「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「ぼくはうみがみたくなりました」[ぶどう社](2)

2006年04月30日 10時39分20秒 | 心理
 
 レインボーおやじさんの息子・大輝くんは淳一よりも重症で、実際にはもっと大変なことが沢山あったのだろう思います。

 日頃の文章などからもそういうことを表には感じさせないのが、レインボーおやじさんの人柄なのでしょう。

 僕などはどうしても深刻に描いてしまう性癖があって、それが読者に抵抗を感じさせることもあるのかも知れないのですが。

 若い男性が淳一に食ってかかるシーンがありますが、現実にはそのように悲しいでき事が一杯あるのではないかと思います。

 個人的には、自閉症の人や家族の苦労,周囲の人の無理解によるトラブルの実態などを、もっと知りたいとも思ったりしてしまうのですが。

 でもそういうことをも、苦労とは思われないのがレインボーおやじさんなのかも知れません。
 

 淳一が園長たちをボートの所へ連れて行き、渡し舟に乗せるエピソードでは、一般人には知られない自閉症の人の優しさや純粋な気持ちなどが、感動と共に伝わりクライマックスに向かってきます。

 自閉症の人は新しいでき事に対応するのが苦手なのだと僕は思っていたのですが、このようなこともありうるのかもしれません。

 レインボーおやじさんは、あってもいいんじゃないかという気持ちも込めて書かれたそうです。

 大輝くんへのレクイエムともなった「ぼくはうみがみたくなりました」ですが、関心のある方は読んでみてください。
 
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みどりの日

2006年04月29日 18時31分06秒 | Weblog
 
 4月29日「みどりの日」には思い出すことがあります。

 僕のお袋は脳出血で倒れて、片麻痺の要全介助となり、3年間の入院生活の末、肺炎を併発して帰らぬ人となりました。

 その間、親父は足しげく病院に通い、お袋の面倒を見ていました。

 入院の経済的なことや事務的なことその他、親父が主導で世話をしていました。

(僕もできる限り病院や実家に足を運んで、お袋が元気だったときよりずっと共に時を過ごしたり、また親父の食事の支度などもしていました。)

 お袋が亡くなってからしばらくして、親戚の人たちが親父を慰労する会を開いてくれました。

 それが奇しくも4月29日の「みどりの日」でした。

 親父に支えられて逝ったお袋の名前は、稲本みどり……。
 

 お袋が永眠して3年後、親父もがんでお袋の後を追うようにしてこの世を去りました。

 それは、心子が旅立ったのと同じ年のことでした。
 
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「ぼくはうみがみたくなりました」[ぶどう社](1)

2006年04月28日 19時21分14秒 | 心理
 
 きのうの記事(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/33025085.html)に書いた、元シナリオライターのレインボーおやじさん作の、自閉症の少年を主人公にした小説です。

 とても優しい空気の漂うお話で、自閉症の理解へといざなう作品です。

 レインボーおやじさんらしい柔らかい心が全編を包み、暖かい気持ちになれました。

 僕にはなかなか書けない世界です。

 ロードムービー風な流れを縦糸に、三崎から城ヶ先あたりの風景もムードを盛り立てています。

(僕の父母のお墓が三崎なので、付近の情景は目に浮かびます。)

 主人公の自閉症の少年・淳一のモノローグが随所に散りばめられ、自閉症の人の内心が分かるようです。

 無垢な口ぶりが好ましい印象を与えてくれます。

 この内心の言葉のお陰で淳一に感情移入ができ、“変わった存在”の少年を第3者から見るという構造を免れています。

 好きだった人の死をきっかけに看護師になろうと思った(それも重大な志からではなく)、明日美の視線で描いているのは秀逸な構成だと思います。

 普通の少女が自閉症を理解していく経緯が描かれて、共感できるし分かりやすいものだと感じました。

(続く)
 
