「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

性別のアンケートに、 「GID」 「LGBT」 の選択肢

2015年05月06日 22時43分19秒 | 心理
 
 僕は 「にほんブログ村」 という サイトを利用しています。
 
 自分のブログの ランキングその他が 表示されたりするサイトです。
 
 先日、 ブログ村運営のための アンケートがありました。
 
 「あなたの性別を教えてください。」  という質問項目には、
 
 「男」 「女」 以外に、 何と
 
 「GID」 「LGBT」 「わからない・その他」 という 選択肢がありました。
 
 「GID」 は 「性同一性障害」。
 
 「LGBT」 は、
 
 「レズビアン」 「ゲイ」 「バイセクシュアル」
 
 「トランスジェンダー」 (戸籍上の性と生活上の性が 異なる人) の頭文字です。
 
 つまり 性的少数者 (セクシュアル・マイノリティ) を 示す言葉です。
 
 性別の質問に、 こういう選択肢があるアンケートは 初めてで、 とても驚きした。
 
 セクシュアル・マイノリティを尊重した、 サイトの達見に感銘しました。
 
 僕は20年くらい前に、
 
 セクシュアル・マイノリティ, セクシュアリティについて勉強していました。
 
 (以下のURLから、 セクシュアリティの記事を連載しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34207010.html )
 
 性別を問われたり、 記入しなければならない場面は 日常に溢れていますが、
 
 セクシュアル・マイノリティの中には、
 
 これに答えられず 苦悩している人たちが少なくないのです。
 
 そういうことに配慮したアンケートは 極めて貴重で、 素晴らしいものです。
 
 いつから こういう選択肢を加えているのか、 サイトに問い合わせたところ、
 
 4~5年前からという回答があり、 感服しました。
 
 行政では渋谷区で、 同性愛カップルのパートナー・シップ制度が、
 
 やっと認められたばかりのところです。
 
 なお 選択肢の中の、 「わからない・その他」 というのに
 
 違和感を覚える方もいるかもしれません。
 
 セクシュアル・マイノリティの中には、 自分の 「性自任」、
 
 つまり 自分が男か女か分からない, または中間, または変化するなど、
 
 実に様々な人がいるのです。
 
 セクシュアリティは 単に男と女だけで 割り切れるものではなく、
 
 実に多種多様なものです。
 
 (上記のURLから 記事を読んでいただけたら幸いです。)
 
