「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

GWでボランティア殺到

2011年04月30日 17時32分17秒 | 東日本大震災
 
 ゴールデンウィークを利用して、

 被災地へボランティアにいこうとうい人たちが 列をなしています。

 (僕は残念ながら その余裕がないのですが。)

 石巻市の社会福祉協議会が 受け入れ窓口のボランティアセンター (VC) を設け、

 ボランティアの人に 作業内容や派遣先を割り振ります。

 GW初日の29日、 ボランティアの希望者は 1200人で、 前日の1.5倍。

 VCは45人のスタッフで 対応に追われます。

 車の有無や 保険の加入など、 各自の事情なども 確認しなければなりません。

 車で駆けつける人が多くなり、 交通渋滞が深刻になっています。

 移動時間は普段の2倍、 

 「せっかく来てくれても 実働時間がどんどん短くなってしまう」 と、

 VCの担当者は言います。

 こうしたなか、 気仙沼市などのVCは、 処理能力を超えた 希望者が殺到し、

 連休中の新規受け付けを 中止せざるを得ませんでした。

 ボランティア経験者のみ、 グループ限定などの条件付きで

 受け入れている自治体もあります。

 しかし 被災現場は圧倒的に 人手が足りていません。

 希望者の熱意と 現場の要求が結びついていないのです。

 阪神大震災でも 同じ問題に直面した 兵庫県社会福祉協議会などは、

 東北道に隣接した事務所に  「情報センター」 を設けました。

 ボランティア希望者は 高速から降りることなく、

 受け入れ可能なVCや 到着までの予想時間が分かります。

 十数人のスタッフは、 電話で案内をしています。

(022-377-3122)

 担当者は こう呼びかけています。

 「受け入れ情報は流動的で 刻一刻と変わっている。

 尊い志が生きるよう、 きめ細かく情報を集めてほしい」

〔 朝日新聞より 〕
 

把握できない 自閉症の人たち

2011年04月29日 20時44分43秒 | 東日本大震災
 
(前の記事からの続き)

