「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

出所者雇用で孤立防げ -- 罪と罰 (4)

2011年02月28日 21時19分01秒 | 罪,裁き,償い
 
 刑務所からの出所者は 生活保護申請もなかなか受け付けられず、

 福祉施設も受け入れに消極的です。

 刑務所へ行ったのは 自分の責任と見られ、

 福祉施設は 関わるのが怖いと思っています。

 その結果、 再犯するしかない状況まで 放置されてしまいます。

 出所者の多くは 我々と異質な存在ではありません。

 日本では 家族や地域の絆が崩れ、

 高齢者の孤立や、 児童虐待、 薬物依存などの 社会問題が噴き出しました。

 それに貧困が加わり、 止むを得ず盗みを繰り返すような 出所者も増えています。

 その解決は 福祉の仕事です。

 支援に甘えて 自立できない人も出てこないかという 意見がありますが、

 ホームレスの支援でも 半数近くが自立できています。

 罪の償いは 刑を受けたことで 区切りが付いたはずで、

 出所者を差別するべきではありません。

 欧州では、 ソーシャルファーム (社会的企業) が普及しています。

 地域住民と連携して 農業や食品製造、 レジャー施設経営などが行なわれ、

 障害者や高齢者、 出所者を雇用しています。

 生活が安定してこそ、 悔い改める気持ちを持続できます。

 ソーシャルファームのような 地域のつながりの中にいれば、

 正しい生き方を 学ぶこともできます。

 罪を犯した人だからこそ、 孤立させず、 更生への努力を 続けさせるべきなのです。

〔 読売新聞より 〕
 

再犯防止へ家族支援を -- 罪と罰 (3)

2011年02月27日 19時23分30秒 | 罪,裁き,償い
 
 刑務所出所者の4割以上が、 5年以内に再犯を起こしています。

 刑事政策は、 裁判、 刑務所、 社会復帰の各段階が

 ぶつ切れになってしまっています。

 刑罰の目的は更生だ という共通意識がなく、

 再犯の問題を 自分の責任だと考えていません。

 刑務官が 受刑者の話を ただじっくり聞くだけで、

 反抗的態度がなくなることが よくあります。

 規律と監視で抑えるだけでなく、

 「同じ高さの 目線で働きかければ 受刑者は変わる」 と 考えるべきです。

 それには 刑務官の数を増やすなど、 現場に余裕を持たせることも 重要です。
 

 仮釈放が減って、 満期出所が年々増え、 出所者の半数を超えています。

 仮釈放したくても引き受け先がなく、 そのまま満期を 迎えてしまう人が多いのです。

 そうすると 保護観察や保護司が 関わることが困難で、 再犯の可能性が高まります。

 出所者を受け入れる基盤として 最も望ましいのは家族ですが、

 難しい場合が多いのです。

 今の更生保護は、 家族にまで 目が行き届いていません。

 家族が引き受け先として 機能するよう助言したり、

 福祉サービスにつなげたりする、 家族支援を専門にできる 部署が必要です。

〔 読売新聞より 〕
 

被害者と向き合う教育を -- 罪と罰 (2)

2011年02月26日 22時01分10秒 | 罪,裁き,償い
 
 刑の厳罰化が 進んでいると言われますが、

 被害者学会理事の諸沢英道教授は、 刑の適正化だといいます。

 日本では従来、 被害者に対する責任が 重視されず、

 欧米に比べて 刑期が短かったが、 被害者の意見が 反映されるようになりました。

 加害者の償いは、 事件直後から 被害者への謝罪に努めるべきです。

 直後ほど被害感情は峻烈で、 そこを乗り越えることに 意味があります。

 被害者参加制度により、 加害者が直接、

 被害者に 真摯な償いの意思を 伝えれば、 量刑も考慮されるでしょう。

 特に裁判員は 被告の悔悟を重視します。

 刑務所では、 被害者感情を理解させる教育が 広く行なわれるようになりましたが、

 教育を担う人材が 不足しています。

 一部の被害者遺族が 被害体験を語っていますが、

 教育できる刑務官を育てるべきです。

 「刑務作業で 規律を身に付けさせれば 社会復帰につながる」と、

 刑務所は考えています。

 しかし、 罪に向き合うとは、

 被害者と向き合うことだと 理解させなければなりますせん。
 

 被害者に手厚くするからといって、

 加害者を社会から排除する 二者択一は間違っています。

 被害者の多くは、 「また被害に遭う人が出るのが 一番つらい」 と言います。

 加害者が中傷され、 精神的・ 経済的に追い込まれると、

 出所後の居場所がなくなり、 再犯の連鎖を生みかねません。

 加害者が 犯罪と無縁の生活を 送れることが、 被害者が望むことでもあるのです。

〔 読売新聞より 〕
 

受刑者に応じ多様な刑を -- 罪と罰 (1)

