「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

命の償い 望まぬ遺族 -- かえらぬ命 (7)

2009年04月30日 22時18分27秒 | 死刑制度と癒し
 
 ひつぎの中の顔は、 かすかに 微笑んでいるようにも見えました。

 2001年12月27日、 長谷川敏彦死刑囚 (当時51) の刑が執行され、

 2日後 教会で葬儀が営まれました。

 長谷川死刑囚に 弟の命を奪われた、 原田正治さんの姿もありました。

 弟の明男さん (当時30才) は、

 長谷川死刑囚に 保険金をかけられたうえ 殺されました。

 長谷川は 他にも二人を殺害しています。

 極刑を望む原田さんに、 長谷川死刑囚から手紙が送られるようになりましたが、

 1通以外は ごみ箱に捨てました。

 心に余裕ができたころ、 ふと 返事を書いてみると、

 手紙の数が 格段に増えました。

 原田さんは思い切って 拘置所を訪ねます。

 怒鳴りつけるかもしれないと 思っていましたが、

 全身に喜びをにじませて 訪問への感謝を 口にする姿を見て、

 怒る気が 失せていきました。

 その後も 3回ほど面会しました。

 長谷川が悔い改め、

 遺族のことを気にかけているのが 実感として伝わってきます。

「 彼のことを 許したわけではない。

 でも、 もっと生きて、 償いの気持ちを 伝え続けてもらいたかった。

 死刑からは何も生まれないと 思うようになった 」

 原田さんは一昨年、 被害者と加害者の対話を 進める団体を設立。

 加害者が 被害者に心から謝罪するよう 助言しています。



 オウム事件の被害者・ 河野義行さんも、

 自らの冤罪体験から 死刑を望みません。

 一歩間違えたら 自分も死刑になっていた。

「 遺族が犯人に 死刑を求める気持ちは 充分、 理解できる。

 だが、 憎しみに縛られていては 幸せになれない 」

〔読売新聞より〕

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 上記の原田さんは、 以前 ブログに書いたH氏です。

 被害者遺族自ら死刑に反対する H氏のことを、 下記から連載しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29733348.html
 

謝罪の手紙 読み返し -- かえらぬ命 (6)

2009年04月29日 21時48分37秒 | 死刑制度と癒し
 
 江崎恭平さん (64) は 拘置所から届く手紙を、

 手許に置いて 何回も読み直しています。

 その数は 60通を超えました。

 うまい文章ではありませんが、

 一生懸命 書いているのだろうことは 分かります。

 1994年、 長男の正史さん (当時19才) と友人は、

 3人の少年に 因縁をつけられ、 金属パイプでめった打ちにされて、

 二人とも亡くなりました。

 少年らは 他にも二人の命を 奪っていました。

 公判中、 死刑判決を受けた 二人の少年から 手紙が届くようになりました。

( 現在上告中 )

 恭平さんには 手紙の言葉が きれいごとに見えましたが、

 手紙は送り続けられました。

 受け取りを拒否していますが、

 拘置所の作業で 溜めた現金も 年に一度届けられます。

< 読経や写経を させて頂く事と 請願作業をして頂ける賞与金を

 御遺族に送らせて貰うのが せめてもの気持ちですから (中略)

