「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

沖縄リカバリートーク (9)

2013年12月11日 21時15分53秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 書くという作業

 心子が夭折して しばらく経って、 僕は彼女との物語を 綴り始めました。

 心子の足跡を残したい, ボーダーというものを知ってほしい という思いからでした。

 結果として 書くという作業は、

 混迷した気持ちを整理してくれるのに 大変役立ちました。

 僕の場合は、 自分の中で落ち着かせることと、 著作として第三者に伝えることと、

 ふたつの段階が あったのではないかと思います。

 前者は、 自分の感情を披瀝して 癒す意味があるでしょう。

 苦しみを抱えた他の方々にも、 有益な作業ではないでしょうか。

 後者は、 さらに適切な距離を置いて 見つめることで、

 体験をきちんと位置づけすることが できたのではないかと思います。

 心子と恋人として付き合ったのは 1年半ほどでしたが、

 心子との どれほど壮絶だった経験も、 今は 豊かな想い出となっています。

○ いま望むこと

 13年前には、 心子の旅立ちを 留めることはできませんでした。

 もっと情報やサポートがあったら、 違う結果に なっていただろうと思うと、

 本当に無念でなりません。

 今は ボーダーのことを語れる場も できましたが、

 それでも ボーダーへの無知や誤解は 今もって絶えません。

 ボーダーに関する 正しい理解やネットワークが もっと広まることを、

 心から願っています。

 今も苦しんでいる ボーダーの人や 家族・パートナーの人たちが、

 少しでも生きやすくなっていくことを、 心子と共に心から祈っています。

 きっと心子は 今も高い所から、 微笑みながら見ていることでしょう。

 本日は どうもありがとうございました。

(以上)
 

沖縄リカバリートーク (8)

2013年12月10日 20時11分52秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 自死

心子は ホテルの最上階から 飛び下りました。

 その前日、 心子はバイト先の支店長に、

 仕事を辞めたいという 電話をしていました。

 支店長は長時間 叱咤激励したそうです。

 或いはそれが 自死の直接の引き金になったかもしれません。

 しかしながら、 心子の最期を、

 単に悲運として すませることのできないものが、 僕の中にはあります。

 心子は、 これでやっと、 もう苦しまなくていいんだと 思わざるを得ない、

 そう信じるしかないというものが、 否応なしにあるのです。

 そして、 心のどこかに、

 “解放された” という、 如何ともしがたい気持ちが あったということも、

 否むことはできません。

 それほど厳しい重圧が、 心子との付き合いにはありました。

 けれども、 それに勝るとも劣らない 無類の魅力が、 心子にはあったのです。

○ 心の真実

 心子が旅立ったあと、 周囲の人たちの話を聞くと、

 心子が話していた数々のことと 基本的に食い違っていました。

 反目していたという 母や兄との関係は、 実はそれなりに良いものでした。

 心子の中に 客観的事実とは異なる 心的事実が作られたのは、 解離によるものです。

 父親には心臓の遺伝病はなく、 死因は心筋梗塞のようでした。

 近親相姦や死の約束も なかったと思われます。

 しかし 心子の中には、

 父との死の約束が 歴然たる事実として でき上がっていたのです。

 心子はそれらに従って、 ただ一心に 生きただけなのです。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (7)

2013年12月09日 21時33分14秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 子供の人格の出没

 この頃から 心子はしばしば、

 子供や赤ん坊の時の人格に 戻るようになっていました。

 診察室でも子供に戻り、 主治医を父親と思い込んで、

 茫然として診察室から出てきました。

 心子は紙の裏に 父親への手紙を書きました。

 完全に子供の字になっています。

 「お父さまへ  きょうはどうしてなの?

 いつものひみつのやくそく いやがったの

 お父さん しんこがキライになったんだね

 しんこが ちかいをまもらなかったから」

 秘密の約束とは 何だったのでしょう?

