「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

絞首 130年続く -- 死刑執行の現実 (3)

2008年10月31日 21時07分07秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 死刑は 「絞首して執行する」 と、 刑法で定められています。

 死刑囚は 踏み台の上に立ち、 クビにロープがかけられます。

 別室の刑務官3人が 同時にボタンを押し、

 そのうちの1つが 踏み板と連動しています。

 落下の衝撃で 回転するロープを、 押さえる役目の 刑務官もいます。

 死刑囚は 自分の体重で 首の骨が折れ、 呼吸が止まりますが、

 心臓が止まるまでは 15分くらいかかります。

 瞬時に意識を失うので、 本人は苦痛を感じないはずだ といいます。

 踏み板の下で、 医師が脚立を使って 死刑囚の胸に 聴診器を当て、

 心停止を告げると 刑の執行は終了です。

 遺体は清拭され、 白装束に着替えます。

 首に索条痕 (さくじょうこん) は残りますが、 出血などはないそうです。

 現行の絞首は 明治6年に始まり、 当時は 斬首も併存していました。

 絞首は斬首と違って 体と首がバラバラにならず、

 親族が遺体を引き取る時の 悲哀感情が軽いとされます。

 1955年 最高裁は、

 「絞首刑は、 斬殺,銃殺,電気殺,ガス殺などと比較して、

 特に人道上 残虐とは言えない」 と判断し、

 これが絞首を維持する 法的根拠となっています。

 一方アメリカでは、 電気椅子やガス室から、

 苦痛が少なく人道的とされる 薬物注射が主流になっています。

 しかし、 法務省は 執行方法を見直す 検討はしていません。

 死刑を執行する 国の責任として、 できるだけ苦痛が 少ない方法を、

 外部の専門家も入れて 検討するべきだと指摘されています。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 

順番早まった 宮崎死刑囚 -- 死刑執行の現実 (2)

2008年10月30日 20時28分25秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 鳩山法相のときから 法務省は、

 死刑を積極的に 執行する方向へ かじを切りました。

 宮崎死刑囚のT弁護士は、 宮崎の処刑が 遠くないと感じます。

 執行の順番は 判決確定順が原則ですが、

 再審や恩赦を 請求している死刑囚は 通常あと回しになります。

 宮崎は 確定順で中間でしたが、

 T弁護士は 犯行時の責任能力を問うため 鑑定依頼をしました。

 他の死刑囚も 焦りを感じ、 再審や恩赦の請求を 相次いで出します。

 新証拠もなかったり、 棄却された前回の再審請求と 全く同じ理由で請求する、

 “執行逃れ” が大半でした。

 この請求ラッシュによって、 鑑定順が早い死刑囚が 執行対象からはずれ、

 宮崎の順番は 繰り上がっていきました。

 鳩山法相は法務省幹部から、 そのことを耳打ちされたといいます。

 刑事訴訟法では、 精神疾患で 刑罰の意味を理解できない 死刑囚には、

 刑の執行を 停止すると定めています。

 しかし宮崎は 死刑廃止論者の安田弁護士に、

 即刻 自分の再審弁護士になってほしいと 手紙を出したため、

 法務省は 宮崎が死刑の意味を 理解していると分析しました。

 T弁護士は法務省に、 再審請求の新証拠を準備していると 伝えましたが、

 効果はなく、 宮崎の死刑は 執行されました。

 形式的な再審請求によって 執行が回避できる現状を、

 考え直すべき 時期かもしれません。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 

「心を鬼に」 法相サイン -- 死刑執行の現実 (1)

