「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

難航する海中の遺体捜索

2011年03月31日 00時25分13秒 | 東日本大震災
 
 海上保安庁による海中の捜索が 15日から始まっていますが、

 遺体の収容は 困難を極めているようです。

 当初から僕は、 津波に持って行かれてしまった 人を探すのは

 大変だろうと思っていましたが、 具体的な現実が分かると 深刻さが増します。

 海保が28日までに 収容した遺体は、 まだ76体だそうです。

 がれきが積もったり 海底がえぐられたりしていて、

 今の海の状態は 常識が通用しないといいます。

 予測できない水の流れのため、

 行方不明者がどこに漂流するのか 目星がつかないのです。

 しかも 三陸のリアス式海岸は、 陸地に近くても すぐに水深が深くなるため、

 少し沖合に流されると 水圧が高くなり、

 流された人が 浮かび上がる可能性も 低いといいます。

 30人の潜水士が 二人一組で潜りますが、

 津波の影響で海は濁り、 視界はほとんどききません。

 二人が手をつなぎ、 海底の泥を巻き上げないよう 注意深く手探りで捜します。

 海面には 建物の破片や漁具などが 数多く漂い、 極めて危険な状態です。

 漂流物に潜水服が引っかかれば 浮き上がれず、 命にも関わる作業です。

 また 遺体の傷みも激しく、 強烈な腐敗臭で、

 ある隊員は 何回も顔を背けて 吐いてしまったそうです。

 それでも海保は、 一人でも多くの人を 家族の元に戻してあげたいと、

 困難な捜索に 立ち向かっているのです。

 ここにも、 被災者のために 身を削って 奮闘している人たちがいます。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

