「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

散骨のルール

2007年10月31日 22時37分47秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50961562.html からの続き)

 自然葬として 「散骨」 が広まる中で、

地域住民とのトラブルが 生じることもあります。

現行の墓地埋葬法は 48年に制定され、散骨などは 想定外でした。

91年に 「葬送の自由をすすめる会」 が 散骨を実施したとき、

旧厚生省は 散骨は埋葬法の対象外とし、

「節度をもって 行なわれる限り問題ない」 との 見解を示しました。

その後、散骨を行なう 参入業者が増え、遺灰でなく 焼骨を地面にまいて、

その上に 樹木を植えたり、土や落ち葉をかけることも

行なわれるようになりました。

厚生労働省は、これは 墓地以外での埋葬を禁ずる 埋葬法に違反する、

という 解釈を出しました。

しかし、そうすると 従来の散骨まで違法 ということに繋がってしまい、

疑問の声が上がっています。

国は その場だけの法解釈でなく、

自然葬と墓地葬を含めた 新しい葬送法を 作るべきだったでしょう。

亡き人を弔い 尊ぶ気持ちは、どの立場の人も 同じなのですから。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51000742.html
 

手元供養 (2)

2007年10月30日 20時41分54秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50945247.html からの続き)

 自然葬や散骨など、従来の習慣にとらわれない 供養の形が広まってきています。

僕も以前、死んだ後は 生まれ来た世界に帰る、

自然葬にしたいと 考えていました。

でも 父と母が 亡くなった今は、

両親と同じ所に 眠るのもいいと 思ようになっています。

核家族化が進み、伝統的な宗教儀礼に 触れない人が増え、

墓,葬儀,供養も 多様になってきました。

墓参りに なかなか行けない,故人を近くに感じていたい などの理由で、

「手元供養」 をする人も いるようです。

その方法は、遺骨を砕いて セラミックパウダーと交ぜて焼き、

プレートに 写真などを刻印したり、ペンダントにして イニシャルを入れたりします。

また、遺灰を置物に入れて 自宅に保管したり、

数珠やブレスレットにして 身に付けたりもするそうです。

故人が生きた 証としての遺骨を、身近に置いて 心の拠り所にする人が、

今後も 増えるのではないでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50982015.html
 

手元供養 (1)

2007年10月29日 22時06分17秒 | Weblog
 
 新聞に 「手元供養」 の記事が 載っていました。

遺灰の一部を 自宅で保管し、故人を偲ぶというものです。

これを読んで、心子の葬儀のことを 思い出しました。

拙著に登場した、心子を慕っていた 「清志」 です。

心子の火葬が終わったとき、清志は火葬場の人に、

心子の焼骨を欲しい と言いました。

遺骨を入れるための ビニール袋も用意していました。

清志の気持ちの深さは 分かりましたが、遺骨はもらえないだろうと

僕は漠然と 思っていました。

案の定、係の人は それはできないと断っていました。

でも、遺骨を持ち帰ること自体は、法的に問題はないそうです。

ただ、故人や遺族の 意思によって、自宅での保管が 可能ということで、

遺族でないと どうなのか分かりません。

いずれにしろ 清志の場合、心子本人の意思ではなかったし、

葬儀場で にわかに申し出ても、やはり 難しかったのではないでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50961562.html
 

「ヘアスプレー」

2007年10月28日 21時13分53秒 | 映画
 
 昔は タモリ同じように、ミュージカルは やや抵抗がありましたが、

「シカゴ」 を観て その魅力を思い知らされました。

 「ヘアスプレー」 も 話題のミュージカル映画です。

 60年代のアメリカで、人気のTV番組に 出演することを夢見る、

16才のトレーシー。

 抜群のダンスと歌、とびきり可愛くて 天真爛漫、

そして、超ポッチャリ系の 彼女です。

 そんな主役を射止めた ニッキー・ブロンスキーは、

1000人のオーディションの 中から選ばれた シンデレラガール。

 もうひとつの見所は、やはり 超ビッグサイズの トレーシーの母親です。

 演ずるのは何と、特殊メイクをほどこした、あの ジョン・トラボルタなのです。

(小倉智昭は 予備知識なしで映画を観て、こんなに太って 踊りがうまいおばさんを、

一体どこで 見つけてきたのだろうと 感心していたら、

エンディングのキャストを見て ぶっとんだそうです。)