2011年02月25日 21時56分13秒 | 罪,裁き,償い
 
 読売新聞の 「罪と罰」 のシリーズで、

 刑罰はどうあるべきか についての連載です。


 初犯で服役する人は、 最初は 「ちゃんとやり直そう」 と思っても、

 刑務所では 細かい規則で縛られており、

 決められた日課を こなすだけの日々が続きます。

 他者を思いやる社会性を 身に付ける環境では ないといいます。

 ぬるま湯的で、 真の更生につなげるのは 難しいようです。

 PFI (官民共同運営) 刑務所という 試みがあります。

 受刑者を 40~50人程度のユニットに分け、

 平日の夜に ミーティングを行ないます。

 そこで受刑者は 認知行動療法に基づく アドバイスを受けたり、

 集団生活のルールについて 互いに話し合ったりします。

 従来の刑務所では、 受刑者同士のコミュニケーションを 避けてきました。

 しかしそれでは 問題解決能力が身に付きません。

 刑務所の中にも 社会と同様の環境が 必要なのです。

 それには自らを律したり 自分を見つめ直したりしなければならず、

 かえって 受刑者に厳しい面もあります。

 刑についても 懲役だけでなく、 福祉的ケアを組み合わせるなど、

 被告の特性に応じた 多様なメニューを用意すべきです。

 それには 裁判の段階で、 被告にはどのような処遇が適切か、

 ソーシャル・ワーカーなどの専門家が 被告のアセスメント (評価) をして、

 刑に反映させる仕組みが 求められます。

 裁判、 刑務所、 出所後の働きかけ。

 3つの段階が結びついて、 贖罪や更生の意識を 養えるのです。

 法制審議会は、 刑期の終盤の一部について 執行を猶予し、

 その間、社会の中で更生させる 制度案をまとめました。

 これは薬物犯に有効です。

 刑務所内での薬物防止教育だけでなく、

 社会の中で 薬物の誘惑に打ち勝つ 訓練を積むのです。

〔 読売新聞より 〕
 

消えるカギ !? 

2011年02月24日 19時37分04秒 | Weblog
 
 自転車のカギをなくしました。 (;_;)

 昨年の10月末、 職場で カギがないのに気付き、 その日は電車で帰宅。

 合カギ屋さんで 新しいカギを作ってもらいました。

 ところが先日、 再び カギをなくしてしまいました。 (- -;)

 以前 自転車に乗っていたころや、 自宅のカギは

 何十年もなくしたことがないのに、 今度の自転車のカギは、

 わずか4ヶ月足らずの間に 2回もなくしてしまったことになります。 (- -;)

 そして今日、 また この前の合カギ屋さんで カギを作りに行きました。

 この前 作ってもらったばかりなのに、 などと 店員さんに話ながら。

 そうしたところが、 その帰りに、 何と三たび、

 作ったばかりのカギが なくなってしまったのです …… !! ( ̄□ ̄;)

 信じられん …… ! 

 一体 どうなってるんだ !?

 通った道を探しても 見つからず。

 合カギ屋さんの前まで 行きましたが、

 またもやなくしたとは 恥ずかしくて言えず、 中に入れませんでした。

 その時、 前回のことを思い出ましたし。

 店員さんは、 頼んでいない ワイヤーロックのカギを ただで作ってくれたのです。

 (詳しい事情は省略しますが。)

 それで 今度もただで 作り直してくれはしないかと期待し、 店に入っていきました。

 ただし 今日は 前回の店員さんとは別の人です。

 「カギが落ちてませんでしたか?」

 と聞いても 落ちていないと。

 「ポケットに入ってませんか?」

 もちろん何度も探したので ないはずなのですが、

 「もうひとつ作りましょうか?」

 という 店員さんの言葉を期待しながら、 ポケットやカバンの中を 探していました。

 でも、 その言葉は聞かれず……。 (- -;)

 「もう少し探してみます……」

 と言って、 店を出てきました。 (;_;)

 帰り道、 もしや あの店は、

 魔法の “消えるカギ” を 作っているのではないか? 

