「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

境界性人格障害の呼称(2)

2005年11月30日 20時39分22秒 | ボーダーに関して
 最近はBPDと言う人も増えて、これがスマートなのかもしれません。
 でも「境界/ボーダー」という言葉には、様々な象徴的な意味合いが含まれていると思います。

 境界性人格障害は、精神病レベルと性格のレベルの「境界」の症状でもあります。
 そして心子をはじめ境界例の人は、激しい感情の起伏によって、天国と地獄の「境界」を往き来せざるを得ません。

 また現代社会は、父親や母親の役割をはじめ世の中の伝統的な価値観の枠が揺らいで、確固とした人格の核の形成が難しくなっており、それが境界例的傾向が増す要因だとされています。
 価値観の多様化などにより「中心を喪失した時代」と言われる現代にあって、境界例の人は社会の枠組みの境界線上でさまよいます。
 一触即発の雲行きで、あちら側の世界とこちら側の世界の「境界」を、振り子のように漂っています。
 境界性人格障害は、ボーダーレス時代の象徴的な心の障害なのです。

 また境界性人格障害は、自分と相手の「境界」を保つのが困難な症状でもあります。
 自分と相手は別々の独立した人格なのだということが理解しにくいために、自分の欲求を相手に投影し、様々なトラブルが生じてきてしまうわけです。


 現在、境界例は人格障害の一角に位置付けられたことによって、統合失調症と神経症の「境界」というそもそもの語義はなくなったはずです。
 本来ならその名称は、感情や自己像の不安定さなどの症状に基づいた、新しい用語に変更されるべきだったかもしれません。
 しかし学者たちも、「境界(ボーダー)」というフレーズに含まれる象徴的な意味深さやきわどさ、その危うい魔力にあらがうことができず、「境界」という命名を捨てきれなかった、という経緯もあるようです。

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心子のお母さんとの再会(3)

2005年11月28日 21時06分07秒 | 心子、もろもろ


 お母さんはこんな話も聞かせてくれました。

 心子が旅立つ1年前の大晦日、お母さんは色々食べ物などを買い込んで彼女のマンションに行ったそうです。
 ちょうど彼女も買い出しをして帰ってきたところで鉢合わせになりました。
 彼女は、お母さんが連絡もせずに来たこと,自分が買い物をしてきたのに同じようなものを買ってきたことに怒り、お母さんに買い物袋を投げつけて、「帰って!」と怒鳴ったそうです。

 お母さんは仕方なくマンションをあとにし、駅へ向かいました。
 すると後ろから足音が聞こえてきて、彼女が走って追いかけてきたのです。
「お母さん、待って! 帰ってきて! ごめんなさい!」
 彼女はお母さんを無理やり引き止め、マンションに連れ帰りました。
 その晩、彼女とお母さんはひとつのベッドで眠ったということです。

 生前の心子からは、お母さんとは犬猿の仲だときいていましたが、実際は違っていたようです。
 彼女はお母さんに対しても、常に強い愛情とその裏返しの激怒をぶつけ、目まぐるしくアップダウンを繰り返していたのでしょう。

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心子のお母さんとの再会(2)

2005年11月27日 20時58分39秒 | 心子、もろもろ

 心子のお母さんと食事をしながら、彼女が亡くなった当日のお話が出ました。

 飛び降りた彼女の持ち物を警察が調べ、手帳にあった実家の電話番号に連絡をしました。
 しかしその直前に実家の番号が変更されていたため、何度かけても通じなかったということです。
 やむなく警官が直接彼女の実家へ赴きました。

 お母さんは最初、彼女が何か事件を起こしてしまったのかと思われたそうです。
 警官は口ごもりながら病院へ行くように伝え、はっきりしたことは言わなかったといいます。

 お母さんたちが病院へ着くと、彼女はすでに棺の中でした。
 お母さんは頭が真っ白で、涙も出なかったと……。
 その時の気持ちは想像を絶するものがあったのではないでしょうか。