 今後も送らせて頂きたいと 強く想っています。 >

 二人の少年は述べました。

「 人の命を奪った人間が 言うのは許されないと思うが、

 できることなら 生きて償いたい 」

「生きて 何かできることを やっていければ。

 でも、 自分の立場を考えると、 死刑も やむを得ないと思う 」

「 今、 僕が生きているのは ありがたいことだから、

 ご遺族に恥ずかしくないように、 手紙をずっと書きたい 」

 恭平さんが 3人に死刑を望む気持ちは 変わりません。

「 反省の気持ちが伝わっても、 刑は 残忍な犯行に対する 結論。

 謝罪とは別なんです 」

 ただ、 今は手紙から

 彼らがどう変わろうとしているのか 読み取ろうとしています。

 妻のテルミさんは 手紙を前に 目を伏せます。

「 この子たちも 苦しんでいるんでしょう。

 でもそれ以上に 私たちは重いものを背負った。

 正史の声を もう一度聞きたい…… 」

〔読売新聞より〕
 

市民が量刑判断での 心の負担重く

2009年04月28日 20時30分42秒 | 死刑制度と癒し
 
 今日のニュース 「スーパーJチャンネル」 (TV朝日) で、

 裁判員制度検証の 特集をやっていました。

 裁判員が判決を下すときの 心理的な負担についてです。

 冤罪の疑いのある 有名な袴田事件で、

 審理に当たった 熊本典道・ 元裁判官は、

 3人の裁判官のうち一人だけ 無罪だと確信しましたが、 合議で死刑が決定。

 しかも判決文は、 熊本氏本人が 書かなければなりませんでした。

 熊本氏は7ヶ月後に 裁判官を辞職、 自殺を図ったが 失敗したといいます。

 職業裁判官でさえ、 これほどまでの重責と 重圧に苛まれるわけです。

 裁判員に精神的負担を 与えることに備えて 最高裁は、

 24時間体制の 心理カウンセリングを準備しています。

 しかし これには、

「救急体制を用意したから 崖から飛び下りてくれ」 と

 言うようなものだとの 批判もあります。

 裁判員制度では 多数決で有罪無罪が決められますが、

 そのあとの量刑判断には、 無罪を主張した人も 加わらなければなりません。

 その結果、 死刑判決になる場合も あり得ますが、

 裁判員には 守秘義務があるため、

 自分は無罪に手を挙げた ということを、 生涯 口にすることができません。

 にも拘らず、 今まで600回行なわれたという 模擬裁判では、

 死刑判決相当の模擬裁判を 一件も行なわれていないというのです。

 模擬裁判で死刑を選択させても 何の検証にもならないと言うのですが、

 裁判員の精神的負担が 表面に出る前に、

 制度を始めてしまおうというのではないかと 思われても仕方ありません。

 最近、 裁判員制度にも 大きな影響を与えそうな、

 注目の判決が 相次いでいます。

 被告の解離性健忘を認めた 一審を破棄して、

 完全責任能力を示した 秋田連続児童殺害事件,

 状況証拠だけで死刑が確定した 和歌山毒物カレー事件,

 本日高裁で一審を破棄し 懲役7年から12年になった

 渋谷妹殺害 (バラバラ) 事件。

 状況証拠しかない事件や、

 犯人の責任能力という 目に見えない問題を

( 裁判所でさえ 一審と二審で 判断が異なるような )、

 一般人が ごく短時間で 正しく見極められるのか、 大きな危惧が残ります。

 僕は 国民の司法参加は必要だし、

 裁判員制度に積極的に 参加したいと思っていますが、

 如何せん準備不足で 拙速だと、 当初から述べています。

 裁判員制度開始まで もう一ヶ月ですが、

 どのような問題が起きるのか、 期待よりも 心配が多い気がします。
 

遺族に終わりはない -- かえらぬ命 (5)

2009年04月27日 10時12分04秒 | 死刑制度と癒し
 
 森田泰元 (たいげん) さんの

 長男・ 泰州 (やすくに) ちゃん (当時9才) は、

 やっちゃんと呼ばれていました。

 星空の好きなやっちゃんを 誘拐・殺害したのは、

 泰元さんの知り合い・ 津田暎 (あきら) でした。

 遺体を遺棄した後、 身代金要求の 電話を重ねました。

 ギャンブルで借金を背負った 短絡的犯行です。

 泰元さん夫妻は、 法廷にもほとんど 足を運んでいません。

 津田被告と 同じ空気を吸うことすら、 嫌だったといいます。

 最高裁で死刑が確定し、

 弁護士は再審を勧めましたが、 津田死刑囚は断りました。

「 遺族は 『あいつはまだ生きとるんか』 と 怒っとるじゃろう。

 執行にならんと、 許してもらえんだろうな 」

 拘置所では聖書を読み、 泰州ちゃんの命日には 冥福を祈りました。

「 『あいつを殺すのは惜しい』 と 言われるような人間になってから

 執行されなければ、 泰州ちゃんの命との バランスが取れない。

 心の豊かな 人間になりたい。」

 死刑執行の時は 刑務官に礼を述べて 逝きましたが、

 遺族に 謝罪の手紙を 書くことはありませんでした。

 泰元さんは 死刑を当然と思っています。

 悲しみに耐えることに 精一杯で、

 それ以外なにも 感じることができませんでした。

 年月を重ね、 悲しみがかさぶたのように 固まっていく気もしますが、

 犯人を許せないという思いが 風化することはありません。

「 犯人は死刑になったら、 それで終わりかもしれない。

 でも、 私たちは死ぬまで 事件を引きずって生きていく。

 無期懲役にされたようなものです。」

〔読売新聞より〕
 

執行 …… 迫る刑の重み -- かえらぬ命 (4)