 トレーシーは幸運にも TV番組出演を果たします。

 ところが、番組では 人種差別規定のため、

黒人が踊るコーナーが 廃止されてしまいます。

 人種差別は デブ差別にも通じるのです。

 トレーシーは白人ですが、番組に抗議するため、

自分の不利益も省みず デモに参加します。

 最後は もちろんハッピーエンドです。

 トレーシーの笑顔は とってもキュートで、ダンスもチャーミング。

 とにかく 楽しめる映画です。
 

「北極のナヌー」

2007年10月27日 21時00分09秒 | 映画
 
 北極を舞台に、シロクマ・ナヌーの誕生,成長を描いた ドキュメンタリーです。

 構想から10年の 歳月を費やして、この映画を制作したのは、

海洋研究家の アダム・ラベッチと、

北極のドキュメント映像を 数多く手がけている サラ・ロバートソン。

 日本版のナレーションは 稲垣吾朗が務めています。

 ナヌーを撮影しながら ストーリーを構成し、

ストーリーに必要な 映像を求めて 動物を追い、

思いがけなく得られた 映像を元に 新たなストーリーが紡がれていく。

 自然の光景は 神秘的で美しく、動物たちは 可愛くもパワフルです。

 折しも、世界的に 地球温暖化が叫ばれ、北極の氷が解けていく 現実を前にして、

それが作品の メインテーマになっていきました。

 氷が減ると、氷の巣穴に入る アザラシがいなくなり、

シロクマの食料が なくなってしまうのです。

 動物たちは 氷を求めて彷徨し、何百キロも泳いで 海を渡り、

彼らの生存環境は 変動を余儀なくされます。

 ナヌーたちは 死活に関わる 窮地に追い込まれますが、

それでも 必死で生きていきます。

 しかしながら、苦境に立ち向かっているのは、動物だけではありません。

 氷点下50度に達する 極寒の中で、合計800時間に及ぶ フィルムを回し、

予測不能の 動物たちの生態を 捉え続けた作業は、

想像を絶する 困難の連続だったでしょう。

 宿泊所も電気もなく、食料や水も自給自足、ブリザードに見舞われ、

深夜シロクマに テントを襲われたこともあるといいます。

 水中撮影では、アザラシの息継ぎ用の穴から 海中に入り、

氷点下の海水の中で 40分も作業をますが、

穴を見失ったら 生きて戻ることはできません。

 まさしく命懸けの 仕事だったと思います。

 世界で初めて、水中で セイウチの親子の愛情を映したり、

シロクマはセイウチを襲わない という定説を覆す 映像を収めたりもしました。

 不眠不休のぶっ通しで 観たとしても、1ヶ月以上かかる計算の 膨大なフィルムを、

84分の作品にまとめた 編集作業も気が遠くなります。

 スタッフの 艱難辛苦の創作に、心から敬意を表する次第です。
 

「僕がいない場所」 (2)

2007年10月26日 22時35分32秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50878797.html からの続き)

 廃船の側に建つ 裕福な家には、

美しくて利発な姉に 劣等感を持つ、味噌っ歯の 少女がいました。

 少女は、自分は生きててもしょうがない,将来なるのは “売れ残り” だと言って、

寂しさを 酒で紛らわせています。

 共に 愛されていない孤独を 抱いているクンデルは、

少女と次第に 心を通わせていきます。

 クンデル役の少年は 監督が国中から探し出した、演技経験のない 素人ですが、

やけに大人びた 表情を見せ、観る者の心を 引きつけます。

 少女役の子も、監督が養護施設で 見つけたのだそうです。

 大人のような子供に対して、周囲にいるのは 子供のような大人でした。

 男たちの間で 乱れた生活をしている母親を、クンデルは嫌いながらも、

もう一度 母に会いに行きます。

 しかし母親は 男のことばかり考え、

クンデルが 母の口から聞いた言葉は、 「もう来ないで」。

 自力で生き抜いている クンデルですが、どんなに 強そうに見えても、

子供にとって 一番必要なのは 親の愛情です。

 親の愛がなくて 生きていける子供が どこにいるでしょう? 

