「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 第3回集中審理 (5)

2007年09月22日 13時16分59秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50249554.html からの続き)

補足です。

一昨日の記事で、取り調べ過程に 供述の強要があったと、

今になって 弁護側が述べてきたのを 訝る旨を書きました。

まず 事実の主張をしてから、その事実誤認の経緯を 訴えるという、

司法上の段取りのルールが あるのだろうかとも考えましたが、

やはりそうではなく、訴訟の方針として 不適切だそうです。

 元最高検察庁検事の 土本武司氏によると、

取り調べに問題があると 指摘するなら、

真っ先に争点に するべきことだといいます。

しかし最近、不当な取り調べによる冤罪事件が 続けて明るみになり、

裁判所も 今なら冤罪に目を向ける という計算ではないか、というのです。
 

 ところで、会見で涙を見せた 弁護士ですが、

最も泣きたい立場である 本村さんが 冷静で毅然としているのと、

全く対照的な 姿でしたね。

プロである弁護士が ああいう場で涙を見せては、

立証活動そのものの 信頼を損ねるという 意見もありました。



 関係ない余談です。

今回の集中審理の 報道を見ていて、

TVに出る テロップが間違っているのが 目に付きました。

例えば、本村さんが 「無辜 (むこ) の人間が殺され~」 と言ったのに、

テロップは 「無垢 (むく) の人間」 と出ていました。

無辜は 「無実」 という意味ですが、

担当者やプロデューサーは その言葉を知らなかったのではないでしょうか。


もし、汚れがないという意味の 無垢ならば、

「無垢の」 ではなく 「無垢な」 でなければなりません。

 また、某氏が 「被告は増上慢 (ぞうじょうまん) になっている」

と言ったのに対して、

「増長マンになっている」 というテロップが 付いていました。

増長しているヤッターマン みたいなもんなのか?

 「助長する」 を 「増長する」 と言ってた人もいたし、

本村さんの意見陳述の 「天網恢恢 (てんもうかいかい)、疎にして漏らさず」を、

「天網恢、恢疎にして漏らさず」 と読んだ ナレーターもいました。

テレビ関係者は、もっと言葉を 勉強してほしいもんです。

それに比べて 本村さんは、「造り花に匂いなし」 とか、

「弁をもって 非を飾ることはできない」 「水に描く如く」 など、

とても 文学的に豊かな 表現をされるのに感心します。
 


光市母子殺害事件 第3回集中審理 (4)

2007年09月21日 11時26分22秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50232653.html からの続き)

 検察側の 法医鑑定人の 証言がありました。

 元少年が 逆手で弥生さんの口を 押さえようとして、

手が滑って 首を絞め 死なせてしまったというのは、

被害者が 必死に抵抗するなか、現実的にあり得ない と述べました。

 だから殺意を持って、執拗に絞殺したという意見でしょう。

ちなみに、僕は 日本の裁判の精密司法に 与する考えで、

弁護側・検察側 双方の主張を、厳密に 精査しなければならないと思います。

 しかし 来る裁判員制度だとしたら、

この事件は こんな複雑な成り行きにはならず、

短時間で 結論が出るような 事件だったのでしょう。

(そのため 裁判員制度では、冤罪が生まれやすいのではないか

という危惧を持つのですが、それは ここでは別の問題です。)
 

 元少年は 弁護側の質問に対しては、涙を流しながら 話したりしますが、

検察側に対しては 敵意や不快感をあらわにし、

感情の起伏が激しくて まるで別人のようだと、

傍聴していた記者は 報告していました。

 でも 意見陳述の場に立った 本村さんは、

元少年が真実を述べているとは どうしても信じられない と訴えました。

また、検察官や裁判官に対する 元少年の不遜な態度を見ると、

とても反省しているとは 思えないとも述べました。

( 検察官に 「僕をなめないでもらいたい」 と 言い放ったなど。)

