「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

もうひとつの拉致事件(2)

2006年06月30日 10時34分59秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36930535.html からの続き)

 僕は あるシンポジウムでその女性と知り合いました。

 全く非力ながら、子供を取り戻すため わずかの協力もさせていただきましたが、

 長い間 なかなか糸口がつかめませんでした。

 でも3~4年前から、ある議員や 支援団体の力が得られるようになり、

 その影響で外務省も ようやく重い腰を上げはじめました。

 DV法改正--「被害者の子供への接近禁止命令」の発令にも、

 この女性の存在が 大きな影響を与えたのです。

 けれども、実際にお子さんを連れ戻すという 現実的な問題は、

 なかなか良い方向へ動かず、その人は疲れ果てています。

 国会議員や外務省が 関わっている問題のため、ここに書けないことが多いのですが、

 分厚い本にしても 書きつくせないほどの苦節を、彼女は体験してきています。

 子供に会いたいのに会えないという 長年の苦しみや悲しみは、

 本当に想像するに 余りあるでしょう。

 僕へのメールでも、思うに任せない苦悩を 訴えておられましたが、

 それでも何とかせずにはいられない と言っています。
 

 国際結婚や 国際離婚が増えている現代、国境を越えた子供の連れ去りは

 国際的には多発しており、日本でも 誰にでも起こりうるものです。

 今後 ますます増えていく可能性がありますし、決して他人事ではありません。

 北朝鮮拉致事件の被害者が、数家族とはいえ 世論の高まりによって帰国できたように、

 こういう問題も 認識されていってほしいと 強く願っています。
 

もうひとつの拉致事件(1)

2006年06月29日 11時24分46秒 | Weblog
 
 北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの 夫・金英男さんと、

 母親の崔桂月さん,姉の英子さんらが、28年ぶりに再会しました。

 北朝鮮拉致事件は 日本中の関心の的ですが、

 人には知られていない もうひとつの拉致事件があります。

 「国境を越えた子供の連れ去り」です。
 

 僕の知り合いの女性が、中国人の夫の暴力に遭って 離婚した後、

 二人のお子さんを 元夫によって 中国へ連れ去られてしまいました。

 子供と元夫は中国にいるため 日本側は手が出せず、

 元夫は日本国籍を取得しているので、

 中国側も 日本人同士の問題として 関与しないと言っています。

 八方塞がりの中、その女性は 何とかお子さんと再会するため、

 何年にも渡り あらゆる努力を尽くして 奔走してきました。

 しかし、警察,弁護士,外務省,国会議員,いくつものNPO,その他、

 力になってもらえる所はありませんでした。

 語学留学などの形をとって、一人で何度か中国にも渡りました。

 領事館を訪れたり、紹介された探偵(?)に依頼したりしましたが、

 信頼はできなかったそうです。

 元夫の親族は 地元の実力者らしく、中国という国は 親族の結託が強いため、

 色々な妨害工作などもあったということです。

 様々な裏の事情もあり、彼女は身の危険を感じて 帰国せざるを得ませんでした。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36972561.html
 


性犯罪被害者の実名報道(2)

2006年06月28日 11時44分59秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36847183.html からの続き)

