「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

恋愛の苦しみ

2008年12月31日 13時53分51秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(12/23)

「 恋愛とは 何と不条理なものだろう!?

 理性も価値観も、 何の役にも立たない。

 人格は 恋愛に関係がない。

( 人格によって 人が愛されるなら、

 この世に 愛される人間は 一人もいない。)

 なんであんなものを 好きになってしまうのだろう。

 自分と合わない、 うまくいかない条件が整っていると 分かっているくせに、

 この感情はなんだ?

 この苛立ちは何だ!?

 何故あんなもののために 僕は苦しまなければならない!?

 何故こんな弱い立場に ならなければいけないのだ!?

 好きだという感情が 強ければ強いほど、 僕は弱いものとなる。

 泣かなければならない。

 人を愛するという、 この世で最も すばらしいはずであるものが、

 どうしてこんな 苦しいものでなければならないのだろう。 」


( 「ジャン・クリストフ」 )

「 クリストフのような人物は、

 自分のためになり得る者を 愛することはめったにない。

 むしろ自分の 害になり得る者を 愛することが多い。

( 相反するものこそ 互いに引き合う。

 自然は 自己の破壊を求める。

 できるだけ長く 生きることではなくて、 最も強く生きることを 掟としてる、

 クリストフのような 人物にとっては、 それが至当である。 )

 恋愛は 互いに相いれ得ない人々を 一緒にする。

 同じ種類の人々を 互いに排斥させる。

 恋愛が破壊するものに 比べれば、

 恋愛が鼓吹するものは ごくつまらないものである。

 幸いにも恋愛は 意志を溶かす。

 不幸にも恋愛は 心を破る。

 いったい恋愛は 何のためになるのか? 

 そして、 そういうふうに 恋愛をののしっているとき、

 彼の目には 恋愛の皮肉な、 また 優しい笑顔が見えた。

 その微笑は 彼にこう言っていた。

 『 恩知らずめ!』 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57319763.html
 
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孤独

2008年12月29日 20時19分19秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(’84. 1/10)

「 孤独-- 本当の孤独を 味わったことのある 人間は少ない。

 自分を 理解してくれる人がいない。

 必要としてくれる人がいない。

 愛してくれる人がいない。

 一人もいない。

 世界の全ての人間は、 自分を嫌っている人間か、 無関心の人間か、

 二種類しかしない。

 最も恐ろしいのは 憎まれることではない。

 無視されることだ。

 それは どんなに人間を 卑しくすることだろう。

 就中、 最も理解してほしい人に 理解されないこと、

 それは人をして 地獄の苦しみに落とし入れる。 」


( 「ジャン・クリストフ」 )

「 一般に 人は不幸を 本能的に嫌悪する。

 あたかも 不幸が伝染しはすまいかと 恐れているかのようである。

 かりに 一歩譲っても、 不幸は人に 嫌気を起こさせる。

 人は 不幸から逃げだしてしまう。

 苦しむのを許してやる者は きわめて少ない。

 真に悲しめる者は 至って少ない。

 悲しんでると言われるものは 多いけれど、

 本当に 悲しみに沈んでる者は あまりない。

 彼は そのまれな一人だった。

 ある人間嫌いの男が 言ったように、

『 彼は虐待されるのを 喜んでいるかのようである。

 こういう不幸な人間の 役を演じたとて 何の利益もない。

 人から 忌み嫌われるばかりである。』 」

(次の記事に続く)
 
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理解されない苦しみ

2008年12月27日 21時51分00秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(10/24)

