「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 被告人質問(5)

2007年06月30日 08時58分13秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48604707.html からの続き)

 元少年に ずっと接見を続けている 僧侶・和田隆恩氏によると、

 今回の元少年の供述は、彼のキャラクターと 違和感がないものであり、

 以前から 聞いたこともあるものなので、

 彼は 自分の言いたいことを言っている、ということです。

 しかし 今回の差戻し審では、犯行事実は すでに一審二審,最高裁で

 「揺るぎなく」 確定しています。

 殺意を否認し 傷害致死罪であると、事実を根本から ひっくり返してしまう審理は、

 本来なら認められず、裁判所も弁護側の発言を 制止することもできるはずです。

 けれども、死刑という 人の命がかかった 究極の事情であり、

 法廷は 被告人が自由に 発言できる場でなければならない という立場から、

 裁判所は 最後の機会なので 聞いてあげようという姿勢ではないか、ということです。
 

 来月24日からの 第2回集中審理で 弁護団は、

 なぜ 元少年の証言が変わったのかを 明らかにするそうです。

 また、9月の第3回集中審理では、本村さん自身が 意見陳述をする可能性があります。

 今回の控訴審は 順調に行けば年内に結審し、来年半ば頃に控訴審判決

 という予想がありますが、弁護側が精神鑑定を申し立てて 裁判所が採用すれば、

 さらに 後ろにずれ込むこともあるとか。

 どちらにしても、弁護側か検察側が 最高裁に上告するでしょう。

 最高裁は 弁護側の上告を破棄・自判するか、

 検察側からの上告審には また半年程度かかるかもしれない ということのようです。

 

 ところで弁護団は、この裁判を 死刑廃止のプロパガンダに

 利用しているのかどうか、僕には分かりませんが、

 死刑制度廃止を訴えるなら、どんな極悪非道な犯罪者でも 死刑にすべきではない、

 という理屈に ならなければいけないはずです。

 それなのに 殺人罪ではないと主張すれば、それは元々 死刑に当たらないのですから、

 死刑制度廃止を 後押しすることにはなりません。

 しかし、(組織的な経済犯罪でもなく) たった一人の少年の事件に、

 これだけ大人数の弁護士が 集結したというのは、

 やはりイデオロギーが 関わっているのではないか と考えられます。

 いずれにしろ、今の弁護団のやっていることは、

 死刑反対論者のイメージを 著しく損なっていることに 違いはありません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48659854.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(4)

2007年06月29日 23時38分30秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48579121.html からの続き)

 元少年の精神鑑定をした 加藤幸雄教授 (犯罪心理学) は、

 元少年は 母体回帰したい 赤子の心情だった と証言しています。

 しかし この教授は、「光市裁判」 という本の中で 安田弁護士と共に、

 「何故テレビは死刑を求めるのか」 という記事を書いており、

 とても客観的な立場の 鑑定とは言えません。

 また、赤子の心情だったとするなら、復活のために 性行為をおよぶというのは、

 非常に 矛盾しているのではないでしょうか。

 また元少年は、

「この1年、記憶を精査し、何をしたのか探ったりしました。」

 と言っているのに、検察や判事に質問されると

「覚えていない」 と繰り返します。

 これも 全く辻褄が合いません。

 かつて これほど 支離滅裂な論理を 展開した公判があったでしょうか? 

 弁護団は この “ストーリー” が通ると 本気で思っているのか、

 しかと 問うてみたいのですが、どうも弁護団たちは 大真面目らしいのですね。

 
 一方 ネット上では、元少年への激しい処罰感情が 湧き上がっているらしいですが、

 裁判は復讐ではなく、国家が客観的に正当な刑を 決める場なので、

 第三者が無責任に わめき立てるのは控えたいものです。

 また、弁護団には 脅迫状が送られたそうですが、

 本村さんは いかなる理由があっても ルール違反は許されないと言っています。

 とにもかくにも、品格のない感情論に 走るべきではありません。

 外野の野次馬たちが 騒ぎ立てている中で、

 当の本村さんが 一番冷静で、克己しています。

 本村さんは ここに来るまで、果たして どれだけ血を吐くような、

 生き地獄の 懊悩があったことでしょう……。

 犯人に凌辱され、当初はマスコミにも批判され、裁判所に一度ならず退けられ、

 弁護士団から屈辱を受け、今また犯人に愚弄され……。

 こんな立派な人間に ならなくてもよかったから、

 本村さんが 弥生さんや夕夏ちゃんたちと、平凡で幸せな 暮らしをできていたらと、

 心から思ってしまいます。
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(3)