 でもその後ときが流れ、お母さんは今でも夜になると、彼女のことを想って泣いてしまうと言われます。
 ひとしきり涙を流すと気持ちが落ち着くそうです。

 お母さんは心子にできるだけのことをしたと、自分を納得させているようです。
 心子は好きなように生きたんだ,彼女の分も生きなければと自分に言い聞かせ、お母さんは前向きな気持ちで生きておられるということです。

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心子のお母さんとの再会(1)

2005年11月26日 21時11分58秒 | 心子、もろもろ

 心子のお母さんとは、心子の葬儀の日に初めて会いました。
 その後も2度ほど会い、色々な話を聞いたりしました。
 心子から生前に聞いていた話と相反することなども伺い、それは「境界に生きた心子」の「心の真実」を書く際に反映されました。

 本ができてからも再会しましたが、お母さんに拙著を読んでいただくにあたり、僕としては如何とも心苦しいものがありました。

 彼女は出産のとき足に障害を受けたために、親は抱き上げないようにと医師から言われ、ご両親は家業が忙しいこともあって、赤ん坊の彼女は一日中一人で部屋に寝かされたままだったといいます。

 従って彼女の心の障害の原因は、幼少時のスキンシップや愛情の過不足だったということを、拙著には書かざるを得なかったのです。
 それはお母さんにとって何よりも辛いことでしょう。

 でも、カテゴリー「境界に生きた心子」の「ボーダーの原因」(11月21日)に書いたように、第一に生物学的な(先天的な)要因があるということが拙著の出版後に分かったと、僕はお母さんにお話ししました。
 お母さんにはどうしてもお伝えしたいことでした。

 お母さんは安堵の表情を見せ、僕も胸をなで下ろした次第です。

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心子との想い出の銀杏並木

2005年11月25日 21時10分57秒 | 心子、もろもろ
 神宮外苑の銀杏並木は、心子との想い出の場所です。
 心子がこよなく好きな所で、銀杏が色づく季節に二人で行ったものです。

 一度目に行ったときには、ちょうど火曜サスペンスの撮影をしていて、小林桂樹と長岡藍子が歩くシーンのバックに、心子と僕も点景で全国放送されました。 (^^;)

 例年銀杏の紅葉は11月末か12月初頭ですが、今年は夏が長かったので色の変化は遅いと思っていました。
 ところが銀杏ももう終わりだという情報を目にし、今日急いで行ってきたのです。

 でもやはりまだ緑が残っていて、盛りには早いようでした。
 また見頃を見計らって行こうと思います。

 それにしても、去年あたりから紅葉が奇妙になっているように感じます。
 今までは銀杏並木が一斉に黄金に色づいていたように思うのですが、最近は木(個体)による差が大きく、黄色い銀杏と緑の銀杏が隣り合っていたりします。

 外苑にあるカエデは、今日は何とまだ濃い緑色でした。

 そして、今年の銀杏の葉は何故か異様に小さいのです。
 これは本当に奇態です。

 何か異常なことが起きているのでしょうか。
 心子とのメモリアルは大切に保っておきたいのですが……。

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エピローグ(4)

2005年11月24日 20時54分14秒 | 「境界に生きた心子」

 自分が死んでも皆すぐ忘れると言っていた心子。
 生きてる意味なんかないと言っていた心子。
「あたしの存在なんて、そこにあるゴミよりもっとちっちゃい、こーんなちっちゃいもんだよ」

 けれど心子は僕の中でこんなにも大きく、そして、永遠に生きている。
 心の中の真実こそ、人にとって無上に貴重なものである。
 心子の愛嬌のある笑顔,辛辣な怒り,悲しく切ない涙が、昨日のことのように目の前に浮かんでくる。
 今となっては心子とのあらゆるでき事が、懐かしくもいとおしい想い出として振り返ることができる。
 辛い体験を苦しくなく想い出すことができるようになったとき、人は苦しみを乗り越えたと言われる。
 心子とのどんな過酷だった経験も、今は豊かな追憶である。

