基金賞本賞、演出賞 (若泉久朗)、

 女優演技賞 (桃井かおり,松尾れい子) の3部門を受賞。

 松尾れい子は、当時 ポスト広末涼子と言われたそうですが、

 何といっても その “目力” が 強烈な印象を与えました。

 ぶっきらぼうな物言いは、演出なのか 演技の未熟さなのか。

 大熱演で 異彩を放っていましたが、その後 あまり活動を耳にせず、

 どうしているのか 気にかかるところです。

 この作品は 前半を見ることができなかったにも拘らず、

 強く引きつけられ、記憶に残る 作品になりました。

 前半も見られたら、彼女たちの心の世界が

 もっとよく 感じられたであろうことが残念です。

 彼女らは ボーダーとまでは言えないと思いますが、

 親の虐待に遭ったり、親の期待に 応えようとしすぎたりした結果、

 自分自身の生き方を見失ってしまった アダルトチルドレンでしょう。

 彩佳は己の意志で そこから抜け出るため、

 その若さゆえ 手段は拙劣だったかも知れませんが、

 懸命に 自分の足で踏み出そうと もがいています。

 そんな彩佳の目には、人との交わりを拒んで 自分を閉ざして生きている、

 玲子が許せなかったのでしょう。

 それは 自分自身に対する、怒りや苛立ちだったように見えます。

 玲子は彩佳に触発され、彩佳も 自分をぶつける相手があったからこそ、

 お互い 立ち上がっていけたのかもしれません。

 回復への道は 一人で歩んでいくことはできず、支え合う存在は やはり大切です。

 タイトルの 「青い花火」 ですが、彩佳が 玲子と花火をしようと言い、

 二人で花火を持って 高架下を走るシーンに 因んでいます。

 玲子はそこに、彩佳の生の力を 感じるのです。

 或いは タイトルは、

 二人の人間の まだ未熟な 「青さ」 に 掛けているのかもしれません。

 青いながらも、無我夢中で瞬こうとしている、

 秘められた息吹を 表している気がします。
 

「青い花火」 (2)

2008年03月26日 22時56分36秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53431467.html からの続き)

 圧巻は、玲子が ビデオの編集をするシーン。

 バックから攻められる 彩佳の顔のアップが、複数のモニターに映し出され、

 玲子はそれを見ながら 編集作業をします。

 彩佳の鋭い眼が 玲子を睨むように並び、玲子は彩佳と 正面から見つめ合います。

 彩佳と玲子の 眼と眼の激闘。

 ビデオの中の 彩佳の演技は、正に 「自分は生きているんだ」 と

 必死に主張しているようです。

 そして玲子は 彩佳から逃げずに対峙し、自分自身とも 向き合っていくのです。

 ビデオ制作が終わり、彩佳は 会社を去っていきます。

 そして 何本ものビデオを ポストに投函し、告白します。

 自分も中学生のとき、クラスの男子を 苛めたことがある。

 高校で 自分が苛められて、初めて 彼の気持ちが分かった。

 自分は、声を上げられなかった 彼のために叫んだのだと。

「彼は私。 私は彼。 私は私。 皆とは違う。 文句あるか。

 これをやらなければ、私は生きていけなかった」

 彩佳のビデオ出演は、自分が自分として 生きていることの、

 死に物狂いの 叫びだったのでしょう。

 それが 玲子の心を動かした。

 そのあとで 玲子はスタッフから、彩佳の置き土産だという 携帯電話を渡されます。

 電話を持たない玲子に、人とのコミュニケーションの 象徴である携帯電話。

「いつか電話するって 言ってた」

 スタッフから そう告げられた玲子は、

 声を上げて ボロボロ涙をこぼすのでした。

 そして、田舎を走る電車の中に 玲子の姿。

 携帯電話に 彩佳が公衆電話から架けてきます。

 玲子は、虐待を受けた 母親に会いに行くことを 話します。

「そうしなければ、あたしも 生きていけないでしょ」

 彩佳は 自分の捨て身の演技が、玲子に伝わったことを確認し、目に涙を溜めます。

 知らない街の 電話ボックスから出てきた彩佳、その姿は 何とスキンヘッド。

 彩佳の、新たな場所での、次の一歩が 始まります。

 人込みの中を闊歩する、輝くような存在感が 際立っていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53462117.html
 

「青い花火」 (1)