2007年06月28日 20時49分10秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48561480.html からの続き)

 本日、本村さんは 記者会見を開きました。

 いつものように冷静沈着で 理路整然と、心に響く 的確な言葉で訴え、

 風格さえ 感じるものでした。

 本村さんは 元少年の死刑の意味について、次のように述べています。

「被告が悔い改めて、納得して、胸を張って 死刑を受けることに意味がある。

 もし元少年が嘘をついて、裁判に負けて 死刑を受けるとしたら、

 彼の人生は 何だったのか? 

 罪を犯したあと 少しでも人間として 名誉を回復して、

 罪に対する罰を受け入れて、生を全うすればいいが、

 これだけ世間に批判され、嘘つき呼ばわりされて、死刑が確定したときに、

 弁護団は この事件や彼の人生を、どう意味づけしようとしているのか分からない。

 最高裁が 「特別な事情」 と言ったのは、被告人に更生の可能性が あるのかないのか、

 彼を社会が 受け入れることができるのか、ということだと思うが、

 今の裁判は そういう方向にない。

 こんな状態で 死刑が出ても 何の意味もない。

 彼が悔い改めた姿を 社会が見て、人をあやめた人間は これだけ反省しても、

 命を持って償わなければならない と知らしめなければ、死刑の意味はない。

 そこが非常に残念で、弁護団に憤りを感じている。」

 本村さんは事件後から、一貫して このように主張してきました。

 元少年が心から反省して、その上で 死刑を受けてこそ意味がある、という考えです。

 一般には、被告は自責の程度によって 量刑が左右されます。

 実際 この裁判の一審二審が 無期になったのも、反省を認められたからでした。

 僕も 被告が心底悔い改め、苦しみ贖罪することによって、

 刑罰は軽減されると考えます。

 反省のない人間こそ 極刑を持って臨むべき ということになりますが、

 本村さんは 被告が反省していなければ 死刑の意味はないと信じるのです。

 日常的には、過ちを犯した人間が反省し 心から謝罪することで、

 被害者の傷は癒されます。

 最愛の人を 無残な姿で殺されることは、

 被害者遺族としては、それとは全く次元が異なる というのは理解できますが、

 法定刑の考え方としては どうなのでしょうか。

 皆さんは どう思われるでしょう? 
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48604707.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(2)

2007年06月27日 22時30分09秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48536162.html からの続き)

 昨日に引き続き 弁護側の被告人質問と、

 検察側の反対尋問、裁判所による 追加質問が行なわれました。

 弁護側の質問に対する答では、弥生さんの幽霊を見て パニックになったとか、

 ドラえもんの四次元ポケットが 何とかしてくれるとか、

 およそ荒唐無稽で 不可解な供述を展開しています。

 ちなみに、元少年が読んだという 山田風太郎の 「魔界転生」 では、

 性交の儀式で 復活するのは男性であり、

 死亡した女性を生き返らせる 設定ではないということです。

 元少年は一審二審で、検察の 詳細な犯行経緯の 供述書をすべて認めています。

 公判という 公の場で認めたのですから、

 密室の取り調べ室で 強引に調書を取られたのとは わけが違い、

 極めて信用性が高いものです。

 何故 一審二審で 起訴事実を認めたのか、何故 今回それを翻したのか、

 合理的な説明をする義務が 弁護団にはあります。

 そうでなければ、今回の供述は 信じられないだけでなく、

 反省がないということで 更に死刑に傾くことになるでしょう。
 

 検察側からの反対尋問が始まると、

 元少年は それまでの饒舌で 早口な答え方が一変し、

「分からない」 「覚えていない」 を繰り返しました。

 弁護側の質問の答との 矛盾を指摘されると、

「質問する人が違えば、違ったニュアンスで 答えることになります。

 詳しくは説明できません。」

 と 強い口調で反論したとか。
 

 最後に裁判所が 追加質問を行ないました。

「弥生さんを通して 実母を見ていたという気持ちを、

 もっと具体的に 話してください。」

 元少年は言葉に詰まり、長く考えた後、

 それまでと同じことを 繰り返すだけだったといいます。

 弥生さんを生き返らせようとした ということに対しては、

「(暴行の後) 弥生さんの脈があるか 確認したんですか?」

「確認していません」

「どうして?」

「分かりません」

 これらの被告人質問で、裁判所の心証は かなり形作られたのではないでしょうか? 

