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金日成が死亡した際の国家葬儀委員会の序列は、党政治局常務委員、党政治局員、党政治局員候補の順であり、次に党中央委員会書記が位置し、そして副首相へと続いていた。
しかし、昨年の党代表者会で選出された現在の党中央委書記は、全て政治局員または政治局員候補との兼任であり、専任の書記は存在しない。
今回の国家葬儀委員会では、3名の軍人をはさんで5名の副首相が続いている(党政治局員または党政治局員候補を兼ねている副首相3名はより上位に位置している)。ただし、財政相を兼任していた朴寿吉副首相の名は、この名簿には見当たらない。
康能洙の名は趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列には見当たらないが、他の4名の副首相の序列が大幅に上昇しているのは、趙明禄が軍人のトップであったために非軍人は低く抑えられていたのか、それとも単に金日成の時の前例を踏襲したのか。
29位の呉克烈は、金正恩に近いと見られ近年台頭した李英鎬ら「新軍部」と比較して、「旧軍部」の代表格とされる。
朝鮮日報は、次のように報じている。
30位の金鉄萬と31位の李乙雪は、金日成の抗日パルチザンに参加した、軍の元老格。
37位の白世鳳は、前掲平井著によると、軍需産業などを統括する第二経済委員会の委員長を金鉄萬の後任として務めているという。
このあとは、党・国家の各部門の責任者、党の地方組織の責任者が位置し、軍人がそれに続く。
趙明禄死亡時の国家葬儀委員会と比べ、やはり党幹部の順位が大幅に上昇し、軍人がそれに続いている。
また、序列中、党中央委員と党中央軍事委員が混在している。
金正日は、以前から党中央軍事委員ではあったが、2009年に初めて党中央軍事委員「長」の肩書きを用い、昨年の党代表者会では金正恩と李英鎬が党中央軍事委副委員長に、金永春、張成沢ら16名が党中央軍事委員に選出された(金正恩は、政治局及び書記局にはポストを得ていない)。さらに党規約改正により党中央軍事委員会の権限を強化した。これらは、国防委員会に代えて、党中央軍事委員会に軸足を置いた統治への動きとも考えられるが、にもかかわらず、今回の党中央軍事委員の序列が必ずしも高くないことは注目すべきだろう。
なお、2007~2009年に軍総参謀長を務め、その後第4軍団長として昨年の延坪島砲撃事件の責任者とされる金格植は、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会では78位だったが、今回の国家葬儀委員会には見当たらない。
金格植については、先月更迭説も報じられている。
75位の全煕正は、ANN中国総局の特派員によると、金正日の「身の回りの世話を担当するトップ」だという。
83位の李炳三が所属する朝鮮人民内務軍とは、昨年の聯合通信の報道によると、朝鮮人民警備隊を改称したものだという。ウィキペディアによると、朝鮮人民警備隊とは国境警備隊であり、正規軍と警察の中間に当たるものだという。
一方、産経新聞は今年10月、秘密警察である「国家安全保衛部」や一般警察を管轄する「社会安全部」を取り締まる特殊治安機関「朝鮮人民軍内務軍」が新設され、金正恩が掌握しているとの情報があると報じている。
90位の李容哲は、同名の党組織指導部第一副部長がいたが、2010年4月に死亡している。
趙明禄の国家葬儀委員会序列167位にある李勇哲(党中央委員、金日成社会主義青年同盟第一書記)か?