2008年10月29日 20時54分08秒 | 死刑制度と癒し
 
 読売新聞 10月4日から17日までの 社会欄に、

 「死刑・ 執行の現実」 と題した 記事が連載されました。

 その要約を 書いていきたいと思います。

 来年5月に 裁判員制度が始まり、

 誰もが死刑の判決を 下さなければならない可能性があります。

 世論では 死刑容認が多数を占めますが、

 厚いベールに覆われてきた 死刑の実態を、記事は明らかにしていきます。

 今年6月、鳩山法相 (当時) は 3通の死刑執行命令書を 差し出しました。

 そのうちの1通は、 4人の女児を殺害した 宮崎勤でした。

 鳩山氏は 裁判記録すべてに目を通して、

 事件の残虐性を 頭に叩き込み、 心を鬼にして サインをしたといいます。

 宮崎死刑囚の独房の 斜め向かいには、

 オウム真理教元幹部の 新実智光が収監されていました。

 法相のサインの4日後、 新美被告は

 宮崎死刑囚が 刑場に連れて行かれることに 気付きました。

 職員が 宮崎死刑囚の部屋の荷物を、 台車に乗せ始めたからです。

 執行の日は、 普段の担当ではない刑務官が 独房の扉を開け、

 死刑囚に 外に出るよう命じます。

 その瞬間、 死刑囚は 刑の執行を悟るといいます。

 刑場に向かう途中、 控室で処遇部長から 執行を告げられます。

 和菓子や果物, 熱いお茶が用意され、

 教誨師の話を 聞くこともできますが、宮崎死刑囚は 頼むことはなかったそうです。

 刑場の 手前の壁の祭壇には 阿弥陀如来像と十字架、

 奥には 太さ3センチのロープが 天井から吊り下がっています。

 床は、ボ タン操作で開く 110センチ四方の踏み板。

 宮崎死刑囚はそこに立ち、 白い布で 目隠しをされて、

 静かに刑を 執行されたということです。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 

まだ出てくる…… (- -;)

2008年10月27日 22時09分07秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 今、 ゲラの再校 (二校) の 作業に入っています。

 担当の編集者の人が、 また新たなミスなどを 見つけてくれました。

 文意がつながりにくい表現、 漢字の間違い、 てにをはが不自然な所など。

 こんなものが、 今頃になっても まだ出てくるとは……。 (- -;)

 自分で書いたものというのは、

 自分では間違いが 見つけにくいものなわけですが。

 前にも書いたように、 自分の文章は すでに頭に入ってしまっているため、

 目で読むより 頭の中で読んでしまうのです。

 新風舎の編集者は 見つけられなかったわけで、

 能力不足だった ということでもありますが。

 星和書店の担当の人も、 初校では 分からなかったわけです。

 僕は 人よりよっぽど 拘る人間で、 新風舎のときから今まで、

 恐らく百数十回 読み直し 書き直してきているのですが、

 それでも 新しい直しは生じてきます。

 表記の不統一 (漢字で書くか 平仮名に開くかなど) は まだ出てきます。

 果たして  どこまで行っても切りがないものなのか……。

 “完璧な文章” というものは ないのでしょうか?

 他の本では どうなんでしょうね。

 こんなに校正を 度重ねることはないはずですが、

 出版されているものに 結構ミスはあるんでしょうか。

 読者は細かいことなど 気付くことはないと思いますが。

 斜め読みの人も いるだろうし。

 まぁ とにかく、行けるところまで 行くしかありません。

 もうひと踏ん張りです。  (`ε´)
 

心子は求道者? (2)

2008年10月26日 20時26分30秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56111874.html からの続き)