 もう一度 カギを作らせるために、 とさえ 思ってしまいました……。  (^^;)

 まあ そんなことはないでしょうが、 少なくとも縁起がよくないので、

 今度は別の店で 作ることにします。 (・_・;)

 それにしても、 何故カギは消えたのか、 不思議です。 (?_?;)
 

胃ろう/PEGの倫理面

2011年02月22日 20時12分09秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 「食べ物が食べられなくなったら、 生きている意味がない」

 「口から食べることは、 人間としての 最低限の権利であり、 尊厳だ」

 そのように考える人は 少なくありません。

 確かに、 胃に栄養を入れても、 味覚は満足できません。

 自分で咀嚼して 飲み込むということは、 全身にも心理的にも 大切なことです。

 しかし、 食事介助に1時間も2時間も かかっていた家族が、

 PEGを着けたことによって 余裕が生まれ、

 より優しい気持ちで 患者に接することができて、

 さらに手厚い介護が できるようになったという話もあります。

 介護を受ける側の人も、 家族に負担や迷惑をかける 心苦しさが軽減されるでしょう。

 また、 飲み込むことが 難しくなっている人にとっては、

 誤嚥によって 命を落とすこともあります。

 食事のたびに 肺炎を起こさないかと ハラハラしていた人も、

 PEGで大きな安心感が 得られるのは大切なことです。

 ただし、 回復の見込みのない人に PEGを施すことは、

 治療のゴールがなく、 無意味な延命治療になる 場合があります。

 限りなく続く医療行為は、 その人のQOLを 害することにはならないでしょうか?

(なかには、 年金を受け続けるために、

 親を生かしておく家族さえ いるといいます。)

 自分で食べ物や水分を 取ることもできず、 その意欲もない人に、

 強制的に栄養を 与え続けることは不自然で、

 枯れるように亡くなっていくのが 自然だとも考えられます。

 ターミナルケアやホスピスケアでも、 過度な延命治療はせず、

 穏やかに死を迎えることが  「尊厳死」 とされています。

 その際に 最も大切なのは、 本人の自己決定権です。

 意識障害や重度の認知症で、 本人の意思が 確認できない場合は、

 家族がそれを 推し量ることもできます。

 自分の 人生の最後に備えて、 平素から意思表示をしておくのも 重要でしょう。

 また、 認知症の初期の段階で 本人に告知し、

 判断ができるうちに 意思を確認しておくことも 必要だと言われています。

〔参考資料 : PEGドクターズネットワーク 他〕
 

胃ろう/PEGの適応

2011年02月21日 20時32分13秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 PEGの効用を 過信するあまり、 適応の範囲が拡大しすぎて、

 必要のない人にまで PEGが適応されるケースも 出てきています。

 超高齢者や末期の患者など、

 人生の最期を 静かに迎えようとしている人に PEGを施すと、

 体力が付いてしまって、

 “いつまで生きたらいいのか” という 問題が生じるケースもあります。

 “死にたいのに死ねない” というような 状況も出てきてしまうのです。

 PEGの普及に努めてきた ドクター自身が、

 PEGを着けて ベッドに横たわっている 患者の姿を見て、

 これが本当に幸せなことなのか、 自分のしてきたことに 疑問を持ったといいます。

 植物状態に近い高齢者や、 意識レベルが低下した末期患者は、

 PEGの適応を 慎重に考えなければなりません。

 PEGが適応されるのは、 認知症や脳血管障害, 神経筋疾患などによって、

 飲み込むことが難しくなった人です。

 ただし その前提は、 胃腸の機能が 正常な人です。

 胃腸が働いていない人は、 血管からの点滴 (静脈栄養) をすることになります。

 点滴で 栄養を補給する場合、血管に 菌が入ると危険ですが、

 胃は胃酸があるので安全です。

 胃の方が 高カロリーの栄養剤を与えることができますし、

 小腸から吸収することで 免疫力もアップします。

 胃管の適応のうち、 使用する期間が 4週間以内の場合は経鼻胃管、

 それ以上では PEGが適しています。

 従って 1ヶ月以内に 死が訪れるような患者は、 PEGは不適と言えます。

 いずれにしても、 患者の 身体的な様々な症状や、 家族の受け入れ態勢、

 その人たちの価値観なども含め、 PEGを着けるかどうか、

 注意深く検討する必要があるでしょう。

(次の記事に続く)

