「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

同一性障害 (1)

2008年04月15日 22時22分37秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 多くのBPDの人は、

 自分が 他者とは別の存在であるという 感覚を確立できていません。

 誰かのふりをしている という不安と、

 いずれ それが 「ばれる」 という恐れに 悩まされているといいます。

 それは子供時代、高圧的な親によって 自立が妨げられたり、

 逆に 年端もいかないのに 大人の役割を 無理強いさせられたことによります。

 心子もまた、「本当の自分が分からない。どれが本当の私?」と 言っていました。

 子供のときは、病死を恐れる 父親を慰める、

 小さな大人の役目を 負わされていたのでした。

(ただしそれは、心子の心的事実でした。)

 BPDには、そのとき一緒にいる人に 合わせて振る舞う タイプの人がいます。

 一貫した自己像の 確立に失敗すると、空虚な感覚に陥り、

 自分の存在も 無価値なものになってしまいます。

 心子が 僕のいない場所で 他の人といるとき、

 どのように振る舞っていたか 分かりませんが、

 僕の目の前でも 何かのきっかけで 一遍に自分を失い、

 虚無的になって 生きる意味をなくしてしまうのは、常にあったことでした。

 乳幼児は、親から無条件に 受容されることによって、親に同一性を見いだし、

 やがて そこから自立していく過程で、自己同一性を発達させます。

 同一性の混乱は、このプロセスが うまくいかなかった結果です。

 あるBPDの人は 子供のとき、

 親から確固とした基準を 示してもらうことができませんでした。

 今日良かったことが、明日は悪くなり、

 何を元にして 行動していいのか分かりませんでした。

 脈絡のないまま、その場その場の 対応をしていかなければなりません。

 そして 成長するにつれて、

 人が自分に どう振る舞ってほしいか 察知できるようになり、

 求められる役を 演じ分けるようになってしまったのです。

 それは真の自己を 失う危機でした。

(因みに、演技性パーソナリティ障害は、

 人からの関心を 求める余り、過剰な魅力をもって 演じるものです。

 注目浴びていないと 自分は無価値だと思い込み、

 人目を集めること自体が 目的となって、

 自分を損なうようなことをも してしまいます。)

(続く)

〔「BPDを生きる七つの物語」(星和書店)より〕
 

不安定な対人関係 (3) (どちらに転んでも恨まれる)

2008年04月14日 22時08分50秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53735154.html からの続き)

 BPDの人の アンビバレントな感情は、

 相手が離れると 見捨てられる恐怖、近づきすぎると 息が詰まる恐怖だといいます。

 そのため、「してもダメ、しなくてもダメ」 という 状況になります。

 しがみつくような態度と、孤立して遠ざかろうとする 両極端の態度を取るわけです。

 そこから、BPDの人の心情を表す 象徴的な表現、

 「あなたなんて大嫌い! 行かないで!」 という 言葉が出てきます。

 お互いの関係を 続けるためには、そのパラドックスを 理解する必要があります。

 BPDの人を 受け入れるということを、どんなに言葉で言っても 無理でしょう。

 BPDの人は、見捨てられるのは 間違いないのだから、

 どうせなら いっそ早く済ませたい、ただ待っていては おかしくなってしまう、

 と 潜在的に考えています。

 そして相手との関係に 無理矢理問題を見つけようとし、

 関係が本当に大丈夫か 確かめようとします。

 「どちらに転んでも恨まれる」 という ジレンマに対しては、

 正しい答はありません。

 相手の意見を尊重し、「しても悪く言われ、しなくても悪く言われる」 ということを

 説明するのが うまいやり方だそうです。

 何があっても揺るがない 不変性を示すことが、最も大事なメッセージです。

 どんな言葉より貴重なのは、ずっと側にいるという 安心感です。

 にっちもさっちも 行かなくなったときは、

 きちんと説明をした上で、一時的に 離れて過ごすことも必要です。

 でも 必ずまた戻ってくる、二人の関係は 続いていくということが、

 安心に繋がるでしょう。

 事を荒立てないために、BPDの人の 非現実的な言動を是認しても、

 それは解決を 先延ばしにしたり、BPDの人の認識を 放任するだけです。
(共依存)