 先月、 キリスト教では 洗礼を受ける前の人は、

 「クリスチャン」 ではなく 「求道者」 と呼ぶ という記事を書きました。

 でも心子は、 洗礼の前から 「クリスチャン」 と 自称していました。

 その辺りの事情を、 心子の教会の牧師先生に 伺ってみました。

 そして、 「クリスチャン」 とは、

 神の前で 「信仰の告白」 をした者を言うと 教えていただきました。

 「信仰告白」 というのは、

 自分の罪を悔い改めて、 キリストを信じると 誓うことです。

 信仰告白をした人は 洗礼を受けますが、

 洗礼は信仰告白の 外面的な儀式で、 神と人々の前での 表明だそうです。

 あくまでも 信仰告白が主体であって、

 それによって 主観的にクリスチャンとなり、

 神によって救われるという 確信を経験します。

 教会では通常、 イースター前後かクリスマス前後に 洗礼式を行なうそうですが、

 事情によって それを逃してしまうと、

 クリスチャンでありながら 洗礼を受けていない時期が 長くなることになります。

 心子も教会で 求道生活の時期を経て、信仰を決心して 告白をしたそうです。

 しかしながら 心子は、

 僕と付き合い始めた当初から 自分を 「クリスチャン」 と言っていました。

 少なくとも 1年半以上の間です。

 心子が信仰告白をした時期を 牧師先生に尋ねると、

 亡くなる2ヶ月ほど前 (11月頃) だったようです。

 12月のクリスマスに 洗礼式を受けたいと 希望していましたが、

 教会の都合で それは叶いませんでした。

 彼女が洗礼を受けたいと 僕に初めて話したのは、 9月末のことでした。

 でも そのずっと以前から、

 心子は 「クリスチャン」 だと 自認していたわけです。

 前の日記にも 書いたように、

 心子の敬虔さは クリスチャンに勝るとも劣らないものでした。

 彼女は 精神的には間違いなく  「クリスチャン」 だったのでしょう。

 洗礼を受けると 「神様の子になる」 というのも、

 彼女特有の 言い方だったのだと思います。

 新しい 「境界に生きた心子」 では、 そのようなことを簡単に説明して、

 あえて 「求道者」 の意味で  「クリスチャン」 と書くことにします。
 

「境界に生きた心子」 の表紙 (2)

2008年10月25日 21時38分03秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
(前の記事からの続き)

 生まれ変わりの 心子の本を、 新風舎版のイラストで 飾れないことは

 残念でしたが、 致し方がありません。

 でも 新風舎版を使えないことが はっきりして、 すっきりしました。

 それを受けて 星和書店では、

 早速 新たにイラストレーターに依頼し、 表紙作成の作業に 入ってくれました。

 そして急遽、 イラストレーターと打ち合わせすることになった

 という連絡をもらい、おととい 僕も参加してきました。

 普通、 筆者が表紙の打ち合わせに 加わることはあまりないのですが、

 僕が 「境界に生きた心子」 に全力を注いでいる ということを理解してくれ、

 連絡をくれたのです。

 イラストレーターの人はこれまでも 星和書店の仕事をしているため、

 境界性パーソナリティ障害のことは 知っていました。

 ボーダーには 関心を持っているようで、

 今回の仕事を依頼されて、 わくわくドキドキしていると 言ってくれました。

 打ち合わせを前に、 僕のブログを見て 予備知識を仕込んできたそうです。

 僕の希望なども述べ、 イラストレーターの人は

 新風舎版の雰囲気も残しつつ、新しい表紙を 考えてくれるということです。

 タイトル 「境界に生きた心子」 の書体も 変わると思います。

 できるだけ早く再出版して、 Amazon の 在庫切れの期間を短くしたいという

 僕の気持ちも汲み、 早急に描くと 言ってくれました。

 イラストレーターの人は、 この仕事にとても 意欲をもってくれているようです。

 いくつか案を作って、 その中から選ぶとき、

 また 連絡してくれることになります。

 新しい心子の本は、 どんな装いになるでしょう。

 楽しみにしたいと思います。
 

「境界に生きた心子」 の表紙 (1)

2008年10月24日 22時20分54秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 新風舎版 「境界に生きた心子」 の表紙を、 僕はとても 気に入っていました。

(ブログ・プロフィールの画像。

 「ごあいさつ」 の記事に 表紙の画像があります。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/16276477.html )

 イラストレーターの人は、 林真理子や唯川恵の本の 表紙を描いている人で、

 この人に描いてもらえたのは 奇跡に近いと、

 当時 担当の編集者が言っていました。

 もしできれば 星和書店版でも、

 新風舎版のイラストを そのまま使ってもらえたらと 期待していました。

 でも社長は 新しい表紙にしたいという意向で、

 その方向でいくものだと 思っていました。

 ところが先日、 僕の希望を尊重し、

 新風舎版のイラストで いくことになったという 連絡がありました。

 僕としては とても嬉しいことでした。

 ただし 新風舎版のイラストレーターの 許可を得なければなりません。

 倒産による再出版 というケースは例外的なものの、

 同じ内容の本なので、 多分大丈夫だろうと 考えていました。

 イラストレーターの人に連絡してみると、

 イラストは 新風舎との契約だったので、

 星和書店とは 別の問題と考えており、 再使用は流用になるため、

 お断りしてよいでしょうか というお返事でした。

 また、 できれば似たタッチで 描き直すことも控えてほしいと。

 こちらの紳士的な対応に 感謝するとしたうえで、

 非常に丁寧な言い方でしたが、 自らの著作権を守る 毅然とした姿勢でした。

 イラストレーターは 著作物を流用されたり、 盗用されることも多く、

 著作権侵害と対峙していかなければ 存在自体が危うくなってしまうそうです。

 特にネットの世界では そうでしょうし、 どこまでが許されて

 どこからが許されないのか、 曖昧で難しいところも あると思います。

(次の記事に続く)
 