「 僕は あまりに苦しかったのだ。

 だから エゴイストになっていた。

 僕は自分の 切実さを分かってもらうより、

 彼女に生きがいを与えることを しなければならなかったのだ。

 悲しみは 人を敏感にさせ、 苦しみは 人を執着させる。

 彼女の あまりに小さな悪意が、 わずかな 思いやりの欠如が、

 僕の全存在を打ち砕く 冷酷な言葉として 襲いかかってきた。

 同じ言葉でも、 誰の口から 聞くかによって、

 また 同じ人の言葉でも、 いつ聞くかによって、

 その浸食力は 甚大なものとなる。

 あまりにも人の、 就中 彼女の理解を 求めていた僕にとって、

 彼女の無配慮の言葉は、 どんなにか僕を 蹂躪したことだろう。

 ふみにじったのだ。

 自分の喜びも苦しみも、 人に知ってもらいたいと 欲求する人間にとって、

 その欲求こそが 彼をして 創作に向かわせる人間にとって、

 言葉が通じないという絶望は、

 いかに暗黒の苦しみに 彼を落とし入れることだろう。 」

 僕は 誤解される苦しみと、

 理解されたいという 底知れない欲求に 苛まれていました。

 「ジャン・クリストフ」の一節です。

「 (クリストフは) 裏切られたことを 恨んでいるのではなく、

 ただ一人 苦しんでるのだった。

 愛せらるる 者のほうには、 あらゆる権利がある。

 もはや 相手を愛さないという 権利さえある。

 人はそれを 彼に恨むことはできない。

 彼から見捨てられて、 自分がほとんど 彼の愛を受くるにも

 足りないということを、 みずから恨むだけである。

 それこそ 致命的な苦しみである。 」

(次の記事に続く)
 
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価値の崩壊

2008年12月24日 07時18分40秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57111277.html からの続き)

 僕は 非常に弱くなっていて、 周囲のちょっとしたことに 大きく傷つきました。

 人間の愚かさを 無残に嘆きました。

(4/11)

「 何故 世の中には、 こうも 愚劣な人間が多いのか。

 彼らをさげすみ、 無視するか。

 怒り、 非難するか。

 悲しく沈鬱するか。

 自らも 彼らの間に伍するか。

 両者の相剋に 懊悩するか。

 見切りをつけ、 飄然と自適するか。

 清濁合わせ呑み、 全てを許容するか。

 それでもなお 自己を主張するか。

 世の愚劣な人々よ、 何故にあなたは 愚劣なのか。 」


「天才にできないことが 僕にできるはずがありません。

 その結果、 僕は深い懊悩に 悶えることになります。

 芸術家 (価値を求める人間) は

 人々に どんなに理解されなくても 耐えていけますが、

 ただ理解されたい人に 理解されない苦悶は、

 地獄の底をも はるかに越えています。

 心を寄せる人に 理解されないという

 居ても立ってもいられない 苦しみの末、

 僕は自分がそれまで 信じて生きてきたものを 根底から否定され、

 崩されていってしまいました。

 『価値』 に生きる人間が、 『価値』 そのものの意味を 失ったとき、

 これはもはや 自分を立たせる 何物をもなくしてしまいます。

 えも言われぬ焦燥、 自己に対する嫌悪、 他への嫉妬、 絶望、

 自分だけが 世界から隔絶された孤立感, 世に対する呪い……

 あらゆる負の感情に 苛まれる日々が続きました。 」

 僕は 物事の深遠さ, 崇高さ, 偉大さ, 真実, 真剣さ, 理想,

 生きる意味などを、 見失っていきました。

 何が価値あることか 分からなくなるのではなく、

 「価値そのもの」 の存在を 否定されてしまったのです。

 苦しみは 肉体的苦痛となって現れます。

「 呼吸が苦しい。 1秒でも早く ここからいなくなりたい 」

「 『居る』 のが苦しい……! 

 早く一日が 終わってほしい…… 」

(8/7)

「 何が何だか  さっぱりわからん

 世の中  さっぱりわからん

 人の心も  わからん………。

 自分のことも………。」

(次の日記に続く)
 
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「BPD 家族の会」

2008年12月21日 22時04分43秒 | 「BPD家族会」
 
 今日は 「BPD家族の会」 に 参加してきました。

 今年の9月にできた、 日本で初の 家族会だということです。

 産業カウンセラーの方が 主催しています。

 今日が5回目の集まりで、 僕は初参加でした。

 10月の1回目の参加者は わずか5人で、

 もし誰も来なかったら それで終わっていたと 言っていました。

 しかし11月末に 朝日新聞で紹介され、

 12月の3回目の会は 参加希望者が激増して、

 会場が満杯に なってしまったそうです。

 そこで急遽、 新たな集まりを 2回設け、 今日が5回目になりました。

 30人の部屋が満杯で、やはり 情報がありさえすれば、

 多くの方が こういう会を求めているのでしょう。

 今日は 特別ゲストとして、 星和書店の社長が 参加してくれました。

 星和書店は 精神医療や心理学専門の出版社で、

 社長は 日本に境界例の概念が 入ってきた当初から 勉強されており、

 ボーダーにも 非常に詳しい方です。

 守秘義務がありますから、

 今日の会の話の内容を ここに書くことはできませんが、

 やはり 家族の方たちは皆、 非常に苦労して 悩んでおられます。

 恋人ならば いくら大変なことがあっても、

 蜜月があるので やっていけますが、

 家族だと 甘いできごとなどもないでしょう。

( 心子も お母さんには、甘えるなどの態度は 見せたことがないそうです。 )