2009年04月26日 22時29分58秒 | 死刑制度と癒し
 
 1994年、 平野勇は 牧場に押し入って 50万円を奪い、

 犯行を隠すため 放火。

 渡辺夫妻が焼死しました。

 娘の早月 (さつき) さん (当時45才) は、

「 平野被告に 両親と同じ苦しみを 味わわせたい」 と思い続け、

「 自分の手で 八つ裂きにしてやりたい」 と 本気で思いました。

 平野被告の両親の 住所を調べ、 訪ねて行ったこともあるそうです。

「 どんな育て方をした」 と問い詰めるつもりで、 玄関のベルを鳴らしました。

 幸か不幸か 留守でした。

 約12年後、 最高裁で 死刑判決を聞いたとき、

 早月さんは とても満足な気持ちだった ということです。

 弟の滋彦さんたちと、

「 執行されるまで5年、 10年もかかるんだろうね」 と会話を交わしました。

 その2年後、 刑が執行されました。

 滋彦さんは思います。

「 両親は 私たちがいつまでも 事件を引きずって、

 犯人への恨みの中で 生きていくことを 望んでいない気がする。

 これからはできるだけ、 そういう感情から離れたい 」

 早月さんが 刑の執行を知った時に 感じたのは、

「 何とも言えない 生理的な拒否感」 だったといいます。

「 まるで手の中で 生きた虫を 握りつぶしてしまったような、

 ざらっとした 嫌な気持ちだった 」

「 今回の事件で、 父と母が 平野死刑囚に殺され、

 平野死刑囚もまた、 国家の手によって 人為的に殺された 」

 という気がしてなりません。

 早月さんは、 死刑は必要だと思っています。

 ただ、 刑が執行されて 初めて知りました。

 死刑というものが、 あんなにまで生々しく、

 自分に迫ってくる ということを。

〔読売新聞より〕
 

犯人の命ください -- かえらぬ命 (3)

2009年04月25日 20時38分21秒 | 死刑制度と癒し
 
 2004年12月、 一人暮らしの奈々さん (当時18才) は

 帰宅途中、 公園に引きずり込まれて 絞殺されました。

 3ヶ月後、 土木作業員の鈴木泰徳 (39) が逮捕され、

 1ヶ月余りの間に 奈々さんら3人の女性を 殺害したと自供しました。

 幼い二人の子供がいながら、 パチンコや酒で 借金を重ね、

 ストレスを溜めた末、 乱暴目的で 一人歩きの女性を探していたのです。

 父・ 寿 (ひさし) さんは、 死刑は当然と 考えていました。

 が、 母・ 博子さんは そう思えなかったのです。

 奈々さんは 難病である膠原病を抱え、 養護学校に通っていました。

 博子さんが見舞いに 養護学校を訪ねると、

 懸命に車椅子を動かす 筋ジストロフィーや 心臓病の子供に出会います。

「 長く生きられないことが分かっていても、 懸命に生きている。

 そんな子供たちを見て、

 生きていける命を ほかからの力で奪うことに 抵抗を感じていました 」

 第8回公判で 博子さんは意見陳述に立ちました。

 死刑でなく 終身刑を求める気持ちで 話し始めましたが、

 途中から 感情が溢れだしてきました。

「 私たちは 成長した奈々に会えないのに、

 犯人は 大きくなった我が子に会える。

 それだけは許さない……。

 私の心は どこまで醜くなるのでしょう。

 やっぱり 犯人の命をください……」

 地裁、 高裁とも 死刑判決が下り、 鈴木被告は上告しています。

 博子さんは 声を震わせます。

「 罪のない(犯人の)子供が 親に会えないことを願うなんて、

 おかしいと自分でも思う。

 でも、 もし被告が 無期懲役になることを考えると…… 」

 寿さんは語りました。

「 命の大切さを 分かっている妻は、 犯人の死を望む 自分を責めてきました。

 こんな思いをする家族を もう出さないためにも、

 落ち度のない人を殺せば 死刑だということを 示すしかないと思います 」

〔読売新聞より〕
 

娘 奪われたつらさ 伝えたい -- かえらぬ命 (2)