「ブタがいた教室」 (2)

2008年10月23日 21時13分25秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 皆で育てたPちゃんは、 ペットであり、 友だちです。

 最初は 「臭い」 と言っていた子供も、 Pちゃんの糞尿の始末はもちろん、

 嵐の日には誰ともなく 豚小屋に集まってきて、 Pちゃんを風雨から守りました。

 一緒にサッカーをしたり 楽しい想い出を重ね、

 トラブルも皆で 乗り越えてきたのです。

 “情が移る” というのは 全く自然な感情で、

 家族同然になったPちゃんを、 まさか 食べることなんてできるのか?

 卒業を控えて子供たちは、 初めの約束通り Pちゃんを食べるのか、

 大論争が引き起こされます。

 初めは 「食べない」 が多かったものの、

 意見は 真っ二つに分かれていきます。

 後輩のクラスに Pちゃんの世話を引き継いでもらう という案も有力になり、

 子供たちは自ら働きかけ その準備もします。

 でも 引き継ぐ名乗りを上げたのは 3年生で、

 今や すっかり大きくなったPちゃんを

 小さい子たちが世話するのは 危険が伴います。


 この映画では、 子供たちに渡された台本は  「白紙」 だったそうです。

 彼らは 自分自身の頭と心で考え、 Pちゃんをどうするか、

 自分の言葉で 本気の議論を交わしていくのです。

 「かわいいPちゃんを食べるなんて 信じられない」

 「他のブタならいいのかよ」

 「Pちゃんとは 想い出が一杯できた。 これからも 生きていってほしい」

 「ブタは食べられるために 生まれてきたんだ」

 「食べるのは 殺すってことよ」

 「殺すんじゃなくて、 命を引き継ぐっていうことだよ」

 「Pちゃんに 最後まで生きてもらうのが 私たちの責任でしょ」

 「3年生が ちゃんと世話できるように 教えていく」

 「自分たちに解決できないから 問題を先のばしにするのは、 責任じゃない」

 「もし 最後に食べてしまうとしたら、 自分たちで最後にするのが 責任だと思う」

 どれもこれも 正しい意見であり、 聞き流せることは ひとつもありません。

 子供たちは 全員が涙を流しながら、 時には 取っ組み合いのけんかもし、

 必死で 思いを述べていきます。

 白熱の議論のシーンは 必見に値します。

 妻夫木聡も演技というより、素でやっているようにも 見えました。

 果たして クラスが出した答は……?

 正しいひとつの答はなく、 これだけ懸命に、 皆で真剣に 取り組んだ体験は、

 それこそが子供たちの 一生の宝になるでしょう。

 何にも替えがたい、 この上なく貴重な  「命の授業」 だと思います。
 

「ブタがいた教室」 (1)

2008年10月22日 21時50分41秒 | 映画
 
 1990年、 大阪の小学校であった 実話です。

 新米教師の星先生 (妻夫木聡) は、 命の大切さを学ぶ 実践教育として、

 クラスで豚を飼って 皆で育て、 最後に 自分たちで食べるという、

 驚くべき授業を始めました。

 食育や 教育のあり方が問われる はるか前のできごとです。

 言葉で教わるだけではなく、実際に 自分の体で体験して、

 命の重さを実感してもらいたい というものです。

 子豚は Pちゃんと名付けられ、

 子供たちは 力を合わせて小屋を作り、Pちゃんの世話を していきました。

 この実話は1993年、 ドキュメンタリーとして テレビ放送され、

 ギャラクシー賞や 内閣総理大臣賞を受賞して 大反響を呼んだそうです。

 残酷だ、 そんなのは教育じゃない という批判が飛び交うなか、

 教師の情熱と 子供たちの一生懸命な姿に 感銘し、 支持する人たちもいました。

 僕は この番組は見ませんでしたが、

 ニュースか何かで見て、 本当に心が 動かされました。

 自分だったら 食べるのか、 食べないのか、 あまりに難しい問題です。

 「人間が食べるもので、 水と塩 (生命の母たる海) 以外に

 生き物でないものはない。」

(化学調味料なんてのは ありますけど。)