軍人に続いて閣僚が現れる。
108位以下は、趙明禄の国家葬儀委員会には見当たらない人物が大幅に増える。知名度も低い人物が多い。
個々に役職を調べるのも大変なので省略し、私でも知っている若干の人物についてのみ触れておく。
前々首相。化学工業相を経て、洪成南に代わって2003年首相に就任。党中央委員ですらなく異例の起用だった。2007年解任、左遷されたが、昨年復権が伝えられた。経済改革派と評される。
朴奉珠は化学工業相の前にも党軽工業部副部長を務めている。党軽工業部と言えば、金正日の実妹、金慶喜が長年部長を務めている。朴奉珠の復権(あるいは首相就任も?)はその人脈によるものなのかもしれない。
ちなみに、朴奉珠の後任の首相を務め、昨年解任された金英逸(元陸海運相)は、趙明禄の国家葬儀委員会にも今回の国家葬儀委員会にも含まれていない。
金桂寛、金桂冠とも表記される。いわゆる6か国協議の北朝鮮代表を務める。国際的な知名度は高いだろうが国内の序列はこのように低い。
名簿の末尾は次の2名。
朝鮮社会民主党と天道教青友党。この2党は、政治的な役割を何ら果たしていない、名目上だけの政党である。中国のいわゆる民主党派などと同様の存在である。
金永大の前に社会民主党委員長を務めた金炳植は、もともと朝鮮総聯の幹部であった。副議長まで上り詰めたが問題を起こして本国に召還され、その消息は途絶えていたが、金日成政権の末期に突如国家副主席、社会民主党委員長として復権した。金日成の国家葬儀委員会では序列7位に位置した。
金炳植の死後、同党の委員長となった金永大は、金炳植ほどの高位ではなかったものの、2003年の建国55周年閲兵式では33位、2008年の建国60周年閲兵式では23位であった。現在でも、葬儀委員会序列10位の楊亨燮と共に最高人民会議常任委副委員長を務めている。形式的な国家元首の役割は、序列2位の金永南・最高人民会議常任委委員長が果たしているのだから、金永大と楊亨燮は副大統領的立場にあると言えるはずである。
柳美英は、韓国の朴正煕政権で外相を務めた崔徳新の妻である。1986年、崔とともに北朝鮮に入り、崔の死後、1993年から天道教青友党の委員長を務めている。金日成の国家葬儀委員会では39位、2003年の建国55周年閲兵式では34位、2008年の建国60周年閲兵式では24位であった。
しかし、この両名の序列は、昨年の趙明禄の国家葬儀委員会において著しく低下し、さらに今回の国家葬儀委員会においては最下位に位置している。
これは、現在の北朝鮮の実力者にとって、彼らの存在意義がもはやその程度のものでしかないことを示しているのだろう。
金日成が死亡した際の国家葬儀委員会の序列は、党政治局常務委員、党政治局員、党政治局員候補の順であり、次に党中央委員会書記が位置し、そして副首相へと続いていた。
しかし、昨年の党代表者会で選出された現在の党中央委書記は、全て政治局員または政治局員候補との兼任であり、専任の書記は存在しない。
今回の国家葬儀委員会では、3名の軍人をはさんで5名の副首相が続いている(党政治局員または党政治局員候補を兼ねている副首相3名はより上位に位置している)。ただし、財政相を兼任していた朴寿吉副首相の名は、この名簿には見当たらない。
29 呉克烈 国防委副委員長 大将 43
30 金鉄萬 最高人民会議代議員 党中央委員 47
31 李乙雪 元帥 党中央委員 48
32 全河哲 党中央委員 副首相 121
33 康能洙 党中央委員 副首相 -
34 盧斗哲 党中央委員 副首相 国家計画委委員長 122
35 趙炳柱 党中央委員 副首相 機械工業相 124
36 韓光復 党中央委員 副首相 電子工業相 124
37 白世鳳 国防委員 44
康能洙の名は趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列には見当たらないが、他の4名の副首相の序列が大幅に上昇しているのは、趙明禄が軍人のトップであったために非軍人は低く抑えられていたのか、それとも単に金日成の時の前例を踏襲したのか。
29位の呉克烈は、金正恩に近いと見られ近年台頭した李英鎬ら「新軍部」と比較して、「旧軍部」の代表格とされる。
朝鮮日報は、次のように報じている。
軍部の中心にいる実力者、呉克烈(オ・グクリョル)国防委員会副委員長に従う勢力も注目対象だ。呉克烈グループは、張成沢氏の勢力に対する対抗軸であり、金正恩氏の異母兄の金正男(キム・ジョンナム)氏を支持しているとされる。韓国政府系シンクタンク、世宗研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)首席研究委員は「呉克烈氏は、金正恩氏による後継が確実となった昨年9月の党代表者会で、党政治局にも党中央軍事委にも加われないという屈辱を味わった。呉氏が金正恩後継体制の構築に消極的だったためだ」と分析した。呉氏は偽造紙幣や麻薬取引などを統括する「党39号室」の実質的管理者だったが、金正恩氏の最側近である金英哲偵察総局長が約2年前、その金づるを断ったとされる。そこには呉氏をけん制し、無力化する狙いがあったと受け止められている。