 主治医は、 近親相姦は あったのではないかと考えました。

 血と血の繋がりがあったから、 一緒に死ぬというところまで 行ってしまったと。

○ 壊れて、 笑って、 そして……

心子は 主治医に転移させた恋愛感情が 受けいられないため、

 憔悴した時を送っていました。

 でも日頃から 入院は絶対いやだと言っていました。

 何故か 閉鎖病棟で監禁されると思っていたのです。

 心子を布団に寝かせると、 やにわに逆上しました。

 「三歳の子供になって そのまま戻りたくない!

 マーもお母さんも 誰も分からなくなって、 壊れてしまいたい!!

苦しいことも何も分からなくなって!

檻の中で 鎖につながれて暮らすの!

 豚の餌でもいいの!! 分からないから!!

あたしを壊して!! マーに壊されたい……!!」

 胸が張り裂けました。

 ただただ 思い切り抱きしめるしかありませんでした。

 そうして、 数日後には、 心子は僕の部屋に来て また明るく振る舞います。

 「ただいまぁ。

 いろいろぶつぶつ文句言っても、 ここが一番落ち着く」

 心子といるのは やっぱり楽しいのです。

 ところがこの後、 メールを出しても電話をかけても、 心子は音信不通になりました。

 心子のマンションへ 行ってみようと思った晩、 心子の母親から電話がありました。

 「心子は今日の午前4時、 ホテルで亡くなりました……」

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (6)

2013年12月08日 23時53分15秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 分裂

 病院の待合室で、 心子の受診を待っていたとき、

 診察室から 絶叫が聞こえてきました。

 「誓いを破ったんです ……!

 お父さんとの誓いを ……!!」

 心子は ペンで喉を刺そうとしていました。

 そして 失神しました。

 夜まで病院にいたあと、 何とか 僕の部屋に連れてきました。

 心子は 悪夢に再三飛び起きて、 カッターで何回も 喉を掻っ切ろうとしました。

 1時間ほどして 心子は落ち着いて、

 壁にかけてある 僕のウィンドーブレーカーに 目を付けました。

 「いいなあ、 これ ……」

 心子はいかにも物欲しそうな 甘えた眼差しで、 僕に振り返りました。

 さっきの騒ぎは まるっきりどこかへ 行ってしまっています。

 「いいなあ ……」

 「分かったよ、 あげるよ」

 「やったあー!」

 アップダウンが より目まぐるしくなっています。

 例のように心子は、 友達のことなどを 面白おかしくしゃべったり、

 たわいなく甘えたりしました。

 こういう 楽しくて愛すべき面が ふんだんにあるから、

 大変なことがあっても 心子とは離れられません。

 どんな辛いことも相殺して 余りあるものがありました。

 ですが、 またすぐに 心子は揺れ動きます。

 「…… 生きることが分からないの ……

 死ぬことしか教わらなかったの……」

 心子は忍び泣きました。

 僕に どこまでできるか分からない。

 でも 心子にはぎりぎりの誠実さで 向き合っていこう。

 僕は 心子の胸に顔をうずめて 涙しました。

 心子は、 やおら手を合わせて、 神に祈りを捧げました。

 「この人は 二十年間苦しんできた人です。

 きっと成功して、 作品が世に影響を与えますように。

 どうか、 稲本雅之の名前を覚えてくださって、 特別のお計らいをもって、

 続けて チャンスと能力を お与えください ……」

 完膚なきまでに叩きのめされるのも 心子ならば、

 癒してくれるのもまた、 心子でした。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (5)