〔参考資料 : PEGドクターズネットワーク 他〕
 

胃ろう/PEGの メリット・デメリット

2011年02月20日 19時29分03秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 PEGは 一度造設すると 死ぬまで着けたまま、 というものではありません。

 栄養補給によって 全身状態が良くなり、

 体力が回復して 再び口から食べられるようにもなるのです。

 そして PEGが必要なくなったら、 チューブを抜くことも可能です。

 抜くのは数分ででき、 あとの穴は 翌日にはふさがります。

 PEGは また口から食べられるようにするための、

 嚥下 (えんげ=飲み込むこと) のリハビリの手段と 考えることもできます。

 体の状態が良くなることで、 リハビリが円滑に進み、 患者のQOLは上がるのです。

 鼻に管を通していると、 嚥下のリハビリをしても、

 食べ物が管に当たって 飲み込みにくく、

 誤嚥 (ごえん=食べ物が気管に入ってしまうこと) も起こります。

 栄養状態が良くなれば、 褥瘡や免疫機能の低下も 防げます。

 PEGで 必要な栄養を確保しながら、

 食べられるものは 口から味わうという方法もあります。

 また 経鼻胃管は管理が困難で、 そのためだけに 入院している人もいますが、

 PEGなら在宅で管理でき、 家族と過ごすこともできます。

 もちろん PEGはメリットばかりではなく、 デメリットもあります。

 造設が簡単だといっても、 お腹に穴を開けるわけですから、

 手術の際の 感染症の可能性はあり、 造設後1ヶ月で 死亡した例もあるそうです。

 術後の管理をしっかりしなければ、 皮膚のトラブルや、 感染, ただれができたり、

 栄養剤の漏れや、 嘔吐, 下痢が起こることもあり得ます。

 また、 PEGに栄養剤を 入れることができるのは、

 医療者と家族だけなので、 受け入れてくれる施設が少ない という現実もあります。

(栄養剤の注入は、 寝た状態で1~2時間)

 在宅で家族が介護できる 環境があればいいのですが、

 それでも家族の負担は 増すでしょう。

(次の記事に続く)

〔参考資料 : PEGドクターズネットワーク 他〕
 

胃ろう/PEGの進歩

2011年02月19日 19時00分26秒 | 介護帳
 
 高齢や病気などによって、 口から食事を 食べられなくなってしまった場合、

 点滴で栄養を補給するか、 胃に直接 チューブで栄養剤を注入します。

 後者には、

 鼻から管を入れて 胃まで通す経鼻胃管チューブ (マーゲンチューブ) と、

 腹部に穴を開けて 胃に管を通す  「胃瘻 (いろう)」 があります。

 僕は約10~20年前、 ターミナルケアなどの勉強をしていました。

 その当時、 胃ろうというと 僕は、

 延命のための 最後の手段、 食事介助の手間を省くための 本人無視の手段という、

 ネガティブなイメージを持っていました。

 ところが、 この10年ほどの間に 技術は進歩し、

 今は ペグ (PEG〔*注〕) と言って、

 本人にとっても 非常に快適なものになってきたのです。

〔*注 : Percutaneous (経皮的)

      Endoscopic (内視鏡的)