 自分の感情を抑えていては、双方が欲求不満を 募らせていくでしょう。

 僕は心子に対しては、「動じないこと」 を 常に心がけていました。

 でも BPDの人の攻撃を 受け止め過ぎていると、

 果てしない依存が 生じる場合があるので、

 そのプラスとマイナスを 考慮する必要がある と知ったのは、

 ずっと後に なってからのことでした。

 また、「救済者コンプレックス」 の罠に 陥ってもいけません。

 パートナーはBPDの人を 救済するためにいるのではなく、

 愛して支えるために 存在しているのですから。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

不安定な対人関係 (2) (分裂の原因)

2008年04月13日 20時52分33秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53718608.html からの続き)

 BPDの人の 「分裂 (スプリッティング) 」 の原因は、

 大脳生理学的 (機能的) なものが あるとも言われています。

 子供の頃に トラウマを経験したBPDの人は、

 脳の機能に わずかな異常が 認められることがあります。

 また、脳の辺縁系 (感情と本能的行動を司る) と 前頭連合野は、

 互いに影響しつつ 思春期も成熟を続けます。

 しかしこの時期に、身体的・精神的ストレスを受けると、

 脳内神経物質が破壊され、正常な発達を 阻害されることがあります。

 さらに、分裂は 解剖学的 (器質的) な 原因もあるかもしれません。

 感情 (特にネガティブな感情) は右脳が中心で、

 論理的働きや ポジティブな感情は 左脳が中心とされています。

 BPDの人は ストレスによって、左右の連結が 未発達のままになり、

 両者のバランスに 混乱をきたすと思われます。

 以上は、後天的な原因についてですが、先天的な理由も 考えられています。

 生まれつきの機能不全が 発達の段階で 連結の遮断を起こし、

 脳に多少の障害を 生じさせることは想像できます。

 癇の強い子が 親のフラストレーションを招き、

 親はますます 子供をなだめることができなくなり、

 虐待的に なってしまうことはあるでしょう。

 その結果 子供にトラウマが与えられ、

 BPDの症状を助長する 悪循環になります。

 ストレスが 脳の機能不全の原因になり、分裂を引き起こすのか。

 あるいは、先天的な機能不全が 分裂を引き起し、家族関係に障害を与えるのか。

 それは 「卵が先か ニワトリが先か」 と同じで、

 今のところ 決定的な答はないとも言われるようです。

〔「BPDを生きる七つの物語」(星和書店)より〕

(続く)
 

不安定な対人関係 (1) (分裂)

2008年04月12日 21時49分11秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 混沌とした人間関係の トラブルが続くことが、BPDの顕著な特徴です。