2013年12月07日 22時47分35秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 解離

 あるとき、 心子は不穏になって ビールをあおりました。

 突然、 心子は キッチンの包丁をつかみ、 自分の胸を突き刺そうとしました。

 僕は大慌てで飛びついて 心子の腕をつかみ、

 包丁の切っ先は 心子の胸の寸前で止まりました。

 暴れ狂う心子を倒して 馬乗りになりました。

 普段の心子からは 想像できない力でした。

 心子は 聞いたこともない太い声で 吠えました。

 すると、 心子は にわかに無表情になりました。

 いくら呼んでも 肩を揺すっても、

 死人のような半開きの目で、 無意識状態に陥ったままです。

 人間の こんな顔は 初めて見ました。

 心子が最初に起こした  「解離」 です。

○ 父親との死の約束

 心子は僕に語りました。

 幼い頃 心子と父親は、 恋愛感情と言っていいもので 繋がり合っていたといいます。

 父親は 遺伝的な心臓病を抱え、 いつ発作に襲われて 絶命するか知れない体でした。

 独りで死ぬのを恐れ、 心子に連れ立って逝くことを 求めました。

 父を愛していた心子は、 自分も一緒に死ぬと 誓いました。

 心子が十歳のとき、 父親は発作に見舞われ、 1時間後に他界しました。

 しかし、 心子は死ねませんでした。

 父との誓いを破った ……

 それが 心子の人生を呪縛する、 根源的な心の傷になったのです。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (4)

2013年12月06日 22時31分23秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 苦しみ、 いとおしく

 ある日、 心子はまた つまらないことでキレて、 電話で罵りました。

 「私は三十六年間 ずっと苦しんできたの!

いつも死にたいと思ってた!

 笑ってても心は泣いてるの!

 そんなこと気付かないでしょ!?」

 心子はボーダーの鋭さで、 どこを突けば 僕が一番こたえるか 分かっています。

 こうした電話は 一時間二時間に及ぶことも 茶飯事です。

 明くる日、 再度電話が来ました。

 「あなたとは水と油。

 あなたは 自分を大事にする人でしょ。

 そうやって生きていけばいい。

 「でもマーのことは 神様が必ず裁くわ。

 マーに耐えられるかね。」

 「私を失って マーが得られるのは、 自由と神の罰 ……。」

 延々とした電話が ようやく終わって、 重罰から放免された気がしました。

 一時間後、 再び電話が鳴り、 今度は心子は泣きすがってきました。

 「真剣に愛してたのに、 どうして伝わらないの!?

 神様は 私が愛したり愛されたりすること 許してくれないの。

 あたし、 独りでやる。

 マーは私のこと 忘れるんだろうね。

 マーの一言で 体ボロボロになって、 心もボロボロになって……

 腰が痛い、 足も痛い、

 今までマーがもんでくれたのに、 もう誰ももんでくれない。

 マーのこと、 ちょっとだけ恨むよ……

 ほんのちょっとだけ……。

 マーのこと、 大好きだよ……。

 さよなら言うのよそう……

 おやすみ……」

僕は泣けました。

 心子はいつでも 全霊を懸けているのです。

 怒りも悲しみもで 凄まじい力で襲いかかり、 心子の心は引き裂かれます。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (3)

2013年12月05日 21時09分15秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 境界性パーソナリティ障害