2008年03月25日 21時49分57秒 | 映画
 
 ミクシィの マイミクさんが教えてくれた、NHKの 1998年のドラマです。

 心の傷を負った 二人の女性が、自分の生きる証を獲得していく 闘いの物語。

 DVDなども 売っていないということで、

 マイミクさんが 録画してくれたビデオを 貸してくれました。

 残念ながら 前半が録画されておらず、その部分は マイミクさんのあらすじ説明と、

 コピーしてくれた ネットのレビューで了解しました。

 皆さんも観ることができないでしょうから、ネタバレの感想を書きます。 (^^;)

 加藤玲子 (桃井かおり) は、いとこの矢島 (岸部一徳) と

 AVビデオの制作をしています。

 玲子は幼いとき 母親から虐待を受けており、

 摂食障害になったり、引きこもったりしていました。

 今も自閉気味で 人と関わることができず、

 部屋には電話もなく、自分の殻の中に うずくまって生きています。

 そこへやって来た 彩佳 (松尾れい子)、AVビデオに出たいと言うのです。

 彩佳の手に 吐きダコ 〔*注〕 を見つけた玲子は、

 彩佳に 自分と同じ姿を見て、出演を思い止まらせようとしますが、

 彩佳の気持ちは変わりません。

〔*注: 心子にもありました。
     過食嘔吐で 口に指を突っ込むため、手にできるタコです。〕

 彩佳は、玲子と自分が同じだと見られることに 反発します。

 自分は 玲子のように弱くはない、

 傷ついているからビデオに出るのだ などと思われたくない、と訴えます。

 そして、人との関わりを避けて生きている 玲子を批判するのです。

 玲子は その言葉から逃げるように、耳を背けます。

 NHK制作のドラマでもあるので、ベッドシーンは そのままは映しません。

 松尾れい子の顔だけの映像で、彼女の痛烈な眼光が 観る者を射抜きます。

 その苦しみの表情は、

 自分のアイデンティティを掴むための 苦悩でもあるかのようです。

 そして彩佳は、ビデオができ上がったら、

 自分を苛めた 同級生や先生,親たちに それを送るのだと言います。

 「これが私だ! 文句あるか!」 と 言ってやるのだと。

 うずくまっていた 玲子の胸に、彩佳の絶叫が 突き刺さります。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53448581.html
 

文芸社からアンケート

2008年03月24日 23時09分14秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 3月7日と8日の記事に、新風舎の事業が 文芸社に譲渡されることを 書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53142774.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53155850.html

 本日 郵送で文芸社から、保全管理人・川島英明弁護士の名で、

 アンケートの依頼が届きました。

 本のデータを 文芸社に移転するに当たり、

 データの検証,システムの統合,編集資料の確認など、

 かなりの期間が 要されるということです。

 そこで 作業を迅速に行なうため 各著者に、

 著書の再流通を希望するかなどの アンケートを行なうものです。

 本の流通や再出版を 望まない著者も 少なくないと思われるので、

 希望する著者のデータだけ 移転すればいいということでしょう。

 それはその通りで、最初からこういうアンケートを しておけばいいのにと思います。

 アンケートの内容は、本の再流通を希望するか,

 文芸社からの役務 (サービス内容と費用) の 提示を希望するか,

 カバーやタイトル・内容などを 変更したいか、などです。

 文芸社の役務に 著者が同意すれば、契約をして 再出版の作業になります。

 文芸社の役務内容を確認し、他社からの出版の条件と 考え合わせ、

 決めていく予定です。

 ミクシィの 「新風舎問題」 コミュニティでは、

 十二分に慎重になるように,本作りについて勉強するように、

 という忠言が 書き込まれています。

 新風舎や文芸社とは もうきっぱり縁を切りたい、という著者の人もいます。

 僕もそういう気持ちが ないではないですが、

 冷静に判断していきたい と思っています。
 

近視は 老眼になりにくい? 