 激しい対人関係と 衝動性のふたつが、

 BPDを最も識別できる 基準だという研究もあります。

 BPDの人の認識は、お皿の上の ビー玉のようなもので、

 少しでも傾けば 端まで転がり、逆に傾けば 反対に転がり、

 決して途中で 止まることはありません。

 この 「二極認識」 は 「分裂 (スプリッティング) 」と 言われ、

 18~36ヶ月の乳幼児に 見られるメカニズムです。

 一人の人間が、良い人でもあり悪い人でもある という矛盾を、

 受け入れなければならない不安から 自分を守るのです。

 BPDの人は、今まで最高だったものが 次の瞬間には 最低になってしまうので、

 パートナーや仕事などを 頻繁に変えることがあります。

 辛抱や妥協をしたり、折り合いを付ける 中間点がありません。

 歩み寄るには 我慢が必要ですが、

 それには土台となる 過去のそれなりの実績を 前提としています。

 ところが BPDの人にとっては 「今」 が全てであり、

 過去の素晴らしい体験や 想い出などは、一瞬にして消えてしまいます。

 「今がダメなら 全て台無し」 なのです。

 心子は、普段の頑張りは 尋常ではありませんでしたが、

 一旦 ちょっとでもダメになると、それまでの努力を皆 無駄にしてしまうように、

 一切を捨ててしまうのでした。

 まるでいつも 成功を目前にしながら、

 するりと手から 滑り落ちてしまうかのようでした。

 心子は自分のことを、「オセロみたい」 だと言っていました。

 ひとつが黒になると、今まで白だったものが 全部一遍に 黒になってしまうのでした。

 BPDの人の感情や行動は、最も新しい記憶だけに 縛られているのです。

 普通の人でも、それまで積み上げてきた 人生の功績の記憶が 全くないとしたら、

 現在の失敗に耐えて 仕事をやり直ていく意欲は 萎えるのではないでしょうか。

 幾つもの楽しいできごとを ひとつも覚えていなければ、

 パートナーとのいさかいを 乗り切っていく気にならないでしょう。

 あたかも、毎朝 過去の記憶がないまま 目が覚めて、

 ゼロから始めなければならない、

 人間関係を再構築しなければならない ようなものかもしれません。

〔「BPDを生きる七つの物語」(星和書店)より〕

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53735154.html
 

見捨てられる恐怖 (2)

2008年04月11日 22時21分49秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53685637.html からの続き)

 BPDの人は、見捨てられる恐怖と、取り込まれてしまう恐怖という、

 相反する ふたつの恐怖の間で ジレンマに陥ることがあるといいます。

 愛する者を失うと 自分の存在 (自己同一性) もなくなってしまうと感じ、

 同時に、愛する者に支配されると 自分の感覚がなくなることを恐れます。

 自己同一性を求めて 融合したいという欲求は、

 相手に呑み込まれて 自律性を失うのではないか という恐怖と、

 隣り合わせにあります。

 この葛藤の結果、フラストレーションに満ちた 恋愛関係になってしまいます。

 見捨てられることを恐れて なりふり構わない努力をするほど、

 パートナーを困憊させ、その結果の別れに 傷つきやすくなります。

 そのため 見捨てられそうになると、本能的に次の関係に 手を伸ばすのです。

 心子の場合を考えると、僕は彼女を 支配しようとすることはなかったので、

 心子が呑み込まれるのを恐れた ということは思い当たりません。

 心子は、愛し合うことを 「ひとつになる」 と表現し、

 それは 彼女の究極の一体感を 表していました。

 しかし 身も心も一体になることを 求める余り、ご多分に洩れず 要求が高くなり、

 僕も負担が 重くなってしまうのは、お定まりのことでした。

 BPDの人の 見捨てられ不安に 対処するには、

 まず彼らの感情を 認めることです。

 見捨ててはいないということを、理屈で説明しようとしても うまくいきません。

 一方で、無制限の寛容さは 控えなければなりません。

 BPDの人の必要性と、それに応えられる こちらの限界の折り合いをつけ、

 限度を超えたら 一時的に距離や時間を 置くように決めておきます。

 無理をすれば パートナーも破綻してしまい、

 結局 BPDの人のためにもなりません。

 でも しばらくして落ち着いたら、また二人で やっていくことができます。

 「限界設定」 は ずっと一緒にいるための 知恵です。

 BPDの人に対して  最も大切なことは、「一貫性」です。

 正しい対応かどうかよりも、常に一貫している ということのほうが重要なのです。

 わずかなことで変転する BPDの人に対して、

 何があっても変わらないものがある ということを伝えることになります。

〔参考文献:「BPDを生きる7つの物語」(星和書店)〕
 

見捨てられる恐怖 (1) (対象恒常性)

2008年04月10日 20時04分58秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 見捨てられることの恐怖は、BPDの中核的な特徴です。