 友人の臨床心理士から、 心子はボーダーではないかと 示唆されました。

 ボーダーの本を物色すると、 DSMの診断基準に 心子はほとんど全て一致します。

○ 心子と接するとき

 僕はそれまで ホスピスの勉強をしていたので、

 心子に対しても 受容の態度で臨んでいました。

 ただし、 共感することはせず、

 心の中で境界線を引いて、 巻き込まれないように努めました。

 心子の僕に対する批判は、 あくまでも ボーダーのなせる業であって、

 彼女の本心でもないし 客観的事実でもないからです。

 同じ土俵に立って 共倒れになってしまっては、

 彼女を支えることもできず、 元も子もありません。

 少し時間が経ちさえすれば、

 心子は何事もなかったかのように、 ケロッと元の明るい彼女に戻ったり、

 あるいは 自分の言ったことを 死ぬほど後悔したりするのです。

 また、 心子が どんなに僕を責め立てても、

 一番苦しいのは 心子自身に他ならないのだと、

 僕は常々 自分に言い聞かせていました。

 とはいえ、 心子の非難を受け続けるのは、 本当に過酷なことです。

 境界設定については、 その頃は乏しい情報しかなく、

 彼女の攻撃を こちらから打ち切ることは、 とても恐しくてできませんでした。

○ 主治医のアドバイス

 心子の主治医は 僕の信頼する先生で、 いくつかの助言をいただきました。

 「彼女は 水に浮いた葉っぱのように ゆらゆら動く人だから、

  あなたは杭のように動かないこと」

 「彼女は言葉が達者だが 言葉より行動が重要な人。

  言葉に惑わされず 行動を見るように」

 「要求されても、 できないことはできないと言うしかない」

 「彼女を救うのは愛情だけ」

 専門家のアドバイスは、 非常に大きな支えになりました。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (2)

2013年12月04日 21時11分34秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

○ 万華鏡

 そんな心子が 突如豹変します。

 ある日の帰宅途中、 心子は少し具合が悪くなって、

 僕は  「タクシー乗る?」 と気遣いました。

 その途端、 彼女はキレました。

 心子にとっては、 乗るかどうか聞く前に、 タクシーを拾うのが 当然だったのです。

 心子が求めるのは、

 痛みを100%理解されて、 全てを抱擁される 完全無欠な愛情です。

 1%でもそれが足りないと、 悲しみが怒りと化して 荒れ狂い、 自他を傷つけます。

 心子自身、 その感情を抑えることができません。

 その反面、 ガラス細工のように デリケートにできていました。

 ほんの僅かなことで落ち込んで 鬱状態に陥り、 引きこもってしまいます。

 まるでオセロのようです。

 ひとつでも黒に変わると、

 それまでの白が 一瞬にして 全て真っ黒になってしまうのです。

 ボーダーの人は、 周りの人たちや 治療者も巻き込んで、 苦しめてしまいます。

 そのためボーダーは 最も誤解されやすいものだと思います。

 ネガティブなイメージばかり抱かれがちですが、

 ボーダーの人は チャーミングな面もあります。

 心子の純粋さや魅力も 伝えられたらと思っています。

 また、 僕が心子との葛藤のなかで、

 どんなことで支えられ、 持ちこたえられたかも 述べたいと思います。

○ 天国と地獄

 心子は、 絶えず 蜜月と修羅場の間を 行き来していました。

 何でもないことにも 過敏に反応するので、 僕は薄氷を踏む思いです。

 心子と相対するには、 細心の注意を 払わなければなりませんでした。

 けれども トラブルはいつでも起きました。

 彼女の期待に 常に先回りして応えるのは、 僕には不可能なことでした。

(次の記事に続く)
 

沖縄リカバリートーク (1)

2013年12月03日 21時40分36秒 | 「BPD家族会」
 
 沖縄のリハビリテーション学会では、 スライド (PPT)を使い、

 原稿を読みながら発表をしました。

 そのリカバリートークの内容を 掲載していきたいと思います。

  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×
 

 東京の 「BPD家族会」 の 稲本雅之と申します。

 どうぞよろしくお願いいたします。

○ 「境界に生きた心子」  星和書店 (稲本雅之)

 僕は10年あまり前、 ボーダーの女性と付き合っていました。

 シナリオライターをしていたのですが、

 彼女と過ごした日々を、 その後 本に綴りました。

 星和書店から  「境界に生きた心子」 というタイトルで出してきます。

 今日は 拙著からの抜粋を含めて、 お話させていただきたいと思います。

○ 巡り逢い

 心子と付き合い始めたのは、 1999年の夏でした。

 心子は35才でしたが、 身も心も 10才以上は若かったですね。

 ピュアで愛くるしく、 普段はめっぽう三枚目です。

 思い切り小節を利かせて  「いなかっぺ大将」 の歌を唸ったり、

 何にでもあだ名を付けたりします。

 例えば 手袋は 「おてぶ」 、 僕は 「マー」 になりました。

 一方、 現実離れした理想を追い求めて、

 我が身の犠牲も厭わない 我武者羅さを持っています。

 心子は 敬虔なクリスチャンでもあります。

(次の記事に続く)
 