 拙著 「境界に生きた心子」にも 書いた言葉ですが、

強がっている子供はいても、強い子供はいないのです。

 クンデルは 生きる力を失って、くじけかけてしまいます。

 クンデルを労る少女に、彼は 「消えたい」 と言う

悲痛な心の叫びを 訴えるのです。

 少女だけは、クンデルに 愛情を与えました。

 最後に クンデルが得たものは、他の誰でもない、

まさに実存的な 自分自身の居場所だったのでしょう。

 これは 近代化を経た ポーランドだけの問題ではなく、

普遍的な 人間のテーマです。
 

「僕がいない場所」 (1)

2007年10月25日 23時59分44秒 | 映画
 
 ポーランドの女性監督、ドロタ・ケンジェルザヴスカの 作品です。

 社会主義から民主主義に 移ったポーランドで 近年、

子供に対する虐待が 社会問題になっているそうです。

 男に夢中になる 母親から、愛情を得られず 放置された少年・クンデル。

 実話を元にした 話で、柳楽優弥に カンヌ最年少男優賞を得させた

「誰も知らない」 の、いわばポーランド版 と言えます。

 しかし 本作のほうが 母親の愛情はより薄く、

クンデルの気骨は よりしたたかのように見えます。

 養護施設に入っている クンデルは、そこに 自分の居場所がなく、

脱出して 母親の元へ走ります。

 すると、母親は男と ベッドを共にしていました。

 母親は 男に依存し、誰かに愛されていなければ 寂しくていられないと言います。

 しかし、それより遥かに 愛情を求めているのは、他ならぬ 我が子のほうなのです。

 許してくれと 泣きつく母親を クンデルは振り切って、

一人で生きていく 決心をします。

 川べりの廃船に 住み着き、空き缶や鉄くずを 拾って売り、現金を手に入れます。

 大人の施しは受けず、時には 商店からパンと缶詰を盗み、口にほうばる。

 まさしく 人間が 「生きる」 ということの 原点を、

見せつけられるような 気がしました。

 天然の光と陰を 映し出した映像に、「ピアノ・レッスン」 の

マイケル・ナイマン奏でる、切々とした ピアノの旋律がかぶさります。

 自然に、淡々と、生命の営み というものを感じさせます。

(続く)
 

「オリオン座からの招待状」 (2)

2007年10月24日 21時13分19秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50843179.html からの続き)

 そして二人は 赤貧に耐えながら、懸命に 映画の灯を ともし続けていくのです。

 蚊帳の中で 蛍を放すシーンも、趣がありました。

 一方、オリオン座に通い続ける 二人の子供、祐次と 良枝。

 二人とも 家庭に愛情がありませんが、

映写室の小窓から 映画を観て 心を踊らせます。

 トヨと留吉も 二人を可愛がり、疑似家族のような 幸せを築いていきます。

 そして 話は現代に。

 半世紀以上にわたって 写真を映し続けてきた オリオン座ですが、

留吉とトヨも 高齢と病に勝てず、閉館の時を 迎えることになります。

 謝恩最終興行の 招待状が、良枝と祐次の下に 届きます。

(ファーストシーンは ここから始まります。)

 良枝と祐次は結婚し、今は 離婚の局面に 向かっています。

 数十年ぶりに 帰郷した二人は、留吉と再会して、

最後の上映を鑑賞し、少し心に変化が……。

 トヨは 死期が近づいています。

 この間、トヨと留吉の間に、夫婦関係があったのか なかったのか、

映画は どちらにも取れる 描き方をしています。

 敢えて 隠しているようにも。

 「幸せの黄色いハンカチ」 で、倍賞千恵子が高倉健に 部屋に入ることを許した

名場面のように、トヨと留吉も 結婚していてもいい と思うのですが、

 それを観客の思いに 委ねることも、また奥行きがあって いいのかもしれません。

 それにしても、「ニューシネマ・パラダイス」 をはじめとして、

映画館の映画は、いとも 人の郷愁を誘います。
 

「オリオン座からの招待状」 (1)