 僕は独身だし 子供もいませんが、もし自分の娘が 性犯罪の被害を受けたら、

 それを公にすることができるだろうか と考えました。

 僕は 母親が脳出血で入院の末 肺炎で亡くなったとき、

 それだけでも、「そっとしておいてほしい」という気持ちになり、

 遺族の感情というのは こういうものなのだなと思いました。

 また、心子が亡くなったとき 彼女のお母さんは、

 心子が自殺だったため 近所の人にも葬儀を知らせず、

 心子が精神科に通院していたことを 知られるのも嫌いました。

 でも、僕は精神科や自死に対して 特に先入観はないので、

 それを人に話すことは はばかりませんでした。

 心子もカウンセラーであり、心の病などが理解されることを 望んでいたと思います。

 心子は生前、「あたしのことを書いて」 とも言っていましたし、

 心子のお母さんも 拙著「境界に生きた心子」を読んで、

 心子の内面が 理解されるように書かれてあるのを、とても喜んでくれました。
 

 本村さんは、妻・弥生さんが受けた 強姦という言葉を使うことを躊躇せず、

 弥生さんが強姦されたことによって、妻が辱められたとは思わない、と明言していました。

 一瞬驚きますが、強姦によって 被害者の人格が貶められたわけでもなく、

 何かが汚れたわけでもありませんから、

 僕には 本村さんの言葉がよく理解できます。

 例えば、自分の恋人が大怪我をしても 彼女が穢れたはずはないし、

 誰かに心を傷つけられても、それで彼女が卑しくなったなどとは 思わないのと同じでしょう。

 彼女の傷を回復し 癒してあげようとしこそすれ、

 レイプされた彼女を汚いと思って 別れるような男は最悪だと、僕は思っています。
 

 本村さんも、あいりちゃんの父親・健一さんも、被害者の実態が知られないために

 陰で苦しんでいる人たちがいる、という日本の現状のなかにあって、

 あえて真実を伝えていかなければ、さらに苦しむ人が増えることを防げない

 という使命感に 駆られているのでしょう。

 僕もそういう立場だったら、彼らと同じようにするかも知れませんし、

 僕が亡くなった被害者の場合でも、死を無駄にしてほしくないと 思うかも知れません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html
 

性犯罪被害者の実名報道(1)

2006年06月27日 13時46分52秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 このところ連日のように、殺人や放火など 異常な事件が次々と報道されています。

 畠山鈴香容疑者による 剛憲君殺害事件をはじめてして、

 東大阪の男子大学生ら集団暴行事件、

 母子3人が死亡した 高1男子による奈良放火殺人事件、

 それを模倣した 福岡中1少年による自宅放火事件。

 そんななか、広島で昨年11月 ペルー人ヤギ被告に 性的暴行を受け殺害された、

 小1女児の父親が 心境を明らかにしました。(朝日新聞より)

 被害者の名前は 木下あいりちゃん、7才。

 これまでメディアは、あいりちゃんを匿名で報道してきました。

 しかし あいりちゃんの父親・健一さんは、被害の実態を社会に伝えるため、

 「性被害の事実も 出来る範囲で詳細に報道してほしい」 と要望しました。

 母親の夢にあいりちゃんが出てきて、

 「苦しんでいる人がたくさんいるんだよ、助けてあげて」 と話したそうです。

 「『助けてあげて』とは どういう意味なのか。

 7歳の女の子が受けた 衝撃と死に様、性的暴行の真実を、報道を通して伝えないと、

 多くの性犯罪被害者を 救えないということだと思うんです。

 なぜ検察側が 死刑を求刑せざるを得なかったか、(社会に)理解されない。」

 と、健一さんは語りました。

 それから、あいりちゃんの献花台に、

 同じような性犯罪の被害者からの 手紙が供えられていたそうです。

 健一さんは、つらい思いをしている人が他にもいるんだ と思ったということです。

 また、光市母子殺害事件の本村さんの活動にも 影響されたと言っています。
 

 「性的暴行は、女性にとって命を奪われるようなものです。

 あいりは二度死んだ」と健一さんは吐露しています。

 「娘は『広島の小1女児』ではなく、

 世界に1人しかいない 『木下あいり』なんです」

 という父親の言葉は 我々の胸を打ちます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36886979.html
 


自殺の映画「樹の海(きのうみ)」(3)

2006年06月26日 11時47分16秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36765684.html からの続き)