 裁判所の常識は、国民の健全な常識と 一致すると信じたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48579121.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(1)

2007年06月26日 20時13分05秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47893251.html からの続き)

 本日、差戻し審の第2回公判、弁護人による 被告人質問が行なわれました。

 今日から3日間の 集中審理です。

 元少年の口から 何が語られるのか 注目されましたが、

 やはり 弁護団の筋書きに 沿った内容でした。

 母親に甘える気持ちで、殺害の意志はなかった という主張ですが、

 本当に この期に及んで こんなことを言い出す 意図が分かりません。

 元少年は事件の半年後、獄中から友人に宛てた手紙に こう書いています。

「事件は オレが本村さんのはいごから 襲ったからな~。

 女のパワーじゃ たぶんむりだよ。

 それにいちよ 本村さんも ていこうしたし。」

 公判で元少年は、ぼそぼそと 甲高く小さな声で、

 文章を読むように よどみなく即答していたといいます。

 身振り手振りも交え、かなり詳細に 説明したようですが、

 弁護団と周到に 練習はしたのでしょう。

(でもそれって、拘置所の接見室で 行なうんでしょうか? 

 弁護団が 元少年に “作り話” を覚え込ませようとすれば、

 監視の記録に残って、それは証拠には ならないんでしょうかね?)


 本村さんは 奥さんや娘の 最期の言葉や様子を、

 元少年に 聞きたいという気持ちと、聞きたくないという 気持ちとがあり、

 複雑な心境だということです。

 全くそれは もっともなことだと思います。

(僕も 心子の最期の状態を、病院に聞きたいというのと、

 聞くのが恐いというのと、両方の気持ちがありましたが。)


 明日は 検察側からの反対尋問もあります。

 元少年が どこまで辻褄の合う 答をできるか、見物だとも言えます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48561480.html
 
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ジョギングで足が……(;_;)

2007年06月25日 21時58分23秒 | Weblog
 
 しばらく前から、週1くらいで ジョギングを始めました。

(今までも 何年かに一度、思い立ってジョギングを初め、

 何ヶ月かは続くのですが、その後 たち切れになってしまう ということを、

 何回か繰り返してました。 (^^;))

 久しぶりに走ってみて、最初は体が重くて 何度も休みながら、

 モタモタと走っていましたが、

 回を重ねる度に 体が軽くなり、タイムも上がっていきました。 (^^)

 この歳でも まだ適応力があるんだと 思ったもんです。 (^^;)

 しかし 何回目かのジョギングのとき、走っている最中

 急に痛みが足を襲い、止まってしまいました。

 少し休んで また走りはじめ、その時は 大事に至らなかったのですが。

 その後 また何回か走って、終わった後に 足に痛みを感じることがありました。

 1週間経っても 違和感が残り、走ると また痛みが出そうな 感じがしたため

 一回休んで、翌週にまた走りました。

 折り返し地点に近づいたころ、少し足に痛みを感じて、折り返し地点で一服。

 再び走り出し、5分ほど行ったとき、突然

 こむら返りを起こしたように 激痛が走って、飛び上がってしまいました。

 休んでも痛みは引かず、残りの道のりは 足を引きずりながら 家に帰った次第です。

 それから なかなか治らず、今も歩くとき 足を引きずっています。(;_;)

 普段は 痛みはないのですが、歩くとダメです。

 普通の筋肉痛なら 数日経てば治るのに、こういう傷め方は 初めてでした。

 準備運動,整備運動は 良くやっているし、徐々に体を慣らしていったので、

 無理なことはしていないのですが。

 先日 NHKの 「ためしてガッテン」 で、汗の話をやっていました。

 歳を取ると 足にかく汗の量が 減ってきて (二十歳すぎから差が出てくる)、

 体温調節や電解質の バランスが崩れて、こむら返りを起こしたりする というのです。

 これなのでしょうか??(・_・;)