 大船渡市のMさん (45才) は、 重い自閉症の息子 Yさん (19才) と、

 小さいころから 地元スーパーに通っていました。

 大きい建物に入るのを恐れる Yさんの訓練のためです。

 そのスーパーが 今回の津波で流されてしまいました。

 スーパーに通い始めた当初、 Yさんは店内でパニックになったり、

 他の買い物客を 突き飛ばしたりしたことがありました。

 でも 毎日通ううち、

 店員から  「元気?」 「今日は何買う?」 と 声がかかるようになりました。

 そんな姿を見て、 お客たちの間にも 理解が広まっていきました。

 「理解してもらおうと 10年以上必死に訴えた。

 そうした場も、 やっと根付いた地域も 失ってしまった」

 Mさんは涙ぐみます。

 避難所生活をする今は、 気苦労が絶えません。

 体育館を 「体を動かして遊ぶ所」 と 覚えていたYさんは、

 室内で飛び跳ね、 避難者の男性から注意されました。

 なぜ怒られたのか理解できず パニックになったYさんに、

 Mさんは毛布をかぶせて 押さえ込み、 頭を下げ続けました。

 Yさんはそれから数日間、 毛布をかぶって 出てこなかったといいます。

 Yさんから目を離せない Mさんは、

 炊き出しや掃除などの 輪番に参加することができません。

 迷惑はかけるのに、 手伝いはできない……。

 しかし、 避難所で見える家族は 一部だけです。

 行政に把握すらされない所に いる人も多く、 支援が届きません。

 こうした家族は、 極力 避難所を避けるからです。

 障害者や高齢者など、 必要な支援の種類に応じた 避難所を作るべきだと言われます。

 似た境遇の人同士なら、 避難所に入るためらいや 気苦労も減るでしょう。

 専門家の数も限られているので、 点在する避難所を回るより 効率的に支援できます。

 復興には こうした所へも 目を向けてほしいものです。

〔 朝日新聞より 〕
 

自閉症の子  おいでよ

2011年04月28日 20時15分10秒 | 東日本大震災
 
 以前、 自閉症児が 被災地で被っている 困難を書いた、

 朝日新聞の記事を紹介しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61689939.html

 環境の変化が苦手で、

 大声を出したり パニックを起こしてしまう 自閉症のAくん (10才)。

 母親の0さんは、 周りの人に 迷惑をかけることを恐れて 避難所へ行けず、

 Aくんたちと車の中で 1週間過ごしました。

 「この先どうなるのか …… 長い時間でした」

 そんな0さんに 部屋を提供したいという 支援の声が、

 全国から朝日新聞に 多数寄せられたそうです。

 問題の深刻さを 理解してこそのことです。

 その中の一人、 松山市のNさんは、 8才の息子が自閉症です。

 「人ごととは思えなかった」

 自分が 避難生活を送ることを想像してみると、

 叱ることがよくないと 分かっているNさんでさえ、

 周囲を気にして、 きっと子供を叱ってしまうと 思いました。

 普段叱らない母親が 怒るのを見て、 さらにパニックになる 息子が目に浮かびます。

 新聞記事をきっかけに、 0さんと 手紙のやり取りを始めました。

 手紙には Aくんの字で、  「ありがとう」 と添えられていました。

 東京のSさんも 持ち家の提供を申し出ました。

 自閉症の娘 (29才) は、 人ごみで 過度なストレスを感じます。

 散歩は朝に限っていますが、 それでも 「うるさい」 と注意されます。

 「外見は人と変わらないので、 理解を得にくい。

 誰もが余裕をなくす 災害時はなおさらです」

(次の記事に続く)

〔 朝日新聞より 〕
 

介護施設での身体拘束 (3)

2011年04月27日 18時26分55秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 それから 大事なことは、

 身体は拘束しているけれど、 心までは拘束していない という意識です。

 拘束しながらも、 利用者さんの気持ちを配慮し、

 心のこもった声かけをしたり、 少しでも優しいケアを 心がけます。

 そして、 拘束が終わったら 気分を変えて、

 利用者さんに いい気分を味わってもらうことが 必要です。

 また 拘束をしなければならないかどうかは、

 介護者の技術のレベルや 信頼関係の問題でもあります。

 スキルが高ければ、 拘束をしないケアが できるかもしれません。

 利用者さんとの信頼関係があれば、 利用者さんは 暴力や抵抗を見せないでしょう。

 実際 入浴中のBさんに対しても、

 当初は全面的に 手を押さえていなければなりませんでしたが、

 だんだん押さえる回数や 時間が少なくなってきました。

 Bさんが 我々に心を許してきて、 介助をさせてくれるようになり、

 今まで拘束しなければならなかったものが、 しなくても済むようになってきたのです。

 それが一番 大切なことです。
 

 ちなみに、 他の利用者さんや職員が 暴力を受けそうになったとき、

 飛んできた手を押さえたりするのは 拘束にならないということです。

 また、以前Cさんが 他の施設でショートステイ中、

 夜中に外に出て 亡くなってしまった際、

 鍵をかけて 利用者さんが出られないようにするのは 拘束だと書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61281496.html

 しかし 火事などのとき、 スタッフが必ず 鍵を開ける体制ができていれば、

 拘束にならないそうです。

 利用者さんが 内側から開けられる鍵が 拘束かどうかは、

 議論になっているところだといいます。
 

介護施設での身体拘束 (2)

2011年04月26日 20時50分45秒 | 介護帳
 
 以前、 介護施設の身体拘束について 記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61338696.html

 上記の記事に書いたように、

 暴力がある利用者・ Bさん (女性) の 入浴介助をするとき、

 一時的に Bさんの手を抑えているのも 拘束です。

 さらに、 「~してはいけない」 と言って 利用者さんの言動を抑えることも、

 言葉による拘束 (スピーチ・ロック) になるということです。

 ただしこれらは、 倫理的に見た拘束であり、 法律的には 拘束にならないそうです。

 法律上の拘束は、 車椅子にひもで縛りつける,

 ベッドを柵で囲んで 出られないようにする,

 点滴の針を抜かないよう 指なしの手袋をはめる, 部屋に鍵をかける等々、

 器具を用いたものを言うそうです。

 ただし、 倫理的, 法的に見た拘束とも、

 次の3つの条件を 満たした場合には、 やむなく許されます。

1. 自傷他害の危険がある (切迫性)