 このエピソードのクライマックスに 心子のことが重なって、

 思わずこみ上げるものがありました。

 心子も本当は、生きたかったに違いありません。

 絶望的な苦しみに 襲われさえしなければ……。

 僕も 心子の姿を伝えることによって、彼女が生きた意味を残すのだという

 思いを強くしたのです。

 彼女の分まで生きていかなければ、などと思ってしまいました。
 

 別のエピソードでは、主人公の男性が 樹海で自殺した縁もない女性のことを

 「できるだけ覚えていてあげたい」と言います。

 僕も、心子のことをいつまでも覚えています。

 そして心子の生を、「境界に生きた心子」という形に残したことによって、

 他の多くの人にも 覚えていてほしいと願っています。

 心子自身も、「あたしのことを書いて」と言ったことがありますし、

 心子のお母さんも、理解されにくい心子の内面を描いてくれて

 とても嬉しかったと言ってくださいました。

 心子はカウンセラーでもあり、患者さんのためなら

 文字通り命を犠牲にしても 本望と話していました。

 拙著がボーダーの人への理解を広める一助になれば、

 彼女もきっと喜んでくれると 僕は信じています。
 

自殺の映画「樹の海(きのうみ)」(2)

2006年06月25日 17時02分04秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36720534.html からの続き)

 この作品では 青木ヶ原の樹海を舞台に、オムニバス式で

 4つのエピソードが微妙に絡み合っていきます。

 あるエピソードでは、暴力団絡みの犯罪に手を染めてしまった主人公が、

 暴力団に袋叩きに合って 樹海に捨てられ、

 そこで首を吊る男性に出くわしてしまいます。

 男性は経営難で、家族に自分の生命保険金を残すために 死んでしまいました。

 でも遺体が発見されないと 保険金は下りません。

 主人公は、樹海から出ても 逃げ回る生活が待っているだけなので、

 社会に戻る気はなく、男性の死を 遺族にも知らせることができません。

 主人公は、首を吊ったままの男性の遺体に、色々語りかけながら夜を明かしたり、

 遺体と共に奇妙な時間を過ごします。

 男性の体は 次第に異臭を放つようになり、このままだと

 男性はここでゴミのように腐って 骨になるだけです。

 やがて、主人公は 男性から離れていこうとしたとき、

 奇妙な目印が 点々と残っているのを見つけます。

 自殺した男性が、ここへ来る途中に付けてきたものだったのです。

 男性は、本当は生きたかったんだ……! 

 主人公は樹海から出て、男性の死を遺族に伝える決心をするのでした。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36797948.html
 


自殺の映画「樹の海(きのうみ)」(1)

2006年06月24日 11時38分32秒 | 映画
 
 昨年観た、自殺をテーマにした映画、「樹の海」が出色でした。

 瀧本智行監督のデビュー作です。

 死という重いテーマを扱いながら、時にほんのりしたものが漂い、

 全体から細部に至るまで 考え抜かれた構成で、新人監督とは思えない力量でした。

 心子をはじめ、心の病で死に傾いてしまう人たちが沢山おり、

 健康や経済的な理由で、毎年3万人以上の自殺者が続いている、

 “自殺先進国”の日本です。

 そんな人たちにも、何かを感じてもらうことができるでしょうか? 

 どのエピソードも、僕には命のいとおしさを感じさせ、

 生きていく光を指し示してくれました。

 この映画には、人間は落ちるところまで落ちても、

 必ずまた昇っていけるという メッセージが込められています。

 もし、ボーダーの人の心の苦しみには届かないとしても、

 人が生きていく明かりを 灯してくれるのではないでしょうか。

 小品ながら、シナリオがしっかりしていれば、お金をかけなくても

 立派な映画ができるという、証の作品だと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36765684.html
 