 いずれにしても、一度 病院で診てもらったほうが いいのかも……。(- -;)

( 「歳なんだから」 って言うな!  (^o ^;))
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48850888.html
 
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弁証法的行動療法

2007年06月24日 20時13分48秒 | 「パーソナリティ障害がわかる本」 より
 
 「パーソナリティ障害がわかる本」に 人格障害の治療として、

 境界性パーソナリティ障害の 治療を中心に 述べられています。

 その中で、最も有効な 療法のひとつとして

 注目されているのが 「 弁証法的行動療法 (DBT) 」 です。

[ 参考記事: http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html ]

 弁証法的行動療法 (DBT) では、

 完璧な愛情か 完全な絶望かというボーダーの人の 二分化された見方を、

 弁証法的に乗り越えていく、思考や行動を 身に付けていくのです。
 

 DBTの 中核的な戦略として、 「有効化」 と 「問題解決」 があります。

 一般にボーダーの人は 自己評価が低いため、

 自分のやったことは 悪いことだ,価値がない,意味がないものだという、

 「無効化」 をしてしまいます。

 それに対して 「有効化」 は、ボーダーの人の 行動や感情の中にある、

 プラスの側面や 意味を見出し、ポジティブな価値を 認めることです。

 適切な言動では ないかもしれないが、現状への適応として、

 本人にとっては意義がある と理解するのです

 全てを丸ごと受け止める 受容ではなく、部分的な肯定です。

 それは、全か無かの 二分化した思考を 是正していくことになります。

 自分の愚行の中にも 一分の理があった と知ることで、

 全面的な否定に 陥ることを免れるのです。

 
 受容的な 「有効化」 に対して、「問題解決」 は 変化を求めるスキルです。

 支持的なアプローチと、自分を変えるアプローチの

 バランスを取ることが、DBTの要となります。

 変化を助ける4つの技法があります。

(1)不測の事態への対処

(2)行動スキルトレーニング

(3)暴露に基づく技法

(4)認知の修正

 特に、自殺企図のコントロールに関する 「不測の事態への対処」 について、

 学習理論による強化と、消去の作業を 徹底して続けることが、

 長期的な問題行動の 改善につながります。

 自殺行動によって 相手を操作しようとする人に対して、それに応えてしまうと、

 短期的には良くても、長期的には 事態をさらに 悪化させてしまうからです。

〔 岡田尊司 「パーソナリティ障害がわかる本」 (法研) より 〕
 
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「ダイ・ハード4.0」

2007年06月22日 23時38分26秒 | 映画
 
 あのブルース・ウィルス演じる “世界一 運の悪い男” ジョン・マクレーン。

 シリーズ第3作から 12年ぶりの第4弾です。

 ブルース・ウィルスも 52才となり、体力は衰えているはずなのに、

 アクションはますます エスカレートし、超弩級の迫力シーンを 見せてくれます。

 予告編を観たときから 今回のアクションはすごい と思っていましたが、

 期待を裏切らない 痛快作です。

 ここまでやるかと思うほどの シーンの連続ですが、

 アクション映画としては 充分楽しませてくれます。

 今回の敵は サイバーテロ。

 全米のインフラをコントロールする コンピューターシステムをジャックし、

 街中を大混乱に陥れます。

 その巨大な ハイテクシステムに挑むのが、超アナログ人間のマクレーンです。

 コンピューターオタクの 青年・マットとともに、

 ボロボロになりながら 体当たりで打倒していきます。

 年中パソコンに向き合っているマットも 次第にマクレーンに感化され、

 いっちょ前の “英雄” になっていきました。

 また、マクレーンの 離婚した妻の娘 ルーシーも大事な役所です。

 最初は デートを父親に邪魔されて 絶交状態ですが、

 テロリストに拉致されると、パパが必ず助けに来てくれると 信じて疑いません。

 けれども さすがマクレーンの娘、

 ただ怯えて助けを待つ いたいけな女性ではありません。

 敵も手を焼くような 男勝りの女の子でした。

 それにしても、自分を助けるために トラクターも 戦闘機も 高速道路も、

 何でもぶっ壊して やってくる父親というのは、娘の目にはどう映るのでしょう? 