      Gastrostomy (胃瘻造設術)  の 頭文字をとったもの。〕

 PEGを利用する人は、 02年に14万人、 09年には40万人と急増しています。

 5~10年 生存している人が、 60%以上だといいます。

 以前は 胃ろうの手術 (造設) は、 全身麻酔で開腹手術をしていました。

 しかし現在は 局部麻酔による内視鏡手術で、 5~15分で終わるといいます。

 本人の負担は 非常に軽くなり、 術後の管理も とても簡単で、

 ピアスの穴を開ける感覚だと 言う人もいます。

 経鼻胃管は、 常に鼻から 管を入れているため、 本人にとっては 大変不快で、

 管を取ってしまう人も多く、 1~2週間ごとのチューブの交換も 苦しいものです。

 それに対して PEGは、 そういう苦痛がありませんし、

 4ヶ月~半年に1度の 交換で済みます。

 清潔にしていれば 消毒やガーゼを 当てる必要もなく、

 PEGを着けたまま 入浴もできますし、 外見も 普通の人と変わりません。

 何より、 栄養が取れることによって 全身状態が改善し、 肌つやも良くなって、

 QOL (クオリティー・オブ・ライフ = 生活の質,生命の質) が高まるのです。

 PEGを着けたまま、 ゴルフができるようになった という人もいるそうです。

(次の記事に続く)

〔参考資料 : PEGドクターズネットワーク 他〕
 

「ハーモニー  ~ 心をつなぐ歌」

2011年02月17日 20時19分32秒 | 映画
 
 きのう 心子の墓前に 会いにいったあと、 映画 「ハーモニー」 を観てきました。

 韓国の女子刑務所を舞台に、 在監者たちが合唱団を結成した 実話を元にした話です。

 主人公のジョンヘは、

 お腹の中の我が子を 夫の暴力から守るため、 夫を殺してしまいました。

 獄中で出産した女囚は、

 18ヶ月まで 刑務所内で子供を育てられる という規則です。

 (この赤ん坊役の子が また実に愛くるしい。)

 ジョンヘの他にも、

 それぞれ 止むに止まれぬ事情を抱えた 服役者が集まっています。

 そんな彼女たちが、 合唱を通じて 心を開いていき、

 人生に前向きになっていくという、 まあ お決まりのストーリーなんですが、

 実によく 作り上げられている作品です。

 当初は 個性の強い在監者たちの 不協和音が、

 次第に美しいハーモニーを 生み出していくのです。

(涙腺 弱くなってます。σ(;_;))

 我が子との別れ、 家族との不和と再会など、

 胸にしみるエピソードが 散りばめられています。

 劇中で歌い上げられる 数々の名曲も 素晴らしいバイプレーヤーで、

 それだけで琴線が刺激されました。

 死刑に対しても 問題提起をしています。

 韓国には死刑制度がありますが、 もう10年以上 執行されていないようです。

 映画では、 死刑囚と他の服役囚が 同じ部屋に収監されていたのですが 〔*注〕、

 これが事実だとすると、 同居家族のように暮らしている 在監者にとって、

 ある日突然 そのうちの一人に 死刑が執行されるのは、 余りにも酷なことでしょう。

〔*注 : 日本などでは、

 死刑囚は拘置所、 一般の服役囚は 刑務所に収容されています。

 一般の服役囚は 刑務所にいること自体が 刑の執行ですが、

 死刑囚は 死刑が執行されるまでは それを待っているだけですから、

 両者は区別されます。〕

 親密になっている 刑務官にとっても、

 在監者に 自ら手をかけなければならないのは、 これ以上にない 苦痛だと思います。

 死刑制度は そういうジレンマを含んでいるということも、

 よく理解しておかなければなりません。
 

10年目の誕生日月

2011年02月16日 21時38分35秒 | 心子、もろもろ
 
 今月は 心子が年を取らなくなってから 10年目の誕生日月で、

 今日 お墓参りに行ってきました。

 誕生日は2月21日ですが、 その日は僕は勤務。

 月命日の明日17日は 雨が降るというので、 本日 行ってきた次第です。

 生きていれば 今月で心子は 47才になっていたはずです。

 相変わらず 大人になった心子を 想像できません。 (^^;)

 お墓の最寄り駅の 花屋さんへ行くと、 ちょうど 先月の店員さんがいました。

 心子へのブーケを作りながら、 10年目の命日の話を 聞いてくれた人です。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61518761.html
         http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61516290.html )

 その人は 週1くらいでしか来ない人で、 今日は10日ぶりだと 言っていました。

 本当に偶然の幸運です。

 たまたま今日 お墓参りに行くことを、 心子が導いてくれたのでしょうか。

 先月渡せなかった、  「境界に生きた心子」 のチラシを 受け取ってもらいました。

 感想でも聞かせてもらえたら 嬉しいのですが。

 今日は花だけでなく、 誕生日プレゼントの代わりに ケーキも買っていきました。

 お墓に行くと、 チョコレートが供えてありました。

 恐らく、 同じお墓に眠っている 心子のお兄さんへ、

 バレンタインデーに手向けられたのでしょう。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/22626120.html )

 チョコレートは、 昨日降った雪を かぶった形跡がありました。

 もしかすると、 お兄さんの内妻さんが 供えたのでしょうか? 