 それらへの理解が 広まっていけばと願います。
 
 そして、 BPDへの理解も。
 

カウンセリング概論のレポート

2015年05月03日 18時23分22秒 | 心理
 
 カウンセラー養成講座の 「カウンセリング概論」 に提出した、
 
 レポートの一部をコピーいたします。
 
『 カウンセリングに関しては、 下記のようなことが大変有意義だった。
 
(1) 「クライアントもカウンセラーも自己対話する」
 
(2) 「クライアントの反応に対する感受性と、 軌道修正をする柔軟性」
 
(3) 「クライアントが 自分で問題を解けたという 自分への信頼感が生まれる」
 
 カウンセリングは、
 
 クライアントが悩んでいる問題に カウンセラーが答を与えるものではなく、
 
 クライアントが自分自身で、 自分の中にある答を見つけていくものだ。
 
 かつて僕は ホスピスの勉強で、 次のようなことを学んだ。
 
 底知れない悲しみに 苦しんでいる人を支えるのは、
 
 励ますことでも 苦しみを除く方法を教えることでもなく、
 
 その人が必ず その人自身を救う力を 持っていることを信じて、
 
 ひたすらその人の傍らに  「居る」 ということだと。
 
 (1) は、 そのために クライアントが自己対話するだけではなく、
 
 カウンセラー自身も 自己対話が必要ということ。
 
 カウンセリングは カウンセラーとクライアントの対話に見えても、
 
 実は カウンセラーとクライアントが それぞれ自分の中で対話するのだということは、
 
 カウンセリングの深さを感じる。
 
 カウンセラーの自己対話は  (2) に繋がっていくのかもしれない。
 
 (2) は、 カウンセラーは カウンセリングの流れをコントロールしたり、
 
 クライアントを導く必要はない ということだが、
 
 それはカウンセリングの希望のように 僕には思えた。
 
 カウンセリングは カウンセラーから独立して生きており、
 
 カウンセラーは それをしっかりと見つめながら、
 
 カウンセラー自身がカウンセリングに 身を委ねていけばいいのだろうか。
 
 それには 鋭敏にアンテナを立てて、
 
 カウンセリングと 対峙していかなければならないのだろう。
 
 (3) は、 クライアントがカウンセラーから 有効な答を教えてもらったとしても、
 
 それは必ずしも クライアント自身の力にはならず、
 
 クライアントが 非効率な遠回りをしながら、 苦心して辿り着いた小さな答が、
 
 本当にクライアントの 身に付いていくということ。
 
 そして そうした過程で得たものこそが、
 
 今後クライアントが 独りで生きていくことを、
 
 クライアント自身が支えていく という意味になる。
 
 カウンセリングは クライアントのそのときの悩みを 解消するばかりではなく、
 
 クライアントを 人間的に成長させるものだということが分かる。
 
 これらは カウンセリングに対して、 僕に新鮮なものを与えてくれたと思う。
 
 これらを忘れないように、 今後もカウンセリングを学んでいきたい。 』
 

「私は魔法使いに会いました。」 について

2014年10月22日 20時29分38秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 このカウンセラー養成講座の課題には、 ひとつの条件がありました。

 何らかの形でハッピーエンドにする、 ということです。

 ハッピーエンドにするためには、 自分の中にカウンセラーを想像し、

 カウンセラーを育まなければならないからだそうです。

 そうすることによって、 自分の中にある 何か大切なものを

 引き出すことになるのではないかと、 感じた課題でした。


 ところでこの課題では、 僕は冒頭から順に 文章を書き進んでいきました。

 書きながら考えが広がり 変化していきました。

 結末は、 最初 自分でも想像しなかったものでした。

 従来 僕がシナリオ (マンガ原作やドラマなど) を書く際は、

 結末・クライマックスから 先に作っていました。

 それが一番描きたいこと, 伝えたいことであるわけです。

 そのクライマックスへ持っていくために、 話を逆算して構成していきます。

 それはシナリオ作法 (さくほう) の ひとつの王道です。

 構成から完成までは、 何十回となく書き直します。

 僕のシナリオは 構成がしっかりし、説得力があるというのが定評でしたが、

 一方で、 計算されすぎていると言われたこともありました。

 ところが この魔法使いの話では、 それと正反対の作り方で、

 先がどうなるか分からないまま、 結末も見えず書いていきました。

 しかも、 パソコンで清書をする際に、 ほとんど修正をしませんでした。

 推敲・加筆を積み重ねるのが 自分の書き方でしたが、 それに縛られないやり方でも、

 自由な発想で 活き活きしたものができるのだなと 思いました。

 (言うまでもなく、 ごくごく短い話だから できることなわけですが。

 また、 昔に1度だけ描いた 童話のアイデアも使いました。)