2008年03月22日 20時13分38秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53368130.html からの続き)

 健康な人の目を  「正視」 と言います。

 それに対して、近視は 遠くが見えにくくなる,老眼は 近くが見えにくくなる、

 と 僕は思っていました。

 しかし、これも 正確ではありませんでした。

 近視は、ピントが合う範囲が 正視に比べて 手前 (近距離) にずれたもの,

 老眼は 目の調節力が低下すること、が 正しい言い方です。

 近眼の人は 老眼になりにくいと、巷間 よく言われます。

 しかし老眼は 単なる老化現象であり、

 年を取れば 筋力が落ちるように、必ず誰にでも訪れるものです。

 新聞などを だんだん目に近付けていって、

 ぼやけない限界の位置を  「近点」 といいます。

(毛様体筋が 一番緊張している状態。)

 近視の人は近点が 正視の人よりも近く、老眼は近点が 次第に遠くなっていきます。

 加齢によって、例えば近点が 30センチ以上ぐらいになると、

 近くが見づらくなったと感じ、老眼に 気付き始めるのではないでしょうか。

 確かに近視は (裸眼の場合)、元々近点が 近いわけですから、

 それが遠くなってきて 見づらさを感じるのが 普通より遅い、ということは言えます。

 でも 気付くのが遅いだけで、その前から

 目の調節力の低下 (=近点が遠くなり始める) は 起こっているのです。

 ちなみに、10才の子供は 近点が10センチくらいで、

 年齢と共に 近点は徐々に遠くなり、

 40才くらいで 30センチを超えるということです。

(個人差があります。)

 言ってみれば、目の調節力は 10才から低下し、

 老眼はこの時から始まっている という言い方もできるのかもしれません。
 

 16日の日記に、「近眼は、メガネをかけて 初めて老眼になる」 と書きましたが、

 実はこれも 不正確な表現だということが 分かります。

 メガネをかけなくても 老眼になっていくわけですが (老化現象)、

 近くが見えづらく感じるのは メガネをかけることで 初めて生じる、

 と言うのが 正しいでしょう。

 メガネをかけることによって 近点を裸眼より遠くにし、

 普通の目と 同じにしているのですから、

 普通の人と同じ頃に 老眼に気が付く、ということになるわけです。

 話が 最初の話題に戻りましたが、

 これで僕は 老眼に関しては、メガネ屋さんよりも 詳しくなりました。 (^^;)
 

どうして老眼になる? (3)

2008年03月21日 22時27分40秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 毛様体筋は 図の右下のようになっています。

〔http://www.nttcom.co.jp/comzine/archive/clinic/clinic22/index.html〕

(ブタの眼球を解剖した 写真も見つかり、環状の黒い毛様体が 写っていました。)

 毛様体筋の 弛緩したときの形は 茶筒を輪切りにしたようなもので、

 強膜 (ひとつ目の図参照) の面に ぺったりと接着しています。

 通常の弛緩した状態では 平べったく、

 チン小帯を外側に引っ張っるので 水晶体を薄くします。

 毛様体筋が収縮すると、強膜から 盛り上がるように、

 瞳の中心方向に 迫り出して、輪が小さくなり、

 水晶体は 自らの弾力によって 厚くなるのです。

 前の日記に書きましたが、多くのWebページに見られる

 「毛様体筋が収縮すると チン小帯が弛緩して レンズが厚くなり、

 毛様体筋が弛緩すると チン小帯が収縮して レンズが薄くなる」

 という記述は、正確ではありませんでした。

 チン小帯というのは ただの繊維のようなもので、それ自体は 収縮や弛緩はしません。

 老眼とは、毛様体筋の収縮力が 衰えると共に、水晶体自体の弾力も 低下して、

 レンズが厚くなりにくく、近くに焦点が合いづらくなる ということなのです。
( ̄^ ̄)

 ずっと モヤモヤしていたものが、やっと すっきり晴れました。 (^o ^)

 メガネ屋でも、こういう仕組みを 全部知っている人はいませんでした。

(特に若い店員は 全然分かってない。)

 ネットでも、不正確な情報が多い ということが明らかになりました。
 

(ちなみに、健康な目の人は、毛様体筋が弛緩 (リラックス) した状態では、

 レンズは 一番薄くなっていて、焦点は 無限大に合っています。

 近くを見るときは 毛様体筋に力が入って緊張し、

 この状態が続くと 目が疲れるわけです。)

(続く)
 

どうして老眼になる? (2)

2008年03月21日 22時26分18秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53305902.html からの続き)

 さらに 検索してみると、この図が見つかりました。

〔http://www.topnet.gr.jp/Hsiori/NOMIKATA/meyougo.htm 〕

 毛様体筋の 「輪状繊維」 の部分に、黒い点々があります。

 これを見て、僕は はっとしました。

 もしかしたら 毛様体筋というのは、

(断面図の方向で言うと)“上下に”縮んで レンズを引っ張るのではなく、

 レンズの周りを 環状(輪状)に覆っている、巾着袋の口の 紐のようなもので、

 収縮すると 輪が小さくなる、ということではないのか?