 これは僕の “持論” ですが  (^^;)、

 生きるということは、 他の命をいただいて 生かせてもらうということです。

 昔は 家畜を裂く光景を、子供たちも日常で 見ながら育ってきたのです。

 現代は “残酷な” 場面は 日常から切り離され、

 スーパーでパックされた 肉しか見られません。

 出演者の子供たちの半数は、 豚肉がどこから来るのか 知らなかったといいます。

 グルメが隆盛を極め、 我々はおいしい料理を 満喫します。

 きれいなところだけを 見て味わい、

 “” という言葉は 差別用語にもなっています。

 昔は このような他の 「命」 をいただいているという 実感があったからこそ、

 食事の時に 心から感謝の気持ちが 生まれたのでしょう。

 今は 「いただきます」 も言えない 子供が増えているとか。

(次の記事に続く)
 

「宮廷画家ゴヤは見た」

2008年10月21日 21時42分29秒 | 映画
 
 タイトルは 「家政婦は見た」 みたいですが、 さにあらず。

 「アマデウス」 のミロス・フォアマン監督が、

 18~19世紀のスペインの 波瀾を描いた秀作です。

 ゴヤは宮廷画家として 王たちの肖像画を描く一方、貧しい庶民の姿を 描き続け、

 権力の腐敗を鋭く風刺する 版画などを創っていました。

 ゴヤにとって絵画は、 社会や人間の真実を伝える 武器でもありました。

 この映画では、 きのうの記事にも書いた ナタリー・ポートマンが、

 過酷な汚れ役を 力演しています。

 裕福な商人の娘として 天使のような輝きを放ち、

 画家としての ゴヤの目を射止めた イネスの役ですが、

 教会の異端尋問にかけられ、 無実の罪で 囚われの身になってしまうのです。

 全裸で拷問を受け、15年の牢獄生活で 精神も病んでしまいます。

 全身皮膚病のようになって、 顎もゆがみ、 老婆のような風貌で、

 「スターウォーズ」 アミダラ姫の 面影はありません。

 イネスは獄中で 身ごもらされます。

 しかし 産まれた娘は すぐ孤児院に移され、

 その後 逃げ出して 娼婦になりますが、

 ポートマンは一人二役で この娘も演じています。

 天晴れな女優魂を 見せられた思いです。

 イネスを妊娠させた ロレンソ神父は、

 「ノーカントリー」 で 不気味な殺人鬼役で アカデミー賞を獲得した

 ハビエル・バルデム。

 威厳の下に 邪心を隠し持つ 宗教者を好演しています。

 スペインは フランス革命の影響や ナポレオンの侵攻を受けて、

 権力者が二転三転します。

 そのたびに 裁く人間と 裁かれる人間が 一挙に逆転する構造は、

 実に残酷なものです。

 自由と平和の名の下に、 庶民を強奪し犯す 軍隊や権力者たち。

 ゴヤは それらを克明に 書き留めていきます。

 デフォルメによって 物事の本質を表現する ゴヤの絵画は、

 美術史の革命である 印象派の先駆けであったのでしょう。

 フォアマンは ゴヤの目を借りて、現代にも通じる 社会問題を写し取りました。
 

「ブーリン家の姉妹」

2008年10月20日 21時46分59秒 | 映画
 
 16世紀のイングランド、 ヘンリー8世には 王妃との間に男児ができず、

 世継ぎをもうけることが 最大の関心事になっていました。

 新興貴族ブーリン家の長女・ アン (ナタリー・ポートマン) が、

 王の側室に 差し出されます。

 しかし ヘンリー8世が見そめたのは、

 アンの妹のメアリー (スカーレット・ヨハンソン)。