2009年04月24日 11時14分59秒 | 死刑制度と癒し
 
 2000年、 宇都宮市の宝石店で 貴金属を奪い、

 女性従業員6人の 手足を縛って、

 生きたままガソリンをまいて 火を点けた篠沢死刑囚。

 被害者の一人・ 正恵さんの遺体は 損傷が激しく、

 父親は 死に顔を見ることも 抱き締めてやることもできませんでした。

「 熱かったね……、 苦しかったね…… 」

 そう声をかけるのが 精一杯でした。

 事件から8年半、 事件のことばかり 考えてはいけないと思いつつ、

 心から笑うことができません。

「 自分たちだけが 楽しんでいいのか? 」

「 犯人を憎むことが 生きがいになってしまった 」

 父は 証言台ではっきり  「極刑を望みます」 と言った。

「 悔しさと怒りで、 相手の死を願うことへの 抵抗感は全くなかった 」

 父親は 篠沢死刑囚が何を考え、

 事件を反省しているのか 知りたいと思うようになりました。

 直接会って、 親の辛い気持ちを 伝えたいと。

 しかし 死刑囚に面会できるのは 親族や弁護士, 数人の知人の他は、

 拘置所が特別に 必要と認めた人だけです。

 死刑囚本人が望まない限り、

 被害者の遺族が 面会できる可能性は ほとんどありません。

 それでも父親は 強く思っています。

「 罪の重さを知り、 心から反省してから 刑を執行されてほしい 」

〔読売新聞より〕
 

遺族になって 考え変わった -- かえらぬ命 (1)

2009年04月23日 23時05分06秒 | 死刑制度と癒し
 
 裁判員制度も 目前に迫ってきました。

 少し前の 記事になりますが、

 読売新聞に連載されていた 死刑シリーズを紹介します。

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 オウム真理教の犠牲になった 阪本堤弁護士,

 妻の都子(さとこ) さん, 長男龍彦ちゃん (当時1歳)。

 都子さんの父・ 友之さんは、 次のような言葉を 残しています。

「 (犯人たちは) 死刑になるでしょうが、

 1回には殺したくない という気持ちです。

 死刑台に 載せては下ろし、 載せては下ろし、

 何日もやってもらいたいです。

 都子の分、 堤の分、 そして龍彦の分を やってやりたいです。」

 友之さんは 死刑制度にずっと疑問を感じ、

 死刑のない社会が 理想だと思っていました。

 都子さんにも  「人の命は地球より重い」 と言い聞かせ、

 都子さんは 人の痛みを感じられる 娘に育ちました。

 都子さんは 死刑制度を良いと 思っていなかったでしょう。

 阪本弁護士も 国が人を殺すことに 疑問を持ち、 死刑に反対の立場でした。

 しかし友之さんは、 当事者になって 考えが変わりました。

 死刑制度があって良かったと。


 一方、 死刑が確定した教団幹部の、 延命を望む遺族がいます。

 信者になった家族の 脱会活動をしている  「家族の会」は、

 阪本弁護士一家殺害の 実行犯・岡崎死刑囚の 執行停止を求め、

 4000人分の署名を集めました。

 「家族の会」 会長で、

 自らも教団に襲撃され 生死の堺をさまよった 永岡さんは、

 岡崎死刑囚に面会して 伝えました。

「 少しでも生き延びて、 教団に残る信者に、

 教団の誤りを 気付かせてほしい。」

 永岡さんは語ります。

「 教団に子供を奪われた 親たちにとって、

 (幹部の存在は) わずかな希望でもある。

 ただ、 犠牲者の遺族の方々には

 納得していただけないことも 理解している。」

〔読売新聞より〕
 

BPDのリスク因子と 拙著の記述 (2)

2009年04月22日 23時06分38秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
(前の記事からの続き)