 つまり 今まで、収縮の方向を 間違って考えていたのであり、

 毛様体筋が縮んで 輪が小さくなれば、

 水晶体は元々の弾力で 分厚くなるのではないか?

 そして 調べていくと、正にそうであるということが 分かってきたのでした。

(続く)
 

秋田県連続児童殺害 判決要旨

2008年03月20日 16時04分08秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53321941.html からの続き)

 無期懲役という判決に対しては、人によって 様々な意見があることでしょう。

 被害者と同年代の子供を 持つ親にとっては、

 とても許せないという 感情もあるかもしれません。

 しかし判決では、殺意がとっさのものであり、

 計画的でないという理由で、極刑を回避しました。

 死刑は究極の刑であり、僅かでも ためらわれる事由があれば 免れるべきだし、

 僕は個人的には おおむね妥当な判決ではないか と思っています。

 ただ、彩香ちゃんを突き落としたのは スキンシップ障害による事故だと、

 畠山被告は主張していましたが、それは退けられ、殺意はあったとされました。

 僕も スキンシップ障害というのには 多少 違和感を感じましたが、

 いずれにしても 物証も目撃証言もなく、畠山被告の心の中を 探ることは、

 非常に難しい 作業だと思います。

 判決文の要約を 下に記しましたが、

 被告本人にさえ判らない、心の動きを 推認したものです。

 それを見極めなければならない、裁判の困難さを 表していると思います。

 これで 動機や責任能力などが、完全に解明されたとは 言えないとでしょう。

 最高裁まで 行くのかも知れませんが、

 どこまで “心の真実” が 解き明かされるのか? 

 裁判員制度が始まった時、国民は どんな判断ができるでしょう。

 犯罪という 心の闇には、

 人間の深層心理や 精神症状などが 深く関わる場合もあります。

 人格障害などが 誤解されるケースもあるかも知れず、

 人間の心に関する 理解の浸透が望まれます。

                   *

判決文要約

「被告は、彩香をかわいいとは思えない などの悩みを持っていた。

 父親から文句を言われ続け、激しいストレスを感じていた。

 彩香が 川で魚を見たいと 駄々をこね続けたので、

 暗いから見えないと 納得させようと思い、橋の上まで車で行った。

 それでも彩香が 帰ろうとしなかったので、急激に イライラした感情が高まり、

 彩香を欄干の上に乗せて 背中を押せば、彩香が消えてくれるのではないか と考えた。

 「それなら 橋の上に乗れば! 乗らないなら帰るよ!」と、

 彩香の腰を支えながら 欄干の上に乗せた。

 彩香が 「怖い」 と上半身をひねり、被告に抱きつこうとした瞬間、

 とっさに殺意を持って 彩香を押し返した。

 被告は 後悔と驚愕の念にかられ、

 自分のやったことを 信じたくないとの思いに 捕らわれはじめた。

 犯行の記憶を抑圧し、周囲に 「彩香が帰って来ない」 と 訴えるうち、

 本件が 事故ではなく事件だと 思い込むようになった。

 彩香のチラシを配るなどしたが 反応がなく、

 誘拐事件を起こせば、警察やマスコミも 耳を傾けるのではないかと考えた。

 豪憲に声をかけて 玄関に入れたとき、彩香がいない 切なさや嫉妬心と、

 彩香の死が 事件であると認めさせるのは 今しかないとの考えが、

 にわかに沸き上がり、とっさに殺害を決意した。

 苗村鑑定によれば、彩香殺害後、事件性を主張する中で、

 犯行の記憶の抑圧が 強化されていった。

 被告の 一見不可解と思われる言動を、精神医学的見地から 合理的に説明している。

 一方 西脇鑑定は、彩香殺害直後に 重篤な健忘が生じたとし、

 被告の公判供述に沿っている。

 しかし 事実認定などは納得できず、西脇鑑定は採用できない。

 犯行当時、被告には 完全責任能力が存した。」
 

畠山被告 無期懲役判決

2008年03月19日 11時04分14秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 本日 午前10時過ぎ、畠山鈴香被告に 無期懲役判決が言い渡されました。

 極刑が予想されたが 意外だという向きがありますが、

 やはり弁護側の主張が 某か認められたのでしょう。

 現在 判決理由が読み上げられています。

(これから出かけるので、またあとで書きたいと思います。)
 

畠山鈴香が 二重人格? 