それが、“生の被告” を目の前にして 見てきた、

「心証」 というものであり、

同様のことが 裁判官にも 感じられているのではないでしょうか。

(蛇足ながら、弁護団の会見では 一人の弁護士が、

「この裁判の弁護ほど、胸を張ってできたことは、今までありませんでした」

と言って、泣きだす一幕がありました。

 どうも 下手な演技なんではないかという、僕の “心証” でした。

古田の退任会見の 涙とは違うんですよね。)

本村さんと弥生さんの母親の 心底からの意見陳述は、

峻烈な被害者感情 というものを、法廷に伝えたことに なったでしょう。

被害者の感情が 重んじられるように なってきたという、

この 日本の裁判の流れも、他ならぬ本村さん自身が、

塗炭の苦しみで 切り開いてきた道だったのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50267411.html
 

光市母子殺害事件 第3回集中審理 (3)

2007年09月20日 13時46分13秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50217450.html からの続き)

元少年は 件の手紙について、

今は 不謹慎だと思っていると 述べたそうです。

「無期で ほぼキマリ。

7年そこそこで 地上にひょっこり 芽を出す。」

「犬がある日 かわいい犬と出会った。

そのまま 『やっちゃった』。

これは罪でしょうか」

という部分に対して、次のような 弁明がありました。

 前者については、

「本村さんの著書 『天国からのラブレター』 で

(7年ということを)知った。

友人から 著書を差し入れられ、その本の中に、

『少年法があるので 7年くらいで出てこられる』 ということが書いてあった。

少年法に 詳しかったわけではない。」

 それから後者。

「犬は自分のこと。

自分が当時 鬼畜と言われていて、

人間扱いされていなかったことを 言いたかった。

その反感から書いた。

弥生さんに対する 姦淫のことではない。」

 しかし、どうでしょうか? 

まず前者ですが、本村さんの著書を 読んだ後でも 前でも、

少年法に詳しくても 詳しくなくても、

手紙の文面の 意味は変わらず、元少年の不謹慎さも 変わりません。

 後者も、姦淫のことではないというのは 余りに無理がありますし、

反感から書いたということとの 関連も理解に苦しみます。

検察側質問で 「かわいい犬とは 誰のことか?」 と聞かれると、

元少年は黙り込みました。


元少年は 弁護側の質問には 流暢に、あるいは 言葉を選ぶように 訥々と、

涙を流しながら 答えていたといいます。

弁護団は 書記官に向かって、泣いていることを 記録するようアピールし、

書記官は苦笑したとか。

ところが、検察側の反対質問では 一転して、

ふてくされたような 態度を見せたり、黙り込んでしまったり。

元少年が 計画性を否認していながら、

犯行時に カッターナイフや粘着テープを所持していた 矛盾点を突かれると、

動揺し 逆ギレする場面も あったということです。

(検察官は このことを記録するよう、

書記官にアピールすれば よかったのでは? (^^;) )

 もっとも、最高裁の意見では、この事件の あまりの残忍さ故に、

計画性の有無は 問題にしないとまで 言っているようです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50249554.html
 

光市母子殺害事件 第3回集中審理 (2)

2007年09月19日 19時01分49秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50202257.html からの続き)

 今回の法廷で 元少年の態度は、前回までの審理とは 随分変わったようです。

髪を短くし、グレーのスーツという 出で立ちを始め、

遺族の立場を思う言葉を 涙まじりに述べたといいます。

また、初めて遺族に 謝罪の言葉を口にし、

キリスト教の教えも 受けているということです。

これが演技かどうかは 分かりませんが、

前回はまるで 法廷をばかにしたような 服装と態度だったのに、

弁護団は どういう指導をしていたのかと、当初から訝っていました。

 また、差し戻し審でいきなり ドラエもんやら 復活の儀式やら、

およそ荒唐無稽な 論理を展開して 世間の批判を受けるより、

初めから今回のような 話をしたほうが、

まだしも説得力が あったのではないかとも思います。

弁護団のやり方は、戦略的にも まずいのではないだろうか と思いますが、

まず最初に 事実の主張をしてから、次に、

一審二審で 事実と違う結果になった経緯を 明らかにしなければならない、

という順序があるでしょうか。

 今回の元少年の証言は、かなり 周到に組み立てられた 筋書きのようですが、

それが事実である という証拠もなく、獄中からの手紙など 矛盾もあり、

極刑が相当という 最高裁の判断を 覆すことはできるでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50232653.html
 