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星になった自閉症の少年

2006年04月27日 17時52分09秒 | Weblog
 
 僕の知り合いの元シナリオライターの人(ハンドルネーム「レインボーおやじ」)は、息子の大輝(ひろき)くんが重い自閉症で、大輝くんのためにシナリオライターをやめて、自閉症児の施設を運営しています。

(昨年11月29日の記事でも紹介させてもらいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/17899718.html
 「境界に生きた心子」の感想も書いてくださっています。)

 散歩が好きな大輝くんですが、3月28日、散歩中に電車の踏み切りの中に入り、何とも悲痛なことですが、電車にはねられて亡くなってしまいました。

 レインボーおやじさんのブログに、大輝くんの逸話がつづられています。
http://bokuumi.cocolog-nifty.com/

 状況にうまく反応することが苦手な自閉症の子ですが、こういう事故の危険性もあったのかと、胸が痛みました。

 いつもにこにこしていた、15年間の人生だったといいます。

 実は、きのうおとといと心子の最後の様子の記事を書いたのは、大輝くんの最期に誘われてのことでした。

 事故と自死では全く事情が異なりますが、抱えていた障害のためだったことはつながっています。

 きっと今、心子は大輝くんとも会っているだろうと思います。

 二人とも微笑みながら僕たちを見守ってくれていることでしょう。
 
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心子の“旅立ち”

2006年04月26日 19時33分53秒 | 心子、もろもろ
 
 心子は、ホテルの最上階で最高級のペントハウスに泊まり、最後の夜を過ごして、夜明けに宙に舞ったのです。

 現場のホテルを目の当たりにすると、やはり痛ましく、いたたまれない気持ちがこみ上げてきました。

 でも、僕は彼女が「旅立った」のだと思っています。

 苦しみも悲しみもない世界へ、ちょっと魂を休めに……。

 彼女は、辛いことばかり多かったこの世で、力の限り生き抜いたのです。

 本当に精一杯頑張った、よくやったね、と言ってあげたい……。

 そして、苦しんだ分だけ、この次はいつの日かきっと、もう少し幸せな、生きやすい人生に、生まれ変わって来てほしいと思います。

 ホテルの近辺には、色鮮やかなつつじが咲き乱れていました。

 花々が咲いては枯れ、また再び華開くように、人も命を繰り返すのでしょう。

 その時、また心子と逢えたら、なんて……。
 
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心子が舞い降りた場所

2006年04月25日 21時55分18秒 | 心子、もろもろ
 
 心子は、Oホテルの最上階から飛び降りました。

 正面入り口の大きなひさしの上に落ちたのです。

 僕はその翌日ホテルを訪れた際、心子が身を投げた大体の位置を、ひさしの下から見上げながらホテルの人に聞きました。
(その下あたりの地面に白い花を供えました。)

 彼女が泊まったペントハウスはホテルの最上階ですが、その階だけ壁面が奥まっているため、地上から見上げると死角になってしまい、ペントハウスは下からは見えません。

 また、ホテル内に入って階上から入り口のひさしを見下ろそうとすると、各階の小さなひさしにさえぎられて見ることができません。

 もちろん、彼女が泊まった部屋に入って下を見ることもできません。

 心子が横たわっていた位置は、元々大まかだったうえ、地上からもホテル内からも、とても確認しにくいわけです。

 彼女が最後の夜を過ごした部屋の 階下の廊下の窓から見て、彼女が旅立ったのはこの辺りだろうと、今まで推定していた場所がありました。

 しかしその後、ホテルの内外を2往復ほどして見直してみた結果、その位置に2~3mのずれがあるようだと気付いたのです。

 また、第一発見者はホテルの向かいのマンションの住人と聞いていますが、実は発見者のマンションは、これまで思っていたビルの隣らしいことも分かりました。

 それまでホテルには何度も足を運んでいたのですが、ずっと思い違いをしていたことになり、何とも不覚なことでした。

 でもそんな僕に免じて、心子が別れを告げた場所を教えてくれたのかもしれません。

 彼女の最期のときに少しでも近づけた気がします。

 「マー君らしいね」

 そんな心子の微苦笑が見えるようです。
 
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目次/参考文献

2006年04月24日 20時23分11秒 | 「境界に生きた心子」
 
【目次】

 プロローグ
 六年越しの再々会
 トライアングル---迷走の行方
 愛の始まり---天国と地獄
 境界性人格障害
 万華鏡
 苦しみ、いとおしく
 心身の増悪(ぞうあく)
 解離
 分裂
 子供の人格の出没
 壊れて、笑って、そして……
 自死
 心の真実
 エピローグ