2. 他に替わる方法がない

3. 拘束が一時的である

 そして 法的な拘束を せざるを得ないときは、 3つのことが必要です。

1. 一部のスタッフの判断ではなく、 施設全体の判断であること

2. 家族に説明し、 承諾を得る

3. 文書で記録を残す

 倫理上の拘束の際は 上記の限りではありませんが、 大切なことが幾つかあります。

 まず、 拘束をしているときは、

 「これは拘束である」 ということを しっかり意識しておくということです。

 「いま利用者さんに 嫌な思いをさせている」 と 意識することによって、

 もっと良いケアができないか、 常に模索することできます。

 その意識がないと、 拘束していることが 当たり前になって

 何も感じなくなってしまい、 それがエスカレートして

 さらに酷い拘束、 虐待的なことを してしまうようになりかねません。

(次の記事に続く)
 

被災者の心

2011年04月25日 20時33分44秒 | 東日本大震災
 
 被災から一ヶ月半余り、

 避難所では 大人たちも怒りっぽくなったり、 不眠を訴える人が 多くなっています。

 子供は 急に甘えたり、 多弁になったりします。

 「地震ごっこ」 も、 言葉で表せない 内面の表現として 有名になりました。

 これらは、 異常な出来事に対する、 人間の正常な反応です。

 周りの人が それを理解して、  「大丈夫ですよ」 と 伝えることが大切です。

 被災者が 自然に力を回復するのを 見守り、

 「つながっている」 という 感覚を持ってもらうのです。

 うつ病やPTSD (心的外傷後ストレス障害) が 慢性化する心配もあります。

 どのように防ぎ、 どのように対処するかが 問われます。

 医師や臨床心理士など 心の専門家を増やし、

 彼らの連携による  「心のケア体勢」 を 地域に築くことが必要です。

 津波では、 人を助けようとして 犠牲になった例も少なくありません。

 喪失感に加え、

 自分だけ生き残ってしまった という罪悪感が、 人々の心を苦しめます。

 「津波てんでんこ」 という 三陸地方の言葉も、 よく知られるようになりました。

 「津波のときは 人に構わず てんでばらばらに逃げろ」 という意味です。

 この言葉によって 教訓を伝えると同時に、

 自責の念を和らげる メッセージにできないでしょうか。

 被災地が 力を取り戻し、 再建する長い過程を、 社会全体が後押しする。

 そのことが  「心の復興」 にもつながるでしょう。

〔 朝日新聞より 〕
 

ハーグ条約 (3)

2011年04月24日 19時01分35秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 ハーグ条約は、 子供を速やかに 元の国に戻すという 原則ですが、

 その原則に従ったため、 子供の不利益になったケースが スイスでありました。

 スイス人の元妻が 子供を連れて帰り、

 オーストラリア人の父親が 子供の返還を要求しました。

 スイスの裁判所の決定により、 子供は オーストラリアに戻されましたが、

 実は父親に養育能力がなく、 子供は里親に 預けられてしまったのです。

 スイスでは 子供を守る 新たな国内法を作り、

 子供に重大な危険があるとき、 返還しなくてもいいという 条件を明確にしました。

1. 申し立て側の養育が 子供の利益に反する

2. 連れ去った親が 元いた国で、 養育できない事情がある

 何よりも 子供の福祉に 焦点を当てた考えが重要で、

 子供の意見を 大切にしなければなりません。

 日弁連には  「両性の平等委員会」 というものがあり、

 DVを受けた女性の立場から ハーグ条約の批准に 意見書を出しています。

 意見書は 女性の利益を守ろうとする余り、 子供の福祉が疎かにされているようです。

 このような反対意見があるとはいえ、

 ハーグ条約は 国際ルールとして定着しており、 その批准は 時代の要請と言えます。

 DVなど 子供の福祉に反する場合に限り、

 返還を拒否する基準作りを 政府は早急に行ない、 国内法の整備する必要があります。

 国際結婚の夫婦に ハーグ条約を周知させることも、 忘れてはならないでしょう。

〔 参考 : NHK 「クローズアップ現代」 〕
 

ハーグ条約 (2)