光市母子殺害事件 第3回集中審理 (1)

2007年09月18日 21時55分56秒 | 光市母子殺害事件
今 パソコン修理中で 書き込みを中断していましたが 〔*注〕、

 本村さんの事件の 公判が開かれたので 書かないわけにはいかず、

 無理をしてネットカフェから アップすることにしました。

 
〔*注: 僕は普段 親指シフトを使っているため、

 ネットカフェでのローマ字入力が とても非常に困難なのです。〕


被告人質問で 元少年は、強姦の意志と 殺意を否定しました。

取り調べ段階での供述は、検事に強要された ものだというのです。

その詳細についても 述べていました。

普通の人なら 少年や弁護側の方針に激怒して、

 なおさら 極刑を強く求めることでしょう。

けれども、強引な取り調べによる冤罪が 次々と表沙汰になっている昨今、

 元少年の証言が 全く嘘だとは 言い切れないかもしれません。

本村さんは 一般の人よりも ずっと冷静で、

 客観的に見つめる力を 持っています。

そのために本村さんは、

 何が真実なのか 分からなくなってきたと 困惑しています。

しかし、元少年が 獄中から友人に送ったという 手紙に書かれていた、

 あの内容は いかがなのでしょうか?

犬が かわいい雌犬に出会って やっちゃった、これは罪なのか 云々という。

以前の記事にも 書きましたが、

 元少年と弁護側は この点を明確に 弁明しなければなりません。

今回の公判でも 元少年は、

 「押しの強い エッチのつもりだった」 と言っていますが、

 これがレイプでないというのは 相当無理のある話でしょう。
 

折しも、本村さんと 在りし日の弥生さん,夕夏ちゃんの姿を 描いた映画、

 「天国からのラブレター」 が 公開されました。

この映画には 加害者や裁判のことは 出てきません。

それは 本村さんの希望だそうで、映画によって

 加害者たちを 断罪したいのではなく、命の大切さを 訴えたいというのです。

(また恐らく 本村さんにとって、

 役者が 元少年の犯行や その後の態度を演ずるのを 見るのは、

 また日本中の人に見られるのは、とても耐え難い ことだろうと思います。)

僕もぜひ 観たいと思っていますが、何とも切ない 映画なのではないでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50217450.html



「フリーダム・ライターズ」 (2)

2007年09月13日 18時06分05秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50088751.html からの続き)

 エリンは生徒たちに、

 「アンネの日記」 などを 教材として読ませようとします。

 しかし学校側は、彼らに それを読む読解力はなく、

 本を捨てられるだけなので 予算は出せないと言います。

(因みに 僕は高校の英語の授業で、「アンネの日記」を テキストとして読んでいて、

 適切な教材だと 思ってました。)

 エリンは 資金調達のために、勤務後 ブラジャーの販売員をしたり、

 ホテルの接客係のバイトをして、自腹で 生徒に本を与えます。

 それから 一人ずつに日記帳を渡し、何でもいいから 「書く」 ことを求めます。

 すると 生徒たちは、胸の中に閉じ込めていた 様々な辛い体験を、

 吐き出すように 書きはじめたのです。

 また、エリンは生徒たちを ホロコースト博物館へ連れて行き、

 その凄惨な 歴史を学ばせます。

(もちろん費用は エリンの自腹。

 しかし、バイトのために エリンの夫は置き去りにされ、

 夫婦関係は崩れる 葛藤に苛まれます。)

 生徒たちは、ホロコーストで 自分たちよりも凄惨な 虐殺を受難して

 死んでいったユダヤ人や、幼い子供たちの姿を 目の当たりにして、変わってきます。

 彼らは 持っていた銃を捨て、自分を見捨てた 母親に自ら会いに行き、

 そして 人種対立を超えて 真実の証言をし……。

 彼らは次第に 読解力や書く力を 身に付けていき、

 自分を見つめ、初めて 将来を展望していきます。

 教室は 彼らの唯一のホームに なっていくのです。

 生徒たちが書いた日記は 本として出版され、

 今も ベストセラーになっているといいます。

 「書く」 ことによって、心を開き、信頼し合い、

 どん底にあっても 「変わる勇気」 を、彼らは 手に入れていったのです。

 そんな希望を 与えられた作品でした。

 日本の教育現場でも、こういうことを 実現していくことはできないでしょうか? 
 