 彼らの駆け引きも 見物です。

 最後の 絶体絶命の大ピンチを 一発逆転するのも、常識破りの荒技でした。

 数々の修羅場をくぐり抜け、普通ならひとつでも出くわせば 一発で病院行きなのに、

 マクレーンは最後まで 立って歩いていて、正に不死身男の 面目躍如でしょうか。
 
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「大日本人」

2007年06月21日 22時54分44秒 | 映画
 
 松本人志・監督 第1回作品です。

 松本人志演じる 大佐藤大 (だいさとうまさる) は、

 怪獣が現れると 防衛庁の要請によって、

 巨大化して 「大日本人」 となり、怪獣を退治します。

(前もって それを知っていて見たので、伏線の言葉も 面白く聞けました。)

 大佐藤家は 代々この役割を拝命し、現在の 大佐藤は6代目です。

 映画は、大佐藤が 密着取材を受けているらしいところから 始まります。

 失礼なことを平気で聞く インタビュアーに、

 大佐藤はボソボソと 言いよどみながら答え、

 ドキュメンタリータッチで 描かれていきます。

 かつては隆盛を極めた 大日本人も 現在ではうらぶれて、

 大佐藤は貧乏くさい格好で ぼろ家に独り暮らし。

 妻と娘にも逃げられ、世間からも飽きられています。

 4代目の頃は ゴールデンタイムで放映されていた 獣との闘いも、今は深夜枠。

(大日本人は 怪獣のことを 「獣」 と呼んでいます。)

 スポンサーの思惑に 振り回され、

 俗人のマネージャーの 言いなりにならなければならなかったり。

 今までにない どんなジャンルにも当てはまらない映画、と松本人志は言っています。

 確かに独特な映画ですが、僕はコメディーとして観ました。

 電流によって巨大化した 大日本人の造形は かなり良くできていると思います。

(巨大化したときに履くパンツまで しっかり用意されています。)

 動きも “それっぽい” し、獣たちも それぞれ傑作です。

(ただ、闘いの決着が 簡単につきすぎるのが、やや物足りませんでしたが。)

 ペーソスあり、真面目なバカバカしさあり、会場からも 笑いが漏れます。

 大爆笑ではありませんが、思わずクスクスと 笑ってしまう可笑しさです。

 今までにない映画 というのは、成功していると思います。

 しかし、ラストはちょっといただけず、

 あくまでも 大日本人の問題として 決着してほしかったと 思った次第でした。

 一見の価値はあります。
 
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ネットで再会したBPDの人(2)

2007年06月20日 21時36分27秒 | 自死について

( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48387904.html からの続き)

 けれども、その後、その人から 夜中にメールが来ました。

 ODをしたと……。

 朦朧とした意識の中で、倒れる前に 書いているというのです。

 理論的には 死ねる量を飲んだが、

 もし助かったら またメールをすると 書いてありました。

 ODで死ぬことは 少ないし、その人自身も 可能性を残しているので、

 必ず回復して メールが来ると信じていました。

 でも なかなか連絡はなく、

 入院していて メールを出せないのだろう などと思っていました。

 こちらから 何度もメールを送りましたが、

 宛て先不明で 送り返されてきてしまいます。

 HPも削除され、他に連絡を取る 手立てはありません。

 そして、その後 とうとう メールは届かず、

 音沙汰は 絶たれてしまいました。

 もう 2年近く前のことです……。
 

 ネット上だけでの お付き合いで、顔を見たこと もありませんでしたが、

 色々専門的なこと,個人的なこと、多くの話を することができた人でした。

 心子に続いて、自死で 二人目の人を失ってしまいました。

 何とも、本当にやりきれない思いです。

 全く 残念でなりません。

 そういう人たちが 死にたいという気持ちに ならなくても済むように、

 治療や社会の理解,体制が、進んでいってほしいと 心から願うばかりです……。
 
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ネットで再会したBPDの人(1)