  「境界性人格障害」について
 

【参考文献】

「ボーダーラインの心の病理」町沢静夫(創元社)1990
「ボーダーライン」町沢静夫(丸善ライブラリー)1997
「境界例」河合隼雄,成田善弘(日本評論社)1998
「境界例と自己愛の障害」井上果子,松井豊(サイエンス社)1998
「境界例の治療ポイント」平井孝男(創元社)2002
「人格障害かもしれない」磯部潮(光文社新書)2003
「境界性人格障害=BPD( ボーダーライン・ パーソナリティ・ ディスオーダー)」
 ポール=メイソン,ランディ=クリーガー/荒井秀樹,野村祐子,束原美和子 訳
 (星和書店)2003
「魂(こころ)の穴」山口麗子(文芸社)2003
「多重人格……でも私はママ」宇賀直子,秀人(ぶどう社)2003
「パーソナリティ障害」岡田尊司(PHP新書)2004
「境界性人格障害のすべて」ジェロルド=J=クライスマン,ハル=ストラウス
 /白川貴子 訳/星野仁彦 監修・解説(VOICE)2004
 読売新聞・医療ルネサンス「境界性人格障害」「続・境界性人格障害」2003
「境界例と自己愛の障害からの回復」http://homepage1.nifty.com/eggs/
 
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心子の花を買う花屋さん

2006年04月23日 18時20分02秒 | 心子、もろもろ
 
 今月は、月命日の17日には都合でお墓参りに行けなかったので、きのう行ってきました。

 例によって、お墓の最寄り駅の花屋さんで鉢植えを買いました。

(昨年暮れから店主が変わって改装オープンしたお店です。)

 2月22日の記事「誕生日のお墓参り」に、店員さんとのちょっとした会話を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/26409964.html

 きのうはその時と同じ店員さんが応対してくれました。

 すると店員さんのほうから、

「この前、お墓に供えると言ったお客さんですよね?」

 と話しかけてくれて、嬉しい思いがしました。

「ええ、よく覚えてますね」

「記憶力はいいんです。印象に残ってたのかな (^^) 」

 心子もすごい記憶力の持ち主でした。

 若い女性の店員さんですが、僕のことを覚えてくれたので、今度は心子の話なども出るかもしれません。

 「境界に生きた心子」を紹介して、読んでくれたらラッキーですね。 (^^;)
 
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コミックのデジタル利用契約書

2006年04月22日 10時34分55秒 | Weblog
 
 小学館から「デジタル利用等に関する契約書」というものが来ました。

 小学館では過去のすべてのコミック単行本をデジタル化させ、インターネットで配信していくということです。

 2月4日の記事「生死命(いのち)」で紹介させてもらいましたが、
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/24725922.html )