「フリーダム・ライターズ」 (1)

2007年09月12日 22時59分11秒 | 映画
 
 アメリカのハイスクールでの 実話を元にした映画です。

 舞台は ロス暴動直後の ロサンゼルス郊外。

 貧困層の子供たちばかりが 集められた、最低レベルのクラスに、

 新米の国語教師・エリン (ヒラリー・スワンク) が赴任します。

 生徒たちは すさんだ環境の中で、

 黒人,ヒスパニック,東洋人,白人、人種ごとに別れて 対立しています。

 子供のときから 暴力とドラッグの中で育ち、学習意欲もなく、授業にもなりません。

 校長たちも このクラスのことは、手に負えないと諦めています。

 しかし 理想と情熱の塊の エリンは、

 体当たりで 生徒たちの中に 入り込んでいくのです。

 ある日、ゲームの形を借りて エリンは生徒たちに 質問していきます。

「銃を 突きつけられたことのある人」

「友達や親類に ギャングがいる人」

「友達や親類を ギャングに殺されたことがある人」

「2人 殺された人」

「3人 殺された人」………

 これらの質問に、クラスの ほとんどの生徒が イエスの答を示します。

 それほど 悲惨な境遇にいる 子供たちなのです。

 そして 生徒たち自身も、対立していた 人種の異なるクラスメートが、

 自分と同じ苦しみを 抱えているのだということを知ります。

 彼らの心に 変化の兆しが生まれます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50102537.html
 

「TOKKO -特攻-」 (2)

2007年09月11日 22時33分38秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50045697.html からの続き)

 日本軍の窮状は 惨たんたるもので、燃料タンクを作る 鉄もないため、

 竹を編んで 和紙を貼り、漆を塗って ガソリンの漏れを 防いでいたといいます。

 ガソリンには 松やにを混ぜていました。

 こんな貧窮した状態で、物資も武器も 大量に保有するアメリカに 勝てるわけがない。

 それでも彼らは、天皇や国のためではなく、

 自分の家族や 愛する人を守るため、敵艦に突っ込んで行ったのです。

 しかし、敵の空中放火をくぐり抜けて 敵艦まで辿り着くのは、10機に1機、

 しかも 敵艦の中心部に命中するのは 僅かだったといいます。

 命が 紙屑のように扱われ、終戦になっても 何の保証もなく、

 特攻隊員は 生き残った罪悪感に苛まれています。

 彼らは 元特攻隊であったことを、家族にさえ話さず生きてきました。

 何も誇れることでは なかったのです。

 モリモト監督は、観る人と同じ視線で 映画を作っていきました。

 そして邪悪な神風が、実は 戦争に翻弄された、

 自分たちと同じ 生身の人間であることを 知っていくのです。

 特攻隊員たちもまた、鬼畜米英という教育を 受けてきて、

 相手を人間だとは 思っていませんでした。

 戦争はそのように 人の心を歪めてしまいます。

 この作品もまた、アメリカ人の手によって作られ、

 世界の人に観られることに 意義があるでしょう。

 この映画は、生存者たちのインタビュー映像に、戦時中の日米の記録フィルム,

 時にはアニメも交え、観る者を 戦禍の中へと引き込んでいきます。

 BGMと共に、卓越した構成で 我々の精神に訴えかけてきます。

 世界が テロの脅威に向き合い、平和憲法の見直しが 語られる現代、

 戦争と平和の意味を 考える手がかりとなってくれる 作品でしょう。
 

「TOKKO -特攻-」 (1)