 単に独りになってしまう ということではなく、

 存在そのものを破壊されるほど 根源的な恐れです。

 それは長年の生育歴に 根ざしているものです

 一般に幼児は 日々 親の愛情を得ることによって、

 2才半までに 自分がいる世界に 信頼感を発達させます。

 「対象恒常性」 といって、自分の中に 安全で心地よいイメージを描き、

 ストレスがあっても そのイメージによって 和らげることができます。

 赤ん坊は最初、母親が見えないと 不安で泣きだしますが、

 母親の姿が見えれば 安心します。

 でも育っていくにつれ、目の前に母親がいなくても、

 母親は存在していることを理解し、また戻ってくることを 予測できるのです。

 しかしBPDの人は 無秩序な養育を 経験してきたために、

 イメージが不安定で、一貫性のある感覚を 養うことができません。

 そのため 安全なイメージの代わりに、

 常に 自分を慰めてくれる 他者を必要とします。

 相手が 目に見える所にいなければ、存在しないのと同じなのです。

 孤独を補う方法として BPDの人は、

 人形やぬいぐるみなどの  「移行対象」 〔*注〕 を用います。

〔*注: 赤ん坊が母親から自立するとき 生じる不安を和らげるためのもの。〕

 手紙や写真、想い出の品などもあります。

 しかし 移行対象の有効性に 限りがあると、

 安易な性交渉を 求めたりしてしまうこともあります。

 現代社会は それが得やすい環境があり、BPDの傾向を 強化することになります。

 心子も、「もんち」 という 猿の人形と いつも一緒にいました。

( 「境界に生きた心子」 の中では、

 「ぷっち」 という犬のぬいぐるみに 変えています。)

 ただ、心子は 性的には奥手で堅く、

 不特定多数のセックスを 持つことはありませんでした。

 僕に対しても、当初は 極めて消極的でした。

 BPDの人は ひとつの恋愛関係が長続きせず、

 次々と 新しいパートナーを求めて さまようことがあります。

 心子も 絶えず僕との間に トラブルを起こして 離れていきましたが、

 しかし いつか必ず また戻ってきました。

 最初の出会いのときから 数えれば、それは 7~8年に及んだのでした。

〔参考文献: 「BPDを生きる7つの物語」 (星和書店) 〕

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53703551.html 
 

BPDの診断基準について

2008年04月09日 22時27分28秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 引き続き、「BPDを生きる七つの物語」 からの記述です。

 アメリカ精神医学界の診断基準 「DSM-Ⅳ-TR」 の、

 BPDの基準は9項目ありますが、これらは 3つに部類できるといいます。

 「不安定な関係」 「コントロール不可能な行動」 「気分のむら」 です。

 9項目の診断基準の 要約を書いてみます。

1.見捨てられることを避けようとする、なりふり構わない努力。

2.極端な理想化とこき下ろしという、不安定で激しい対人関係。

3.同一性障害。不安定手自己像。

4.自己を傷つける衝動性。 (浪費,物質乱用,性行為など)