 きっと今ごろ心子は天国で、平安な生活に一息ついていることだろう。
 静かに、静かに暮らしたいと言っていた心子。
 苦しみばかり多かった現世から少し抜け出して、悲しみも痛みもない世界で、とこしえに魂を休めているだろう。
 お父さんとも再会し、今は愛情に満たされているに違いない。

 僕の父も心子と同じ年、ホスピスで安らかに息を引き取った。
 心子は僕の父と母にも会ってくれているはずだ。
 僕の実家では一緒に暮らせなかったけれど、そちらでうんと甘えて、肩でも揉んであげておくれ。
 そちらばかりが賑やかになって、こちらは寂しいけれど……。
 僕のことを、いつでも見守ってくれていると信じてるよ、しんこ……。

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シネマ歌舞伎「野田版・鼠小僧」

2005年11月23日 21時12分46秒 | 映画

 銀座シネスイッチで、シネマ歌舞伎「野田版・鼠小僧」というのを観てきました。

 2003年に歌舞伎座で上演された、野田秀樹作・演出の歌舞伎「鼠小僧」を、デジタル撮影して映画館で上映するという、松竹110周年記念のイベントです。
 歌舞伎の舞台の臨場感をスクリーンで再現するものです。
 英語の字幕が付いていて、外国の人にも歌舞伎を親しみやすくするものでしょう。

 野田秀樹の脚本は独創的で、ユーモアもたっぷり、とても堪能しました。
 僕は歌舞伎はあまり観ないのですが、とても手慣れて壺を心得ていたように思います。
 一人二役の主演・中村勘三郎も大熱演でした。

 金にしか興味がない棺桶屋の三太が鼠小僧になるという、結構はちゃめちゃな話です。
 それを裁くのが、週3で間男している大岡越前というのも一品です。

 人間関係が次々と入り乱れ、正邪相摩し、顛末が予想できない展開でした。
 セオリーである勧善懲悪を破り、悪がのうのうとのさばりながらも、感銘を誘うラストは非常に卓抜したものでした。

 人に誘われての鑑賞でしたが、とても貴重なものを観られた思いです。

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エピローグ(3)

2005年11月22日 20時51分57秒 | 「境界に生きた心子」

 心子が帰らぬ旅に出る半年前に、こんなメールを受信していたのを見つけた。
 心子が僕にきついことを言ったあと、それを泣いて後悔し、謝ってくれて仲直りしたときのものだ。

 <私のこと許してくれてありがとう。またすぐ逢えるといいなぁー。お互い一番大切な存在になりたいね>
 <あなたと一緒にいて時々想います。このまま、このまま私の心臓が止まって、雅之の心の中で永遠に生きたいと>
 <私はなぜ神に創造されたのか、わからないまま生きて、もしかしたら死によってその本当の意味を知り、救われるのかも>

 何と暗示的な言葉だろう。
 心子の気持ちは常々移ろっているとはいっても、胸にこんな想いがあったのか。
 心子は今、自分の生の意味を知っただろうか? 
 命と引き換えにしなければ、それを知ることができなかったのだろうか? 
 そして、神の下で救われているだろうか? 
 僕は信じている。
 必ずや、神の御胸に抱かれていると。

(続く)

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ボーダーの原因

2005年11月21日 20時57分46秒 | ボーダーに関して
 拙著には、ボーダーの主な原因は親の愛情の過不足による生育歴だと書きました。
 日本では今もそう考える人が多いようですが、出版後あらたに分かったことがあります。

 現在アメリカの最先端の研究では、まず先天的な(生物学的な)素因が第一にあり、それに環境的な要因が加わって起こると言われているそうです。

 「境界に生きた心子」を読んで手紙をくださった方の中にも、年子の姉妹で妹さんがボーダーだというお姉さんからのものがありました。
 同じような家庭環境で育ったであろう姉妹の一人だけがボーダーというのは、生物学的な差異があることの例かもしれません。