沖縄リハビリテーション学会

2013年12月02日 22時10分08秒 | 「BPD家族会」
 
 11月30日、 沖縄の精神障害者リハビリテーション学会での

 リカバリートークが無事に終わりました。

 定員50人の分科会でしたが、 立ち見の人が出るほどでした。

 看護師, 保健師, ドクターなど、 若い専門職の方の 出席が多かったようです。

 発表者は、  「BPD家族会」 から僕の他に、

 統合失調症の家族会 (「もくせい会」) ,

 引きこもり支援の会 (「わたげの会」) の人たちです。

 それぞれの会の紹介に続いて、 各自が約15分の発表をし、

 そのあと 参加者の人たちが 4つのグループに分かれて、

 感想や自分の話を語る グループワークが行なわれました。

 統合失調症を初めとする精神障害の会や 引きこもりの会は、

 歴史も長く、 活動も広範にわたっていますが、

  「BPD家族会」 は 発足してまだ5年。

 ボーダーの家族会の存在を 知らない方もいました。

 そんななかで ボーダーのパートナーとして 語る場を得られ、

 参加者の方に伝えることができたのは、 本当に貴重で 有意義な機会でした。

 会が終わってから 声をかけてくださる人たちもいて、 大変ありがたいことでした。

 こうして ボーダーや家族会のことが 少しずつ広まっていけばと 願っています。

  「BPD家族会」 草創の時期に 僅かでも役に立てるとしたら 嬉しい限りで、

 襟を正す思いがします。
 

 聴衆の前で話すのは 久方ぶりのことでした。

 15分という短い時間内に まとめなければいけないため、

 事前に時間を計りながら、 原稿を削ることに苦心しました。

 また σ (^^;) は 滑舌(かつぜつ)が悪いので、 何回も練習しました。

 準備を整えて 本番に臨んだのですが、

 心子の最期を語ったくだりで、 予想外にも 声が詰まってしまいました。 (;_;)

 練習のときは 全然そんなことはなかったのに、 全く計算外です。

 でも、 とても充実した体験を 沖縄ですることができました。
 

沖縄の学会に出席

2013年11月25日 21時49分38秒 | 「BPD家族会」
 
 今月末、 沖縄で開かれる 「日本精神障害者リハビリテーション学会」 に、

 発表者として出席することになりました。

  「BPD家族会」 のメンバーとしての参加で、

  「境界に生きた心子」 の心子の話をします。

 (最近はその原稿や準備などに ずっと時間を取られています。)

 リハビリテーション学会は 精神障害者の社会復帰に関して、

 専門家, 当事者, 家族などが 一堂に会する大会です。

 第21回の今年は、 11月28日~30日に開催されることになりました。

 その分科会のひとつ  「家族のリカバリートーク」 で、

 発表することになったのです。

  「リカバリー」 というのは、 障害や生きづらさを抱えながら、

 自分らしい生き方を 取り戻していくということです。

 当事者や家族の立場から 専門家たちにリカバリーの体験を語る、

  「リカバリートーク」 の活動が 5年前に始まりました。

 今回  「BPD家族の側から語る」 というものですが、

 リカバリートークで BPDパートナーの立場での話は 初めてだそうです。

 僕としては 次のようなテーマを考えています。

 ボーダーは 周りからも専門家からも誤解され、 嫌われがちですが、

 ネガティブなイメージだけでなく、 ボーダー (心子) の魅力も伝えたい。

 心子との厳しい体験のなかで、

 僕がどんなことで支えられ、 持ちこたえられたか。

 このような発表の場が 与えられるのは、

 心子と付き合っていたころには 考えられないことでした。

 短い時間ですが、 心子のことが 参加者の人たちの心に 届けばと願っています。

 心子も応援してくれているでしょう。

 そして、 普段旅行などをすることが ほとんどないので、

 滅多にない機会を 少しでも味わってきたいと 楽しみにしています。  (^^)
 