2007年09月10日 21時55分50秒 | 映画
 
 「ヒロシマ・ナガサキ」 に続いて観た、

 日系アメリカ人監督による ドキュメント戦争映画、

 大分 間が空いてしまいましたが、引き続いて感想を書きます。

 一般のアメリカ人が抱く 「神風」 のイメージは、

 9・11の犯人や 自爆テロと全く同じです。

 この映画の監督 リサ・モリモトも、最近まで そう思っていたといいます。

 ところが、亡くなった自分の叔父が、元特攻の訓練を受けていた

 ということを知って、信じられない思いにとらわれます。

 叔父は優しくてセンスがあり、およそ神風のイメージとは 極にある人だったのです。

 そして彼女は、日本に特攻隊の生き残りが いることを知り、

 彼らに取材する 旅に出ました。

 一方で、特攻隊に沈められた戦艦の 生存者である元米兵への インタビューを交え、

 神風の実態に迫ります。

 プロデューサーは、日本育ちのアメリカ人、リンダ・ホーグランドです。

 日系アメリカ人のモリモト監督との コンビで、初めてできた作品かもしれません。

 それまでの特攻隊の印象は、死を何とも思わぬ、

 狂信的な モンスターのようなものでした。

 ところが、実際に特攻隊の生き残りの人に 会ってみると、

 真面目で 涙もろい人だったり、気さくなおじさんだったり、

 英語の勉強をした 実業家だったりします。

 そして、誰しも 自ら死を望んでいたのではなく、上からの命令でやむを得ず、

 死の恐怖と闘いながら 飛び立って行ったのでした。

 死にたくない,生きたい、そういう気持ちを 胸にしまい込んでいたのです。

 また 飛行兵たちは、アメリカの電波も 傍受できるため、

 戦況が 大本営発表と異なることも 知っていました。

 この戦争は 絶対に負けると思っていました。

(続く)
 

抗うつ剤で 自殺願望

2007年09月09日 18時24分32秒 | 心理
 
 読売新聞に、抗うつ剤のSSRIを服用すると、

 若い世代では 自殺の衝動を 引き起こすことがある、という記事がありました。

 因果関係は まだ不明だそうですが、

 副作用に注意しつつ 適切に服用することが大切とあります。

 SSRIは 従来の抗うつ剤に比べて 副作用が少ないため 普及しましたが、

 米英で 服用により自殺願望が起きた という報告がありました。

 65才以上では 自殺願望は低下するが、

 18~24才では 危険が高まると 警告されたといいます。

 うつ病は 脳内の神経伝達物質の バランスが崩れて、感情や思考が 低減しますが、

 抗うつ剤は このやり取りを円滑にして 活力を高めます。

 しかし 元々自殺願望がある場合、薬で気力が亢進して、

 実際に 行動に移してしまう 危険性があるというのです。

 特に若者は 脳が発達途中なので、

 衝動を抑える働きが 弱いのかも知れないということです。

 そのため、服用は 医師の指示に従って 少量から始め、

 少しずつ増量して、適量を見つけていくことが 大切と書かれています。

 特に 初めの数日が要注意で、1ヶ月過ぎれば 落ち着いてくるそうです。

 誰もが自殺願望を 起こすわけではなく、

 SSRIは患者によって 治療に不可欠なので、

 勝手に飲むのをやめて 症状を悪化させたりしないよう、

 医師と充分 相談することが大切 だということです。

 研究は日々進んで 色々な情報も出てくるので、

 惑わされず 慎重に対処していく 必要がありますね。
 

TBS役員ら 処分 (2)

2007年09月08日 21時22分34秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49988860.html からの続き)

 TBSの処分と 「ザ!世界仰天ニュース」 とを 比較してみます。

 「朝ズバ」 については、すでに 前述の記事に書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49509253.html

 「ピンポン」 と 「イブニング5」 は共に、

 人気者の石川遼選手への取材を、不当な方法で 行なおうとしたもので、

 注目度は 「世界仰天ニュース」 のボーダーの件 よりずっと高いでしょう。

 プレイヤーのプライドを 侵害したり、神聖なプレイを妨害する 不正行為は、

 もちろん 許されるものではありません。

 ただ、「仰天ニュース」 や 「朝ズバ」 と比べて、

 人身に直接の 実害はないと思います。

 「仰天ニュース」 によって 誤解が広められたために、

 ボーダーの人たちは 日々の生活にも支障をきたし、

 著しく心身を 傷つけられています。

 個人的には、「仰天ニュース」 のほうが かなり悪質で、

 ボーダー当事者の方々が 受けた被害は 大きいのではないかと思います。

 それでも 「ピンポン」 「イブニング5」 では、

 上記のように 番組担当者らが 厳格な処分を受けています。

 「仰天ニュース」 の問題は、このまま 終わらせてしまっていいものでしょうか? 