5.繰り返される自殺の行動,そぶり、また自傷行為。

6.周囲の状況に対する、激しい気分のむら。

7.慢性的な空虚感。

8.不適切で激しい怒り。その制御困難。

9.一過性の妄想様観念、または解離症状。

 まず、「不安定な関係」 は対人関係だけでなく、

 自分との関係 = 自己同一性も含まれます。

 同一性の不安定が続くと、空虚感を持つようになります。

 自我の感覚が消えてしまうと、解離が起こります。

 このカテゴリーに分類されるのは、次の4つの診断項目です。

2.不安定な関係

3.同一性の混乱

7.空虚感

9.現実からの分離

 「コントロール不能な行動 」には、

 破壊的な行動や 自己破滅的な行動が含まれます。

4.破壊的な衝動性

5.自傷行動

 「気分のむら」 は 残りの診断基準です。

 気分の不安定さは、不適切な怒りの表現に 繋がりします。

 それは、人から見捨てられることに なってしまいます。

1.見捨てられることへの恐れ

6.不安定な気分

8.怒り
 

 ところで、9つのうち5つ以上が該当すると BPDと診断されるということは、

 5つのうち1つが 基準から外れると、突然 “治癒した” という

 パラドックスが起こり得てしまいます。

 そのため、BPDであるか ないかの白黒ではなく、

 人格の機能の程度によって、多面的に定義されるべきだ と主張する人もいます。

 例えば 男か女かではなく、男性らしさ女性らしさは、

 様々な要件によって 多面的に考えられるということです。

 BPDには非常に 多種多様な側面があるので、

 確かに柔軟な診断が 必要なのかもしれません。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 

BPD診断クイックテスト

2008年04月08日 20時38分05秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) という 本があります。

〔著: J.J.クライスマン, H.ストラウス

 訳: 吉永陽子, 荒井まゆみ〕

 著者の前作 「境界性人格障害 (BPD) のすべて」 (VOICE出版) は、

 ボーダー関係の本で 一番売れている中の一冊です。

 「BPDを生きる七つの物語」 に、

 「BPD診断クイックテスト」 というものがありました。

 診断はもちろん 専門家でないとできませんが、

 手がかりとして 自分自身や関わりのある人を チェックし、

 日常生活に 支障があるようであれば、

 専門機関に相談してみる 必要があるでしょう。
 

□トラウマ経験が 子供時代にある。

(特に身体的虐待、または性的虐待)

□自己破壊的行為がある。

(就職の面接をダメにする。良好な人間関係を壊す、など)

□対人関係,仕事,その他の関わりを、自分からダメにしたことがある。

□仕事,学校,対人関係が 頻繁に変わる。

(何回もの離婚,別居,再婚)

□互いに傷つけ合ったり、傷つけられる対人関係。

( ex.暴力をふるうアルコール依存症の人との 複数回の結婚)

 あなたをコントロールしようとする 自己愛型のパートナーと、

 いざこざを起こしたことがある。

□移行対象 〔*注〕 の利用。

〔*注: 赤ん坊が母親から 自立するとき生じる不安を 和らげるためのもの。

 人形やぬいぐるみなど〕

□性的混乱。 (バイセクシャルなど)

□興奮や刺激を得るための 危険な行動。

(薬物乱用,乱交,万引き,過食,拒食など)

□頻繁にトラブルを起こす。

(特に、上司,同僚,友人,家族など、大事な人たちと)

□暴力を振るったり、振るわれたり、あるいは その両方を繰り返す。

□態度の急変。

(友人を 理想化したかと思えば、こき下ろす。

 ある本を 大いに評価したり、けなしたりする)

□過激な主義を持つ 組織に惹かれる。

(宗教的カルト,政治的カルト集団など)

□きちんと枠組みのある状況の方が 役割を果たせる。

(大学での成績はふるわないが、軍隊では成功をおさめる)
 