2008年03月18日 22時43分33秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 秋田県連続児童殺害事件・ 畠山鈴香被告の一審判決が、明日 言い渡されます。

 読売新聞によると、精神鑑定の際に畠山被告は 日記を記したそうですが、

 それを読んだ 犯罪精神医学の教授は、畠山被告は二重人格に近い と述べています。

 彩香ちゃんに対して 愛情と虐待が同居している,彩香ちゃん殺害時の記憶がない,

 どうして豪憲君を殺害したのか 全く分からない、などの点からでしょう。

 心子も、亡くなったあとに 主治医の先生から、

 広義の多重人格だった と解釈されました。

 心子の場合、それぞれの人格が 完全には独立しておらず、

 記憶や体験も共有していた ということです。

 畠山被告も それに近いものなのでしょうか? 

 各人格が記憶,体験を共有していたり、していなかったりするケースも

 あるのかもしれません。

 畠山被告は、「何が起こったのか 知るのが怖い」

 「私が何かしたのだろうか? 考えたくないし 知りたくない。頭がしびれてくる」

 「これ以上生きているのは 辛く苦しい。私は死刑を願っています」

 などと書いています。

 罪を悔いているというより、真相と向き合う辛さから 逃れたいために、

 死を望んでいるようです。

 以前、「畠山鈴香被告は 反社会性人格障害ではない」 という 記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51046836.html

 反社会性人格障害は、犯罪行為を繰り返して 良心の呵責を感じない

 というものですが、真実から逃げたくて死にたい という場合はどうなのでしょう? 

 自分が犯したことを知ると 良心の呵責に苦しむのが怖い、ということですから、

 やはり 反社会性人格障害ではないのではないでしょうか。

 いずれにしても、何らかの 精神症状を呈していたのは 確かだろうと思われ、

 検察側の主張する 殺害動機,計画性,責任能力などを、

 そのまま認めることは できないのではないだろうかと思います。

 判決が 非常に注目されます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53347236.html
 

どうして老眼になる? (1)

2008年03月17日 23時23分57秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53287728.html からの続き)

 しかしながら、老眼のメカニズムについて、また色々な疑問が出てきて、

 ネットで調べても なかなか納得がいきませんでした。

〔http://lasik110.net/eye.html〕

 レンズに当たるのが 水晶体で 〔*注1〕、

 その端に付いている 毛様体によって、レンズの厚さを変えて 焦点を合わせます。

 なお、水晶体は 毛様体の力が 加わらない状態では、

 元々は 分厚い (丸っぽい) 形状だといいます。

〔*注1:実は人間の目は、水晶体と角膜,房水,硝子体が合わさって、

 レンズの働きを しているそうですが、

 簡略のために 水晶体がレンズとして 話を進めます。〕

 毛様体の中にある 毛様体筋の伸縮で、レンズの厚さを調節しますが、

 年を取ると 毛様体筋が衰えて 縮みにくくなり、

 目の焦点が 近くに合わなくなる (=老眼) のだと、僕は思っていました。

(筋肉は老化すると 縮む力が弱くなるから。)

 けれども、毛様体筋が収縮して 水晶体を両側から引っ張ると、

 レンズは薄くなるので、遠くを見る状態に なってしまうのではないか? 

 近くを見ようとするとき、レンズは 厚くならなければならないのだから、

 そもそもこれは 矛盾するのではないか? 

 ネットで調べていくと、毛様体筋と水晶体の間に、

 チン小帯 〔*注2〕 (毛様小体) というものが あることが分かりました。

〔注2:「チンコおび」 ではありません。 (^^;)
    「チンショウタイ」 です。
    「チン氏帯」 とも言い、人の名前ですね。〕

 そして、毛様体筋が収縮すると チン小帯が弛緩して レンズが厚くなり、

 毛様体筋が弛緩すると チン小帯が収縮して レンズが薄くなる、

 という記述が 沢山出てきました。

 しかし、これでも まだよく分からない。

 近くを見るとき レンズを厚くするために、

 チン小帯が緩んで、水晶体が元々の分厚い形になる というのは分かるとしても、

 なぜ毛様体筋は これと反対の働きをするのか? 

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53368130.html