 制作者の責任は 厳しく問われるべきだと思います。

(追って、BPOに 正式な申し立てをしたいと思っています。

 事情により、すぐには できないでいますが。)
 

TBS役員ら 処分 (1)

2007年09月07日 23時06分02秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49509253.html からの続き)

 「みのもんたの朝ズバッ!」 など 番組の不祥事に対する、

 TBSの処分がありました。

 対象となったのは 「朝ズバ」 の他に、「ピンポン!」 と 「イブニング5」。

 「朝ズバ」 では、不二家が 期限切れのチョコレートを 使用したという、

 不適切な報道がされました。

 「ピンポン」 では、ハニカミ王子こと 石川遼選手の試合中の ナマ声を取るために、

 同グループで回る選手に 隠しマイクを持たせようと、盗聴未遂事件を起こしました。

 「イブニング5」 では、ゴルフ大会主催者に無断で

 取材用ヘリコプターを 飛ばしました。

 「朝ズバ」 には、既に BPO(放送倫理・番組向上機構)の

 「放送倫理検証委員会」 から、

 「見逃せない落ち度があった」 という 見解が出されています。

 今回 「朝ズバ」 には、TBS社長が 20%の減俸1ヶ月の他、

 19人の取締役が 5~10%の減俸1ヶ月,制作局長が 出勤停止3日,

 制作局情報センター長が 同2日,担当プロデューサー3人が 減俸処分。

 「ピンポン」 には、チーフディレクターの減俸,

 制作局情報センター長ら 4人をけん責。

 「イブニング5」 には、プロデューサーら 5人をけん責処分。

 計32人が 処分の対象となりました。

 境界性人格障害への誤解を助長した 「ザ!世界仰天ニュース」 と比べると、

 どうでしょうか? 

(続く)
 

うつの患者 倍増 -- キャッチフレーズ? 

2007年09月06日 18時37分40秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49948218.html からの続き)

 引き続き、読売新聞の うつ病の記事から。

 うつ病の患者数は、10年前に比べて 2倍になっているそうです。

 「心の風邪」 と言われるようになって 受診しやすくなったことや、

 診断基準が変わったことが 要因と見られています。

 ある調査では、過去1年以内に 大うつ病にかかった人は 2.1%だといいます。

 そのうち 医療機関にかかった人は 25%で、

 受診率は 諸外国に比べると まだ低いということです。
 

 ボーダーも 人口の1~2%と言われており

(体感的には そんなに多いかなという 気もするのですが)、

 うつ病と同じくらい ということなのでしょうか。

 にもかかわらず、

 うつ病が認知度が高まり、

 マスコミでも 普通に取り上げられるようになったのに対して、

 ボーダーはまだ その名前を知らない人も 少なくありません。

 ボーダーの認知の普及は、これから始まるところでしょう。

 上述のように、うつ病は 「心の風邪」 という表現が されるようになってから、

 一般にも理解が 広がりはじめました。

 ひとつのキーワードの存在というのは 大きな力を持ちます。

 「ストーカー」 「セクハラ」 などというのも、

 それまでも存在していながら 認識されていなかったものが、

 言葉ができて 概念が与えられることによって、一気に 表に出るようになりました。

(小泉内閣の支持率の高さも、一言で対立を表す 分かりやすいフレーズのためでした。)

 ボーダーは 本質的に理解されるのが 難しいものですが、

 的確なキーワードは できるでしょうか。

 「愛を求める人」、何かその辺りから 考えられるかも知れません。

 そういう言葉を作るのも 必要なことでしょうね。
 

うつへの接し方

2007年09月05日 22時02分39秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49923359.html からの続き)