日本の被災者のいい話

2011年03月30日 00時03分47秒 | 東日本大震災
 
 日本人の被災者の優しさ, 規律正しさ,

 助け合いの心などが 取り上げられています。

 先日の新聞などで読んだ、 いくつかの話を書いてみます。

○ ショッピングセンターの天井が 崩れ落ちてきて、

 ドイツの留学生はパニックになった。

 周りの日本人は 冷静に出口まで 連れて行ってくれた。

 まるで 訓練されたソルジャーのようだった。

○ 地震当日の東京。

 寒空の下、 タクシーを待つ行列で、

 女性が隣の高齢者に コートをかけてあげていた。

 その女性は薄着で、 さぞ寒かっただろうに。

○ 被災地で数人の高校生が 自動販売機を壊して、 飲料を何本も持って行った。

 彼らは避難所へ行くと、 高齢者にそれを配っていた。

○ コンビニで パンや水を買おうとしたら、 店員さんが

 「レジが動かないので、 代金は 後日お願いします」

 と言って、 商品を袋に詰めてくれた。

 そして 疲れていたそのお客さんを、 イートインコーナーで休ませてくれた。

 そのお客さんは 今は遠方に避難しているが、 後日 絶対に支払いに行くという。

○ 避難所の外に ガソリンのタンクが ふたつ置いてあった。

 誰かが黙って 置いていってくれたのだ。

 その隣の避難所にも、 ガソリンが置いてあった。

○ どこの店も代行列。

 食料を買う時には、 列の後ろに並んでいる 人の数を数え、

 皆に商品が 行き渡るように確認し、 商品をかごに入れた。

 大災害の中でも 我欲を捨て、 思いやりを忘れない。

○ 避難所の おもちゃなどを配るコーナー、 女の子が 折り紙がほしいとやって来た。

 一袋渡すと、 女の子は袋を開けて 半分ほど色紙を出し、 残りを返した。

 「他の人の分だから」 と。

 「沢山あるから大丈夫」 と 係員が言うと、

 女の子はニコッと笑って 走って行った。

 皆で分け合うという気持ちが、 小さな女の子にも 伝わっているのだ。

○ 被災地のケーキ屋が、 ケーキを半額で売っていた。

 原材料不足のなか、 値上げするどころか 儲けも顧みず 商品を出しているとは。

○ 内閣府懇談会の資料によると、

 日本では災害時、 犯罪の発生率が 平時より大幅に下がるそうだ。

○ 5才の子が 書いた文章。

 「3がつに 5さいになりました。

  よるねてると、 おしっこがでちゃうので、 かみぱんつでねます。

  でも もうはかない。

  おうちがなくなっちゃって たいいくかんにいる あかちゃん。

  ちーたちのぶん、 たくさんつかってね」

〔参考資料: 朝日新聞, http://ameblo.jp/rabbitkix/entry-10829232773.html 他〕
 

東電の甘い想定

2011年03月29日 07時02分32秒 | 東日本大震災
 
 この度の震災では、 「想定外」 という言葉が 何回聞かれたでしょう。

 けれども、 大津波の襲来は すでに20年前から 分かっていたといいます。

 東電の想定は甘いと、 専門家から繰り返されていました。

 2009年、 古い原発の耐震性を 再検討する専門家会で、

 過去に起きた とてつもない津波のことが 指摘されました。

 869年に起きた  「貞観(じょうがん)の大津波」 です。

 福島第一原発の設計当時、 この津波の実態は まだ分かっていませんでした。

 しかし1990年、

 仙台平野の海岸から 3キロ地点で、 波高が3メートルあったことが 分かりました。

 地震の推定規模は マグニチュード8.4。

 東電が想定した 7.9の約6倍です。

 さらに1500年頃にも、

 東北から関東を 巨大津波が襲った痕跡が 見つかっています。

 いずれも 実態は不明点も多いですが、

 今回の津波は 決して 「想定外」 ではなかったのです。

「地震で 原子炉を停止した後も 冷却できないと、

 燃料棒が溶けて 炉心融解にいたる。

 水素爆発の可能性もある。」

 まるで今日の事態を 予見したかのような論文が、 97年に発表されています。

 「原発地震」 と名付けられ、 警鐘が鳴らされてきました。

 福島第一原発は、

 沖合にプレート境界があると 知られていなかった、 40年以上前の設計です。

 耐震指針を見直そうという動きは、 90年代からありました。

 しかし当時は 原発の新設が続いており、

 その計画が一段落するまで 変えるなという圧力が、 産業界からかかったといいます。

 そうして 見直しを先送りするための、

 政治的な判断が 働いたと言われているのです。

〔 朝日新聞より 〕
 

障害のある被災者への心配り

2011年03月28日 07時30分38秒 | 東日本大震災
 
 避難所には、 心の障害だけでなく、 身体の障害がある人もいます。

 視覚障害者の中には、 物資の到着や 配給の様子を確認できず、

 必要なものを 受け取れない人がいました。

 物資を配布するときは アナウンスが必要です。

 杖を持たずに避難してきた 視覚障害者もいるため、

 杖を用意して、 他の人が気付きやすくします。

 また、 視覚障害者は壁づたいに歩くので、

 壁際は通路として 確保しておくべきです。

 聴覚障害の人は、 普段は携帯メールが頼りですが、 つながりにくくて難儀します。

 筆談も 紙とペンが不足していると 難しい。

 「視聴覚障害の方は 申し出てください」 と、 掲示する方法もあります。

 間仕切りで 障害者のための 「福祉スペース」 を 設けることも有用です。

 自閉症や発達障害の人、 妊婦や子供も使えます。

 それから、 透析患者への対策も取られています。

 数十人の患者が バスや空路で 他県の病院へ移動したり、

 自家発電に切り替えた病院が 受け入れをしています。

 透析は患者にとって命綱。

 命を守るための 闘いなのです。

 想像力を働かせ、 まずは 障害者の存在に気付きましょう。

 「大丈夫?」 ではなく、 できる支援を 具体的に提案します。

 障害者は すべての被災者の カナリア的な存在です。

 彼らが過ごしやすい環境は、 他の被災者も 過ごしやすいはずです。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

自閉症児の被災者への対策

2011年03月27日 00時12分56秒 | 東日本大震災
 
 先日、 被災した自閉症児親子の 記事を転載しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61665766.html

