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日本共産党は「プロレタリアート独裁」や「前衛」を削除したか(上)

2017-07-16 22:33:52 | 現代日本政治
 こんなツイートを見かけた。



《日本の共産党は「プロレタリアート独裁」も「前衛」もとっくの昔に削除してますよ。いまの共産党が狭義のプロレタリアート政党ではなく、多様な階層を接合した政治集団だということは、観察していればわかるはずですが。》

 こういう意見は時々見る。
 現在の日本共産党は、綱領や規約からこういった革命を志向するような語句を既に削除している。右派が批判するような昔の共産党とは違うんだ、といった風な。

 日本共産党は「プロレタリアート独裁」や「前衛」を「削除」したのではない。単に言い換えたり、隠したりしているだけである。

 日本共産党が議会主義を重視する現在の路線を確立したのは、宮本顕治(1908-2007)書記長が反対派を排除した後、1961年の第8回党大会で綱領を決定したときだ。以下、これを仮に61年綱領と呼ぶが、そこにはこう記されていた(太字は引用者による。以下同じ)。

(5)日本人民の真の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじてのみ実現される。資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最後的な解放を保障するものは、労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立、生産手段の社会化、生産力のゆたかな発展をもたらす社会主義的な計画経済である。党は、社会主義建設の方向を支持するすべての党派や人びとと協力し、勤労農民および都市勤労市民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ納得をつうじ、かれらを社会主義社会へみちびくように努力する。


 しかし、「独裁」の語は、評判が悪かったらしい。
 1971年6月23日、宮本委員長は「訳語問題についての一定の成果――『プロレタリアートのディクタツーラ』の適訳」との談話を発表した。

談話は、従来「独裁」と訳されてきた「ディクタツーラ」は、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの文献からあきらかなように、一つの階級あるいは複数の階級・階層の政治支配、あるいは国家権力をしめすものであって、けっして特定の個人や組織への権力の集中を意味するものではないこと、したがって日本語の一般的語感として「独断で決裁する」などという意味にとられる「独裁」は、社会科学の用語としての「ディクタツーラ」の意味を表現するものとしては適切でないことをあきらかにした。そして、「プロレタリアートのディクタツーラ」の内容を表現する場合には「労働者階級の権力」とか「労働者階級の政治支配」などとし、訳語としては「執権」とか「執政」とかがより適切であることをしめした。(『日本共産党の六十年 下』(新日本文庫(新日本出版社)、1983、p.37-38)


 「独裁」を「独断で決裁する」ととるのは、決して「日本語の一般的語感」ではないと思うが。
 それはともかく、この談話を受けて、1973年に開かれた第12回党大会では、綱領の上記の箇所の「プロレタリアート独裁」は「プロレタリアート執権」に変更された。
 しかし、これはさらに評判が悪かったようで、次の第13回臨時党大会(1976年)では、この「プロレタリアート執権」という語句自体をなくすことになった。すなわち、上記の一節が、

(5)日本人民の真の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじてのみ実現される。資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最後的な解放を保障するものは、労働者階級の権力の確立、生産手段の社会化、生産力のゆたかな発展をもたらす社会主義的な計画経済である。〔後略〕


と改められた。
 では、日本共産党は「プロレタリアート執権」は行わないことにしたのか?
 そうではない。共産党自身がこう述べている。

 大会は、党綱領から執権という用語を削除する主旨がつぎの二点にあることをあきらかにした。
 ①「プロレタリアート執権」という用語が、科学的社会主義の理論のうえで「労働者階級の権力」と同意義である以上、特別の説明をしなければ、一般に理解されない用語をあえて残しておく必要がないこと。
 ②世界の共産主義運動のなかで、プロレタリアートの執権ということばが労働者階級の権力というマルクス、エンゲルスいらいのほんらいの意義にくわえて、強力革命〔引用者註:当時の「暴力革命」の言い換え語である〕の必然性やソビエト型の国家権力などとむすびつけられて使われてきた経過があり、これらの主張はロシア革命型の状況に直面した国ぐにでは一定の有効性をもつにしても、今日の日本のように民主的手段による革命の可能性が追求され、将来の人民権力の国家形態も議会制の民主主義国家が目標とされる国の革命には適用できないということ。
(前掲『日本共産党の六十年 下』p.173)


 「労働者階級の権力」は「プロレタリアート執権」と同義だから、「あえて残しておく必要がない」と言うのである。
 「プロレタリアート執権」はもうやらないことにしましたと言っているのではない。評判が悪いから隠しているだけなのである。

 なお、②の「ロシア革命型の状況に直面した国ぐにでは一定の有効性をもつ」にも留意したい。
 今日の日本の状況では適用できないと言っているだけで、敗戦や君主制の廃止といった動乱の中では、プロ独裁は有効であると考えているということだからだ。
 「敵の出方論」と同様である。

