「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「クローバーフィールド  HAKAISHA」 (2)

2008年04月04日 20時44分59秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53571264.html からの続き)

 「クローバーフィールド」 は、作品自体も 前代未聞の斬新なものです。

 最初から最後まで 全て、素人が撮っている ホームビデオによる映像です。

 突如 マンハッタンを襲った何者か、“HAKAISHA” (破壊者)。

 登場人物たちにも その正体は全く分からず、“あれ” と呼ぶしかありません。

 “あれ” の攻撃を受けて、命懸けで逃げ回る人物たちを、ビデオが撮り続けます。

 画面は右往左往し、手振れで激しく揺れるし、

 時には あらぬものが映されたり、カメラを落としたりします。

 それによって観客は、自分が 事件の真っ只中にいるかのような

 臨場感に包まれるのです。

 “あれ” はなかなか カメラのフレームに納まらず、その姿も定かになりません。

 終盤になって やっと全体が捉えられますが、じっくり映されることはなく、

 何なのか よく把握できない状況です。

 最後は カメラマンもやられてしまい、その先どうなったのか、

 “あれ” の正体も 分からないまま映画は終わります。

 続編の制作が 決まっているそうです。

 ビデオカメラだけの映像は 否応なく緊迫感を煽りますが、

 映画作品としては 極めて多くの制約を受けます。

 アングルは全て 一個人の目線です。

 俯瞰やロング,切り返しもなく、

 エイゼンシュタインの モンタージュ理論は通用しません。

 構成も、カメラマンの移動に合わせて、直線的な時間が進むだけです。

 また、素人が撮っている映像らしく 見せるために、

 スタッフは普段以上の 難しいテクニックを求められました。

 一流の腕を持つ プロのカメラマンにはできないことなのです。

 そこで カメラマン役の俳優に、

 実際にカメラを持たせて 撮ったシーンが沢山あるそうです。

 そして 一切が偶然のショット、パニックの中の “取り損ない” であるように

 見せるため、撮影には周到な計画が 立てられなければなりませんでした。

 また、CG映像と ホームビデオの組み合わせは、困難を極めたということです。

 激しく揺れたり 振れたりするビデオのフレームに、

 CG画像を ひとつずつ手作業で 組み合わせていかなければならなかったといいます。

 それら独自の作業によって 作られた映画は、

 観る側を終始 緊張させる “予測不能” の作品になりました。