 朝日新聞に、 同じ趣旨の記事が 載っていました。

 今回の被災者の中にも、 自閉症の子がいる 家族がいました。

 子供がパニックを起こすのを 恐れて、

 1週間 せまい車の中で 寝泊まりしていたのです。

 しかし不自由な生活は 限界に達し、 避難所に移りましたが、

 子供をなだめながら、 気の休まる時はありません。

 日本自閉症協会によると、 自閉症の人は 普段と違う場所や 騒音に弱く、

 避難所での生活は 相当なストレスになるといいます。

 寝ている人がいるから 静かにするといった、

 共同生活の 「暗黙の了解」 も苦手です。

 家族も 「周りに迷惑にかける」 と悩んで 避難所に入れず、

 車や壊れた家で 生活する例は、 2004年の新潟県中越地震でも 見られました。

 そのため 周囲に問題が認識されず、 配給も受けられないという 弊害を生みます。

 そんな人たちのために 日本自閉症協会は、

 「自閉症の人たちのための 防災ハンドブック」 を作成しました。

http://www.autism.or.jp/bousai/

 自閉症の説明や コミュニケーションの取り方などをまとめ、

 「わがままではなく 障害の特性であることを 知って」 と 理解を求めています。

 自閉症の人が パニック状態になったときは、 叱ったり押さえつけるのではなく、

 「大丈夫だよ」 と声をかける, 離れた場所に移して 落ち着かせる,

 興味を切り替えられるもの (飲物・ 食べ物・ ゲームなど) を勧める

 などの方法が有効といいます。

 順番を守ることを 理解しにくい人には、 配給なども 個別にする必要があります。

 周囲の視線や音を 気にする場合は、 仕切りで区切った 場所を用意したり、

 耳栓やヘッドホンを着ける などの応急対策も示しています。

 このようなハンドブックが作られ、人々に理解を 求める動きが出てきて、

 新聞にもこういう記事が 載るということは、

 この問題も一歩前に 進み始めたということでしょう。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

惨状の中で 悼む心

2011年03月26日 00時13分06秒 | 東日本大震災
 
 報道では、 最も悲惨な事実は 映さないことになっています。

 がれきからのぞいている 人の手や足、 津波で押し流された 遺体の山など、

 直視できない現実があります。

 そして 見つけることさえ困難な 亡骸もあります。

 引き波で沖に流されてしまった 遺体の捜索に、 潜水艦も出動していると聞きました。

 陸上では、 行方不明者の捜索と がれきの撤去を 同時に行なわなければならず、

 ショベルカーを使う前に、 がれきの中に人がいないか 手作業で確かめるそうです。

 自衛官が遺体を発見すると、 警察官が遺体の特徴を 書類に書き込み、

 その間 撤去作業は中断されます。

 身元が分かって 遺族に引き取られても、 満足な葬儀もできません。

 また、 かろうじて災害を免れたのに、 避難所で亡くなる人も 相次いでいます。

 増え続ける遺体に 安置所や火葬場が追いつけず、

 22日からは 土葬が始まっています。

 ドライアイスもないため、 

 「面影が残っているうちに 送ってあげたい」 という遺族もいます。

 いずれ掘り起こし、 火葬にして葬儀を挙げたいそうです。

 しかし、 埋葬する土地と人手の確保は 容易ではありません。

 身元不明の遺体は、 DNAを保存しておく必要もあります。

 そんな現実の中で、 お墓や仏壇どころか 弔うこともできず、

 悔いる人も多いといいます。

 火葬の順番待ちの前に、 県外避難をしなければならない人もいます。

 けれども、 形通りの葬儀ができなかったとしても 苦しまないで、と

 呼びかける僧侶がいます。

 個人を思い続けることこそが、 大切な弔いになるのだと。

 そして、 個人が 生きている人に どう生きていってほしいと願っているか、

 それに思いを巡らせることが 大事だといいます。

 すでに悲劇は 1万人を超えてしまいましたが、

 痛ましい現状でも 悼む心を持ち続けることが 必要なのでしょう。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

