「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

心惹かれる出会いが、 戸惑いに変わるとき

2009年09月29日 19時52分56秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人は、 一目見たときから とても印象的で、

 魅力とオーラを 放っていることもあれば、

 放っておけないような 保護本能をくすぐられることもあります。

 繊細で優しい気遣いを 見せるかと思えば、

 突然 常識を超えた ストレートな言葉で 痛いところを突いてきたりします。

 枠にはまらない 新鮮さを感じ、 魅了されていくことも 少なくないでしょう。

 しかも、 あっと言う間に 距離が縮まって、

 いつの間にか 恋人同士のような口をきき、 甘えてくることも多くあります。

 その出会いに 運命的なものさえ 感じることもあります。

 お互いの信頼関係が 深まったと思ったころ、

 突如 不可解な言動に 戸惑いを覚えることになります。

 突然やってくる メールや電話に、

 ときめきよりも 不安と緊張を感じるでしょう。

 いくら慰め、 安心させても、

 5分と経たないうちに 気持ちが揺らいでしまいます。

 相手は 四六時中しばられていると感じ、

 神経をすり減らし、 次第に負担になっていきます。

 境界性パーソナリティ障害の 根本的な問題は、

 愛情への強い飢餓体験に 根ざしているため、

 最も親密で 相手との距離が縮まる 恋愛関係において、

 激しく問題を 露呈しやすいのです。

 恋愛に限らず、 自分が受容してもらえると感じ、

 依存する心地よさを 覚えたとき、 別人のように コントロールが失われます。

 従って、 親切で 思いやりのある人ほど、

 何とか支えようとして、 巻き込まれてやすいのです。

 自分も同じような 傷を抱えていると、

 一種の 「共振現象」 が起きて、 呑み込まれてしまいます。

 そうすると 支えになるどころか、

 疲れ果てて 情緒不安定になってしまいかねません。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

身近になった 現代人の病 -- 境界性パーソナリティ障害とは何か

2009年09月28日 10時49分00秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 今日から 岡田尊司氏の 「境界性パーソナリティ障害」 (幻冬舎) より

 抜粋・要約を書いていきます。

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 「境界性 (ボーダーライン)」 という言葉を 最初に使ったのは、

 アメリカの精神分析家 アドルフ・スターンで、 1938年のことでした。

 神経症と精神病の 境界線という意味で、

 すでに今日の 境界性パーソナリティ障害の 特徴を捉えており、

 根底に 自己愛の問題があると 示唆していました。

 このタイプの人に、 神経症の治療だった 精神分析を行なうと、

 一見うまくいきそうだったのに、 逆に状態を 悪化させることが起きました。

 50年代になると、 さらに多くの人が、

 従来の常識が通用しない このタイプの患者と 出会うようになります。

 しかも、 治療者が熱心に 支えようとすればするほど、

 患者は どんどん悪化していき、 攻撃的で衝動的になり、

 自殺企図を 繰り返すようになってしまったのです。

 最初は信頼関係があっても、

 些細なことで 掌を返したように 態度が変わってしまいます。

 親切で熱意あるスタッフほど、 手痛い思いを 味わうことになったのです。

 80年代に入ると 日本でも、 リストカットや自殺企図を 繰り返し、

 周囲の人が振り回される 困難なケースが 目につくようになってきました。

 90年代以降、 ごく普通の家庭でも こうした問題に悩み、

 どうしていいか分からない という人が急増し、 身近な問題になってきました。

 中学や高校には 必ずそういう生徒がおり、 最近は 小学生にも見られます。

 それはもはや、 「患者」 という認識だけでなく、

 「現代病」 として 捉えられる面も大きいのです。

 アメリカのデータでは、 一般人口の2%、 精神科外来患者の11%、

 入院患者の19%が 境界性パーソナリティ障害の 診断に該当するとされます。

 日本でも この水準に近づきつつあります。

 女性は男性の 約4倍ですが、

 男女差の縮小ととも 男性の割合が増えつつあるようです。

 しかし 多くの人にとっては まだ縁遠いもので、 誤解も多くあります。

 正しい理解を 持つことが重要です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

「ぼくはうみがみたくなりました」 (3)

2009年09月24日 22時14分17秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59716437.html