 昨日の読売新聞の うつの記事の続きです。

 うつ病の人も苦しいですが、パートナーの人も また大変です。

 これも ボーダーと共通するものがあります。

 パートナーは 相手の病気を受け止め、一緒に乗り越えていこうと 決心していても、

 うつ病の人から 攻撃を受けて、人格を傷つけられることも あるそうです。

 「バカ」 「お前はダメだ」

 病気のせいだと 頭では理解しても、心の傷は癒えない ということです。

 周りの人も、うつの人がそんなことを 言うはずがないとか、

 支えてあげてと 励ますばかりで、孤立してしまいます。

 うつの人が休職していると、パートナーは 常に身近で過ごし、

 振り回されて 疲れ果ててしまいがちです。

 支えるほうの 精神状態が悪化して、倒れてしまうことも あるといいます。

 うつの人とある程度、距離を置くことが 大切だと言われます。

 働きに出ることも、物理的な距離が取れるし、経済的な助けにもなります。

 趣味の会に 参加することもいいとのこと。
 

 「 『家族力』 が うつから救う!」 (宝島社)に、

 家族の接し方の ポイントが記されています。

・病状を理解し、しっかり受け止める

・とがめたり、非難せず、ほめるよう心がける

・家族として扱い、配慮しすぎない

・社会的な支援制度を 活用する

・距離を置いて見守り、自分の生活を保つ

・時間が一番の薬。あせらず、あわてず、あきらめず。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49964143.html
 

うつ病の 「他罰的な」 新タイプ

2007年09月04日 17時42分21秒 | ボーダーに関して
 
 今日の読売新聞に、最近 うつ病に新しいタイプが増えてきた

 という記事がありました。

 従来のうつ病は、真面目で 他人に気を遣う人がなりやすく、

 周囲に迷惑をかけていると 自分を責める 「自罰的な」 タイプのものでした。

 しかし 新しいタイプのうつ病は、周りのせいで 自分が苦しめられているという、

 「他罰的な」 傾向があるといいます。

 休暇中にレジャーに興じたり、旅行に行ったり、

 今まではあり得ない行動を 取ることもあります。

 30代の若い世代に 多いそうです。

 自分らしく生きるという 価値観の中で育ち、

 現実的にはそういかないために 挫折して、うつ状態になってしまう。

 自尊心が強い反面、傷つきやすい人に 多く見られると言われます。

 「非定型うつ病」 などとの 関連も指摘されています。

 非定型うつ病は、普通のうつ病を 「定型うつ病」 と言うのに対して、

 異なる症状を示すものです。

 定型うつ病は、終始落ち込んで 食欲がなく、不眠になりますが、

 非定型うつ病は、楽しいことがあると 元気になり、過食で体重が増え、

 過眠でいつも眠い という傾向があります。

 イライラして 激しい感情をぶつけたり、人から拒絶されたと感じて 絶望し、

 突発的に 関係を切ったりするそうです。

 この辺は 何だかボーダーと似ています。

 その非定型うつ病と 関連があるという 「他罰的なうつ病」 も、

 ボーダーと繋がるところが あるような気もします。

 非定型うつ病は また、小さいころから “いい子” を演じてきた人,

 虐待を受けたり 愛情を得られなかった人,早期の離別体験がある人

 などに 多く見られるといい、これもボーダーと 共通しているようです。

 他罰的なタイプのうつ病は まだ定説はなく、治療法も 定まっていませんが、

 本人が一番辛いことには 変わりありません。

 それでも、病気だからといって 本人の非常識な言動を 認めていると、

 本人の社会性を失わせ 回復も遅れるので、

 おかしな言動は 指摘する必要があるといいます。

 ボーダーも同様です。

 何にしても、心の病は 時代と共に変化し、新しい症状が出てくるものです。

 それには、どこか通ずる部分がある場合も 少なくないのかもしれません。

(病名によって 治療法が異なるので、正しい診断が必要です。)
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49948218.html