 専らシリアスなものばかり 書いていた僕ですが、

 書くことをやめた今でも、 こんなものが書けるんだと 思った次第です。
 

「私は魔法使いに会いました。」

2014年10月21日 20時18分31秒 | 心理
 
 昨日と同じ カウンセラー養成講座のセッションで、 もうひとつの課題がありました。

 「私は魔法使いに会いました。 3つの願い事を 叶えてくれると言いました。」

 という書き出しに続けて、 物語を書くものです。

 下記が、 僕が書いたものです。

                   *

 「私は魔法使いに会いました。 3つの願い事を 叶えてくれると言いました。」

 私は願い事を考えました。

 私は人生の夢を 叶えられていませんでした。

 2つの願い事が すぐ思いつきました。

 ひとつ目は、 人生の時計を戻してほしい。

 夢を目指して歩んでいた あの頃まで。

 ふたつ目は、 芸術的な一流の才能を 与えてほしい。

 3つ目は……、 少し考えて思い浮かびました。

 人の気持ちを理解し、 優しくできる 強い心を持ちたい。

 初めのふたつは、 私が元々 人生に求めていたことを 叶えるためのものです。

 3つ目は、 挫折した今の自分だから、 欲しいと思ったものだと気付きます。

 どんな願い事をするかによって、 今の自分が分かります。

 今までの人生がどうだったか。

 何を失い、 何を得てきたのかが。

 私は 魔法使いに尋ねました。

 「あなたは私を試しているんですか?

 どうして 願い事を叶えるなんて言うんですか?

 あなたは誰?」

 「私は誰でもないよ。

 私は、 ただの鏡だよ」

 魔法使いの姿は、 私の姿に変わっていきました。

 そこには、 ちょっと疲れた 私の姿がありました。

 鏡の中の私は、 私の願いを 叶えてくれるのでしょうか? 

 3つの願い事のうち、 初めのふたつは 私には叶えられません。

 でも、 3つ目の願いは、 自分でも叶えられるのではないかと思いました。

 鏡の中の私は、 静かに微笑んでいました。
 

「私はかつて小さな幼虫でした。」

2014年10月20日 20時32分17秒 | 心理
 
 僕が通っている 「カウンセラー養成講座」 で、

 今 「カウンセリング概論」 という講座を受けています。

 そのセッションで、

 自分を探るひとつの方法として 物語を書くという課題がありました。

 書き出しだけが決まっている 文章があり、

 それに続けて 物語を短時間に書くというものです。

 物語ることによって 何かに気付いたり、 自分をつかむのが目的だそうです。

 書き出しの文章は、 「私はかつて小さな幼虫でした。」 というものでした。

 主人公の 「私」 には、 自ずと自分自身が反映されます。

 その課題で、 昨日の日記の さなぎのことを書きました。

 以下のような物語です。

                   *

 「私はかつて小さな幼虫でした。」

 私は もごもご蠢いていました。

 私は 黒い毛が一杯生えた 毛虫でした。

 人は 私をみると嫌がります。

 私は これからどうするんだろう?  どうなるんだろう? 

 私は何故か、 ある家の方へ這っていきました。

 私は玄関のドアに 辿り着きました。

 家のおじさんが 私を見つけて、 気持ち悪いと思いました。

 朝出かける時だったから 忙しかったのか、 触りたくもなかったのか、

 おじさんは 私をそのまま放っておきました。

 やがて、 私は さなぎになることを知りました。

 私はドアにへばり付いて さなぎになりました。

 黒いさなぎでした。

 おじさんは さなぎになった私を見ました。

 黒い体に、 小さな金色の斑点が 並んでいます。

 毛虫の私を 気味悪がったおじさんは、

 金色に光る斑点を きれいだと思ってくれました。

 そして、 私が羽化するまで、 私を玄関に付けたままにしようと 思いました。

 私は いつ羽化するでしょう。

 きれいな蝶になるのでしょうか?

 見た目の悪い 蛾になるのでしょうか? 