 それに親は 我が子に責任があるし、 別れるわけにもいきません。

 家族の人は 苦難の中で どうしていいか分からず、

 周りからも理解されないで 孤立しがちです。

 でも決して 自分たち独りではない。

 同じ境遇の人たちが 分かち合い、

 情報交換などすることで 希望が持てたり、 癒されたりしていくでしょう。

 お互いに 支え合っていくことが大切です。

 これから日本でも、 こういう会の必要性が 高まっていくと思います。

 1月も10日と18日に 集まりがありますが、

 10日はすでに 予約が締め切られました。

 関心のある方は、 下記のHPを ご覧ください。

http://www.geocities.jp/bpdmt/index.html

 僕も ネット以外の繋がりが できればいいし、

 もし自分に 何かできることがあれば 探していきたいと思います。

 家族の会が 今後も発展していくことを 願っています。
 
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奈落の葛藤

2008年12月19日 20時21分18秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57052919.html からの続き)

(2/4)

「 何故、 人間はこんなにも 苦しまなければならないのだ?

 誠実な人間ほど。 正直な人間ほど………。

 そして、 これも………

 アンチヒロイズムに 陶酔しているだけにすぎないのか?

 自分は誠実な人間であり、 だからこそ 自分の不誠実に苦しみ、

 その苦しみを知らない 不誠実な人間より 優位に立とうとしているだけなのか。」

「 だが、 一体誰が 苦しまないか?

 誰が 完璧な不誠実者か?

 俺が彼の、 または彼女の、 不誠実さに傷つけられたとしよう。

 なるほど、 その時彼は、 彼女は不誠実だった。

 しかし それが彼の、 彼女の全てか。

 彼も彼女も 苦しんでいる。

 その誠実さの故に、 自らの不誠実さに 苦しんでいる。

 俺また、 その不誠実さの故に、 彼を、 彼女を傷つけた。

 ただ、 お互いそれを知らない。

 人は、 自分の苦しみばかりに 心を奪われ、

 自分を傷つけた 他人の不誠実さばかりを怨み。 嫉妬し。

 何という不安定さ! 

 愛と、 憎と。 力と、 絶望と。

 自分の位置が つかみきれず。

 比較優劣競争から どうしても抜け出せず。

 しかし、 それを 『描いていこう』 とすることで、

 前へ進もうとしている 自分に気付くのだった。 」

(2/22)

「 おまえが自分で 『あれは過ちだった』 と認め、

 後悔してみても、 他人はおまえを許さない。

 憎しみや怒りは消えない。

 おまえのそれが 消えないように。

 失墜した信頼を 再び得るのは、 零から出発するよりも はるかに難しい。」 

(3/5)

「 結局人は 他人のことなど 分かろうとしない。

 自分のことしか 頭にない。

 人を分かろうとして 食い下がるほど、 敬遠され。

 誤解を解こうと深入りすれば さらに嫌われ、 心は離れていく。 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57163597.html
 
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「境界に生きた心子」 校了

2008年12月16日 21時07分46秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 星和書店版 「境界に生きた心子」 のゲラが、 三校で ついに校了しました。