自宅難民

2011年03月25日 09時02分35秒 | 東日本大震災
 
 自宅にいて助かった人たちが、 自宅で生活しながら 新たに避難者になっています。

 家にあった食料が 底をついて、 けれども 買い物に行けない人たちです。

 近くの商店街は跡形がなくなり、

 自動車はあるけれど ガソリンがないため、 遠くへ買い出しに行けないのです。

 既存の避難所に 新しく入るのは難しく、 救援物資に頼らざるを得なくなり、

 避難者の数が 再び増え始めるという 現象が起きています。

 公民館などで配られる 物資をもらいにいくため、

 長蛇の列に並んでも 充分な食料を得られず、

 翌日ももらえるか 分からないといいます。

 ある町では、 1日千人分の 水や食料を用意していますが、

 受け取りに来る人は 日に日に増えているそうです。

 担当者は、  「在庫を考えると、 本当に困っている人だけに 配りたいが、

 そんなことを証明することもできない」  と言っています。

 被害を免れた民家に、

 自宅を失った 近所の住民たちが 身を寄せているケースもあります。

 そのような 拠点となる民家を 避難所に指定して、

 配給品を配達することも 行なわれています。

 しかし 膨大な被災者のことを考えると、

 直接被災していない人への支援は、 長くは続けられないかもしれません。

 精油所や道路網の被災による ガソリン不足もあるでしょうが、

 被災地以外での ガソリンの買いだめの影響も あるのではないでしょうか? 

 それが新たな避難者を 生んでいるとしたら、 これは人災です。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

〔追伸〕地震酔い

2011年03月25日 07時54分17秒 | 東日本大震災
 
(前の記事からの続き)

 地震酔いの対策として、

 日テレの 「ズームイン」 では 別のことを言っていました。

 ストレッチや 首を回すなど、 体を動かした方がいいというのです。

 地震酔いに似たものに、  「下船病」 というのがあるそうです。

 船に乗っていて、 降りてからも 体が揺れる感じがするというものです。

 下船病は じっとしているときに起こるので、 動いた方がいいといいます。

 ひどいときは 耳鼻咽喉科へ行くようにと。

 ネットでは 次のような方法もありました。

・ 深呼吸をする

・ アロマやハーブティなどで リラックスする

・ ツボを押す (首の後ろ, 頭の付け根, 手の甲, 親指と人差し指の間)
 

地震酔い

2011年03月24日 09時10分50秒 | 東日本大震災
 
 たった今も東京で 震度3の地震がありました。

 余震が 茶飯事のようになってきましたが、

 実際は揺れていないのに 体が揺れているように感じ、

 「あれ?」 と思う人も いるのではないでしょうか? 

 僕もしばしば そういう感覚に見舞われ、 不思議に思っていました。

 TVの街頭インタビューでも そういう人が多くいました。

 ひどい人は、 目眩や吐き気もあるようです。

 実はこれは、  「地震酔い」 という 症状だそうです。

 余震によって、 三半規管が 正常に働かなくなることが原因で、

 車酔いや船酔いと 同じだということです。

 最初の地震で 衝撃を受け、 余震で 揺れがだんだん 体に定着するのだといいます。

 ブランコや車に 酔いやすい人が なりやすいそうです。

(僕は子供のときは、 バスなどによく酔いました。

 中学では体操部に入って、 体をくるくる動かして、

 回転や揺れに 強くなったかも?)

 地震酔いに対しては、 横になったり、 市販の酔いどめの薬が 有効だそうです。

 症状が重い場合は、 点滴で治療することも あるといいます。

 今後 余震が治まれば、 地震酔いを訴える人は 少なくなるといいますが、

 余震はまだ 活発な状況です。

(次の記事に続く)