自立更正促進センター

2006年06月23日 20時29分08秒 | 死刑制度と癒し
 
 今日の朝日新聞に、「自立更正促進センター」という記事が載っていました。

 刑務所を満期出所した人や、仮釈放中の人の更正,社会復帰を支援するため、

 法務省が 主要都市に設立するという構想です。

 現在、殺人や放火など 凶悪事件を起こした人は、出所後も受け皿がなく、

 定住も就職も できないケースが多いそうです。

 そのため収入もおぼつかず、生活保護も受けられず、

 再び犯罪に手を染めてしまう 傾向が高いといいます。

 「刑務所に戻りたい」という動機で、

 出所後ふたたび 重大犯罪を犯してしまう場合もあります。

 仮釈放されずに満期出所した人の 5年後の再犯・逮捕率は、

 何と62%だということです。

 
 刑務所の受刑者への「矯正」分野と、社会での指導監督をする「保護」分野とが

 分断されて、連携は不充分なのが現状です。

 それが 受刑者なスムーズな社会復帰と、再犯率の減少を妨げています。

 刑務所と社会をつなぐ、新しい試みが「自立更正促進センター」です。

 ハローワークと連携し、仕事のあっせんや 雇用の掘り起こしをするそうです。

 しかし課題も多く、各人に応じた きめ細かい処遇プログラムなど、

 ソフト面の開発が不可欠でしょう。

 刑務所内での矯正機能も不備で、

 受刑者の心の更生をはかるプログラムを 充実させていくことも望まれます。
 

光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(5)--元加害者少年の手紙と父親

2006年06月22日 14時33分00秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36588506.html からの続き)

 加害者の元少年が 本村さんに宛てたという手紙の全文を、

 某テレビ番組で公開,分析していました。

 「信書の秘密」というものがあるのに対して、裁判の証拠に提出されたものは

 公開していいという ルールがあるのか知らないのですが、

 一般的にはそうされていますね。

 でも、国民の「知る権利」はありますが、本村さん本人が 開封していないのだから、

 テレビでは自粛する姿勢があっていいと思います。

 それにしても、元少年の手紙は意味不明の主張で、

 謝罪どころか 読む者の神経を逆なでするものでした。

 弁護側は、これが裁判で有利な材料になると 考えたのでしょうか? 

 最高裁は 情状を認めなかったわけですが。
 

 また、元少年の父親も テレビ取材を受けていました。

 父親は、元少年の面会には ほとんど行ったことがないそうです。

 腕組みをして、本村さんへの責任は考えないと 言ってはばからないその態度は、

 まさに この親にしてこの子ありと 思ってしまいます。

 やはり 親から受ける影響は大なのですね。

 一方で ある殺人事件では、被害者への慚愧のあまり、

 「息子を死刑にしてください……!」と 泣いて詫びる母親がいました。

 この母親のことを 元少年の父親に話しても、恐らく理解できないでしょうが……。

 やりきれない思いです。
 

光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(4)--『神が与えた被害者』

2006年06月21日 11時22分14秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574858.html からの続き)