 編集部で修正の作業が 残っていますが、

 僕としては あとは印刷・製本を 待つことになります。

 最後の最後まで 細かな直しが出ました。

 世に 完璧な本というものは ないようですね。

 1月にでき上がる 見込みです。

 新風舎では、 奥付の発刊日より 一ヶ月くらい早く出回る、 つまり、

 実際の流通より 奥付の日付は 一ヶ月あとになる、 という話でした。

 従って、 今回も奥付の発刊日は 新風舎と同じ 2月21日、

 心子の誕生日にすることが できそうだと思っていました。

 ところが、 これは出版社によって 異なるそうで、

 星和書店では 流通と奥付はほぼ同じ ということです。

 そこで、 心子の祥月命日が 1月17日なので、

 それを奥付の発刊日に してもらえないかと 希望を出しています。

 本が生まれるのだから 誕生日と同じほうがいいかと 思っていましたが、

 1月17日のほうが 僕にとって 重要な意味のある日にちです。

 いずれにしろ、 新風舎版, 星和書店版とも、

 とてもタイミングのいい時期に できたものです。

 表紙は、 僕の希望を取り入れて、

 イラストレーターの人が 描き直してくれました。

 新風舎版のイラストが 非常に良くて、 そのイメージが強いので、

 表紙が変わると 違和感を感じてしまうのですが、

 時間が経てば 慣れるかもしれません。


 ところで、 Amazon では 新風舎版の中古品もなくなって、

 取り扱いが できなくなっていましたが、 数日前にまた 中古が出品されました。

 それが、 なんと4000円の値が 付けられているのです。 (!)

 絶版本だから ということでしょうが、

 “ぼったくり” ではないでしょうか。  (^^;)

 確かに新風舎版は もう手に入りませんが、

 じき星和書店から出ると 書いてあるんですけどね。

 買い手が付くかどうか 見物です。  (^^;)
 
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失意

2008年12月14日 20時04分08秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕は 自分を失っていきました。

 それまで自分を支えていたものが 崩壊していったのです。

 当時の日記からです。

(2/4)

「 あの時、 俺は確かに 本当のものを 獲得したと思った。

 俺も成長したと、 ささやかな自信を持って つぶやいた。

 あれはウソか?

 あの時、 俺は確かに、 今度こそ本当の愛を つかんだと思った。

 心の底から 理解し合えたと信じた。

 あれは にせものだったのか……!?

 何だったんだ? 

 俺は今まで、 一体何をやってきたんだ?

 今までの努力は、 みんな無駄だったのか!? 

 俺のしてきたことは 何だったんだ? 

 みんな 俺の錯覚だったのか!? 

 独りよがりか!?

 ……………………

 ……………………

 また………… 一からやり直しだ…………

 ………………何もかも………………」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57111277.html
 
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自己否定への転落

2008年12月11日 21時48分14秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕もジャン・クリストフと 同じ過ちをしてきました。

 マンガ同人誌での活動は 2年ほど続きました。

 そして メンバーのそれぞれの事情で、

 同人誌はしばらく 休刊することになりました。

 僕が軋轢を起こしたことも 理由のひとつだったでしょう。

 心を寄せた女性の 気持ちが離れていきました。

 誤解や嫌悪が 増していきます。

 初めはお互い 同じものを求め、 敬愛してくれていたと、

 僕は思っていました。

 それが 辛辣な非難をするようになり、

 嘲笑さえ されるようになってしまいました。

 また、 彼女の書いたものは 皆の人気を集め、

 僕の作品は 理解されませんでした。

 僕は日増しに 自己否定に陥っていきます。

 それまで 外に向かっていた 僕の批判精神は、

 自分自身に向かうように なっていきました。

 それは今まで以上に 強烈な自己批判でした。

 この頃に 僕は 「ジャン・クリストフ」 に出会ったのです。

 むさぼるように 本にすがったと思います。

 僕は 苦しみから逃れようと、 死に物狂いでもがいていました。

 当時の僕の日記から 抜粋していきます。

( '83.1/20)

「 ああ、 僕は………

 けなされても、 嫌われても、 笑われても、 辱められても、 捨てられても、

 どんなに理解されなくても、 それでも 歩いていけるだけのものを、

 それでも 人を愛していけるだけの、 僕にとってほんとうのものを、

 つかみたい……!! 」

(次の記事に続く)
 
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若き日の 「ジャン・クリストフ」(4)

2008年12月09日 22時07分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56935211.html からの続き)

 クリストフの作品は さんざんな酷評を受けて、

 演奏会は 大失敗に終わります。

「 クリストフは落胆してしまった。

 彼の失敗は しかしながら、 何も驚くには当たらなかった。

 彼の作品が 人に喜ばれなかったのには、 三重の理由があった。

 作品はまだ 十分に成熟していなかった。

 即座に理解されるには あまりに新しかった。

 それから、 傲慢な青年を懲らしてやることが 人々にはきわめて愉快だった。

 --しかしクリストフは、 自分の失敗が 当然であると認めるには、

 十分冷静な精神を そなえていなかった。

 世人の長い不理解を 経験することによって、 心の静穏を

 真の芸術家は 得るものであるが、 クリストフにはそれが欠けていた。

 聴衆にたいする 率直な信頼の念と、

 当然のこととして 造作なく得られるものと思っていた

 成功にたいする 信頼の念とは、 今や崩壊してしまった。

 敵をもつのは もとよりであると思ってはいた。

 しかし彼を 茫然たらしめたのは、

 もはや一人の味方をも もたないことであった。

(中略)