2011年04月23日 22時29分41秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 日本がハーグ条約に加盟すると、 海外でDVを受けた 日本の元妻が、

 子供を連れて 日本に帰るという手段まで 奪われてしまうといいます。

 女性の権利を 守ろうとする団体などは、 条約加盟に反対しています。

 連れ出たというだけで 不法行為とされ、

 その理由が審理されていないのが 実情だといいます。

 DVがあった場合に、 子供の返還を拒否できる という条文がありません。

 条約の建前としては、 子供を元の国に戻し、

 子供の利益を 審理することになっているが、 実際には難しいという人もいます。

 一方、 子供が 住み慣れた国から 突然切り離されるのは、 子供の権利侵害であり、

 夫婦が破綻しても 子供は両親と 交流する権利がある、 と主張する人々もいます。

 日本では離婚後、 母親が子供を育てるケースが 8割以上なのに対し、

 欧米では離婚後も 両親が子育てに関わるのが 一般的です。

 例えば、 両親が1週間交代で、

 子供を自分の家で 養育するなども珍しくないそうです。

 日本は離婚後、 親権は どちらか一方の親になる  「単独親権」 の制度ですが、

 欧米は離婚しても 親権は双方の親にあるという  「共同親権」 です。

 離婚後も両親に関わることが、 子供にとっていいという 考えがあるのです。

 この親権制度の違いも、 ハーグ条約加盟への ひとつの壁になっています。

 例えば 日本国内で、 親権者が 子供を連れ去った場合、

 もう片方の親は 子供に会うチャンスを 完全に奪われてしまいますが、

 現状ではこれは 違法ではありません。

 ハーグ条約を批准すると、 国際間の連れ去りは違法で 国内のそれは合法という、

 矛盾が浮き彫りになってしまうのです。

〔 参考 : NHK 「クローズアップ現代」 〕

(次の記事に続く)
 

ハーグ条約 (1) 〔再掲〕

2011年04月22日 21時57分24秒 | Weblog
 
 「ハーグ条約」 とは、  「国際的な子の奪取の 民事面に関する条約」 です。

 国際結婚の夫婦が離婚して、

 片方の親が 越境して 子供を自分の国に 連れ去ってしまった時、

 子供を元の国に 戻すというものです。

 ただし、 双方の国が ハーグ条約に加盟していなければなりません。

 日本はこの条約を 批准していませんが、

 外圧もあって、 先ごろ政府は 条約を批准する方針を 発表しました。

 僕には子供はいませんし、 まして 国際結婚・ 離婚もしていませんが、

 ハーグ条約には縁があります。

 知り合いの人が二人、 わが子を失わないために、

 ハーグ条約の批准を 熱望しているのです。

 一人は 下記の記事に書いた方。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36930535.html

 もう一人は、 BPDである奥さんと 調停中の方です。

 最近マスコミでも ハーグ条約が取り上げられていますが、

 その問題点などを紹介させていただきます。
 

 ハーグ条約は現在 82ヶ国が加盟しています。

 日本でも 国際結婚は20組に1組に上り、

 ハーグ条約が発効された 20年前の4倍となって、

 離婚や親権を巡る トラブルも増えています。

 離婚した日本女性が 子供を日本に連れてきて、

 外国人の元夫から 誘拐犯として訴えられる ケースも出てきています。

 日本は ハーグ条約を批准していないため、

 相手国から 条約に加盟するよう 要請されているのです。

 加盟すれば、 日本から連れ去られた子供の 返還を求めることもできます。

 しかし日本では 賛否両論が対立しています。

 日本人の元妻が 子供を連れ帰る場合は、

 元夫の暴力 (DV) が 背景にあるのです。

〔 参考文献 : NHK 「クローズアップ現代」 〕

(次の記事に続く)
 