2007年10月23日 23時54分20秒 | 映画
 
 浅田次郎・原作、三枝健起・監督作品。

 名女優になりつつある 宮沢りえと、

地味ながら 大きな存在感を感じさせる 加瀬亮の主演です。

 昭和三十年代、京都の一角。

 松蔵 (宇崎竜童) と 妻のトヨ (宮沢) が、

映画館 オリオン座を営んでいます。

 そこへ流れ着いた、身寄りのない 留吉 (加瀬)。

 写真 (映画) が好きなので 雇ってくれと、頼み込みます。

 最初は すぐに出て行くと 思われていましたが、

やがて 夫婦の信頼を 得ていきました。

 けれども 松蔵が病に倒れ、オリオン座を 閉める瀬戸際に……。

 公園のベンチに座って、語り合う トヨと留吉。

 留吉は、自分が先代の遺志を受け継ぐ と訴えます。

 日本映画では、わざとらしすぎる 溜めの 「間」 を作って、

観ていてイライラしたり、退屈したりすることが ままあるのですが、

この映画では 長い間も それを感じさせません。

 無言の時間でも、二人の心の間に 深い感情が流れていれば、

心ときめく 高揚感が伝わってきます。

 ベンチに座る二人の 距離と角度は、二人の心の 間と向きを、

絶妙に現しているように 思えました。

 オリオン座は 二人の手で再開されます。

 しかし、テレビの登場や 映画産業の斜陽。

 また、口さがない住民に、先代の女房を 寝取った雇い人,不貞な女将

という陰口を叩かれ、映画館には すっかり閑古鳥が 鳴くようになってしまいます。

 自分のために オリオン座がダメになった と悩む留吉。

 客のいない観客席に、少し離れて座る トヨと留吉を、

カメラは真正面から じっと映し続けます。

 何の てらった演出もありませんが、緊張感が伝わってくるシーンです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50857808.html 

「ミルコのひかり」

2007年10月21日 20時04分18秒 | 映画
 
 イタリア映画界 屈指のサウンド・デザイナー、

ミルコ・メンカッチの 子供時代の実話です。

 ミルコは10才の時、不慮の事故で 失明してしまいます。

 1970年当時、イタリアでは 視力障害児は全寮制の盲学校に

入らねばならない法律でした。

 目が見えなくなったことを 受け入れられないミルコは、

心を閉ざし、他の生徒と いがみ合ったりします。

 そんな中、古びたテープレコーダーを見つけ、

聞こえてくる音の 魅力に目覚めました。

 ミルコは 友達になったフェリーチェと、色々な音を集めて 録音します。

 そして、寮の管理人の娘・フランチェスカに 聞かせるために、

テープを切り貼りして編集し、物語を作ります。

 シャワーの音は雨の音に、手のひらを指で叩くと 滴が落ちる音に、

唇を鳴らして 蜂の羽音に……。

 それらを繋げると、雨が上がって、蜂が花に舞う、

みずみずしいストーリーが でき上がったのです。

 鮮やかな映像の イメージが立ち上がり、ぞくぞくするほどの 感動を覚えました。

 ミルコは 冒険心に富んだ少年で、寮の規則に縛られず、

フランチェスカと 自転車に乗って 町の映画館へ行って、映画の魅力とも出会います。

 周りの少年たちも 次第に興味を持ち、仲間に加わっていきました。

 ミルコにつられて、狭い盲学校に 閉じこもっていた少年たちは、

門限も構わず あちこちを飛び回って 音を集めます。

 しかし、盲学校の校長は 自分も盲目で、

障害者が社会で生きていくため手に 職を付けることを 目標としています。

 障害者が希望を持つと 挫折するだけであり、

子供たちが傷つかないように 守っていくのが、自分の役割だと 信じています。

 校長はミルコから テープレコーダーを取り上げ、

決められたことだけ していくように言いつけます。

 でも、担任の先生は ミルコの才能を大切にし、

新しいテープレコーダーを 買い与えました。

 ミルコたちは卒業製作のため、フランチェスカが作った物語を、

音で表現して 紡いでいきます。

 空のドラム缶を吹くと 竜の鳴き声に、工場の機械の音が 恐ろしいお城の轟音に、

ミルコは様々な音を 創造していくのです。

 目をつぶっていても、生き生きとした世界が 繰り広げられていきました。

 この映画は、音の美しさを 教えてくれると共に、

枠に捕らわれず 可能性にチャレンジしていく、自由な精神の発揚を 描いています。
 

「天国からのラブレター」

2007年10月20日 19時48分06秒 | 映画
 
 光市母子殺害事件の 本村さんと弥生さんの、同名著書の映画化です。

 本村さんと弥生さんの 出会いから、事件が起こった時までの 物語を描いています。

 渋谷の小さな映画館、というより “映写室” とでもいうような会場

「UPLINK X」 での上映です。

 僕は 東京の映画館は ほとんど行ったことがあると思うのですが、

ここは その存在も知りませんでした。

 2004年に、 “日本一小さな映画館” として オープンしたそうです。

 座席は 床に固定されたものではなく、椅子やソファーが 50ほど置いてあります。

(同じような “映画館” が渋谷に もうひとつありますが、

「UPLINK X」 は渋谷駅から さらに離れています。)