 彼は憤慨した。

 滑稽にも、 自分を理解させようとし、 説明し、 議論した。

 もとより なんの役にもたたなかった。

 それには時代の趣味を 改造しなければならなかったろう。

 しかし彼は 少しも狐疑しなかった。

 否応なしに ドイツの趣味を清掃しようと 決心していた。

 しかし彼には 不可能のことだった。

 自分の意見を 極端な乱暴さで 表白する会話などでは、

 だれをも 説服することはできなかった。

 ますます 敵を作り得るばかりだった。

 彼が なさなければならなかったことは、ゆっくりと 自分の思想を養って、

 それから公衆をして それに耳を 傾けさせることであったろう……。 」

(中略)

「 彼は人間の賤しさを どん底まで感じてみようとした。

『 俺は 遠慮する必要はない。

 くたばるまでは 何でもやってみなけりゃいけない。 』

 一つの声が 彼のうちで言い添えた。

『 そして、 くたばるものか。』 」

(次の記事に続く)

〔「ジャン・クリストフ」ロマン・ロラン(岩波文庫)豊島与志雄訳〕
 
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大江戸温泉物語

2008年12月07日 21時07分46秒 | Weblog
 
 中学の同窓会 (忘年会) で、

 お台場の 「大江戸温泉物語」 に行ってきました。

 人気の 温泉テーマパークです。

 いくつもの内風呂や露天風呂 (天然温泉), 砂風呂や岩盤浴,

 エステその他、 色々な施設が備えられています。

 また 江戸の町並を再現した 様々な露店で、

 飲み食いや遊技, 買い物などもできます。

 宴会場もあるので、 そこで忘年会が開かれました。

 その前に ひとっ風呂。

 宴会のあとにも、 十ある湯船 すべてに浸かってきました。  (^^;)

( 足湯, 蒸し風呂を含む。

 ただし 別料金のかかる アカすりや岩盤浴などはパス。 )

 湯に浸かるのは 本当に身も心も リラックスしますね。

 猿が温泉に入るのも 理解できます。  (^^;)

 入館すると 浴衣に着替え、 館内は全員 浴衣姿です。

 外国の観光客たちもいるし、

 着物を着慣れない若者が しどけない姿で歩いていたりしました。

 外人さんも楽しめる 場所ではないかと思います。

 手裏剣投げの小屋では、 太ったメガネのおばさんが 拙い英語で、

 外人さんに大声で 投げ方を伝授していたのが 可笑しかった。

“ Not snap!  Straight!”

 てね。  (^o ^;)

 スナップを利かせると、 回転軸が ずれてしまったりするのでしょうか? 

 難しいみたいで、 外人さんはなかなか 的に刺さりませんでした。

 でもおばさんは 斜めから投げても、 きれいに刺さるんですね。 (さすが)

 時間が限られていたので、 館内を一通り 眺めて回っただけでしたが、

 もっとゆっくりと 遊んだり飲み食いして 興じることができると思います。

 年末の 心地よい一日でした。
 
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少し遅めの 神宮外苑

2008年12月05日 23時44分56秒 | 心子、もろもろ
 
 今年も 心子との想い出の神宮外苑・ 銀杏並木を見てきました。

 見頃を紹介している HPがあって、 その写真を見ると、

 12月1日時点で まだ緑がかっていました。

 僕の家の近くの銀杏並木も まだ緑が残っているし、

 今年は黄葉が 遅いのだろうと思っていました。

 ところが 神宮外苑に行ってみると、

 並木の 一番手前の木だけが 緑がかっていて、 あとは 葉が散り始め、

 中には すっかり葉が落ちて 裸になってしまっている 銀杏もありました。

 写真に写っている木だけが 緑っぽかったんですね。 (- -;)