 私にも分かりません。

 でも、 私はどっちでもいいと 思うようになりました。

 そして、 家のおじさんも、

 私がどんな姿で 出てくるとしても、

 飛び立つまでそのままにして、 見守っていようと思ってくれました。
 

増えている躁うつ病 (双極性障害)

2012年07月25日 20時21分22秒 | 心理
 
 ボーダーの人が 誤診されることもある 双極性障害 (躁うつ病)。

 社会的地位を失うこともありますが、

 周囲から理解されにくく、 治療も難しいとされます。

 気分が高揚する 躁状態が1週間以上、 やる気を失ううつ状態が 2週間以上

 続くのが目安です。

 ある会社員は、 月給の2倍の家賃の マンションに引っ越し、

 高級外車を購入、 競馬で散財し、 3ヶ月で自己破産しました。

 本人も周りも 病気の自覚がなく、 治療に繋がらないことがあります。

 人格の問題と見なされ、 退職, 離婚ということも 稀ではありません。

 08年の躁うつ病の患者は、 05年より3万人増えて 12万人以上。

 最初、 うつ病と診断され、

 のちに 躁うつ病と診断されるケースが 少なくありません。

 職場の問題が 発病の契機になることも 多くあります。

 長引く不況で 能力以上の仕事を 余儀なくされ、

 一種の軽躁状態が 続いた結果、 躁うつ病になります。

 治療は 気分安定剤などの薬物療法が中心です。

 良くなっても再発しやすいので、 薬を飲み続けることが大切です。

 最近  「リワーク (復職) プログラム」 が 注目されています。

 週1日半の課程から初め、 週2日、 3日と増やしていきます。

 まず、 どんな経緯で発病したか 文章にする 「自己分析」 をし、

 病気の兆しを自覚します。

 やがて 復職の可能性が出てきたら、

 職場での 様々な場面を想定した 応対リハーサルもあります。

 プログラムを終了した 510人のうち、 元の職場に復帰したのは 501人。

 復職までは平均半年余りで、 その後も働き続けている人が 6~7割います。

● 「躁のチェックリスト」

1. 気分が良すぎたり、  怒りっぽかったりする

2. 自分が偉くなったような気がする

3. いつもよりおしゃべりになる

4. 色々な考えが次々と浮かぶ

5. 注意がそれやすい

6. 活動性が高まり、 じっとしていられない

7. 浪費や投資などに熱中する

 1を含む 4つ以上の症状が 1週間以上続き、

 人間関係に支障をきたす時は 躁の可能性。

〔朝日新聞より〕
 

カウンセラー養成講座

2012年04月21日 20時28分08秒 | 心理
 
 本日、 カウンセラー養成講座の2回目がありました。

 新しいメンバーが一人増え、 前回欠席だった人も 来てくれました。

 前回と同じように、 参加者の自主的な会話によって 進められていきます。

 今日は講師の人から、 カウンセリングに大切なこととして、

 「受容」 「共感」 「一致」 という お話が出ました。

 「受容」 「共感」 は分かるとして、  「一致」 とは次のようなことです。

 相手の話を聴きながら、 受容, 共感する言葉を返し、

 自分の気持ちも その言葉と一致していることが 大切です。

 もし一致していない場合は、

 一致していないということを 自覚していることが必要です。

 言葉と気持ちが一致していないと おかしな方へ行ってしまうので、

 相手の話を聴くだけでなく、

 自分に気付くというのが カウンセリングでは大事なのです。

 もし 相手の言うことに 共感できない場合は、

 まず 自分は違うけれども 相手はそうなのだということを  「了解」する、

 というのが第一歩です。

 それを自覚していることが 肝要だということです。

 そこから 受容、 共感へ 進んでいくことができるのでしょう。
 

 今日の反省点としては、 僕は時々 人の話を聞き漏らしてしまうことがあるのです。

 人の言葉が聞き取りにくいというのは 子供のときからあるのですが、

 講座のように 数人で話を聴く場で、 集中力を欠き 言葉を聞き逃すこともあります。

 しっかり耳を傾けて 話を聞き取る、 これは今後も 講座の課題です。

 とにかく 自分から能動的に臨んでいかないと、

 得るものが少ない 講座になってしまいます。

 自分自身で意識し、 人のことにも 自分の内側にも 目を向けながら、

 色々なことを感じて 気付いていくというのは難しいですが、

 少しずつやっていきたいと思います。
 

カウンセラー養成講座に入学 (3)