 BPDの中には、 環境的リスク因子が ひとつもないケースも 一部にある、

 という一文が かろうじて書かれている 文献が出版されたのは、

 星和書店版の校了直前でした。

 星和書店版の拙著に、 それを充分 反映することができませんでした。

 星和書店版の出版後、 従来言われていた 生育歴による原因が 占める割合が、

 次第に小さくなってきているのが 現状ではないかと思います。

 星和書店版校了後に発足した  「BPD家族の会」 でも、

 親の方々は 子供の障害を治したい, 何とか関係を良くしたいと

 懸命に願っている 人たちばかりです。

 コメントを下さった方のように、

 幼少の頃の生育歴に 全く問題がないという ケースもあるでしょう。

 BPDには まだ分からないことが 沢山ありますが、

 研究はだんだん進み、 認識も現在進行形で 変化してきていると思います。

 今回 正直なコメントをいただき、 僕も大変ためになりました。

 その方は コメントするかどうか 随分迷ったそうですが、

 読者の方からのご意見は 本当にありがたいものです。


 BPDの起因に関する、 今の僕の認識は 下記の記事に続くものです。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57801589.html

 しかし一方で、 そういう情報を 専門家でも知らず、

 全面的に 親の責任にされてしまうという 現状もあります。

 一般にもまだまだ BPDは認知度が低いし、 誤解や偏見は多いでしょう。

 微力ながら 尽くしていきたい次第です。
 

BPDのリスク因子と 拙著の記述 (1)

2009年04月21日 23時51分25秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 「境界に生きた心子」 を 読んでくださった方から、

 先日コメントをいただきました。

 ボーダーである娘さんを、

 昨年 自死で亡くされたという お母さんからです。

 その方のご家庭は 昔から普通の家族と 何ら変わりなく、

 娘さんと よく旅行や食事を 楽しんだといいます。

 発病のきっかけは 以前の交際相手との 諍いと別れだということです。

 娘さんは、

 両親から どんなに愛されていたかという 言葉も残しているそうです。

 しかし拙著では、 ボーダーの原因として 生育歴を強調していることに、

 とても傷つかれたという 真摯なコメントでした。

 子を思う親心は 恋人の愛情に 勝るとも劣らないものなのに、

 家庭環境を問題視することが 非常に悲しかったと……。

 その方には 本当につらい思いを させてしまい、

 大変申し訳ない気持ちで お返事を書きました。

 娘さんを亡くされたばかりで、 その悲しみは 殊更だったと思います。

 幸い こちらの謝意は伝わり、 理解していただけました。


 4~5年前まで、 ボーダーの原因は

 専ら 家庭の愛情の過不足だと 言われていました。

 2004年出版の本では、 BPDを沢山 診ている専門家が、

 円満な家庭に育った BPDは一人もいない,

 例外はない などと書いています。

 新風舎版 「境界に生きた心子」 を 書いた頃には、

 生まれつき 脳に器質的な原因があることは まだ知られていませんでした。

 その後、 生物学的な要因が 言われるようになりましたが、

 まだ詳しく分かっていませんし、 浸透もしていません。

 星和書店版の拙著でも それについての記述は少なく、

 生育歴のほうが 色々複雑な要因があるため、

 記述が多くならざるを得ませんでした。

(次の記事に続く)
 

「車椅子社長の猛烈ケアビジネス」 企画書 (2)

2009年04月20日 20時20分18秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
(前の記事からの続き)