〔 参考資料 : フジテレビ 「スーパーニュース」 〕
 

行方不明と安否不明

2011年03月23日 10時27分51秒 | 東日本大震災
 
 東日本大震災で 行方不明者と安否不明者の 数が発表されていますが、

 両者の違いがあやふやでした。

 行方不明は 親族などから警察に 届出が出されたもの、

 安否不明は届出がなされていないもの ということです。

 今回の震災の場合、 安否不明は 

 届出を出す方もいない ということが多いのでしょう。

 安否不明は、 生きている方、 亡くなった方、 行方不明の方を、

 住民基本台帳から差し引いた数です。

 しかし その住民基本台帳自体が、 不明になってしまっている 地域もあるようです。

 最終的に 命を落とした方の人数は、 一体どれほどに上るのでしょう。

 そして、 津波で 沖に流されてしまった人たちも 少なくないでしょうし、

 最後まで見つからない方も かなりの数になるのかもしれません。

 改めて この災害の深刻さを 身にしみて感じます。

 でも 10日ぶりに救い出された おばあさんと高校生のように、

 どこかで孤立して 連絡が取れないでいる人たちが、

 まだ多くいることを 願うばかりです。

 一刻も早く 救い出されますように……。
 

外国人から見た 日本の被災者

2011年03月20日 20時40分59秒 | 東日本大震災
 
 国外のメディアでは、

 災害に遭った 日本人の態度に 賞賛の報道がされているようです。

 宇都宮に出張していたインド人は、 生まれて初めての地震に すくみ上がりました。

「日本人は誰も パニックにならなかった。

 動揺する外国人を 机の下にもぐらせ、 避難場所に 手際よく誘導してくれた。

 地震にここまで冷静に 対処できる国は 日本しかない」

 中国でも、 避難所の人々の冷静さに 世界が感嘆していると伝えています。

 数百人が広場に避難したが、 ゴミひとつ落ちていなかったと。

 ふだんの日本は、 よくも悪くも 目立たない国とされています。

 しかし今回は、 各国が日本の経験から 教訓を学ぼうとしています。

 避難所では被災者同士が すすんで食べ物を分け合い、

 怒号もけんかも起きない 静けさに驚いているといいます。

 多くの国では 災害のあとには、 略奪や強奪が起きています。

 しかし 阪神大震災のときも、 店のガラスが割れて 商品が目の前にあるのに、

 誰も盗もうとせず、 救援物資を待つ列に 我慢強く整然と並んでいました。

 実際には 盗みも起きていますが、 群衆によるものではありません。

 外国人の感覚では、 暴徒の姿を見ないだけでも、

 日本の被災者は 称賛に値するのです。

 また、 被災地で 便乗値上げが横行しないことも 注目されています。

 水や米が 震災前と同じ値段で売られ、

 人々が店の前に 何時間でも待つことは、 日本以外では考えられないそうです。

 苦境にあっても 怨まず、 運命に耐え、 助け合う。

 日本の市民に対する 世界の信頼は、 巨大地震の中でも 少しも揺らいでいません。

〔 朝日新聞 「ザ・コラム」 より 〕
 

福島原発への風評被害 (転載・拡散中の日記)

2011年03月19日 20時54分30秒 | 東日本大震災
 
 現在ネット上で 下記の日記が、 転載・拡散されています。

 福島原発に対する 風評被害を訴える、 福島在住の人のものです。

 オリジナルの発信元が なかなか分からなかったのですが、

 どうやら これが大本みたいです。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690999105&owner_id=551813

 チェーンメールは 善意のものであっても 回さないのが原則で、

 被災地のために 通信インフラに 余裕を持たせておくことが大切なので、

 URLだけ記しました。

(それでもネットに 負担をかけてしまいますが。)

 これは信用できそうな 内容と筆者で、

 トラブルは起こりにくいのではないかと思って、 紹介させていただきました。

 福島原発の電力は、 福島の人は使っていないというのは、 僕も知りませんでした。

 マスコミが報道していないための 誤解も多いようです。
 

限界の中で 懸命に過ごしている 被災者の人たち

2011年03月18日 22時03分10秒 | 東日本大震災
 
 避難所では、 高齢者などの死亡が 相次いでいるそうです。

 別の避難所では、 インフルエンザが流行し、 治療薬もありません。

 真冬の寒波で 夜も寝られず、 ストーブも毛布も 足りないといいます。

 精神的にも 窮地に追い込まれます。

 被災の直後は、 命が助かった高揚感や 緊張感がありますが、

 現実に直面するようになると、 喪失感や悲嘆が 一気に襲ってきます。

 「生きていてもしょうがない」 という考えも、 出てきてしまうということです。

 そんな中でも 避難所の人々は、 自助努力で踏ん張っています。

 最初は救援物資に殺到し、 混乱していましたが、

 幾つかの避難所では、 避難者をグループ分けして リーダーを決め、

 配給のルールを作ったり、 掃除の順番を 決めたりしているそうです。

 役割を分担し、 責任感を持つことは、

 こうした窮状にあって 非常に大切だといいます。

 自分に役割があるということは、 精神的に健康でいるのに 役立ちます。

 市教委は 避難所にリーダーを決めることを 奨励しているそうです。

 しかし現場では イライラが募っており、

 じきに喧嘩が起きるかもしれない と言う人もいます。

 すでに精神科医などが 現地に送り込まれてはいますが、

 精神的なケアが これから非常に重要になってきます。

 こんなページを 紹介してくれた人もいます。

 「震災における メンタルヘルスとボランティア」

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=34&id=1536697

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 

被災の中の月命日

2011年03月17日 21時29分28秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は心子の月命日で、 いつものようにお墓参りに行ってきました。