原発作業員の 劣悪な生活環境

2011年04月20日 20時50分47秒 | 東日本大震災
 
 福島第一原発で 復旧作業に奮戦している、

 東電や関連企業の関係者たちは、 劣悪な生活環境にさらされています。

 第二原発 (第一原発から約10キロ) の体育館では、

 二百数十人の作業員が 防護服を着たまま雑魚寝するなど、 過酷な状況です。

 冷たく固い床に アルミの断熱シートを敷いて、 毛布にくるまっています。

 汚染事故に巻き込まれないかと、 不眠を訴える人もいます。

 作業では 防護服に身を包み、 さらに全面マスクをして、 大変高温多湿です。

 しかし きれいな水がないため、

 作業から戻って来ても 手を洗うことすらできません。

 風呂にも入れず、 シャワーもなく、

 早急に 簡易の風呂を設けるべきだと 求められています。

 衛生面だけでなく、 精神的なリフレッシュも重要で、

 それがないと ヒューマンエラーに繋がってしまいます。

 食事は、 冷たいレトルト食品と 缶詰だけだった時より 少しは良くなり、

 1日3食で パンやソーセージ、 ゼリー飲料を 口にできるようになりました。

 また、 温かいみそ汁を 飲めるときもあるそうですが、

 一番不足しているのは 生野菜です。

 低い栄養価で、 精神的なダメージも受けており、

 作業員は皆 1回2回は倒れているといいます。

 作業員の8割は被災者であり、

 自身が家族を亡くしたり、 困難な状況を抱えているのです。

 にもかかわらず 復旧作業に従事し、 二重三重のストレスを感じています。

 作業員の人たちは、 自分の会社が 日本や世界に迷惑をかけてしまったという、

 加害者意識に駆られているのです。

 今はやるしかないと、 気を張りつめていますが、 長期のケアが必要です。

 現場は一生懸命やっているのに、 本店からの要求は、

 現場からすれば  「そんなのすぐには無理だ」 というものが、

 次々とやって来ます。

 できることとできないことがあるという、 現場の声を理解するべきです。

 東電の幹部はなぜ、 現場に 風呂や温かいご飯などを 配給しないのでしょう。

 それはやりようで いくらでもできるはずなのに、 一体 何を渋っているのか? 