 一般の商業映画と違って、 宣伝費をほとんど かけられなかったにも拘らず、

 1ヶ月足らずの上映期間で 5000人近い 観客を集めました。

 リピーターが 非常に多いそうで、

 しかも 友だちを連れてくる人が 少なくないということです。

 他の映画では なかなか見られないことで、 宣伝によって 観に来るのではなく、

 実際に観て 良かったと思う人が 多かったということでしょうね。

 大輝君もきっと 喜んでいるに違いないと 思いましたが、

 山下さんの知り合いの 霊感の持ち主によると、

 会場に大輝君は来ておらず、 来てもすぐ どこかへ行ってしまうのだそうです。

 いつものように 勝手気ままに、

 自分の好きな所へ おさんぽに行ってるのでしょうか。 (^^;)

 ただ、 映画を 一番の楽しみにしていながら、

 上映直前に 亡くなってしまった 山下さんのお母さんは、

 いつも 会場の一番後ろの席に 来ていたそうです。

 山下さんはそういうことを 信じてるわけではありませんが、

 全然無関のない 別の霊能者にも、 それと全く同じことを 言われたそうです。

 僕も半信半疑ですが、 実のところ どうなんでしょうね?  (^^;)

 いつか 「境界に生きた心子」 も

 「ぼくはうみがみたくなりました」 に 続いていきたいものです。

 心子はきっと 観に来てくれるでしょう。  (^^)

 自閉症とボーダーでは 認知度もまだまだ 天と地の差だし、

 ボーダーは 周りの人も本当に 傷つけられ苦しんでしまうので、

 理解されることも 何十倍も難しいかもしれません。

 それでも 誰かがやらなければならないこと、

 希望を持ち続けて やっていきたいと思っています。
 

「ぼくはうみがみたくなりました」 (2)

2009年09月23日 18時14分07秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59713067.html

 映画は、 自分を見失いかけていた 看護学生の明日美 (大塚ちひろ) が、

 偶然 自閉症の青年・ 淳一 (伊藤祐貴) に出会い、

 ドライブをする ロードムービー形式の話です。

 自閉症のことを 全く知らなかった明日美が、

 次第に観客と共に 自閉症を理解していく 筋立てになっています。

 その中で明日美も 自分を取り戻していきます。

 全編、 暖かさやユーモアに包まれ、 ほんのり癒されるような 作品です。

 先日観た 「BALLAD」 より 遥かに面白く、

 気持ちが引き込まれる 良い映画でした。

 障害者の家庭だからといって、 悲惨で 重苦しかったりするのではなく、

 現実の家族は 陽気に過ごしています。

 過度に気を遣ったり 心配したりもせず、 突き抜けて ありのままを受け入れ、

 あっけらかんとしているのが 印象的でした。

 しかしもちろん、 パニックを起こす 激しいシーンや、

 周囲の誤解や偏見による 厳しいエピソードもあります。

 それらも含めて、 自閉症の描写については やはりリアリティがあります。

 特に 淳一を演じる伊藤さんは、 前もって 大勢の自閉症児から学び、

 自閉症の人の動作などを 完璧に身に付けました。

 淳一役を決める オーディションのとき、

 一生懸命 自閉症を演じる 他の参加者の中で、

 一人だけ “本物” がいるのではないかと 思われたほどだったといいます。

 そして、 淳一のセリフや言い回しは、

 山下さんの長男・ 大輝君の 実際の口癖だそうです。

 口調なども 大輝君そのままだということです。

 何となく うるうるするシーンが 幾つもありました。

 今後この映画が 各地でもっと上映され、

 自閉症への理解が もっと広まってほしいと思います。

(すでに 自主上映の予定が 多数決まっています。)

(次の記事に続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59722304.html
 

「ぼくはうみがみたくなりました」 (1)

2009年09月22日 21時36分36秒 | Weblog
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/folder/1107565.html 参照)