2007年06月19日 23時10分57秒 | 「境界に生きた心子」

 「境界に生きた心子」 が発刊されたとき、

 ネット上で知り合ったある人に お知らせのメールを出しました。

 しかし 久しく音信を 取っていなかったため、

 アドレスが変わって 返信されてきてしまいました。

 その人のホームページも 閉鎖されていて 連絡先が分からず、

 ご無沙汰してしまった 報いかと思いました。(・_・;)

 ところが、その後、その人から メールが届きました。

 新風舎の 新刊案内を見ていて、

 たまたま 「境界に生きた心子」 を見つけたというのです。(◎◎; )

 「境界」 というタイトルに 引っ掛かり、

 見てみると 作者が僕の名前なので びっくりしたと。

 僕も 奇遇なことに驚き、そしてとても 嬉しく思いました。 (^^)

 こんなところから、その人との メールのやり取りが再開しました。
 

 その人は心子に、メッセージを贈りたい と言ってくれました。

「稲本さんはきっと、月命日ごとに 心子さんに会いに 行くんでしょうね。

 そうだったら、伝えてください。

 心子さん、あなたは 独りぼっちじゃないんだよ、と。

 疾風怒濤の ジェットコースター人生で

 苦しんだ仲間が たくさんいたんだよ、と。

 それに会えなかったのが 残念だったな、と。」

 その人は 拙著を読んで とても共感を持ってくれました。

「稲本さん、この本を出してくれて ありがとうございました」 と。

(続く)
 
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月命日と 父の日

2007年06月17日 09時42分45秒 | Weblog
 
 今日は 心子の月命日、いつものように 墓前の心子に会ってきます。 (^^)

 また、父の日でもあり、黄色いバラを 祭壇に供えます。

 親父は 心子が旅立ったのと同じ年に、がんで亡くなりました。

 自宅療養していた ある日、親父は急に 寝床から起きてきて、

 指輪を買いに行くから 一緒に来てくれと 僕に言いました。

 僕と兄貴たちに、形見を残したい というのです。

 デパートへ 指輪を買いに行き、

 現在も 僕は外出するときは 必ず指にはめています。

 他にも、親父の衣服を いくつかもらい、日頃身に付けています。

 一方 僕のお袋は、脳出血で突然倒れ、

 後遺症のため 要全介助状態で入院生活の末、肺炎を起こして 不帰の客となったため、

 自ら 遺品を残すことは できませんでした。

 お袋は生前、趣味で油絵を描いたり、ちぎり絵を作ったりしていたので、

 親戚も集めて 形見分けをしました。

 いま 僕の部屋の壁には、お袋の絵が 何枚も飾られ、

 僕の心を 癒してくれています。
 
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意識化による修正と その限界

2007年06月16日 15時34分49秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48286618.html からの続き)

 自傷行為に限らず、訳の分からない感情や 衝動に見舞われた時、

 まず それがどういう感情なのかを知り (悲しいのか、苛々するのかなど)、

 次にその原因を探ると、それだけでも 動揺は半減します。

 さらに 原因が分かれば、どう対応したらいいのかを 考えることができ、

 今後のケースに 活かすことができるでしょう。

 でも 意識化して認識していても、それだけでは 実践できないことは多いので、

 実際に 行動に移す練習が 必要になってくるでしょう。

 以上が認知行動療法ですね。

 一連の思考パターンを自覚し、行動パターンを トレーニングすることによって、

 我を失って 感情に振り回されたり、闇雲に行動化してしまうのを

 コントロールできるようになっていきます。

 でも、いくら認知しても、やろうとしても できないこともあるでしょう。

 意識化しても 無理なものは無理で、

 認知行動療法の限界と 言われているそうです。

 例えば、イモムシを食べても死なない ということが頭で理解できても、

 とても 食べることはできない。

 ただそれは、食べる必要がないことでもあります。

 人間関係などでも、絶対に会いたくない人には、

 会う必要がない という場合があります。 (たとえ身内でも。)

 解決できなくても やっていけるものなら、問題を抱えたままでも いいわけです。

 一方、辛いけれども行わなければ 生活に差し支えがある、というものもあります。

 そういう 境界の事例に適用する 最新の治療法が、

 「マインドフルネス」 (または 「弁証法的行動療法」 ) だということです。

 ヨガの東洋思想を 西洋科学に取り入れるものです。

 「弁証法的行動療法」 と 「マインドフルネス」 については、

 下記の記事に 書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html
 

[ 参考ブログ :  http://blogs.yahoo.co.jp/isshy_0810/41650010.html ]
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(5)