 テレビで あれだけ話題になっている 本村さんの映画であり、

映画界の風雲児・奥山和由による 企画なのに、

こんな小さな場所で、観客も5人ほどでした。

 話題性や、本村さんに対する 関心だけでも、

もっと客が集まっても 良さそうなもんだと思うのですが……。

 確かに 映画の出来自体は、ただ平凡なカップルの 普通の話で、

演出も月並みなものですが、

幸福な家庭が 残酷にも切り裂かれたことの 重みが感じ取れます。

 犯行の罪深さを 知る糧となり、

その罪業をあがなうには どういう刑が必要なのかを考えさせられます。

 公正な立場を取るために、今度は 犯人側の背景を描いた 作品を観たい

と思うのですが、現実には無理ですね……。

 本村さんと弥生さんは 本当に平々凡々とした、幸せなカップルでした。

 事件をきっかけに それが激変し、限りない苦悩が 本村さんに襲いかかり、

本村さんは それに立ち向かって 闘い続けています。

 その人生のほうが はるかに劇的で、感動の作品に なるでしょうが、

本村さんはそれを望まず、命の大切さを 描くことを望んだのです。

 本村さんのその想いは、充分に伝わる映画でした。

 この作品に対しては、僕は出来不出来を 語る気はありません。

 ただ、本村さんの心に 寄り添いたいと思います。
 

「自虐の詩」

2007年10月19日 23時15分33秒 | 映画
 
 またまた 堤幸彦監督の新作です。

 「嫌われ松子の一生」 「7月24日通りのクリスマス」 と、

不幸を一身に背負った 役が身に付いてきた、中谷美紀 (幸江) が主役です。

 幸枝は 母親の顔を知らず、父親は 銀行強盗で服役中。

 やくざ者のイサオ (阿部寛) と 同棲しています。

 イサオは 些細なことでキレて、ちゃぶ台を ひっくり返すのが “特技”。

 仕事もせず、一生懸命働いている幸江から 金を巻き上げては、

何度も 警察のお世話になる始末です。

 そんな幸江の 心の支えになっているのは、中学の同級生・熊本さんでしょう。

 貧乏同士で クラスの仲間外れ。

 一度は崩れかけた友情も、殴り合いの末に 契りを結びます。

 「幸せになりてえ」 と 将来を誓い合ったのでした。

 それが何で、こんな ちゃぶ台男に尽くす生活を しているのか? 