2012年04月13日 22時05分40秒 | 心理
 
(前の記事記からの続き)

 4月7日 (土) の午前中、 早速 3時間の講座を受けてきました。

 参加者は6名 (うち一人欠席) で、

 初参加は 僕を含めて二人、 2度目以上の受講の人が 3人。

 講師が一人と、 受講歴の長い元受講者が 準講師として二人、 計8人でした。

 最初に事務的な説明と、 自己紹介が行なわれました。

 そして 講座が始まると、 何の前置きもなく、 いきなり講師は黙ってしまいました。

 沈黙がしばらく続き、 おもむろに一人の受講者が よもやま話を始めます。

 それが終わると また沈黙。

 また別の受講者が よもやま話。

 これは一体何だろう という感じです。

 申し込み前に 電話で問い合わせをしたとき、 この講座は上から教えるのではなく、

 自分で学んでいくものだという 説明を聞いてはいましたが、 ここまで極端とは? 

 「初参加の人は、 こういう状況で どう感じましたか?」 と、

 あとから講師の人から質問される テストのようなものかとも考えました。

 とにかく、 カウンセリングでは  「聴く」 ことが重要ですから、

 傾聴し、 話し手の気持ちを 汲むように心がけました。

 また、 自分に気付くことも 講座の目的と聞いていたので、

 その時々の自分の気持ちにも 目を向けていました。

 例えば、 沈黙が続いて 何だか落ち着かないときは、

 その感情を感じながら 腹式呼吸をして戸惑わないようにしたり、

 参加者たちの様子を観察したり。

 話は次第に活発になり、 聴くことの大切さや 命の価値など 深い話になってきます。

 僕も 自分の挫折体験などを 開いて語りました。

 基礎コースは こういう形で進めていくそうです。
 

カウンセラー養成講座に入学 (2)

2012年04月12日 20時51分40秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 講座は単位制になっており、 基本的に 1科目が週1回 (3時間)、

 1期 (3ヶ月) の講座で 2単位を取得できます。

 (1期の間に、 並行して2科目 受講することも可能ですが、

 簡単ではないのかもしれません。)

 基礎・研修コースでは 22単位以上取得し、 審査に合格すると、

 協議会から  「カウンセラー3級」 の認定証が与えられます。

 その先には 専修・専門コースがあり、

 「カウンセラー2級」 の資格を目指せます。

 それまで 何年もかかることになります。

 僕は 専修・専門コースまで 受けたいと思っていますが、

 それでカウンセラーとして 仕事ができるかは分かりません。

 一般に 養成講座を受講した人で、

 プロのカウンセラーになれるのは 100人のうち 一人か二人だといいます。

 卒業してどうするかは、 健康な人の 能力開発のカウンセラーをする,

 福祉や医療その他の仕事に 学んだことを活かす,

 身の回りの人の 悩みに対応する, 自分を見つめるのに役立てるなど、

 色々なレベルがあります。

 能力的にも、 仕事を見つけるのも、 現実には難しいようです。

 僕はどこまで行けるか、 まだ具体的に イメージできていません。

 「BPD家族会」 のスタッフとしても、 実際にどのように 役立つか分かりません。

 とにかく 技術や経験を 身に付けていきたいと思っています。

(次の記事に続く)
 

カウンセラー養成講座に入学 (1)

2012年04月10日 23時17分08秒 | 心理
 
 先日、 カウンセラー養成講座に入学しました。

 カウンセラーができたらという 漠然とした思いは 元々あったのですが、

 ハードルが高く、 実行に移すまでには 至っていませんでした。

 しかし昨年の暮れ、  「BPD家族会」 のスタッフになり、

 何かの役に立てないかと 思うようになったのが 直接のきっかけのひとつです。

 現実的には、 昨年 叔母の遺産の一部を 相続させてもらい、

 受講料に当てることができたというのも、 俗事ではありますが 大きなことでした。

 (有意義なことに使いたいと思い。)