少年院で脱薬物

2013年11月10日 20時25分21秒 | 「BPD家族会」
 
 「BPD家族会」顧問の 松本俊彦先生が携わった、

 少年院での脱薬物のプログラムについて、 読売新聞の記事から紹介します。


 このプログラムは講義形式ではなく、 同じ体験をした少年同士が 本音をぶつけ合い、

 誘惑に負けない方法を見いだします。

 「少年院を出たあと、 薬物を勧められたらどうする?」

 「断ります。 これまでの努力が無駄になる」

 4ヶ月のプログラムを受けた少年は きっぱり答えました。

 少年は中学のとき、 先輩に勧められて ライターのガスを吸い込む ガスパンを始め、

 脱法ハーブにのめり込み、 大麻にも手を出しました。

 「心配した友だちから 何度も殴られたけど、 やめられなかった」

 少年は、 依存が進めば 死に至ることもあると知り、

 依存症の恐ろしさに気付きました。

「家族に迷惑をかけた分、 必ず薬物を断って喜ばせたい」

 プログラムでは、 薬物を使いたくなる 引き金は何か、

 止めてくれる人は周囲にいないか、 などを紙に書いて 発表させます。

 グループ討論で、 依存から抜け出す方法を 模索させます。

 そして、 出院後の 具体的な目標を立てさせて、 保護観察所に引き継ぎます。

 立ち直るには 出院後に支える 父母らの役割が重要になるため、

 保護者向けの専用教材もあります。

 「回復は長期戦と覚悟する」

 「『~しなさい』 『してはダメ』 などと 命令口調にならない」

 などと説明しています。

 松本俊彦医師は、 「少年は 薬物使用の期間が短く、 依存度も比較的低い。

 周囲の人間の 対応が変わるだけで 劇的に回復する場合もあり、

 家族との関わりは 成人以上に重要」 と話しています。

〔読売新聞より〕
 

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2013年02月19日 20時13分33秒 | 「BPD家族会」
 
 「自死遺族のスティグマ」 という シンポジウムも聴きました。

 自死は死の中でも 特別なもので、 否定的に見られてしまいます。

 弱い人間の逃避, 大切な命を無駄にした, 止められなかった遺族の責任など、

 様々なスティグマがあります。

 遺族自身の中にも スティグマは存在し、

 罪悪感や恥のため人に話せず、 ますます孤立し 苦悩は深刻化してしまいます。

 発表者の遺族も、 息子の自死から半年間の 記憶がないと言いました。

 自死は  「封印された死」 「抑圧された死」、

 さらに 「劣位の死」 ともされています。

 僕は、 かつて自分自身が 自殺の一歩手前まで行った 大挫折の体験があり、

 死に向かわざるをえない人の 懊悩を否認することはできません。

 心子の旅立ちも、 これでやっと彼女は 苦しみから開放されたのだという

 “救い” さえ感じました。

 そして僕も心子の最期を、  「自殺」 ではなく  「自死」 と表現してきました。

 自死遺族の会でも、 公的文書での 「自殺」 という言葉を、

 「自死」 に変えようという 活動をしています。

 それによって、 自死について 語りやすい社会になり、

 遺族の苦しみが軽減され、 対策も立てられるといいます。

 ところが、 これに疑義を唱える 意見がありました。

 「自死」 という言葉にすると、 自殺のネガティブなイメージは 和らげられますが、

 そのことによって、 死ぬことへのハードルが低くなり、

 連鎖自殺や幇助自殺を 呼び込む可能性があるというのです。

 僕も今まで 気付きませんでした。

 確かに  「自殺」 という言葉の 抑止効果はあるのだろうと思います。

 しかし シンポジストの一人は、 それらを充分に考えた末、

 「自死」 という言葉に込められた想いを 選んでいるという意見でした。

 失われた命を尊び 遺族の再生を願うことと、

 これから失われるかもしれない 命を救うこと。

 そのふたつの調和を、 考えていきたいと思います。
 

アンチスティグマ学会 (3)