 ボーダーの人の親御さんが、適切な愛情を我が子に与えられなかったと自分を責めたり、周囲も批判的な目を向けたりすることで、親御さんが苦しんでしまうことがよくあるといいます。
 しかし親の愛情ばかりに責任を問うことはできないということです。

 まだ分からないことが多いですが、今後も境界性人格障害の研究や臨床の経験が積まれていくことを切に願っています。
 現在苦しんでおられる方々が、少しでも生きやすくなっていくように。

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エピローグ(2)

2005年11月21日 09時59分18秒 | 「境界に生きた心子」

 人の人生はドラマである。
 いかに笑い、いかに怒り、いかに泣き、苦しんだか、それがその人の終生の意義である。
 長さはさしたることではない。
 どんなドラマを演じ、残していったかが、人の生きた証だ。
 人間の愛情,純粋さ,怒り,悲しみ,喜び--それらを心子は最も先鋭的に体現し、走り抜いていった。
 心子は紛うことなく濃密な、奥深い生をあやなしていったのだ。

 心子は、あまたの謎と課題を置き土産にして逝った。
 人間の真実とは何か?
 幸せとは何か?
 生きる意味とは何なのか? 
 心子の生涯はそれらを僕に問いかける。
 心子は光と影の双方を強烈に焼き付けていった。
 正のエネルギーが段違いな分だけ、負のエネルギーも圧倒的だった。
 しかし人は、どんな負の体験からも正の意味を学び取ることができる。
 マイナスをプラスに転換していくことができるのが人間である。
 負の絶対値が大きいほど、正に転じたときの価値もまた大きいのだ。

(続く)

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ボーダーの方の感じ方

2005年11月20日 20時08分57秒 | 「境界に生きた心子」
 拙著「境界に生きた心子」はあくまで、ボーダーであった心子の恋人として、彼女の傍らにいる立場から描いたものです。

 拙著を読まれて手紙やメールをくださったり、ブログに書き込んでくれている方々の中には、ボーダーの人のご家族やなど、「境界に生きた心子」を読んで助けられた,癒されたと言ってくださる人たちが多くいらっしゃいます。

 苦しい思いをしているのは自分たちだけではなかったということが分かり、救われたとも言ってくださいました。

 それに対してボーダーの方ご本人や、そういう傾向のある方(または心に傷を持っておられる方)が拙著を読まれた場合には、人によって感じ方が顕著に異なるようです。

 自分と同じなので、とても共感,感動して涙が止まらなかったという方も多く、自分の言動の意味や相手の気持ちも理解できた、という方もいらっしゃいます。

 一方、自分とダブってしまい読むのが辛かったという方や、非常に傷ついたり不快に感じたりする方もおられます。
 フラッシュバックなどを起こして、混乱したという方もいました。

 そういう両極に分かれるのがボーダーの方の特質なのかもしれません。
 ボーダーの方が拙著を読まれる際、どちらに感じられるか分からないので、どうか予めくれぐれもご了承いただきたいと思っている次第です。

 以上は当ブログのカテゴリー「境界に生きた心子」の中の、『「境界に生きた心子」(新風舎・刊)の紹介』(11月8日)の記事でも触れましたが、ボーダーの方の心の健康を守らなければなりません。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 それから、ボーダー以外の人間にはボーダーの苦しみは分からないという人もいました。
 もちろんその通りで、拙著では、一番苦しんでいるのはご本人であり、その本当の苦しみは僕には分からないという立場で書いています。

 ただボーダーの人の横にいる人間にとっても苦しみは大きく、捨ておくことができないというのが、このテーマの重要な問題です。

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エピローグ(1)

2005年11月20日 09時42分59秒 | 「境界に生きた心子」

 我々は誰しも皆、愛し、求め、苦しみ、人を傷つけながら生きていく。
 心子はこの上もなくラジカルな姿で、その舞台を踏んでいった。
 心子の生きざまは万人のものだ。
 心子の問題は我々自身のものだ。
 心子は我々を代表してその重みを担っていったのだろうか? 
 それらを抱えて、心子は力の限り生き抜いたのだ。