 この事件が起きた1999年は、心子と僕が 付き合いはじめた年でもありました。

 その時期は 犯罪被害者支援の運動が起こり、マスコミにも取り上げはじめられた時でした。

 心子と僕も 「犯罪被害者の会」設立のシンポジウムに出席して、

 そこで本村さんの話を聞いたわけです。
 

 本村さんは被害者の身でありながら、非常に論理的で 説得力のある話をします。

 事件の翌年に 「犯罪被害者の会」ができ、

 犯罪被害者保護法成立、刑事訴訟法改正、少年法改正と、

 犯罪被害者支援運動が次々と実っていきました。

 この間の本村さんの功績・影響力というのは 絶大なものがあり、

 犯罪被害者支援運動の草創期にあって 本村さんの存在は、

 『神が与えた被害者』かと 思われるほどだったといいます。

 本村さんは大変に勉強をされ、下手な弁護士はかなわないくらいだそうです。

 普通 被害者は喪失感で 何もやる気がなくなってしまい、

 弁護士や検事でも 被害者になると 脱け殻のようになって、

 論理的にも混乱し 何もできなくなってしまうといいます。

 そんななかにあって 本村さんのように、理知的で 感情をコントロールしながら

 世の中に訴えられる人の存在は、非常に貴重だと言えるでしょう。

 記者会見などでは、時に厳しく 攻撃的な印象も与える本村さんですが、

 自分の言っていることは 本当に正しいのか、常に悩み 葛藤してきたそうです。

 疲れ果てて すべてやめてしまいたいと思ったことも、

 遺書を書いて 上司に引き止められたこともあるということです。
 

 本村さんは、「人生とは、偶然を必然にしていくことだ」

 という言葉が好きだそうです。

 事件は 本村さんにとって 非常に悲しい偶然でしたが、

 そのために 分かったこと、世の中に訴えることができたこと などがあれば、

 いつか、妻子の死も無駄ではなかったと 思えるときが来るかも知れないと、

 本村さんは言っていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36639075.html
 


光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(3)--本村さんの社会的な意味づけ

2006年06月21日 00時52分12秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574143.html からの続き)

 本村さんは一審で無期判決が出され、自暴自棄になって もうやめたいと思ったとき、

 検察から涙ながらに 懇願されたそうです。

 この裁判が無期懲役で終わってしまったら、日本では二人の人間を殺害しても、

 少年であれば死刑にならないという 判例が残ってしまう。

 日本は判例主義なので 他の裁判に影響を与え、同じように苦しむ遺族が また出てきてしまう。

 それは検察としては堪えがたい、何とか協力してほしい、と。

 それを聞いたとき本村さんは、この事件は 自分たち個人の悲しみであると同時に、

 日本の司法において 大きな意味を持つ、ということを知らされました。

 自分の応報感情ではなく、社会のなかでの意味づけを与えられ、

 前向きに考えられるようになれた と言っています。
 

 本村さんのような理知的な人の訴えは、今まで置き去りにされていた

 日本の犯罪被害者の救済にとって、本当に大きな存在になったと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36588506.html
 


光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(2)--本村さんにとっての死刑制度

2006年06月21日 00時51分31秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36556382.htmlからの続き)

 本件の加害者元少年と、面会を続けてきたという住職がいます。

 住職の話によると、元少年は今は苦しんでおり、

 今の自分を見てほしいと、一言一言かみしめるように 話していたといいます。

 どういう形で償えるかは分からないが、生きて償いたいと言っているそうです。

 一方、別の面会者は、元少年に反省の色は見えないと話していました。

 本当のところはどうなのか 分かりませんが、

 加害者が友人に宛てた 昔の手紙のマスコミ報道だけで 感情的に判断せず、

 包括的な情報を見ていくよう 気を付けたいと思います。
 

 もっとも、本村さんによれば 加害者の悔悟の念は、

 死刑の可能性が出てきたことによって、初めて自分の命が奪われる恐怖にさらされ、

 死にたくないという気持ちになった、

 自分が犯した罪の深さを 知る契機になったのだ、といいます。

 そういう意味では、死刑制度があるからこそ、加害者の自責が生まれる

 という構図はあります。

 ただし、死刑制度による犯罪抑止力を示せるデータは かつてどこにもなく、

 逆に加害者が 捕まって死刑になることを恐れて、

 目撃者を殺してしまうこともあるといいます。
 

 本村さんは、加害者が反省して、罪を悔いて、その時に死を持って償うことこそが、

 死刑の意義だという考えのようです。

 けれども本村さんは、加害者が死刑になれば 自分は癒されるとは、

 一度も言っていないと語っていました。

 ただ、死刑判決が出れば「納得」できる、ということだそうです。

 事件のことは 一生背負っていかなければならないけれど、ひとつの区切りをつけて、

 自分の人生を 憎悪だけで終わらせるのではなく、新たに踏み出していくためには、

 死刑判決という段階が必要だという、前向きな真意があるのだと思います。

 
 一審で無期懲役判決が出た直後、本村さんが声を震わせて訴えていた言葉を、

 僕は忘れられません。

 「遺族だって、被害から回復しないといけないんです……! 