 しかし美由は、

 現実を知らない 自分の甘さも 思い知らさぜざるを得なかった。

 献身や慈悲だけでは 介護はできない。

 金がなければ 優しさは続かない。

 それが不動の信念だ。

 やがて美由は 不動の内に秘められた 真の人間性や、

 ビジネスの理念というものを 理解していく。

 放埒な車椅子社長・ 不動の姿を通して、

 現実的な 介護に大切なものを 伝えていきたい。

 また美由は、 ヘルパーのフィリピン人 シンシアの的確なスキルに 感嘆する。

 理想と意欲だけでは ケアはできないことに思い至り、

 次第に現場のケアを 身に付けていく。

「 ずぼらでなくちゃ 介護は続かない。 」

 それが シンシアのモットーだ。

 そうして家族もまた 老人への接し方を学び、

 関係が良くなることによって、 老人の状態も良くなっていく。

 そして 親子の愛情も蘇るのだった。

 どんな障害があっても、

 人は 望みや理念を持って 生きていくことができる。

 傷害を抱える不動は 自ら身をもって それを実践している。

 不動は、 車椅子ラグビーという “格闘技” の

 勇猛なアスリートでもある。

 不動は 自分にしかできない 介護のシステムを作ってきた。

 それは 人の善意だけに頼った 画餅ではなく、

 地に足の着いた 現実的な道である。

 そして その底流にあるのは、

 人の人に対する 愛情だということを 描くドラマである。

 暗いことが多い 世の中だが、

 それを乗り越えていく 希望や力を感じ取ってもらいたい。

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 以下、 ストーリーは 下記の記事から連載しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/41907944.html
 

「車椅子社長の猛烈ケアビジネス」 企画書 (1)

2009年04月19日 14時44分45秒 | 車椅子社長/無意識の彷徨/コンビンサー
 
(※ 2000年の 介護保険制度が施行されるときに 書いたものです。)

[企画意図]

 本格的な高齢社会を迎え、

 介護の問題は 誰にとっても 避けて通れないものになってきた。

 個人が 辛い重荷として背負わずに、

 社会的にシステムとして 支え合っていくことが肝要だ。

 「介護」 「福祉」 という言葉には、

 人の役に立つとか 高邁な慈善事業とかいう 罠がある。

 しかし 健全な利益がなければ、 ビジネスとしての介護は 成り立たない。

 利益があってこそ 次の活力が生まれ、

 さらにサービスを 提供することができる。

 それが 利用者のためにもなる。

 儲けなくして 優しいサービスは続かないのだ。

 介護ビジネスは 生き残るため命懸けの 真剣勝負である。

 金儲けと 心のこもったケア、

 一見矛盾する ふたつの葛藤を このドラマでは描いていく。

 当の家族にとって 介護は切実な問題だ。

 一人で抱え込むのではなく 人の力を借り、

 時には 気を抜くことも重要だし、 スキルも必要だ。

 それまで元気だった親などの 老いた姿を見るのは 辛いことではあるが、

 ありのままに受け入れ、 「共にある」 ということを 何よりも大事にしたい。

 やはり一番大切なのは、 お互いの愛情なのだ。


 主人公の新米介護福祉士・ 美由は、

 お年寄りとの思いやりのある 理想的な触れ合いを求めて、

 介護会社に入ってきた。

 ところが、 障害者で車椅子の社長・ 不動は やくざまがいの風体で、

 介護をビジネスとして割り切る 尊大で貪欲な男だった。

「 従来の 公平なバラマキ福祉が 財政を食いつぶした。

 介護は競争の時代だ 」

 そう言って憚らない、 儲け主義の不動。

 美由は不動に反発し、 自分の 理想の介護を求める。

(次の記事に続く)
 

ヘルパー講座

2009年04月18日 15時21分07秒 | 介護帳
 
 実は今、 ホームヘルパー2級講座を 受けています。σ (^^;)