 作業員は 自分には何の責任もないのに、

 文字通り命がけで 日本を守ってくれる救世主です。

 その人たちが このように無惨な条件の下で、 放射線に身をさらし、

 今も 懸命の作業を続けているのです。

〔 フジテレビ 「とくダネ!」, TBS 「ひるおび」 より 〕
 

発達障害児の混乱

2011年04月19日 21時17分35秒 | 東日本大震災
 
 余震にパニックを起こしたり、 知らない人たちの中で じっとしていられなかったり、

 自閉症児や発達障害の子は、 環境の変化に混乱してしまいます。

 被災地以外の子にも ストレスが強まっていますが、 どう接したら良いのでしょう。

 それは発達障害児だけでなく、 不安になりがちな子供にも 参考になるものです。

 ある母親は、 5才の子供が地震の後、 一人で2階へ行けなくなった と訴えました。

 担当の精神科医は答えます。

 「地震で安心感が失われてしまった。

 落ち着くまで 一緒に行って、

 『お母さんがいるから大丈夫』 と、 何度でも伝えてください」

 この子は 遠足や運動会など 行事のたびに泣きっぱなしで、

 母親は  「なんで泣いちゃうの」 と問い詰めていました。

 ドクターから、  「この子の特徴」 と教わり、

 「泣いてもいい。 長い目で見よう」 と 思えるようになりました。

 自閉症, アスペルガー症候群, 注意欠陥・多動性障害 (ADHD) など

 発達障害の子は、 予期せぬ出来事への 不安や混乱が大きい 特性を持っています。

 しかし被災時でも、 接し方ひとつで ぐっと落ち着くことを 知るのが大切です。

1. 叱るのは逆効果。 怒らない。

2. 注意は  「~してはいけない」 と 否定的に言うのではなく、

  「こうしたらいいよ」 と 肯定的に伝える。

3. 先のイメージが はっきりすると安心する。

  絵や文字を使うと 伝わりやすい。

  言葉は短く、 一度に一つのことを 具体的に。

 カレンダーに絵を描いて 前もって予定を伝え、

 一日の流れも  「6時にお風呂に入るよ」 など 具体的に伝えるのがいいでしょう。

 親が変わることで 子供も変わるのです。

〔 朝日新聞より 〕
 

福祉避難所  高齢者を守る

2011年04月18日 22時28分03秒 | 東日本大震災
 
 避難所には 介護が必要な高齢者も 大勢暮らしています。

 高齢者にとって 長引く避難所生活は 命に直結する問題です。

 「福祉避難所」 が その解決策のひとつとされています。

 福祉避難所とは、 災害時に、

 介護の必要な 高齢者や障害者を 一時受け入れて ケアする施設です。

 バリアフリー化され、 専門スタッフを配置した 介護施設や学校を、

 自治体が指定します。

 民間施設の場合は、 事前に協定を結んでおきます。

 石巻の中学の体育館は、 医師や看護師約20人が 24時間対応する避難所です。

 Yさん (82才・女性) は 認知症を患い、 足も不自由で 要介護度5ですが、

 ここに来て やっと落ち着きました。

 Yさんは最初は 別の中学に避難しましたが、 ストレスが高じて 症状が悪化。

 毎晩、 「火事だ、 逃げろ~」 と 声を上げ、 別の避難者から 苦情が出ました。

 そこで、 石巻に急遽開かれた 福祉避難所にやって来たのです。

 肺炎, 脱水, 床ずれが原因の感染症。

 体力の弱った高齢者は、 ケアを怠れば 死に至ります。

 この福祉避難所では、 1日2回のスタッフ会議で、

 気になる人について 情報を共有し、 ホワイトボードに書き込みます。

 Yさんはここに 1週間ほど滞在して、 地元の特別養護老人ホームに 戻りました。

 しかし 福祉避難所を指定している自治体は、 全国平均で34%。

 岩手, 宮城, 福島では 23%にとどまっています。

 どこも満杯の状態で、 待機者も出ています。

 そもそも 福祉避難所に辿り着けず、

 一般の避難所に残っている 要介護高齢者も多いと見られます。

 福祉避難所は あくまで一時的なものです。

 その後は 施設に戻ったり、 仮設住宅に移ったりすることが 想定されています。

 避難所を出たあとの 受け皿が大きな課題です。

 被災地以外での受け入れを、 広域でカバーすることが求められます。

〔 朝日新聞より 〕
 

お年寄りを助け出した 高校生たち

2011年04月17日 21時42分57秒 | 東日本大震災
 
 津波にのまれた老人ホームから、 お年寄りたちを助けた 若者たちがいます。

 地元の高校の サッカー部員や野球部員です。

 日頃のランニングコースとして 馴染んでいる施設でした。

 部活中に地震に見舞われ、 高台の校舎から、

 町や施設が 津波にのまれる様子を 目の当たりにしました。

 「助けさ行くぞー!」

 第一波が老人ホームを襲うとき、 誰からともなく声が上がりました。

 両部員30人が 施設へと駆け下りました。

 膝まで波に洗われながら、 がれきをかき分けます。