2007年06月15日 11時29分24秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48268070.html からの続き)

 「自傷行為と つらい感情に 悩む人のために」 (誠信書房) という本から、

 自傷行為を治めるための エクササイズを書いてみます。
 

・自分の自傷行為を 理解するため、

 自傷行為をする前の感情と、した後の感情について 考える。

  ex.寂しさ, 悲しさ, 羞恥心, など。

   落ち着いた, 自分を罰して気分がよくなる, など。

 なぜ 自分を傷つけたのか、 なぜ 自分を傷つけたくないのか、

 なぜ 自分を傷つける いわれはないのか、を書き出す。

・自傷行為の理由を考える。

  ex.緊張を和らげる, 罪悪感のため自分を罰する,

   苦しみを 現実に見える形にする,

   不快感や怒りを 人に分かってほしい,

   実際の自殺を食い止める, など。

・ 「心の中の傷ついた子供」 を労るため、子供の気持ちを 尋ねてみる。

  ex.寂しい, 怖い, 疲れた, 疎外されている, など。

 言葉によって 自分を慰める。

  ex.いずれ良くなる, 今は違う, 何とかやっていける,

   この気分は変わるだろう, いつも悪いわけではない, など。

・自傷行為の代わりに 不快感を発散する方法を考え、リストを作っておく。

  ex.誰かに電話して話す, 氷の塊をかじる, 手で卵を押しつぶす,

   赤ペンで傷跡を描く, マットレスをホースで思い切り叩く,

   枕に顔をうずめるか、ヘッドホンで 大きく音楽をかける,

   海に向かって 声を上げたり、石を投げたりする,

   安物の皿を 壁に投げつけて割る,

   自分の感情を 最もよく表す言葉を 何度も書く,

   自分以外の何か (タオルなど) を切る, 何かを思い切り噛む,

   傷つけたい所を マッサージする, など。

 苦しみがなくなるまでは 「自傷行為をしたつもり」 になる。
 

 これらを 習慣づけることによって、自分で自分を 労ることを学び、

 スキルが 身に付いていきます。

 そうして 自傷の衝動を 実行しなかったたびに、

 自分への配慮と 自分をコントロールする力が 育っていくのです。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48310396.html


[参考文献 : 「自傷行為と つらい感情に 悩む人のために」 (誠信書房)
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(4)

2007年06月14日 14時50分36秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48254244.html からの続き)

 自殺企図や自傷行為を起こす 極度のストレスが続いている時は、

 入院治療で行動を防ぎ、サポートする必要があります。

 ただし、入院の必要があるかどうかを 見きわめるのは、非常に重大なことです。

 不必要な入院は 逆効果になったり、入院に依存するように なってしまいます。

 自傷行為を減らすためには、次のようなことが挙げられます。

・前記の 自傷行為のプラスの意味を自覚し、

 この目的を達成するための 別の上手な方法を考え出す。

・過去の自殺行動における、死ぬ意図の有無を判断する。

・自傷行為を起こす 「認知のゆがみ」 を修正する。

(例えば、 「自分は辛い感情に 耐えられない」 とか、

 「辛さに対処するのは 自傷行為しかない」、といった 歪んだ認識。)

・自傷行為の結果、それを繰り返してしまう 自傷行為の影響を知り、

 行為の強化のパターンを変えて、適切な行動を促す。

 意識して起こした影響と、意図しなかった影響を 区別する。
 
 

 弁証法的行動療法や 認知行動療法は、

 自傷行為を減らすのに 効果があることが知られています。

(関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html
        http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46473031.html )

 これらの療法は、自傷行為への衝動や、それを行動化する 歪んだ認識を、

 修正することをします。

 患者の感情や経験は 意味や価値があるのだ ということを認識し、

 感情のコントロールを高め、自己非難を緩和することを 目標にしています。

(続く)

 
[参考文献 : 「境界性パーソナリティ障害 最新ガイド」 星和書店 ]
 
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