 週1回、 おとといで4回目でした。

 バイトも その場凌ぎのものではなく、

 これからずっと 続けていけるものとして、

 介護の仕事をやりたいと ずっと前から思っていました。

 仕事先を探してもいましたが、

 資格がないと なかなか条件の合う 所がないんです。

 働き先で受講料を負担してくれる

 「資格取得支援制度」 がある所もありますが、

 それも 条件が合わなかったり、 なかなか難しいのです。

 昨年暮れから 色々と状況の変化があり、

 この機会に 受講することにした次第です。

 施設での実習も含め、 資格取得まで 3ヶ月ほどかかります。

 レポートもありますが、 それはどうにか こなしました。

 テキストは4冊 (約1300ページ) もあって

 全て読むことは無理ですが、 必要なところを 読んでいこうと思います。


 もう20年近くも 前のことになりますが、 当時 日活から、

 アルツハイマーを題材にした 話をかけないかという 依頼があって、

 そのとき日活の費用で、 何ヶ所かの老人ホームで 研修をしました。

 岐阜のサンビレッジ新生苑など、

 少なくとも当時 日本一のケアをしていた所でも 研修しました。

 その後、 僕はホスピスなどの勉強を 長い間し、

 患者さんに対して  「受容」 や 「傾聴」 することを 学びました。

 日記にも書いた 僕の最大の挫折の時期、

 毎晩 僕の身の上を 聞いてくれた友だちによって 命を救われた体験から、

 僕は 「受容」 「傾聴」 の重要さを 身をもって知ることができたのです。

 そして実際に、 脳出血で倒れた 母親の介護の体験もし、

 介護は身近で 自分に合っていると思っていたのです。


 その後も 介護をテーマにした ドラマの企画書を書き、

 ブログにも掲載してあります。

 明日の記事に ドラマの企画意図を掲載してみます。
 

「DESC法」 (3) 訂正

2009年04月17日 21時01分47秒 | 「BPD家族会」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/58464155.html からの続き)

 「DESC法」 の説明に対して ミクシィでコメントをいただき、

 間違いがあったことが分かったので、 訂正します。

 「C: 結果の示唆」 ですが、

 ちょっと僕が 資料を読み落としていました。

 正しくは、 「提案 (要望) を 受け入れてもらえた場合、

 受け入れてもらえなかった場合、 それぞれに対する、

 自分が次に取る行動を 予め考えておき、 結果を示唆する」 ということです。

 「 『次に』 取る行動」 であって、

 「提案を受け入れられないことが続くと、 いつかそうなるかもしれない」

 ということではありませんでした。

 僕はエクササイズで、

 心子から電話で 長時間責められる 「事実の描写」 について、

 「電話の時間を 30分までにしてもらえないか。」 という 「提案」 をし、

 「結果の示唆」 として、

 「ダメだとしたら、 そのうち 僕も限界を超えて、

 付き合えなくなってしまう。」 と書きました。

 実は僕自身 これは気になっていました。

 自分としては正直な 結果の予想でも、

 相手にとっては 脅しのようになってしまう。

 特にボーダーの人は それに敏感だから、

 こういう言い方は 適切なのかどうかと。

 「BPD家族の会」 の主催者の人に 聞いてみたところ、

 上記のように 「結果の示唆」 は、

 「 『次に』 取る行動」 であることが 分かった次第です。

 提案を一度拒否されただけで 付き合えなくなるということは ありませんから、

 このような言い方は する必要はないわけですね。

 そして、 「受け入れられなかった場合の 結果の示唆」 をして、

 それでダメだったときは、 「S」 の 「提案する」 に戻り、

 また別の 提案をしてみるということです。

 それで解決策 ,妥協策を 求めていきます。

 心子の電話に対する  「結果の示唆」 としては、

 「僕は とても苦痛に感じながら 電話の相手を しなければならない」

 というようなことでしょうか。

 そして 新たな提案として、

 電話の時間や頻度の 落とし処を探していく ということになるのでしょうか。

 コミュニケーションが疎遠になると 両者が疑心暗鬼になっていくので、

 それを打破するのに DESCは有効だそうです。
 

「DEAR MAN」 法 (2)

2009年04月16日 23時49分10秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

R: 要望に対して、 相手が肯定してくれたとき、 相手が得るものを話す。

  相手が答える前に、 自分の要求に応じてくれた 相手に報いる。

  有益なことで 相手を強化する。

  「良い悪い」 「正しい間違っている」 ではなく、

  結果によって 行動が左右される。

M: 心の動きに集中する。

  自分の目的に集中する。

  その状態を維持して、 別の話題に 気を取られないこと。

  「壊れたレコード」 のように、 自分の訴えを 何度も繰り返し表現する。

  相手の非難や脅し, 話題を変えようとすることは 無視する。

  話の主導権を 相手に渡さない。

  別の話題は 今の課題が終わってからにする。

A: 自信を持つ。

  自信に満ちた 口調で話し、 適切に視線を合わせる。

  口ごもったり、 下を向いて 小さい声で話したりしない。

  要望に対して 敬意を払われるのに 相応しい人間だという 感覚を養う。

N: 交渉する。

  別の解決法を 提案したり求めたりする。

  何かを得るためには、 相手に何かを与えたり、

  自分の要求を 減らしたりする。

  ノーという答は 変わらなくても、 他にできることを申し出る。

  問題を相手に返して、 相手に解決策を求める。 (形勢を逆転する。)

 ( 交渉は 「DESC法」 が うまくいかなかった時にする。 )