 アンは妹に 結婚も側室という立場も取られ、 嫉妬と復讐心に 駆られます。

 そして 凄まじい策略で、 アンは 王の寵愛を奪い、

 さらに 王妃までをも追放して、 自分がその座に 座るのです。

 ナタリー・ポートマンは、

 「スターウォーズ」 アミダラ姫の 清楚で凛とした 役柄から、

 打って変わって 我の強いアンの 役どころです。

 意志が強く 才気あふれながらも、 狡猾で非情、

 目的のためなら 妹を裏切り、 悲境におとしめることを 何とも思わない。

 国家の存続よりも 自分の野心を 選ぶ女性を、 壮烈に演じています。

 一方メアリーは 純真で心優しく、 ヘンリー8世を愛していましたが、

 本当は 田舎の穏やかな生活を 望む女性でした。

 これまで 歴史に顔を出したことは ありませんでしたが、

 映画は歴史というより、 女性たちの生きざまを 描いています。

 アンは 女の子を一人 産みますが、

 その後は 身ごもった子を 流産してしまいます。

 それを王に知られたら 愛を失ってしまうと 恐れおののき、

 取り乱したアンは、 流れた子の代わりに 実弟との間で 子供を妊娠しようと……。

 恐ろしい……。

 最後の一歩で 踏みとどまったものの、 アンは 不貞と近親相姦の罪で 極刑に。

 そのときメアリーは 自分の身の危険も省みず、 アンの助命を 嘆願したのでした。

 対照的な二人の姉妹。

 メアリーは 歴史の表舞台には 残らなかったとはいえ、

 最後は望み通り、 田園での平和な家族生活を 手に入れたのです。

 何が勝ち組、 負け組と言えるでしょう? 

 世継ぎを巡って 骨肉の争いが繰り広げられ、

 多くの悲劇が 生じてしまいましたが、結局 男児は誕生しませんでした。

 ところが、 ヘンリー8世の跡を継いだのは アンの一人娘、

 のちのエリザベス1世。

 その後 45年間にわたり、

 「ゴールデンエイジ」 と呼ばれた 国家統治に君臨するのです。

 壮観な歴史の皮肉を 見せつけられた気がしました。

 それにしても 英国王室のスキャンダルは、

 何百年も前からの  “伝統” だったのでしょうか。
 

「ICHI」

2008年10月19日 21時44分03秒 | 映画
 
 あの座頭市を、なんと 綾瀬はるかが演じるという 異色作です。

 市は、盲目の三味線引きの 旅芸人・ 瞽女 (ごぜ) という設定です。

 瞽女一座から破門され、離れ瞽女となった 天涯孤独の市。

 人との関わりを断って 心を閉ざし、人を探して さすらっています。

(盲目の 居合斬りの達人という その男は、 市の父親なのか? )

 「なに斬るか 分かんないよ、 見えないんだからさ」

 そんなキャッチコピー、

 仕込み杖の逆手一文字で 男たちを斬り捨てる 綾瀬はるかは、 滅法かっこいい。

 リサ・ジェラルドの 切々たる音楽で展開する、

 市の悲運な過去の 回想シーンは、 「砂の器」 を思わせ 涙腺を刺激します。

 従来の 男の座頭市には 見られなかった、市の悲しい内面が 描かれています。

 愛されたことがなく、愛することも知らずに 生きてきた市。

 彼女のセリフには、まるで ボーダーの人を象徴するような 言葉がありました。

「 目の見えない人間には、 境目が分からない。

 今が昼なのか、夜なのか。

 いま歩いている 道の境目が いつなくなるのか。

 いい人と悪い人の 境目なんて、 どこにある? 

 生きてるのか 死んでるのかさえ、 私には はっきり見えない……!