 上記URLの記事に書いた、

 山下久仁明さんの映画  「ぼくはうみがみたくなりました」 を観てきました。

 上映終了の前日・ 17日に なってしまいましたが、

 会場で 山下さんにも会ってきました。

 元々山下さんとは 10年以上前、 パソコン通信 〔*注〕 の

 「脚本家フォーラム」 というグループで、 オンライン上で 知り合いました。

〔*注: インターネットが普及する前、 ニフティが会員制で運営していた、

 メンバー同士のコミュニケーションを 楽しむシステムです。

 テーマごとに 多数のグループに別れ、

 自分の参加したい グループに登録して、 皆で書き込みをするものです。〕

 山下さんはブログで 顔写真を公開していますし、

 映画の上映に伴い 最近はあちこちの新聞などにも 紹介されているので、

 僕のほうは すっかり会ったような気分に なっていました。

 でもパソコン通信の頃から、

 確か実際には 顔を合わせていないだろうと 記憶していました。

 当日 山下さんを見つけ、 名乗って挨拶をすると、

 山下さんは 僕の顔に 記憶がある気がすると 言われました。

 お互いに 物覚えがすっかり 頼りなくなってしまっていた次第です。  (^^;)

 この日は 視覚障害者のために、 映像を音声で説明する サービスが行なわれ、

 大勢の視覚障害者が 訪れていました。

 山下さんも この音声サービスを 試してみましたが、

 彼はもう 映像が全て 頭に入っているので、

 セリフや音を聞いただけで 映像がありありと 浮かんでしまったそうです。

 よく分かる気がします。 (^^;)

(次の記事に続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59716437.html
 

送迎バスの メイン搭乗者に (2)

2009年09月21日 21時04分07秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 当然 失敗もあり、 介助がうまくできずに 利用者さんから怒られたり、

 乗車位置を うまく決められなかったり。

 まだまだ不安は沢山あり、 いろんなことで 目一杯です。

 午後は 係長が同乗してくれましたが、 係長から何か言わなくても、

 一応全部できていたので 自信を持っていいと言われ、 それは恐縮でした。

 午後の2回目の送迎は、 利用者さんが 一人になったこともあり、

 職員の同乗なしで 全く一人で行きました。 (・_・;)

 本当に緊張の連続。

 最近は血尿が出ます。 (・_・;)

 疲れは 最初の数日のほうが 大きかったのですが、 神経的なもののようです。

 僕は元々、 何でも 準備万端整えてからでないと できないタチなのですが、

 現場で実際に 体で覚えなければ 身に付かないということです。

 失敗を恐れず、 とにかくやってみること、 失敗して覚えていくのだと。

 係長としても、 未熟なまま送り出して

 利用者さんに 迷惑をかけてはいけないので、

 本当は まだ出したくないが、 そうしないと 新人は育たないそうです。

 今が一番 大変な時だが、 ここを乗り切るようにと 言われました。

 これから、 乗ったことがない便でも 初めて一人で 乗ることになるそうですが、

 記録を見ながら、 事前に職員や運転手さんの アドバイスも得て、

 やっていかなければならないようです。 (・_・;)

 神経すり減ります。


(ところで一昨日、 試用期間という話を 初めて聞きました。

 面接などのとき 僕は聞いた覚えがなかったのですが、

 2ヶ月の試用期間ののち、採用するかどうか 決めるというのです。 (×_×;)

 すでに1ヶ月が経ち、 もう猶予はないと しきりに言われましたが、

 どうなるんでしょう……?)
 

送迎バスの メイン搭乗者に (1)

2009年09月20日 20時02分39秒 | 介護帳
 
 介護施設の利用者さんの バス送迎は、

 今まで 職員の人に付いて 教えてもらっていました。

 しかし昨日は、 何と 僕がメインで (自分が中心になって)

 やることになってしまいました。

 まだ自分でやるのは 無理だと思っていたので、

 前日に 「明日はメインで」 と言われ、 びっくりしました。 (・_・;)

 ただし 職員はもちろん付くので、 分からないことは聞くようにと。

 しかし、 勤務当初にもらうはずの 送迎などのマニュアルを、

 先方の手違いのため その時になって 初めて目にした始末。

 おまけに 昨日・一昨日は レンチャンで、

 夜は帰って 寝る時間しかなく、 準備も充分できませんでした。

 利用者さんによって、 どこまで迎えに行くか (玄関か 家の近くかなど)、

 車椅子乗車か ステップ乗車か、 自立はどの程度かなど、

 それぞれ状況が異なり、 どういう介助をしたらいいか、

 把握しておかなければなりません。

(もちろん メモなどはあります。)