 人は世に生きて、様々な実績や家族などを残していく。
 それは次の世代へと受け継がれていく。
 それが人の生きた足跡であり、この世に蒔いていく種だ。
 だが人生の値打ちはそれだけだろうか? 
 心子は何を残したのだろう? 
 優れた能力も兼ね備えながら、なるほど形あるものは残せなかったかもしれない。
 しかし心子は、他の何物にも変えられない想い出を残していってくれた。

 心子と僕、二人の恋人としての交流は、わずか一年余りの年月だった。
 しかしその間に、一生かかっても得られないくらいの劇的な経験を、心子は僕に贈ってくれた。
 僕が忘れかけていた清廉で無心なものも思い出させてくれた。
 業績やDNAは残らなくても、心子の魂は果てなく生き続けていく。
 人の心に残る生き方こそが、何よりもかけがえのないものなのだ。

(続く)

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「境界性人格障害」の呼称

2005年11月19日 21時18分26秒 | ボーダーに関して
 「境界例」という呼称は現在、専門的にはあまり使わなくなってきているようです。
 「境界例」は統合失調症(精神分裂病)と神経症の「境界」の症例という意味でしたが、現在は「境界性人格障害」という正式な分類ができたので、「境界例」という曖昧な言い方は控えられるとのこと。

 また、(僕はそういう意識は全くなかったのですが)「境界例」はある面、厄介者的な使い方をされたケースもあったようですね。

 今は「ボーダー」,「境界性パーソナリティ障害」,「BPD(『Borderline  Personality Disorder 』の頭文字)」などと言われます。

 ただ僕個人的には、「境界例」も捨てられないのではないかという気がします。
 そもそも「「 境界性人格障害」という分類も明瞭なものではなく、なかなか診断が確実に付くものではありません。
 他の人格障害にまたがっていたり、他の精神疾患と重なることも多いので、やはり境界がはっきりしない「境界例」という用語も、一般的には許されるのではないかと素人的に思うのですが。

 拙著「境界に生きた心子」では、「境界例」は「境界性人格障害」より広い領域を指す通りのいい言葉として使っています。

 なお、現在はインターネットなどを見ても、「BPD」や「境界性パーソナリティ障 害」という言い方をする人が増えてきていますね。
 でも拙著を書いたときにはそれらがまだそれほど一般的になっていなかったので、やむを得ず「境界性人格障害」という表記にしました。

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「境界に生きた心子」目次

2005年11月19日 10時46分15秒 | 「境界に生きた心子」
  まえがき

 プロローグ
 六年越しの再々会
 トライアングル---迷走の行方
 愛の始まり---天国と地獄
 境界性人格障害
 万華鏡
 苦しみ、いとおしく
 心身の増悪(ぞうあく)
 解離
 分裂
 子供の人格の出没
 壊れて、笑って、そして……
 自死
 心の真実
 エピローグ

  「境界性人格障害」について
  あとがき

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プロローグ(3)

2005年11月18日 21時54分58秒 | 「境界に生きた心子」

 その心子がときに豹変する。
 一緒に映画を観終わって僕の部屋へ来るとき、心子は少し体の具合が悪くなった。地下鉄の駅を降りて僕は気遣った。
「タクシー乗る?」
 その途端、心子はキレた。
 僕を押しのけ、さっさと自分でタクシーを拾った。邪険にもむくれて一言も口をきかず、料金も自ら支払った。
 心子にとっては、乗るかどうか聞く前にタクシーを拾うのが当然だったのだ。

 心子が求めるのは、痛みを百%理解され、全てを抱擁される理想的な愛情である。
 わずかでもそれが飽き足りないと、その悲しみが怒りと化して荒れ狂い、自他を傷つける。
 心子自身、その感情を抑えることができなくなってしまうのだ。

 幼いとかわがままという単純なレベルのものではないということは、僕も次第に分かっていくことである。
 心子の生を彩る心の深層の不可思議さを、目の当たりにさせられていくのだった。

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