 僕は小学館から「生死命(いのち)」というコミックを出しているので、それをデジタル化するための契約書です。

 現在ヤフーなどでも、インターネットからコミックをダウンロードすることができますが、一昔前なら思いもよらなかった契約ですね。

 絶版になったものでも新たに読者の目に触れる可能性も出てくるでしょうから、ありがたいことです。


 新刊本の激増、書店数の減少、新古書店の台頭などによって、コミックが長期間店頭に並びにくくなっている現状のなか、既刊本をデジタル化して配布していく事業です。

 小学館ではパソコンや携帯電話でのコミック配信、それからオンデマンド出版を展開していくそうです。

 オンデマンド出版というのは、コンピューターに蓄積してあるコミックのデータを、注文を受けてから高速印刷、製本するというものです。

 本当に技術の進歩とともに、メディアの形態も次々と多様化していきますね。

 事業としてもですが、文化の継承という意味でも有意義なことだと思います。
 
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心子のまぶたに……

2006年04月21日 22時35分51秒 | 心子、もろもろ
 
 ある日、心子の両まぶたに小さな傷跡ができていました。

「どうしたの?」

 僕が聞くと、一瞬ためらって心子は答えました。

「……カッターで刺したの。

 世の中、汚いことばっかりだから、何も見えないほうがいいと思って。

 血がドバァー」

 僕は落胆して、ため息をついてしまいました。

「もう、そんなことしないで……」

「だって絶望しちゃうんだもん」

 寝ても覚めても、心子は死と隣り合わせのなでした。
 
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ギョーザの思い出

2006年04月20日 17時27分54秒 | 心子、もろもろ
 
 帰り道のスーパーで連日ギョーザを安売りしていたので、通る度に買い込んで、毎日ギョーザを食いました。( ^^;)

 僕は学生時代、京都の「王将」でギョーザの味を覚えました。

 実はギョーザにはちょっと思い出があります。

 心子と一緒に一番最後に食べたのがギョーザだったのです。

 拙著に書いたように、心子は醤油に酢、僕は「王将」で覚えたラー油で食します。

 お互いに相手の食べ方を「田舎者」と言って笑いました。

 その時あいにくラー油を切らしていたため、熱した油に唐辛子を入れて、その場でラー油を作りました。

「自分でラー油作る人、初めて見た」

 と彼女に言われました。( ^^;)

 実は僕も実際にラー油を作ったのはその時が初めてでした。

 その日、笑って別れたのが、心子を見た最後になってしまいました。

 ギョーザを食べるのは、今もちょっぴり切なく懐かしい気がします。
 
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心子のエッチドレス? 

2006年04月19日 19時39分10秒 | 心子、もろもろ
 
 心子と付き合っていたとき、彼女の誕生日をレストランで食事して祝いました。

 ほんの安い物しか買えませんが、心子に指輪をプレゼントしました。

 心子は、親友であるミイちゃん(アメリカ育ち)の、顔なじみのフランス人が営むブティックで、あでやかなドレスを買って、

 誕生日のこの日に、実は僕を驚かせるつもりでいたのだと言いました。

 胸がざっくりと開き、スカートにスリットが入った薄いドレスで、

 下着の線が出ないようにするため、ドレスの下には何も着けないのだといいます。

 ホントーか?(・_・;)

 フランス人の店長は、「彼は燃えるぜ」と言ったそうです。

 ところが誕生日の朝、心子がうきうきしてドレスを着ると、胸のボタンがきつくて締まりません。

 ドレスを買ったときより胸が大きくなってしまっているのです。

「マー君(σ(^^;)のことです)が揉むから……」

 心子のバストが豊かになったのは、内心僕も感じていました。

 ドレスのボタンははじけて飛び、どこかへ行ってしまったそうです。

 心子は泣いてミイちゃんに電話をしました。

「Help me! It's happening! 誕生日、だめになっちゃった……」

「どうしたの? またマサユキと何かあったの?」

 心子はいきさつを述べましたが、ドレスは特別あつらえなので、ボタンの位置を付け替えることはできないとのこと。

 ドレスを返品できたのはラッキーでしたが、結局誕生日の“悩殺大作戦”は不発に終わりました。 (^^;)