 さらに、 利用者さんの杖やバッグなど 荷物の確認、 乗車位置の指定、

 お宅やセンターと 電話での連絡、 時間の調整、

 乗車中の 利用者さんへの配慮等々、 様々な事に 気を配らなければなりません。

 職員に付いているだけでも 神経を遣うのに、 自分がメインなど 自信がなく、

 失敗して 事故を起こすこともできず、 緊張と不安で昨日を迎えた次第です。

 朝は早めに 出かけましたが、

 もたもたしているうちに データを全部チェックできず 出発。 (・_・;)

 ただ、 先週1回 乗っている車 〔*注〕 なので、

 利用者さんの 名前やお宅など ある程度覚えていました。

 そして 職員の人や運転手さんも 助けてくれ、

 何とか やり終えることができました。 (- -;)

〔*注: 1日にバスは4台、 週6日あるので、 全部で24種類の便があります。

 それぞれの便によって、 乗車する利用者さんが 決まっています。〕

(次の記事に続く)
 

ステップ10 (5)

2009年09月17日 23時47分04秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

○よい例を示しましょう。

 子供はあなたの行動を 真似ることで学びます。

 あなたがスポンジのように、 BPDの人の 虐待を許してしまうと、

 子供はそうすることが 義務だと思ってしまいます。

 反対に あなたが鏡のように、

 BPDの人の行動を 写し返して非個人化すれば、 子供もそれを学ぶでしょう。

 親のBPD的行動は、子供のせいではないのだということを 教えましょう。

○BPDの人の 子供への行動に対して、 境界を設定しましょう。

 BPDの親の行動が、 子供たちを震え上がらせている 現実を認識させます。

 そして、 BPDの人には 大人の責任があって、

 子供へ影響を与えることに 気付くよう、 子供じみた言動から 引き戻します。

○子供たちが 自分の感情を 話すよう促し、

 できるだけ感情を 有効化してあげましょう。

 批判的にならず、 子供の話を聞きましょう。

 子供が 自分自身の知覚を 信じられるように助けましょう。

○子供には 一貫性を持ちましょう。

 約束は守りましょう。

 あなたを頼りにできるのだと 知らせましょう。

○自分自身の ニーズや願望があるからといって、 自分を責めるのはやめましょう。

○必要なら、 子供たちにセラピストを付けましょう。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(以上)
 

ステップ10 (4)

2009年09月16日 21時50分01秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

 BPDの人の虐待から 子供を守るための、 ポジティブで実践的な提案があります。

○non-BPDの人は、 BPDの人と虐待の話を付けることに 脅威を感じ、

 虐待を矮小化したり、 自分の力を 諦めたりすることがあります。

 BPD的行動は 大人にとっても 対処が極端に困難です。

 しかし、 子供にとっては より一層難しいのです。

 最初に 虐待が発生した時点で 真剣に受け止めましょう。

 無視すれば、 BPDの人に 虐待を繰り返すことを 許可してしまいます。

 一貫した境界を持ち、 間歇的な強化を 与えないようにしてください。

○BPDの人が 治療を求めるのを 援助しましょう。

 非難ではなく、 ポジティブなコメントを与えましょう。

 育児の支援をしましょう。

○子供が BPDの人の行動を 非個人化できるよう、 援助しましょう。

 年齢に相応しい 教育をしましょう。

 あるnon-BPDの人は、 幼い子供に こう語りました。

「ママは病気なんだよ。

 とっても悲しくなってしまうような 病気なんだ。

 ママは お前のしたことで、 怒ったり 泣いたりしたんじゃないんだ。

 ママは お前をとっても愛していて、 お前がママを 幸せにしてくれるんだ。」

 年長の子供には 別のアプローチが必要でしょう。

 けれども、 知的には理解できても、 感情のレベルで感じるのは 別のことです。

 彼らまだ子供なのです。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ10 (3)