 心子にも 被災者の方々のために祈り、 見守ってくれるよう伝えてきました。

(ちなみに 心子の祥月命日は、 阪神淡路大震災の 「1・17」 です。)

 しかし、 計画停電の影響で 電車が運行見合せになったり、 バスが大幅に遅れたり、

 節電のため 映画の上映時間が変更されたり。

 途中の駅ではコンコース内に 人が溢れ返っていましたが、

 駅員の誘導で 長蛇の列を作っていました。
 

 地震といえば、 心子とこんなことがあったのを 思い出しました。

 心子と一緒に寝ていた時、 グラグラと揺れが来たのです。

 当時は 家具の転倒防止など 地震対策を全くしておらず、

 テレビが落下してくる 可能性もありました。

 僕は日ごろ 犠牲的精神などというものは 持ち合わせていないのですが、

 ごく自然に 心子の上に覆い被さっていました。

 心子は眠っていましたが、 守りたいと思う場合には、

 何の抵抗もなく そういう行為ができるのですね。

 不思議なものです。
 

 一昨日の記事に、 自閉症 (発達障害) の子が

 震災でパニックを起こしたという 話を転載しました。

 BPDの人はどうでしょう? 

(転載記事を書いた人は、 震災がトラウマになっているといいます。)

 心子は、 もしかしたら災害の時 かえって冷静に、

 人を助けたりしていたかもしれません。

 心子と歩いていて たまたま火事に出くわした際、

 心子はとっさに その家まで走っていきました。

 走りながら 心子は頭の中で、

 火の中に飛び込み、 家人にオーバーをかけて 外に出し、

 人工呼吸や 火傷の応急措置をするなど、 できることを組み立てていたといいます。

 幸いこの時は、 火は家人によって 消化器で消され、 大事には至りませんでした。

 でも 人のために犠牲になることを、 少しも厭わない 心子なのでした。
 

東日本大震災の特徴

2011年03月17日 01時36分14秒 | 東日本大震災
 
 「3・11」 が 日本の新たな歴史に加わりました。

 僕もオンラインで、 わずかながら 義援金を送らせてもらいました。

 最低限のできることです。

 今回の地震の特徴は、 規模が最大級だっただけでなく、

 被災地も数百キロにわたる 広大な範囲でした。

 また 揺れと津波という 甚大な被害が重なり、

 さらに原発の事故という 未だ経験したことのない 恐怖も伴っています。

 一方で、 被災体験を共有できている という面もあるでしょう。

 東京でも 震度5のかつてない長周期の 大揺れに見舞われ、

 交通機関が乱れ 施設も休業、 商品棚が空っぽになったり、

 計画停電という異例の事態も 経験することになりました。

(僕の地域も 計画停電の対象でしたが、 今のところ 実施されていません。)

 そのうえ、 放射線まで飛散してきました。

 余震もいつまでも続き、

 静岡, 長野, 茨木でも 大きな地震が 連動的に起こりました。

 それらのために 災害を身近に実感し、 被災者の人たちの困苦に 思いを寄せて、

 停電や買い控えに 協力する気持ちも生まれやすいでしょう。

 一連の報道も その一助になっているし、

 阪神淡路大震災などの教訓も ある程度生かされていると思います。

 さらに ネットの普及によって、 こうしてお互い 意思の疎通や共有が容易になり、

 連帯感も育っているのではないでしょうか。

 上記のように、 募金も居ながらにして できるようになりました。

 しかしながら 現地では、 まだ安否不明のままの人も 多数に上り、

 零下に耐え、 孤立化して物資が届かないという 悲鳴も聞こえてきます。

 何より 情報とガソリンが足りないといいます。

 東電や政府の対応も 後手後手になっています。

 原発も全く 予断を許しませんし、 余震も予期できません。

 気をゆるめることなく、 引き続き情勢を見守り、 考えていきたいと思います。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