 でも、心子は僕が贈った指輪を喜んでくれて、指にはめてしみじみと眺めていました。

 心子はもう一人懇意にしている男性が遠方にいて、以前、三十万円するルイ・ヴィトンのブレスレットをもらっていました。

 僕と会わないときは心子はそれを付けていたのですが、僕が指輪をプレゼントしてからブレスレットをしなくなりました。

 友達に言われたそうです。

「三十万円、負けたかぁ」
 
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猿のもんち

2006年04月18日 16時15分19秒 | 心子、もろもろ
 
 心子は「もんち」という猿のぬいぐるみと年中一緒にいました。

 外出するときも必ずもんちを抱くか、バッグの中に入れて歩きます。

 心子と知り合った当初は、いい年をして困ったもんだと思っていましたが、

 もんちは心子にとって単なるぬいぐるみではありませんでした。

 寂しいとき、辛いとき、心子はもんちを抱いて泣き寝入りしたといいます。

 もんちには心子の涙が一杯染みついて薄汚れていましたが、心子はそれを洗おうとしませんでした。

 もんちは朝な夕な心子の横にいて、彼女を慰めてくれたのです。

 もんちは心子にはなくてはならない格別の存在でした。

「もんちは天使」

 心子はそう言っていました。

 もんちを生きているものとして扱い、食事のときもまず先にもんちに一口食べさせ(る真似をし)てから自分が食べます。

 心子にはそんな仕種が似つかわしいのでした。

 あるとき送られてきたメールです。

<苦しいヨォ! 逢いたい! アーン寂しい(稲本幼稚園・年少タンポポ組 しんこ&もんちより)>
 
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四谷の花見

2006年04月17日 20時00分32秒 | 心子、もろもろ
 
 先日は友達と四谷の桜並木を見て歩きました。

 四谷は僕にとって馴染み深い場所です。

 実は心子と最初に出会ったのも四谷でした。

 当時、四谷の上智大学の構内で行なわれていた、「サイコドラマ」というワークショップです。

(「サイコドラマ」については、下記TBの記事参照。)

 「サイコドラマ」に参加する以前から、僕は上智の「生と死を考える会」という、ホスピスや生命に関する会に深く関わっていました。

 ここから人間関係も広がり、とても多くのことを学んだ会です。

 心子も一度だけ、この会のセミナーに僕と一緒に参加したことがありました。

 また、僕が数年間バイトをしていた居酒屋も偶然四谷でした。

 拙著にも書いたエピソードで、心子は親友のミーちゃんと二人で居酒屋に遊びに来たいと言ったことがありました。

 そのときは残念ながら見送ったのですが、そのミーちゃんは実在した人だったのかどうか、今では永遠に分からなくなってしまったのです。
 
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心子、田舎娘を大熱演

2006年04月16日 18時20分57秒 | 心子、もろもろ
 
 一生懸命やることが何故か滑稽になってしまう心子ですが、こんな小話もありました。

 中学の学芸会、心子は村娘でワンシーンだけの端役でした。

 ダムに沈む村に向かって「おっとう、おっかあ……!」と叫ぶのです。

 心子はやり始めたら何でも徹底的にやります。

 夜も家でセリフの練習を積み、町中の店を探し回ってモンペを見つけてきました。

 学芸会の当日は、校庭の土を顔に塗って、どこから見ても田舎娘という出で立ちを作り上げました。

 他の生徒はジャージ姿でお茶を濁しています。

 本番、心子が舞台に飛び出してきました。

 観客は仰天しました。

「本物が来た!?」

 チビの心子が履いているのは大人用のモンペ、下半身ばかりデカくてまん丸に膨れ上がっています。

 会場は爆笑の渦に包まれました。

 でも自分の世界に入り込んでいる心子はちっとも気が付きません。

「おっとう、おっかあ……!」

 迫真の演技で涙にむせんで呼ばわり、グスッと鼻をすすり上げます。

 観客は床を踏み鳴らし、椅子をひっくり返さんばかりに笑い転げました。

 そして劇が終わり、心子はカーテンコールで両手を一杯に広げて挨拶をしました。

 一度やってみたかったというのです。

 大受けの拍手喝采でした。

 そのあとで、心子は友達から会場の反応を聞き、顔から火が噴き出しました。

 そのことがあってから、心子は何かにつけてこの件で友達にからかわれ、ネタにされたといいます。

 以来、学芸会のでき事は心子の“トラウマ”になり、今まで誰にも言えなかったそうです。

 でもやっと僕に話すことができました。

 “トラウマ”が癒えたのでしょう。

 よかったよかった。 (^^)
 
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