2009年09月15日 20時34分10秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

 BPDの人は 子供が自分の 思い通りであることを要求し、

 無条件に愛せないかもしれません。

・自分の不全感を補うため、 子供には完璧を要求する。

・自分だけがだめだと 感じたくないため、

 子供も 愚かで失敗ばかりし、 魅力がないということを求める。

・子供が 自分と異なる 感情や意見を持つと 脅かされる。


 身体的, 感情的虐待をしがちで、 極度に無視したりする。

・薬物乱用などの 情動的行動は、 BPDの人の子供の 安全や幸福を脅かす。

・極端に感情的になり、 言葉の暴力を振るう。

・自分のニーズで目一杯で、

 子供を他人の虐待から 守れなかったり、 守ろうとしなかったりする。


 以上の行動は、 意図的ではなくても 虐待と言えます。

 あなたが 子供の親族でなくても、

 子供の プラスのモデルになろうとする 熱意は、 子供を大いに助けます。

 思いやりや愛情だけが、 虐待を受けた子供の 支えになるのです。


 BPDの人は 自分の虐待に対して、 4つの基本的な態度を取ります。

・自分の行動が 虐待的であることを否定するか、 正当化する。

・落ち着いているときには 反省したりするが、

 良い方へは変わらず、 変化しないことの言い訳をする。

・自分に罪悪感を持って 恥じ、 自傷や自殺の素振りをする。

 それを更に後悔し、 悪循環に陥る。

・自分の不充分さを受け入れ、 子供との関係を育てるため、

 (セラピストと共に) 懸命に努力する。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ10 (2)

2009年09月14日 23時09分59秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

 BPDの人は

 自分の子供のニーズ, 感情, 願望を 考慮できないかもしれません。

・自分の感情に 没頭してしまい、 子供の感情を 見逃してしまう。

・子供の感情が 自分のものと違うことに 腹を立て、

 バカにしたり 否定したりする。

・自分が好まない人と、 自分の子供が仲よくするのを 認めがたい。

 子供を通して 相手に仕返しするかもしれない。

・その時の気分次第で、 過度の干渉と 無視の間を揺れ動く。

・自分の気に入ることを している間だけ、 子供に気を遣う。


 BPDの人は 一貫性がなく、 子供を混乱させるかもしれません。

・子供が全て悪いか、 全て良いかの どちらかのように振る舞う。

 これは 子供の自尊心を傷つけ、 一貫した自己感覚を妨げる。

・愛情のスイッチを 切ったり入れたりする。

 子供は 人を信用できなくなってしまう。

・気分次第で 一貫しない規則を実行する。

 子供は 予測が立たず、 無力感を感じてしまう。

・子供に対する 責任の取り方が、 過剰だったり過少だったりする。


 BPDの人は 子供の正常な行動で 脅かされるかもしれません。

・子供が成長して 親に依存しなくなると、

 BPDの人は 見捨てられたと感じ、 抑うつ的になったり、 腹を立てたりする。

 無意識に、 子供が自分に依存するように 試みる。

・子供が腹を立てると、 BPDの人は 激怒し返して、 状況をエスカレートする。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ10 (1)

2009年09月13日 18時21分47秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

*「子供の特別なニーズを 意識しましょう。

 子供の環境を、 できるだけ安全で 予想可能かつ

 支援的, 教育的なものにするため、 早急に手段を講じましょう。」

 BPDの親には、 いくつかのタイプがあります。

 多くのBPDの人は 自分の子供の前では、

 アクティング・アウトする 衝動を感じません。

 でも その衝動を感じても、 意識的に子供を守る 努力をする人もいます。

 あるBPDの人は、 怒りが自分の子供に 影響しないようにしています。

 気分が高ぶったときには、 友人に電話して 来てもらえることになっています。

 BPDの人が 全て悪い母親という わけではないのです。

 一方、 子供に対しても BPD的な行動を してしまう人もいます。

 あるBPDの母親の 娘は、 次のように言います。

 「母は 私の人生の目的は、

 彼女の感情的ニーズを 満たすことだと信じていました。

 孤独や悲しみを 感じたときには、 私を抱きしめて 

 『お母さんのことも 愛しているでしょう?』 と 何度も言いました。

 でも忙しいときや 気を取られているときは、 何ヶ月も私を無視できたのです。

 母は 父を憎んでいたので、 私にも憎んでほしいと 思っていました。

 『良い母親』 から  『悪い母親』 に変わるとき、

 私は裏切られて 麻痺した感じがしたのです。」

 なお、 BPDではない親もまた、

 このように振る舞う 可能性もあります。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ9 (5)