 ………別に、生きていたいとも 思いませんけどね……」

 何故 この作品に 「境目」 という 言葉が使われたのか、

 不思議で 因縁を感じます。

 これは 綾瀬はるか自身も、最も印象に残っている セリフだそうです。

 そんな市が 旅の途中で出会った、

 刀を抜けない剣士・ 藤平十馬 (大沢たかお) や、 その他の男たち。

 彼らと関わり、賊党と渡り合うなかから、

 市は次第に 人との触れ合いを求めていきます。

「 境目が、見えてきた気がする……」

 そう言って市は、心のぬくもりを 取り戻していくのでした。

 監督は 「ピンポン」 の曽利文彦、

 脚本は ドラマ 「ラストフレンズ」 の浅野妙子です。
 

医療ミス

2008年10月18日 21時25分47秒 | Weblog
 
 先月、病院で 手首に点滴をするとき 針が神経に触れてしまい、

 激しいしびれが走ったことを 書きました。

 その後も 親指の付け根に しびれがあり、

 撓骨(とうこつ)神経麻痺の可能性を 教えてくれた看護師さんもいました。

 でも幸い、感覚が麻痺したり、手に力が入らなかったり という症状はなく、

 撓骨神経から枝分かれした 細い神経が傷ついたらしいです。

 3ヶ月くらいで治っていくと 言われていますが、

 1ヶ月経った現在、しびれは むしろ広がった感じで、良くはなっていません。

 神経は 1日に1ミリ 伸びるそうなのですが、

 神経が 手首の所で傷つくと、神経が伸びていくにつれて、

 その箇所がだんだん 指のほうへ移動していきます。

 親指の先まで 神経が12センチあるとして、

 傷ついた部分が 指先まで行って 消滅するのに、120日かかるという計算です。

 ただし、しびれは 神経の傷の部分に 起こるわけではなく 複雑で、

 傷以外の部分がしびれたり、傷が治っても しびれは残る場合もあるそうなのです。

 それでも 治ることは治るというのですが、100%ではありません。

 点滴の際の 医療ミスには違いなく、もしも しびれが後遺症として残るとしたら、

 病院に 何とかしてもらわなければならないと 思います。

 このまま治れば、できるだけ 事を荒立てたくはないので、

 今の治療費は 払おうと思っていました。

 ところが、きのう診てくれた 整形外科の先生は 配慮をしてくれ、

 今の診察費と薬代も 病院で負担すると言ってくれました。

 それは ありがたいことで、

 前回支払った分も 領収証を持ってくれば、返金してくれるということです。

 でも とにかく無事に 治っていってほしいものです。

 もし 補償してもらったとしても、後遺症が残るなんて たまりませんから。

 来週、神経内科の部長という人に 診てもらうことになっています。
 

適切な行動を強化する (パワーツール〈8〉) --ランディ・クリーガー氏講演会 (14)

2008年10月17日 22時28分47秒 | ボーダーに関して
 
(前の記事からの続き)

◇適切な行動を強化する

 正の強化と 負の強化がある

 適切な行動を 強化することと、 不適切な行動が 強化されてしまうこと

 適切な行動を 強化していくようにする

 大切なのは 言葉ではなく行動

 境界が試されることを 予期しておく

 間違った行動が 強化されるのを避ける

 境界を破る行動を 強化しない

 議論をすると 論争を強化するので、 議論しない

 自分の境界を崩さないよう、 毎回はっきりさせる

 小さな目標を果たすことを 積み重ねていく

 変化することは難しい. 少しでもできたら、 それを大事にしてあげる

(以上)
 

愛のある境界 2 (パワーツール〈7〉) --ランディ・クリーガー氏講演会 (13)

2008年10月16日 22時13分31秒 | ボーダーに関して
 
(前の記事からの続き)

・境界について 話し合う計画をする

 実際に BPDの人と話し合う前に 準備をする. セラピストと話す

 BPDがキレたときには 去っていくと、 明確にしておく

 境界を設けなかったときの 代償を考える

 崖から落とされる?  そこまで追い詰められる前に 設定する

 境界が守られなかったときの 対応策を考える

 他の家族とも同意する. BPDが子供の場合は、 父と母が合意する


 長期的結果を考える. 最悪を考えて 最善を尽くす. 頭を整理しておく

 話し合う場所と タイミングを選ぶ

 話し合うとき 怒鳴り散らしたら、 その場を離れる

 まず、うまくいっていない現状を 説明する

 感情的にならず、 落ち着いて客観的に話す

 自分がつらかったときの 感情を伝える

 「あなたがこうしたから」 ではなく、「私はこういう経験をした」 と、

 「私」 を 主語にして話す (私メッセージ)

 「あなたのせいで」 と言うと、10倍になって返ってくる

 目的は 関係性を大事にすること. 自分の感情は 別の場で発散する


 お互いの関係が 良かったときの利益を 強調する

 BPDの人が 関係を受け止めてくれたら、 二人とも 共有した目的に進める

 関係が重要でない と言ったら、 別の対応をする

 そのときも脅すのではなく、非言語のコミュニケーションが大事

 相手に 「感情的になるな」 と 押しつけない

 相手を否定しない. 相手の感情を無視しない

 自分がされたくないように、批判したり レッテルを張ったりしない


 境界を設定するときは、 許可を求めるのではなく、 こちらから言う

 自分の限界を主張する. 細かく説明しすぎない

 優しく、 しっかりと、 繰り返し言う (壊れたレコードのように)

 頭の中で ポジティブな自己対話をする

 ロールプレイをする. ブラスとマイナスを 自分の中で言い聞かせる

 交渉が必要なときもあるし、 できることもある. お互い了承できるようにする

(次の記事に続く)