 人を怨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、

 死ぬほど努力しないといけないんです……!」

 その時の激情に呑み込まれるだけでなく、行く先の心のあり方までをも洞察した、

 これほど熱情的で繊細で明哲な、深い人間的な言葉を、僕は他に知りません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574858.html
 

光市母子殺害事件・最高裁上告審判決(1)

2006年06月20日 17時08分46秒 | 光市母子殺害事件
 
 本日午後3時、最高裁は 広島高裁の無期判決を破棄し、差し戻しを命じました。

 事前から その可能性が一番高いのではないか、とは言われていました。

 差し戻し審では、無期懲役が見直されて 死刑判決が出る公算が強くなります。

 高裁は、前と同じ理由で無期懲役を言い渡すことは できなくなったわけです。

 安田弁護士が提出していた 傷害致死・有期刑の主張は、

 上告審では取り上げられなかったようです。
 

 ただし、高裁で審理を初めからやり直すわけで、また時間がかかってしまいます。

 それを考えると、最高裁は差し戻しではなく、自ら死刑判決を下すという

 「自判」をするべきではないか、という声もありました。

 裁判員制度を控えて、審理の迅速化が求められており、

 最高裁は自判で 自ら模範を示したほうがいい、という意見です。

 被害者遺族の本村さんも、それを望んでいました。
 

 日本では、未成年が4人を銃殺した あの「永山事件」の裁判で、

 死刑判決の要件が 厳しく定められました。

 その「永山判決」以来、死刑の求刑・判決が 抑制されてきました。

 そういう流れのなかで起きたのが、この光市母子殺害事件でした。

 本村洋さんは、7年間に渡って 死刑判決を訴え続けてきました。

 本村さんの 長く苦しい闘いの成果が、少しずつ実を結んできたと言えるでしょう。

 犯罪被害者支援の運動が高まり、犯罪被害者基本法も成立しました。

 検察庁も死刑の求刑が増え、本件の上告も 普通なら諦められていたそうです。

 本村さんが 自らのプライバシーを犠牲にして、マスコミやシンポジウムなどで

 発言し続けてきた影響は、とても大きいものがあったと言えると 僕は思います。

 本村さんが表に出なければ、この事件は一審の無期懲役で終わっていたと、

 本村さん自身が言っています。

 今回の判決は、永山裁判以来 日本の死刑判決を拘束してきた基準を、

 20年ぶりに見直すものになると言われます。
 

 テレビのワイドショーなどでは どの番組でも、本村さんの訴えに賛同し、

 死刑を求める論調でした。

 裁判所の判決の根底にあるものは、国民世論や市民感情であるといいます。

 本村さんは、被害者遺族が 裁判で意見を述べることができず、第三者による裁判で

 当事者が置き去りにされていることにも、異議を唱えてきました。

 その結果、遺族が法廷に遺影を持ち込むことや、被害者側の意見陳述も

 認められるようになりました。

 それによって 世論も動かされ、近年の体感治安の悪化と相まって、

 裁判所の判断にも 反映されるようになりました。
 

 僕自身、元々死刑制度反対の立場でしたが、

 本村さんに感化されたものはあると思います。

 ただ、被害者遺族も人それぞれで、事件のことは忘れたい、

 触れたくないという人たちもいることを、忘れてはいけないと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36574143.html
 