 心子のお義姉さん(?)は、 お兄さんが亡くなった後、

 心子のお母さんと 養子縁組をしました。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/22846862.html )

 けれどもその後、 別居するようになってしまったそうです。

(養子を解消したかどうかは 聞き損ねました。)

 お義姉さんは 今はどうしているでしょう。

 今までバレンタインの後に 心子の墓前へ行ったとき、

 チョコレートが置いてあったことは ないのですが、

 お兄さんや心子と 心がまだ繋がっていると 嬉しいですね。

 さて、 心子の10年目の誕生日祝いは、 また2月21日に することにしましょう。
 

介護職の 「心の健康」 守る

2011年02月13日 20時28分34秒 | 介護帳
 
〔 読売新聞より 〕

 介護職員は、 老いや死と向き合いながらも、

 職場では 明るくにこやかな態度が 求められます。

 高度な感情コントロールを必要とする  「感情労働」 のひとつです。

 感情的に疲弊すると、 相手への思いやりや 仕事への意欲を失う 

 「燃えつき症候群」 に陥ってしまいます。

 介護職員のメンタルヘルスは サービスの質を左右するだけに、

 職員のメンタルケアに 力を入れる事業所も 現れてきました。

 ある特別養護老人ホームでは、

 生活相談員が 介護フロアを周りながら 職員に声をかけます。

 生活相談員は 利用者や家族の 相談・援助をする仕事ですが、

 ここでは メンタル面を含めた 介護職員のサポートも行なっています。

 相談員は事務室ではなく 介護フロアに常駐し、

 声や足音も感じ取って、 利用者や職員の様子を 把握します。

 まず 外部の専門機関と連携して、 全職員のストレス診断を 定期的に実施。

 臨床心理士による 電話相談 (週2回) も導入しています。

 職員の変調に気付けば、 常駐の医師や看護師につなぎ、

 必要に応じて 精神科クリニックに紹介します。

 先輩職員が新人を マンツーマンで指導する  「チューター制度」 に、

 メンタル面のサポートも盛り込んでいます。

 職員は 安心感と納得感を持って 働くことができ、

 それが結果的に サービスの質を上げ、 利用者の満足度を高めるのです。

 職員のストレスは、

 認知症に対する理解不足や 技術の未熟さが 原因にある場合もあります。

 人手不足や賃金なども 要因になるでしょう。

 総合的なメンタルヘルスを 考えていく必要性が求められています。
 

「小規模多機能」  ニーズに応え進化

2011年02月12日 20時24分20秒 | 介護帳
 
〔 読売新聞より 〕

 介護保険の 「小規模多機能型居住介護」 は、

 認知症高齢者を主な対象として、 2006年に作られました。

 少人数の 家庭的な雰囲気の施設に 昼間に通い、 必要によってそこに泊まったり、

 スタッフがヘルパーとして 自宅に来てもらうこともできます。

 しかし 利用者のニーズに応じて、 生活支援だけでなく、

 看取りを行なう 事業所が増えるなど、 多様化が進んでいます。

 医療行為が必要な ある高齢者は、 介護施設で なかなか受け入れてもらえず、

 長く入院できる病院も あまりありません。

 住み慣れた地域での 生活を支える小規模多機能が、

 医療対応や 看取りも行なうべきだといいます。

 がん末期で認知症の ある男性は、 家族は仕事があって 自宅療養が困難でした。

 小規模多機能での宿泊を利用し、

 総合病院の 在宅医療チームと訪問看護ステーションとで 連携体制を作りました。

 男性は一ヶ月後、 家族やスタッフに囲まれて、 眠るように息を引き取りました。

 通所 (通い) よりも 訪問に力を入れている 事業所もあります。

 通所に行っても、 家に戻りたがる 認知症の人は多く、

 スタッフが一緒に 家まで付いていきます。

 一日に4往復したことも あるといいます。