 先月新聞で 養成講座の説明会の広告を見たのも、 直接的なきっかけですね。

 ネットでも 養成講座を探しましたが、 充実した内容のものは多くはなく、

 3ヶ所講座の説明会に 行ってみました。

 僕の経歴や動機に 非常に関心を持ってくれ、

 入学申込寸前まで 気持ちが傾いた所もありましたが、

 諸々の事情で 取りやめることになってしまいました。

 そして 知り合いのカウンセラーの人が、

 「全日本カウンセリング協議会」 という 所を紹介してくれました。

 そこのプログラムは 時間的・内容的にも 実習も充実しており、

 しかも 他の所より非常に廉価です。

 日本で一番古い 養成講座ということですが、

 他の商業的な講座と違って 宣伝もあまりしておらず、

 紹介してもらう前は ネットでも見つけられなかったものです。

 この協議会に 加盟している団体が 開いている講座は、

 どこでも同じ内容で 同じ資格を取得でき、

 そのうちの一ヶ所に 申し込むことにしました。

 ところが、 4月中旬からの開講予定だったのですが、

 申込者数が規程に達しなかったため、 今期は開講できないということが

 4月6日になって分かったのです。

 (そういう可能性もあると、 予め説明されていました。)

 協議会の加盟団体の もうひとつの候補の講座は、 翌4月7日からの開講です。

 6日の夕方過ぎに そこと連絡を取ることができ、 急遽加えさせてもらった次第です。

 (原則は 開講1週間前までに 申し込まなければならないのですが)

(次の記事に続く)
 

「痛み こころ」 (2)

2010年06月02日 20時17分00秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 B子さんは 過去に医師から、 ウソつきなどと言われ続け、

 強い医療不信にも 陥っていました。

 不信感があると、 痛みを感じる 脳の動きを強め、 薬も効きにくくなるそうです。

 これは 他の色々なケースにも 当てはまりそうです。

 治療では 鎮痛剤に頼るのではなく、 自然なコミュニケーションによって、

 痛みがなくても いい人間関係を築けるようにすることです。

 毎日30分、 医師や看護師と 散歩することから始めました。

 決まりはひとつだけ、 痛みの話をしないことです。

 最初は 緊張で一杯でしたが、 次第に放せるようになり、

 気が付くと 痛みが減り、 歩けるようになっていたそうです。

 痛みには 複雑な原因が 絡み合っているといいます。

 本人の訴えを じっくり聞いて、 それをひとつひとつ 解決していくことが大切です。
 

 原因不明とされる 体の痛みは、

 自分でも気付かない 心の痛みから 来ていることがあります。

 ストレスで 脳の回路に異常が起き、 ささいな刺激を 絶えがたい痛みに感じたり、

 異常がないのに 勝手に痛みを作り出すためだと 考えられています。

 うつ病でも、 不眠と並んで 多い症状は、 実は痛みだといいます。

 うつ病患者の6割が、 頭や背中、 お腹の痛みを訴えているそうです。

 (うつ病では 神経伝達物質が減少しますが、

 それによって 痛みも感じやすくなるとされています。)

 心子も 心因性の腰痛や、 ひどい生理痛に 悩まされていました。

 心による 体の痛みは、 思った以上に 強烈な現れ方をするものです。

〔 読売新聞 「医療ルネッサンス」 より 〕
 

「痛み こころ」 (1)