 ちなみに、この第13回臨時党大会で、「マルクス・レーニン主義」の語も綱領から消えたが、これも「科学的社会主義」の語に改められただけである。さすがに前時代の個人名を冠したイデオロギーを掲げることを排しただけで、党の理論的支柱にマルクス、レーニンがあることに現在も変わりはない

 ソ連崩壊後の1994年に開かれた第20回党大会では、61年綱領はかなり大幅に改定されたが、「労働者階級の権力」の語は次のように残った。

第七章 真に平等で自由な人間社会へ
――社会主義、共産主義と人類史の展望

 日本人民の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじていっそう全面的なものとなる。社会主義の目標は、資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最終的な解放にある。そのためには、社会主義建設を任務とする労働者階級の権力の確立、大企業の手にある主要な生産手段を社会の手に移す生産手段の社会化、国民生活と日本経済のゆたかな繁栄を保障するために生産力をむだなく効果的に活用する社会主義的計画経済が必要である。


 2004年に開かれた第23回党大会では、さらに綱領は大幅に改定され、「労働者階級の権力」の語が消えた。代わって、「社会主義をめざす権力」の語が登場した。

 (一六)社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。


 この点について、不破哲三・党中央委員会議長(当時)は、大会前の第7回中央委員会総会における綱領改定案の提案報告の中でこう説明している。

第一六節(その一)――すべての段階で国民の合意が基本

 第一六節は、社会主義的変革、社会主義・共産主義社会への前進のすじ道にかかわる問題についてのべた部分です。

 「社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」(第一六節の一つ目、二つ目の段落)

 ここで詳しくのべているように、日本でおこなわれる社会主義的な変革は、出発点からその過程の一歩一歩まで、すべての段階が国民の合意のもとにおこなわれるのであって、社会主義をめざす政権がいったんできてしまったら、あとはあなた任せの自動装置のようにことがすすむのではない、「国民が主人公」の基本が全過程でつらぬかれる、このことを、念には念をいれて、ここで明記しています。

 この文章にある「社会主義をめざす権力」という言葉は、いまの綱領で、「労働者階級の権力」といわれているものです。一九七六年の第十三回臨時党大会、この問題についての綱領の一部改定をおこなった時の報告で、なぜ社会主義をめざす権力を「労働者階級の権力」と呼ぶのか、という問題について、理論の歴史をふくめて詳しい解明をおこないました。今回の改定案では、そういう特別の説明がいらないように、最初から、この権力の役割そのものを表現したものです。


 その第13回臨時党大会における綱領の一部改定報告を調べてみると、「なぜ社会主義をめざす権力を「労働者階級の権力」と呼ぶのか」について、次のような説明があった。

 民主主義革命が達成され、独立・民主日本が建設されたとき、社会発展の次の展望として、社会主義への前進が日程にのぼってくるが、社会主義革命に前進するかどうかは、主権者である国民の選択――選挙に具体的にしめされる国民の意思によって決定される問題である。そのときには、統一戦線も、民族民主統一戦線から、社会主義建設を支持する統一戦線に発展し、人民権力も、民主的変革を任務とする権力から、社会主義建設を任務とする権力――社会主義権力に前進するだろう。〔中略〕
 わが党が、社会主義権力を「プロレタリアート執権」あるいは「労働者階級の権力」と規定するのは、労働者階級こそが資本主義の廃止と社会主義の実現を使命とする階級であり、社会主義権力は、労働者階級のこの歴史的使命の達成を任務とする権力だからである。社会主義権力やそれを支持する人民勢力(社会主義統一戦線)のあいだで、労働者階級が主導的役割を果たすことは当然であるが、この権力は、広範な人民を結集し、人民の多数の支持に依拠するものである。とくに〔中略〕現代日本の諸条件のもとでは、労働者階級と他の人民諸階級・諸階層との社会主義建設を支持する連合が、いっそう広大な規模をもちうることは明白である。(思想運動研究所編『日本共産党事典(資料編)』全貌社、1978、p.1778-1779)


 この意味で不破氏が「社会主義をめざす権力」は「労働者階級の権力」と同じだと言うのだから、これはつまりは「プロレタリアート独裁」と同じだということになる。61年綱領と何も変わってはいない。
「労働者階級こそが資本主義の廃止と社会主義の実現を使命とする階級」
「社会主義権力やそれを支持する人民勢力(社会主義統一戦線)のあいだで、労働者階級が主導的役割を果たすことは当然」
という認識にも変わりはないことになる。
 これで、冒頭に挙げたツイ主が言うような「多様な階層を接合した政治集団」だと言えるだろうか。

続く
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