 前は 一斉に黄葉していたのに、

 だんだん 木による色づきの時期が ずれてきています。

 家の近くの銀杏は まだ青々としているのまであるし。

 今日は 風が強かったせいもあって、 大分 葉が散っていました。

 風邪に舞う銀杏も いいものです。

 そして、 道路一面を埋めつくした 銀杏の葉の、

 見事な “イエロー・カーペット” が 美観でした。

 ふわりとした踏み応えを 感じてきました。

 毎年 外苑に行くのだから、 色々な時期に行くのも いいと思いましたね。

 今年は 銀杏の黄色が きれいだったように感じます。

 葉っぱが小さくなったと 思った年もありましたが、

 今年は形も 整っていたのではないかと思います。

 数枚 見つくろって拾ってきました。

 しゃれた しおりになります。

 心子の写真にも 飾ってあげました。
 
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若き日の 「ジャン・クリストフ」 (3)

2008年12月04日 20時12分57秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 クリストフは 自分が作曲した作品を 発表します。

 その初演の日です。

「 当日になった。

 クリストフは なんらの不安も いだいてはいなかった。

 自分の音楽で あまり頭が いっぱいになっていたので、

 それを批判することが できなかった。

 ある部分は 人の笑いを招くかもしれないと 思っていた。

 しかしそれがなんだ!

笑いを招くの 危険を冒さなければ、 偉大なものは書けない。

 事物の底に 徹するためには、 世間体や、 礼儀や、 遠慮や、

 人の心を 窒息せしむる社会的虚飾などを、 あえて 蔑視しなければいけない。

 もし だれの気にも逆らうまいと 欲するならば、

 生涯の間、 凡庸者どもが同化し得るような 凡庸な真実だけを、

 凡庸者どもに与えることで 満足するがいい。

 人生の此方に とどまっているがいい。

 しかし そういう配慮を 足元に踏みにじる時に 初めて、

 人は偉大となるのである。

 クリストフは それを踏み越えて 進んでいった。

 人々からはまさしく 悪口されるかもしれなかった。

 彼は 人々を無関心にはさせないと 自信していた。

 多少無謀な 某々のページを開くと、

 知り合いのたれ彼が どんな顔つきをするだろうかと、 彼は面白がっていた。

 彼は 辛辣な批評を期待していた。

 前からそれを考えて 微笑していた。

 要するに、 聾者ででもなければ 作品に力がこもっていることを 否み得まい

 --愛すべきものか あるいはそうでないかは どうでもいい、

 とにかく 力があることを。

 ……愛すべきもの、 愛すべきものだって!?

 ……ただ力、 それで充分だ。

 力よ、 ライン河のように すべてを運び去れ!……… 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56997746.html

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕
 
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若き日の 「ジャン・クリストフ」 (2)

2008年12月02日 21時50分40秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 「ジャン・クリストフ」 からの 引用の続きです。

(クリストフは対社会、 僕は対同人誌の 構図でした。)

「 人々は待ち受けていた。

 クリストフは 自分の感情を もったいぶって隠しはしなかった。

 あらゆるものにたいして、

 絶対的な 一徹な 不断の誠実を 事とするのを、 ひとつの掟としていた。

 そして何をするにも 極端に走らざるを得なかったので、

 法外なことを言っては、 世人を憤慨させた。

 彼はこの上もなく 率直であった。

 あたかも 価値を絶する大発見を 一人胸に秘めたく 思わない者のように、

 ドイツの芸術にたいする 自分の考えを だれ構わずに もらしては満足していた。

 そして 相手の不満を招いてるとは 想像だもしなかった。

 定評ある作品の 愚劣さを認めると、 もうそのことで いっぱいになって、

 出会う人ごとに、 専門家と素人とを 問わず、

 だれにでも急いで それを言って聞かした。

 顔を輝かしながら 最も暴慢な批評を 述べたてた。

 自分がまさに 批評にのぼせられようとしている時に、

 他人を批評するくらい 無謀なことはない。

 もっと巧みな芸術家なら、 敵にたいしても もっと尊敬を示したであろう。

 しかしクリストフは、 凡庸にたいする軽蔑と

 自分の力を信ずる幸福とを 隠すべき理由を、 少しも認めなかった。

 そして その幸福の情を あまりに激しく示した。

 彼は近ごろ、 胸中を披瀝したい 欲求に駆られていた。

 自分一人で味わうには あまりに大きな喜びだった。

 他人に喜悦を 分かたないならば、 胸は 張り裂けるかもしれなかった。 」

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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