 小規模多機能では 家族の支援は仕事の柱です。

 家族の状況を知る上でも 訪問は重要だということです。

 このように 様々な特徴を持つ 小規模多機能が生まれています。

 柔軟な対応ができる 事業所が増えれば、

 在宅生活を支える 切り札になりうるでしょう。
 

ホームホスピス

2011年02月11日 21時50分59秒 | 介護帳
 
〔 読売新聞より 〕

 自宅で最期を迎えたくても、 介護する家族がいないなどという 高齢者を受け入れ、

 家に近い環境で 終末期を穏やかに過ごすという、

 「ホームホスピス」 が広がっています。

 兵庫県で 介護事業を行なうNPOが、

 民家を改装して ホームホスピスを開設しました。

 女性スタッフが食事の支度をし、 居間では入居者たちが トランプを楽しんだり、

 入浴後にくつろいだりしています。

 がん末期や、 脳梗塞で 一人暮らしが難しくなった人など、

 80~90才代の4人が 暮らしています。

 スタッフが 昼は二人、 夜は一人が常駐し、 身の回りの世話などをします。

 必要な医療は、 主治医の往診や 訪問看護を受けています。

 費用は、 入居時に30万と、 毎月15万程度かかります。

 ある入居者は語ります。

「ここには何の規則もない。

 『もうひとつの家』 みたいに 暮らしていて嬉しい」

 別の男性の入居者は、

 病院から 「もう治療することはない」 と 退院を迫られ、 ここへ来ました。

 往診医から 痛みの緩和ケアを受け、 他の入居者と 和やかに食卓を囲みます。

 休日には家族が来て 水入らずの時間を楽しみました。

 男性は 家族や入居者、 スタッフたち一人一人に

 「ありがとう」 と言って 亡くなりました。


 最後の療養場所として 自宅を望む人は 60%に達する一方、

 それが実現可能なのは 6%に過ぎません。

 家族に負担がかかる、 症状が急変した時が不安 などの理由で、

 実際には8割が 病院で亡くなっています。

 家族の介護力が 弱まるなか、「多死社会」 の受け皿として

 ホームホスピスのニーズが高まり、 数は増加しています。

 収入源の確保が難しい などの課題があり、

 公費による補助などの 支援が求められます。
 

「自分らしい最期」 の準備

2011年02月10日 21時05分01秒 | 介護帳
 
〔 読売新聞より 〕

 施設に入所する高齢者が、 病気の症状が 進んできた場合、

 苦痛を伴う治療を 続けるかどうか、 選択するときが来ます。

 物を食べられなくなれば、 病院では、 鼻からチューブを通す 経管栄養や、

 胃に穴を開けて 補給する胃ろうの 処置を受けることになるでしょう。

 2006年の介護保険の改正で、 施設で入所者を看取ると、

 介護報酬の加算が 受けられるようになりました。

 入所者が慣れ親しんだ施設で 人生を終えたいと希望すれば、

 看取りの介護を行なう 介護施設が増えてきました。

 こうした施設では 入所時に、  「事前確認書」 への記入を求められます。

 例えば 次のようなものを選んで、 施設側に伝えるのです。

1. 終末期を病院、 施設、 自宅のいずれで過ごすか

2. 病院で積極的に治療するか、 施設で 苦痛を取り除く 緩和ケアを受けるか

3. 心停止、 呼吸停止のときの 蘇生を受けるか

4. 病気を告知してほしいか

 大切なのは、 その考えが変わったときにも 率直に言い出せるよう、

 本人や家族、 施設職員の間で 意思疎通が図られていることです。

 意思表示が難しくなれば、 家族が 本人の元気なときの 希望を踏まえて判断します。

 従って、 家族でよく話し合っておくことが 大切です。

 課題は、 認知症などで 入所時に本人の意志を 確認できないケースです。

 元気なうちに  「終末期宣言書」 を書いて 登録しておく方法もあります。

 残った家族が 気に病んだり、 悔やんだりしないためのものでもあります。

 自分らしい死に方を 考えることは、 自分の生き方を 問い直すことです。