2010年06月01日 22時52分58秒 | 心理
 
 触法精神障害者の刑事責任能力について 書いてきましたが、

 発端は 裁判員制度で扱われた 代理ミュンヒハウゼン症候群でした。

 読売新聞の医療ルネッサンス 「痛み こころ」 に、

 これに関わるような記事がありました。

 B子さん (43才) は、 中学生のころ 急な腹痛に襲われ、

 それ以来、 年に数回、 お腹がちぎれるような 激痛に苦しんできました。

 30代になると 痛みは全身に広がり、 歩けなくなったそうです。

 30以上の病院を 受診しましたが、 原因不明とされました。

 九州大学の心療内科の診察室で、 医師は B子さんの話に 耳を傾けました。

 幼いころ、 B子さんの弟が 台所で大火傷を負い、

 母親は弟ばかりを 可愛がるようになりました。

 ところが B子さんが 痛みを訴えるようになると、

 冷たかった母親の 態度が変わり、 必死に病院を探してくれたのです。

 会話のなかった父も、 自分も若いころ 同じ痛みに苦しんだと 共感してくれました。

 「痛みがあれば 両親の愛情を得られる。」 と B子さんは感じたといいます。

 医師によると、 痛みがあると 周囲が自分を認めてくれると 脳が記憶し、

 それが 痛みを長引かせる原因に なっていたというのです。

 これは ミュンヒハウゼン症候群の 原因のひとつと同じです。

 ミュンヒハウゼン症候群は、 子供のころ 病気や怪我をしたとき、

 周囲が大事にしてくれた経験から、 大きくなっても 周りの関心を得ようとして、

 偽りの病気を 装う疾患です。

 そのために、 健康な体を 害することさえ厭いません。

 しかし B子さんの場合は、 無意識的に 体が痛みを作り出し、

 周りの注意を 引いていたことになります。

 心とは それほど不思議なもので、

 孤独から 自分を守るために、 体を痛めつけることさえするわけです。

〔 読売新聞 「医療ルネッサンス」 より 〕

(次の記事に続く)
 

ダブル・マイノリティ 「ハートをつなごう」 (2)

2010年05月01日 21時21分49秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 ひろこさんは  「ハートをつなごう」 のスタジオに、

 車椅子に乗って 赤いミニスカート姿で 登場してきました。

 司会者が  「どういう気持ちで 出演してくれたか」 と尋ねると、

 ひろこさんは 文字盤を指差しながら、

 「障害があっても なくても、 関係なく生きられる 世界になってほしい」 と

 述べましたが、 

 そのすぐあとに  「本当は魔が差した」 と、 皆を笑わせました。

 こういうユーモアがある人で、  “出たがり” なんだそうです。

 現在、 身体障害者の活動と セクシュアル・マイノリティの活動は

 バラバラに行なわれていますが、

 ひろこさんは そのつなぎ目になりたいと 言っています。

 スタジオにはその他にも、

 いくつかの発達障害と 筋疾患 (ジストニア)  その他を持った人、

 女性には稀な 筋ジストロフィーである女性などが 出演していました。

 (僕のブログを 見てくださっている人の中にも、

 BPDと 身体的な難病を抱え、 さらに 重傷障害児を子に持つ人もいます。)

 身体障害に対する偏見は、 ほとんど緩和されてきたのではないか と思いますが、

 精神障害やセクシュアル・マイノリティに対しては、

 まだ無理解と差別も 多いでしょう。

 ひろこさんの親も、 身体障害は認められても、

 性同一性障害や同性愛のセクシュアリティは 認められないという意識がありました。

 日頃 差別に苦しんでいる 身体障害者たちの間でも、

 セクシュアル・マイノリティが差別されるという 構図が存在するのです。

 僕は、 平たく言って、

 偏見や差別は  「慣れ」 でなくなってくる、 と思っています。

 普段から ありのままに接することで、 先入観や壁などは 解消されていくはずです。

 それには マスコミの力が大きいですが、

 このようなネットも 役割を果たすことができるでしょう。
 

ダブル・マイノリティ 「ハートをつなごう」 (1)