「タイヨウのうた」

2006年06月19日 19時28分27秒 | 映画
 
 「世界の中心で愛を叫ぶ」,「いま、会いに行きます」に続く、

 純愛3部作の“完結編”だそうです。

 ともに、テレビドラマとのコラボレーションで、「タイヨウのうた」のドラマは

 TBSで7月から始まるとのこと。

 
 映画の主人公・薫を演じるのは、シンガーソングライターの YUI。

 YUIは 作中の薫と同じく、ストリートライブで歌っていたところを見出されて デビュー、

 「タイヨウのうた」の主役に抜擢されました。

 主題歌の「Good-bye days」は、映画撮影が進行するなかで、

 YUIが自ら作詞作曲したものです。

 
 薫(16才)は、太陽の光(紫外線)に当たると 皮膚がんを起こしたり、

 死んでしまうという難病 「色素性乾皮症(XP)」を抱えています。

 遺伝子異常による 先天性の病気で、

 重傷のケースでは、神経症状が生じて 20~30才で生命の危険に至るといいます。

 薫は学校へも行けず、夜になると町へ出て 人もいない広場で歌うという、

 昼夜逆転の生活をしています。

 恋愛なんかできないと思っていたのに、孝治(塚本高史)と出会い、

 最初で最後の恋が始まったのです。

 薫の両親と親友をからめて 人間模様がつづられます。

 難病の痛ましい部分は描かず、ユーモアを交えながら、初々しく、

 そして 感銘するドラマが繰り広げられます。

 監督の小泉徳宏は新人とはいえ、つぼを得た演出だと思います。

 レコーディングのシーンで、音声を消した演出は、盛り上がるシーンなのにもったいない

 と思っていたら、クライマックスへの布石でした。

 薫の歌に聴衆が集まるシーンや、父親の娘に対する想いなど、

 掘り下げは必ずしも深くはないものの、好印象が残る作品です。

 
 YUIは 演技初挑戦ながら、自然な芝居で好感を持ちます。

 そして、ちょっとハスキーなその歌声は、聞く者の心を引き付けるのですね。

 魅力的なニューフェースです。

 テレビドラマでは、山田孝之と沢尻エリカが演じるそうですが、

 楽しみにしておきましょう。
 

死刑と無期の「境界」

2006年06月18日 14時39分46秒 | 光市母子殺害事件
 
 今日の朝日新聞の記事からです。

 光市母子殺害事件に対する 最高裁の上告審判決が、20日に言い渡されるそうです。

 高裁の無期判決が破棄され差し戻し、または、死刑判決が出される可能性が言われていますが、

 死刑になるか無期になるか、過去の「境界事例」を挙げて 解説していました。

 死刑と無期の一番の境目は 被害者の人数で、

 1人だと無期懲役以下、3人以上は死刑となるのが通例です。

 この事件のように、2人の場合が裁判官を悩ませるそうです。

 もちろん他の要因もあり、人数だけで決まるものではありません。
 

 加害者の犯行後の情状も そのひとつですが、

 この事件では、加害者が友人に宛てたという 手紙の内容が取り上げられています。

 被害者や遺族を愚弄する 不謹慎で身勝手な文面は、人々の感情を逆なでしました。

 被害者遺族や国民の処罰感情に、大きく響いたことは間違いありません。

 ここ10年で 死刑判決の割合は上昇しており、

 「治安情勢や国民の処罰感情など 社会全体の情勢と、

 裁判所の量刑は 無関係ではない」ということです。

 また、女性や幼児が被害者の場合に、量刑に“重み付け”がされるそうです。

 一方、加害者が未成年というのは、さほど重視されないとのこと。

 近年、少年法や刑法が厳罰化されている影響でしょうか。
 

(国民が直接 審理に参加する「裁判員制度」が 3年後に開始されますが、

 国民の処罰感情が 量刑により強く反映されることになるでしょう。

 裁判員制度では 争点の簡略化にともない、

 上述の加害者の手紙のような、素朴な感情に訴える根拠ばかりが

 取り沙汰されはしないかと、懸念します。

 重大な判決は、総合的で精緻な観点から 熟慮されるべきと思います。)
 

 光市母子殺害事件の加害者は、これまで起訴事実は争わずにきましたが、

 上告審になってから、殺意はなかったと言いはじめました。

 被害者遺族の本村洋さんの見解では、死刑の可能性が出てきて 初めて、

 加害者はその判決を免れるため あがいているのだと言っています。
 

 本村さんには 生前の心子もともに近距離で会っていますし、

 罪悪を決して許さない心子でした。

 僕は必ずしも 死刑を期待するものではありませんが、

 2日後の最高裁判決の行方が、非常に注目されるところです。
 

(関連記事  http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29299802.html)