 以上ですが、ちなみに心子は、9~10個が当てはまります。
 

「銀幕版 スシ王子!  ~ニューヨークへ行く~ 」

2008年04月06日 20時52分37秒 | 映画
 
 毎回、どんなジャンルの 映画を撮っても、

 秀抜した手腕と センスを見せてくれる、堤幸彦監督の作品です。

 今回は、“いま面白いこと” をごった煮にした、

 何でもありのエンターテイメント。

 生まれついての寿司職人、米寿司 (まいず つかさ・堂本光一)。

 10才のとき、父と祖父が カジキマグロに突き刺されて死んだ トラウマで、

 魚の目を見ると パニックを起こす 「ウオノメ症候群」 に なってしまいます。

 寿司の道を捨て、琉球唐手の達人に 弟子入りするも、

 唐手の道は寿司の道、寿司の握りは唐手の握り ということを悟る。

 そして、シャリを極めようと、

 “シャリの達人” 俵 源五郎 (北大路欣也) に 弟子入りするため、

 寿司の新天地 ニューヨークに乗り込みます。

 日本刀で青竹を切るのが 寿司の握りを極めることだとか、

 米の心を読むのが 唐手の極意だとか、琉球唐手300年の怨念だとか、

 ふざけたことを 真剣そのもので全力投球すれば、

 観客の笑いをも 極めることになるのでしょう。

 もちろん 小ネタてんこ盛りです。

 合い言葉は、「お前なんか、N.Y. (握ってやる)! 」

「よっ、スシ王子!」

 グルメ、アクション、笑いあり、涙ありで、

 常に ツボを掴むことを外さない、堤監督の才覚は 羨ましい限りです。

 どこまで新天地を 切り開いていくことでしょう。
 

花吹雪、 花筏 (はないかだ)

2008年04月05日 20時01分58秒 | 心子、もろもろ
 
 また ジョギングと散歩を兼ねて、花見をしてきました。

 もう 葉が出てきていましたが、

 風雅な花吹雪を楽しめるのは この時期ならではです。

 風が吹くと 一面に花吹雪が ひらひらと舞い、顔や手にも当たります。

 遠い方の花びらは 光を反射しながら、ちらちらと舞い散っていきます。

 地面に落ちている花びらも、

 風に吹かれると 縦になってころころ転がり、つむじを巻きます。

 川面に散った花が 流れていくのを、花筏 というそうです。

 流れがゆるやかな所では 密にたゆたい、

 早い所では 流れに沿って花びらが流線を描き、

 場所によっては ゆっくりと渦を巻いて、自然の脈動を感じます。

 普段は じっくりと自然を観察する機会は 余りありませんが、

 たまには こういうひとときも いいものです。

 これも 心子が与えてくれる 時間かも知れませんね。
 

「クローバーフィールド  HAKAISHA」 (2)

2008年04月04日 20時44分59秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53571264.html からの続き)

 「クローバーフィールド」 は、作品自体も 前代未聞の斬新なものです。

 最初から最後まで 全て、素人が撮っている ホームビデオによる映像です。

 突如 マンハッタンを襲った何者か、“HAKAISHA” (破壊者)。

 登場人物たちにも その正体は全く分からず、“あれ” と呼ぶしかありません。

 “あれ” の攻撃を受けて、命懸けで逃げ回る人物たちを、ビデオが撮り続けます。

 画面は右往左往し、手振れで激しく揺れるし、

 時には あらぬものが映されたり、カメラを落としたりします。

 それによって観客は、自分が 事件の真っ只中にいるかのような

 臨場感に包まれるのです。

 “あれ” はなかなか カメラのフレームに納まらず、その姿も定かになりません。

 終盤になって やっと全体が捉えられますが、じっくり映されることはなく、

 何なのか よく把握できない状況です。

 最後は カメラマンもやられてしまい、その先どうなったのか、

 “あれ” の正体も 分からないまま映画は終わります。

 続編の制作が 決まっているそうです。

 ビデオカメラだけの映像は 否応なく緊迫感を煽りますが、

 映画作品としては 極めて多くの制約を受けます。

 アングルは全て 一個人の目線です。

 俯瞰やロング,切り返しもなく、

 エイゼンシュタインの モンタージュ理論は通用しません。

 構成も、カメラマンの移動に合わせて、直線的な時間が進むだけです。

 また、素人が撮っている映像らしく 見せるために、

 スタッフは普段以上の 難しいテクニックを求められました。

 一流の腕を持つ プロのカメラマンにはできないことなのです。

 そこで カメラマン役の俳優に、

 実際にカメラを持たせて 撮ったシーンが沢山あるそうです。

 そして 一切が偶然のショット、パニックの中の “取り損ない” であるように

 見せるため、撮影には周到な計画が 立てられなければなりませんでした。

 また、CG映像と ホームビデオの組み合わせは、困難を極めたということです。

 激しく揺れたり 振れたりするビデオのフレームに、

 CG画像を ひとつずつ手作業で 組み合わせていかなければならなかったといいます。

 それら独自の作業によって 作られた映画は、

 観る側を終始 緊張させる “予測不能” の作品になりました。
 

「クローバーフィールド  HAKAISHA」 (1)