2010年04月30日 19時59分50秒 | 心理
 
 昨日、 NHK教育 「ハートをつなごう」 で、

 「ダブル・マイノリティ」 という 番組をやっていました。

 ダブル・マイノリティとは、 例えば 身体障害と精神障害など、

 複数の生きづらさを 抱えている人のことを言います。

 以前、 僕のブログにも

 「ダブル・マイノリティ」 について 書いたことがあります。

 性同一性障害という セクシュアル・マイノリティであり、 かつ、

 脳性麻痺という 身体障害 (四肢障害, 言語障害) を併せ持つ人と、

 僕は以前 ネット上 (パソコン通信) で

 やり取りをしていたことがある と書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35448313.html

 (記事中、 「TG」 とは 「トランスジェンダー」。

 生まれたときの性別と、 心の性 または生活上の性が、

 何らかの意味で 異なる人。)

 昨日の 「ハートをつなごう」 に、 何と この人が出演していました。

 外見は 頭が薄くなりかけた 中年の男性ですが、 「ひろこさん」 という女性です。

 (パソコン通信では  「洋子」 というハンドルネームで、

 僕は 「ようこさん」 かと 思っていたのですが。)

 ひろこさんは当時、 可愛らしい女の子の服を 着たいけれど、

 親はそれを認めていないため、 家族が寝静まった夜に、

 一人で鏡の前で 女装をしていたと書き込んでいました。

 モニター画面で その文章を読みながら、 僕は 涙を禁じ得ませんでした。

 ところが ひろこさんは7年前、 けいついを痛めてしまい、

 着替えも食事, トイレも 一人ではできなくなってしまった といいます。

 その時ひろこさんは、  「苦しかった…… 本当に、 苦しかった……」 と、

 声をふりしぼって 語っていました。

 今は 性同一性障害であるヘルパーさん (女性) に、

 身の回りの世話を してもらっており、 女装を楽しむこともできます。

 ヘルパーさんのほうも、 ひろこさんから 力を得ているそうです。

(次の記事に続く)
 

ユングの 「あの世」 観 (3)

2009年02月27日 21時41分16秒 | 心理
 
(前の記事からの続き)

 人間の心の 無意識の部分は、 人間の意志では どうしようもないように、

 無意識である 「あの世」も、

 問題を解決したり 変化したりすることはできません。

 それを解決・発展させるために  「この世」 があり、

 我々は課題を持たされて 生まれてきたのだといいます。

「 ユングによれば、 『一なる世界』 は 区別のない世界であり、

 それゆえ 変化や成長ができない。

 限定された存在である 人間のみが、

 葛藤や問題を 解決していくことを通して、

 『あの世』 に方向づけを 与えることができる。

 それゆえに 『あの世』 は、 意識的な人間を 必要とする。

 意識化による 自己実現, 個性化の過程は、

 『あの世』 から 私に与えられた 『使命』 なのである。」

(白田氏のレジュメより)

 正しく言うと、 あの世が我々に 問題を与えているのではなく、

 私たちがあの世に 問いかけるのだといいます。

 この世に生まれて初めて 問題を発見し、 それをあの世に伝える。

 それが 人間の存在意義です。

 人間が無意識に働きかけ、 それによって 宇宙が変化をします。

 宇宙を引っ張っていくことのできるのが 人間なのです。

 自分で問題を見つけて、 自分で何かを為す。

 それがユングの言う  「個性化」 の過程です。

 死ぬことによって 個性化が完成し、

 私が成就・実現したものが 宇宙に還元されます。

 やり残した課題は、 別の私が転生して 取り組んでいきます。

 自分の問題を 全て解決すると、 転生せず 涅槃に入るわけです。


 人間は 役割を持って生まれてきて、

 それを果たしていくのが 生きるということでしょう。

 人間は いくつになっても、 例え どんな境遇でも、

 自分のなすべきことが あるのだと思います。

 課題というのは 何も具体的なものではなく、

 具象的なものを通して成就される 象徴的なものだと僕は思います。

 正義や真実、 誠実さや 優しさなど、 何でもいいのではないでしょうか? 

 それを心に銘記して  「今」 を生きることが 肝要なのだと、

 再認識させられたセミナーでした。