2013年02月18日 20時21分34秒 | 「BPD家族会」
 
 現在、 精神医療で 「家族会」 というと、

 ほとんど統合失調症 (またはうつ病) の 家族会のことを指します。

 全国で 精神障害者の家族会の数は  (メモし損ねてしまいましたが) 千数百、

 会員は10万人以上です。

 それに比べると、  「BPD家族会」 は

 専門家の間でも 存在すらまだ知られておらず、 規模も実に微々たるものです。

 他の家族会の活動の話などは 参考になりましたが、

 これから始まる 道のりなのだと感じました。

 また、 精神障害者自身の中にある スティグマも言及されていました。

 自分が統合失調症である 一人の発表者も、 当事者同士の間で、

 病名や症状で差別し合う  「相互スティグマ」 があるということを戒めていました。

 一方その発表者は 別のシンポジウムで、

 当事者がカミングアウトすれば 差別は少なくなってきた、

 ということも述べていました。

 それも事実だと思いますが、 ところがその人は、 友人から

 「あなたは恐くない。 恐いのは 突然キレたり暴力を振るう人だ」

 と言われたというのを、 差別されなかったことの 引き合いに出していました。

 BPDの人は突然キレたり 暴力を振るったりすることがあるわけですが、

 この発表者は そのことが頭にありません。

 相互スティグマを訴えている 当の本人が、

 BPDの人は恐いと 言っていることに気付かない

 スティグマを持っているということを、 目の当たりにさせられました。

 精神障害者に対する 根深いスティグマ、 いわんやBPDをや、 です。

 BPDの理解の普及、 スティグマの解消は まさしくこれからです。
 

アンチスティグマ学会 (2)

2013年02月17日 20時52分33秒 | 「BPD家族会」
 
 「スティグマ」 の語源は、 ギリシャ語で、

 奴隷や犯罪者の体に 刻印された徴 (しるし), 烙印のことです。

 現在は 社会的に貼られた ネガティブなレッテルで、 偏見, 差別を意味します。

 偏見は  「知らない」 ということから生じ、

 人間は 知らないことに対して 不安や恐れを感じますが、

 それ自体は 生物的な自然な感情です。

 でも 情報を見聞きしたり、 実際に そういう人に接することで、

 スティグマは改善されていきます。

 最近 うつ病や精神障害に関する 書籍も増え、

 新聞やNHKでも精神障害が 随分取り上げられるようになり、

 重大事件の犯人が 精神病の通院歴があるなどの報道は 減ってきたと思っていました。

 しかし アンチスティグマ学会の発表を聞いて、

 精神障害に対する偏見は まだまだ根強いのだということを、

 改めて認識させられました。

 例えば、 精神障害者の雇用が 企業に義務化され、 雇用率を満たすようになっても、

 実際には 職場で仕事を与えなかったりし、

 逆に 障害者は何もできないという 偏見が助長されているともいいます。

 あるデータによれば、 統合失調症のことを知らないという人は 65%に上り、

 一般の人の 精神障害に対する ネガティブなイメージ (怖い, 暗いなど) は、

 この10年間で 変わっていないということです。

 また、 精神の障害のために 重大な犯罪を犯してしまった人の

 社会復帰を目的とする  「医療監察制度」 も、

 そもそもは 池田小学校殺傷事件をきっかけに制定され、

 見切り発車されたものだそうです。

 精神障害者は危険だという 発想に他なりません。

 けれども、 学生が精神障害の授業を受けると、

 それらの無知や偏見は 目に見えて減じます。

 知るということが 非常に重大で、

 教育やメディアの力が大きく、 今後の改善が 強く期待されます。