2008年04月03日 22時10分20秒 | 映画
 
 話題作 「クローバーフィールド」 の ジャパンプレミア試写を観てきました。

 会場は、3月19日にオープンしたという、水道橋のJCBホール。

 「クローバーフィールド」 は、今までにない 異例のプロモーションで

 注目を集めました。

 映画館で 予告編が流れる中、ホームビデオの映像が出てきて、

 パーティの風景が映されます。

 突然 大音響と共に 建物が揺れ、パーティの参加者たちが 屋上へ出ると、

 マンハッタンらしき 遠方の高層ビルが 大爆発を起こし、その破片が飛んできます。

 慌ててビルの中に逃げ、今度は地上へ出ると、

 再び爆発が起きて 道路に落ちてきたのは、何と 自由の女神の頭部。

 映像は 全てホームビデオです。

 映画の宣伝文句も タイトルさえもなく、

 実際のニュース映像なのかとも 見紛うものです。

 全米では、ネット上でも 様々なミスリード,怪情報が飛び交い、

 話題騒然となったそうです。

 やがて 題名が明かされた 「クローバーフィールド」 の仕掛け人は、

 今ハリウッドで 最も注目されているという プロデューサー・

 J.J.エイブラムス。

 このプロモーションのキーワードは、『予測不能』。

 プレミア試写会でも、何が起こるか “予測不能” でした。

 会場に入るや、暗い場内に 異彩を放つライティング,

 「クローバーフィールド」 の映像と 音響が流されています。

 開始時刻になって、司会の襟川クロが 出てきますが、

 彼女自身も何が起こるか 知らされていません。

 司会のクロが紹介した映像と 別の映像が映されたり、

 いきなり マジシャンのセロが登場したり、

 クロが話している途中に いきなり 大きな音楽と映像が始まったり。

 そして極めつけは、スクリーンになっていた カーテンが開いて、

 スモークと赤い光に包まれて 出てきたのは、

 予告編で吹っ飛ばされた、あの 自由の女神の頭部でした。

 そこへ エイブラムスはじめ、キャスト,監督らが登場し、

 クロもすっかり 翻弄されていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53585239.html 
 

靴べら、ダウン

2008年04月01日 23時48分13秒 | Weblog
 
 部屋の入り口の 下駄箱に掛けてた靴べらが、先日なくなりました。

 プラスチックの 50センチ足らずのやつ。

 靴べらが移動する範囲なんて せいぜい1メートル位なもんだろうに、

 一体どこへ いってしまったのか、不思議です。

 さて今日は、にわかに寒くなって 風が強かったので、

 久しぶりに ダウンコートを羽織って 部屋を出ました。

 外に出て 数メートル歩くと、胸の辺りに違和感が。

 ダウンのファスナーを 開いてみると、

 何と内ポケットに 靴べらがぶら下がってます!

 何でこんな所に!?

 びっくりすると共に、こんなとこに あったのかと安堵。

 ダウンはいつも 入り口のハンガーに掛けてありますが、

 位置は上の方で、靴べらは下の方。

 一体どうして靴べらが、ダウンの内ポケットに 入ってしまったのでしょう(?.?;)

 つらつら考えるに、帰宅してきて 入り口でダウンを脱ぎ捨て、

 そのとき 靴べらにぶつかって、中に入ってしまったのかと……?(・_・;)

 ちょうど その翌日から暖かくなって、

 ダウンを着なくなったため 気付かなかったのではないかと……。

 何にせよ、ダウンに靴べらが ぶら下がってたのは異様でした。 (^o ^;)