 血を流している人、 息もできず青白くなっている人。

 28人を 校舎まで担ぎ上げました。

 夜は 寒さとの闘いでした。

 練習着や靴下をかき集め、 カーテンを引きちぎって お年寄りにかけました。

 懸命に体をさすりましたが、 朝までに 8人が息を引き取りました。

 「あと一人でも多く 助けたかった」

 1年生の部員は悔やみます。

 翌日からは 山を超えて、 水や米を探しました。

 避難してくる人は 500人に膨れ上がり、

 怪我人の治療や トイレの穴堀りも手分けしました。

 -- それから1ヶ月。

 今は 避難所の子供たちの 世話をしています。

 親が 炊き出しやがれき撤去で 忙しい間、

 子供たちに サッカー教室を始めているのです。

 サッカーをする前は ストレスで、 ケンカしたり叫んだりしていた子供たちが、

 今は毎日汗だくです。

 サッカー部員のH君は、 家や友だちを失いましたが、

 子供たちとの触れ合いの中で 見つけたものがあります。

 「先生になりたい」

 ふるさとを支えたいと思っています。

〔 朝日新聞より 〕
 

2階難民

2011年04月14日 21時01分02秒 | 東日本大震災
 
 自宅の1階が被災し、 2階に避難している人たちに、

 支援の手が届かない 事態が続出しています。

 最初は 避難所へ行ったものの、 避難所生活のストレスに 耐えられなかったり、

 体調を崩したりして、 自宅に戻った人たちです。

 避難所では 支援物資を受け取るために、

 3階の教室と校庭を 往復しなければならず、 足が悪い被災者には 堪えます。

 床に座ったり、 和式トイレを使うのも 無理でした。

 止むなく 自宅に戻りましたが、

 ライフラインも復旧しておらず、 夜は 懐中電灯とろうそくが頼りです。

 炊き出しも来ず、 自衛隊にもらった水や、

 1時間以上歩いて スーパーで買った食べ物で しのいでいます。

 2階のトイレで用を足し、 津波で風呂にたまっている 水をくんで流す毎日です。

 台所のある1階が 津波に襲われ、 食事が満足にできない人も 多くいます。

 余震で家がつぶれるのではないかと、 怯えながら暮らしているのです。

 物資の配給など、 避難所で得られた 情報は入りません。

 同じような住宅が あちこちにありますが、

 1階部分を含む一帯が がれきに覆われていたため、

 救助の手が届かず、 存在が見逃されがちでした。

 行政は 避難所の救援だけで目一杯で、 自宅の被災者まで 手が回らず、

 全体の状況を 把握できていないのが実情です。

 目に見えない被災者の人たちが、 まだまだ大勢いるのです。

〔 朝日新聞より 〕
 

日本の被災者の原点

2011年04月13日 21時45分11秒 | 東日本大震災
 
(前の記事からの続き)

 世界が驚いた、 日本の被災者の 冷静さや忍耐強さは、

 一体どこから来たものなのでしょう? 

 香山リカさん。

 「横並び意識が 良いほうに働いて、 今回は 命を救うかたちで機能している。

 自己中心的な生き方では 結局 共倒れになってしまう。

 それよりも お互いが思いやりを持って、 私よりも人様をと。

 ある時期までは 日本人の多くが 持っていた特徴だと思う」

 日本人の自然観や死生観を 指摘する声もあります。

 アメリカのノーベル賞受賞作家・ パール=バックは、

 「つなみ」 という小説の中で、 長崎県雲仙で聞いた話を 書いています。

 津波によって 多くの人の命が奪われたあと、 子供の問いかけに 父親が答えます。

 「日本で生まれて 損したと思わんか?」

 「生きる限りは 勇ましく生きること、 命を大事にすること。

 わしら日本人は幸せじゃ。

 わしらは 危険の中で生きとるから、 命を大事にするんじゃ」

 自然と共に生き、 その悲劇をも落ち着いて受け止める 日本人の姿に、

 パール=バックは 強い感慨を覚えたといいます。

 自ら里山に身を置き、 日本のあり方を考える、 里の哲学者・ 内山節さん。

 「日本の人たちは、 絶えず自然災害に遭いながら 生きてきた。

 自然の凄さに対して、 ある種畏敬の念を持つ 生き方をしてきた。

 大変辛いけれども、 そこにしか 生きる世界がないということを、

 人間の精神の奥の方に 脈々と受け継いできた。

 そういうものは消えそうで消えない」

 仏教研究を通じて 日本人の心を問い続ける、 文化人類学者・ 上田紀行さん。

 「苦しみの状況に向かい合ったときに、 皆で助け合って、 支え合って、

 耐え忍んでいくというメンタリティが、 日本人の中には深く流れている。

 第二次世界大戦の 焦土と化した日本が、

 これだけ復興できたという メンタリティと、 とても近いものがある。

 苦しみを いかに支え合っていくかという 共同体の姿があった。

 だが その後の経済発展の中で、 我々は 苦しみを共に分かち合って、

 助け合って生きるという部分を 忘れていたと思う」

〔 TBS 「サンデーモーニング」 より 〕