2009年09月12日 22時09分40秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

○自殺

 BPDの人の3~9%が 実際に自殺してしまいます。

 自殺企図をする人は もっと多くいます。

 さらに多くの人が、 自殺の脅しをします。

 non-BPDの人は 自殺の脅しを 真剣に受け止めていると、

 BPDの人に 伝えてください。

 仮に 操作されていると思っても、

 「本気じゃないでしょう」 などと 言ってはいけません。

 自分は本気だと 証明するために、

 自殺企図へと 駆り立ててしまうかもしれません。

 思いやりの 言葉や態度を示せば、

 それで 全ての問題は 解決しませんが、 差し迫った危機は避けられます。

 深刻な状況では 専門家の助けを求めましょう。


 BPDの人は non-BPDの人との 関係が終わったあとで、

 戻ってこなければ自殺すると ほのめかすことがあります。

 non-BPDの人は 相手が死んでしまうと 恐れて留まり、

 BPDの人は 相手なしでは生きていけないと 留まる関係に陥ります。

 これは不健全で 不幸な関係です。

 関係が終わる前に、 このような状況について 話しておくことです。

 専門家に電話すべきと 伝えてもいいでしょう。

 もし BPDの人の 言う通りにすれば、

 BPDの人の命を 救えるかもしれませんが、

 このタイプの 行動を強化し、 再び起こる可能性を 増やしてしまいます。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ9 (4)

2009年09月11日 21時11分40秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

 non-BPDの人は 自傷行為に怯えてしまいます。

 BPDの人との トラブルが引き金だと、 責任を感じてしまいます。

 でも 外的な出来事が きっかけだとしても、

 本当は BPDの人の 内的体験に根ざしているのだと、

 心に留めておくことが 必要です。

 自分を責めないように。

 自傷に対処するために、 次のような提案があります。

・BPDの人に 共感を持ちましょう

 BPDの人が どう感じているか 理解しようと努力していることと、

 BPDの人が 苦しんでいるのを知っていると、 伝えましょう。

・BPDの人が 安定しているとき、 自傷の理由を 理解するようにしてみましょう。

 もっと他の 適応方法を一緒に考えましょう。

 代わりに エアロビクスの教室へ行くとか、 自分で自分を 撫でさすったり、

 ペットの犬と 触れ合うのもいいでしょう。

 赤インクで 自分の腕に 印を付けるのも有効です。

・自傷を強化しないように 境界を設定しましょう

 例えば、 自傷しそうになる前に 友だちに連絡をしたら、

 BPDの人を 安心させるように話をしてくれると 約束します。

 けれども、 自傷している最中や してしまったあとに連絡をしたなら、

 大切に思っていても、 そんな状態のときは 関わらないと。

 これは 友人たちの ストレスや罪悪感を軽減し、

 友情が続く 見込みが高まります。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)
 

ステップ9 (3)

2009年09月10日 19時26分17秒 | 「BPDのABC」より
 
(前の記事からの続き)

○自傷行為

 自傷は BPDの人が 圧倒的な感情的苦痛を逃れたり、

 コントロールしようとするために使う 適応メカニズムです。

 感情的苦痛とは通常、 恥の感情と 見捨てられ恐怖です。

 BPDの人があげる 自傷の理由には、 以下のようなものがあります。

・怒りを表現するため

 BPDの人が 誰かに怒りを覚えたとき、

 その人を傷つけたり 殺したくなってしまいます。

 けれども それが実際にはできないので、

 自分を傷つけて、 怒りを発散させているのです。

 その時はすっきりしますが、 あとになると 恥ずかしくなって後悔します。

・身体的痛みによって、 感情的苦痛から逃れるため

 自傷は 内的な地獄を抜け出して、 肉体を感じる 役に立つといいます。

・自己嫌悪を表現するため

 虐待を受けたBPDの人に より頻繁に見られます。

・生きていることを感じるため

 死んでいるような感覚や、 内面が痛んでいるという感覚を 緩和するためです。

 時として 反対に、 より麻痺した感覚を 得るためのこともあります。

・内面的に感じている苦痛を 人に伝えようとする試み

 助けを必要としていることを、 誰かに 気付いてもらうためにやります。

 あるいは、 「自分を切ると どんなに気分が悪いか 説明しなくて済む。

 見せることができるから」 と言う BPDの人もいます。

〔 「BPDのABC」 ランディ・クリーガー/E・ガン (星和書店) より 〕

(次の記事に続く)