 幸江が妊娠しても 「おめでとう」 の一言さえなく、

逆ギレして 「出て行け」 と言い放つ。

 挙げ句の果て 幸江は、歩道橋から転落してしまいます。

 でも……こんな男でも、昔は 純粋に愛してくれていた。

 体を張って 幸江を守ってくれた。

 その愛が 蘇って……。

 笑いあり涙ありの 怒濤のエンターテイメントを、

堤幸彦が また見せてくれました。
 

「包帯クラブ」

2007年10月18日 16時55分36秒 | 映画
 
 「永遠の仔」の 天童荒太の原作を元に、

堤幸彦監督が 再び話題作を送り出しました。

 主演は、カンヌ 最年少男優賞の 柳楽優弥 (ディノ) と、

石原さとみ (ワラ)。

 女子高生ワラは、奇妙な少年 ディノと出会います。

 ワラが傷ついた 想い出のある場所に、

ディノは 包帯を巻いて 傷を手当てしてやろうとします。

 それが何故か ワラの心を癒すような気がしました。

 ワラの友達・タンシオ (貫地谷しほり) たちは、

インターネットを利用して それを皆に広めようと、

「包帯クラブ」 というサイトを作ります。

 傷ついた体験を ネットで受け付け、その出来事があった場所に 包帯を巻きに行く。

 その手当てをした風景を デジカメに撮り、投稿者のアドレスに送る、という活動です。

「巻きます。効きます。人によります。」

 という キャッチコピーは傑作です。

 クラブのメンバー、ディノ,ワラ,タンシオ,ギモ,リスキたちは、

それぞれ自分の悩みや 傷を抱えています。

 活動を進めるなかで 彼らは、人の痛みに 共感しようとする努力をし、

どうしたら傷を癒せるか 一生懸命考えます。

 そうしていくうちに、自らの傷にも 向かい合わざるを得なくなっていきます。

 空中分解の危機にも直面し、やがて 壊れた友情を 回復していきました。

 ディノは、表向きは 奇行を重ねる 風変わりな少年ですが、

胸の奥に 癒しがたいトラウマを秘めています。

 そして最後は その無残な傷に立ち向かい、乗り越えていくのでした。
 

 トリッキーなコメディから、人生を真正面から 見つめる作品まで、

才能を遺憾なく発揮している 堤監督ですが、また新たな世界を 見せてくれました。

 思春期の そこはかとない心情も 見事に描いています。

 奇抜なカメラアングルは ありませんでしたが、

堤監督らしいカメラワークは 随所に見られました。

 柳楽優弥は、「誰も知らない」 では ドキュメントタッチの作品で、

その強い視線だけが 印象的でした。

 「星になった少年」 では 演出のつたなさで、

見るべきものが 感じられませんでした。

 しかし今回、堤監督の手によって 一皮むけ、

ダイナミックな魅力を 披露したのではないかと思います。
 

「ザ! 世界仰天ニュース」 録画視聴 (2)

2007年10月16日 22時02分33秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50694536.html からの続き)

 番組の中で、医学博士が作った 境界性人格障害の傾向テストが、

スタジオで紹介されていました。

 境界性人格障害の診断基準を、一般の人にも分かりやすく 言い換えたもので、

その趣意自体は 理解できます。

 実は、以前 ネットで調べていて これを見つけ、びっくりしたのですが、

この医学博士というのは、何と、心子の 実の 主治医の先生だったのです。

(拙著では 「森本先生」 という 仮名で登場。)

 番組では 先生の名前と顔も 紹介されていました。

 本当に 何という奇遇でしょう。

 まるで 心子が引き寄せたかのようです。

 もし、先生も 番組の構成や意図などを 充分説明されずに、

協力を依頼されたのだとしたら、大変な迷惑を 被ったことになるでしょう。
 

 ちなみに、先生が作られた 境界性人格障害の傾向テストというものを

紹介しておきます。

1 相手に嫌われない為に 取った行動で、逆に嫌われる事が多い。

2 好意を持った人が 不快な行動を取ると、急に大嫌いになる。

3 自分というものが無くて、相手によって性格が変わる。

4 ストレス解消方法は 自分を傷つけること (暴飲暴食や 無謀な運転など)。

5 自分の存在を 認めてもらおうと、過去に自分の肉体を 傷つけたことがある。

6 時々 急にむしゃくしゃして、それが2~3時間ほど続く。

7 飽きっぽくて 何に対しても満足することがない。

8 腹が立つと頭にきて、自分をコントロールできない。

9 心理的なストレスに さらせられると、記憶が飛んだりする。

 以上の項目で、当てはまる数が

 0~4個の方は 問題なし。

 5~8個の方は 注意が必要。

周りの方が 迷惑を被っているかもしれない。

 全部の方は 境界性人格障害の傾向がある。

医師の診断を仰ぐように。

 ということでした。
 

「ザ! 世界仰天ニュース」 録画視聴 (1)

2007年10月15日 21時20分51秒 | 「世界仰天ニュース」でBPD誤報
 
 境界性人格障害を 不適切に取り上げた、

8月1日の 「ザ! 世界仰天ニュース」 を 録画していた人がおり、

ご好意によって それを見せてもらうことができました。

 今までにネットで調べて 内容は知っているとはいえ、

実際に自分の目で 見ているかどうかは、言うまでもなく重要なことです。

 本当に貴重な情報を 提供していただくことができ、とても感謝しています。

 再現ビデオの キャサリンという女性を 演じる女優の、

相手を傷つける 残酷な行為を 楽しむかのような、悪女然とした表情など、

現物を見なければ 分からない貴重なものでした。

 ボーダーの人は、人によって それぞれ異なりますが、

心子とは結びつかないイメージを 引き起こす演出です。

 全くボーダーに対して 悪印象を植えつけ、

ストーカー的で 残忍な犯行を犯すのが ボーダーであるという、

固定的な誤解を 流布させるような作りになっています。

 タレントたちのスタジオトークも、境界性人格障害とは関わりのない

他愛ないもので、ボーダーを理解することには 程遠い内容でした。

 何のために 境界性人格障害を出したのか、番組の趣旨が分かりません。

 でもお陰で 念願の番組を見ることができ、

BPO (放送倫理・番組向上機構) に 申立をするに際しても、

重要な裏付けを 確保することができました。
 

 ところで、実在のキャサリンが、夫殺害の罪で 終身刑の判決を受けたのは、

2001年1月18日 ということでした。

 この日は、心子が 旅立っていった日の、正に 翌日でした。

 これも 何かの因縁なのでしょうか? 

 明日は 心子のお墓参りに行ってきますが (月命日は17日)、

この報告も してこようと思います。

(続く)