30位の金鉄萬と31位の李乙雪は、金日成の抗日パルチザンに参加した、軍の元老格。
37位の白世鳳は、前掲平井著によると、軍需産業などを統括する第二経済委員会の委員長を金鉄萬の後任として務めているという。
このあとは、党・国家の各部門の責任者、党の地方組織の責任者が位置し、軍人がそれに続く。
38 李英秀 党中央委員 党勤労団体部長 128(平井著では李永秀と表記)
39 崔希正 党中央委員 党科学教育部長 129
40 呉日晶 党中央委員 党軍事部長 130
41 金正任 党中央委員 党中央委歴史研究所長 131
42 蔡喜正 党中央委員 党文書管理室長 132
43 金基龍 党中央委員 労働新聞責任主筆 163
44 張炳奎 党中央委員 最高検察所長 169
45 金炳律 党中央委員 最高裁判所長 168
46 洪仁範 党中央委員 党平安南道委責任書記 141
47 李萬建 党中央委員 党平安南道委責任書記 143
48 朱永植 党中央委員 党慈江道委責任書記 141(平井著では朱英植と表記)
49 郭範基 党中央委員 党咸鏡南道委責任書記 148
50 呉秀容 党中央委員 党咸鏡北道委責任書記 147
51 盧培権 党中央委員 党黄海南道委責任書記 144
52 朴太徳 党中央委員 党黄海北道委責任書記 145(平井著では朴泰徳と表記)
53 金煕沢 党中央委員 党両江道委責任書記 149
54 姜陽貌 党中央委員 党南浦市委責任書記 142(平井著では姜陽模と表記)
55 林景萬 党中央委員 党羅先市委責任書記 150
56 金京玉 党中央軍事委員 党組織指導部第一副部長 大将 34
57 金明国 党中央軍事委員 軍作戦局長 大将 33
58 金元弘 党中央軍事委員 軍保衛司令官 大将 35
59 玄哲海 国防委局長 大将 45
60 韓東根 党中央委員 軍総政治局宣伝部長 上将 54
61 趙慶 党中央委員 最高人民会議代議員 55(平井著では趙慶哲と表記)
62 朴在京 党中央委員 人民武力部副部長 大将 56
63 辺仁善 党中央委員 上将 57
64 尹正麟 党中央軍事委員 軍護衛司令官 大将 40
65 鄭明都 党中央軍事委員 軍海軍司令官 大将 36(平井著では鄭明道と表記)
66 李炳哲 党中央軍事委員 軍空軍司令官 大将 36(平井著では李炳鉄と表記)
67 崔相黎 党中央軍事委員 上将 41
68 金英哲 党中央軍事委員 軍偵察総局長 上将 39
69 姜杓永 党中央委員 中将 76(平井著では姜杓栄と表記)
70 金炯龍 党中央委員 上将 76(平井著では金亨龍と表記)
71 李勇煥 党中央委員 上将 79(平井著では李鎔煥と表記)
72 金春三 党中央委員 上将 最高人民会議代議員 80
73 崔京星 党中央軍事委員 大将 42
74 李明秀 国防委行政局長 大将 46
趙明禄死亡時の国家葬儀委員会と比べ、やはり党幹部の順位が大幅に上昇し、軍人がそれに続いている。
また、序列中、党中央委員と党中央軍事委員が混在している。
金正日は、以前から党中央軍事委員ではあったが、2009年に初めて党中央軍事委員「長」の肩書きを用い、昨年の党代表者会では金正恩と李英鎬が党中央軍事委副委員長に、金永春、張成沢ら16名が党中央軍事委員に選出された(金正恩は、政治局及び書記局にはポストを得ていない)。さらに党規約改正により党中央軍事委員会の権限を強化した。これらは、国防委員会に代えて、党中央軍事委員会に軸足を置いた統治への動きとも考えられるが、にもかかわらず、今回の党中央軍事委員の序列が必ずしも高くないことは注目すべきだろう。
なお、2007~2009年に軍総参謀長を務め、その後第4軍団長として昨年の延坪島砲撃事件の責任者とされる金格植は、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会では78位だったが、今回の国家葬儀委員会には見当たらない。
金格植については、先月更迭説も報じられている。
75 全煕正 党中央委員 -
76 李永吉 党中央委員 最高人民会議代議員 中将 81
77 玄永哲 党中央委員 中将 83
78 崔富一 党中央軍事委員 軍副総参謀長 大将 38(平井著では崔富日と表記)
79 楊東勲 党中央委員 少将 84
80 李鳳竹 党中央委員 上将 85(平井著では李峰竹と表記)
81 金松哲 党中央委員 最高人民会議代議員 少将 89
82 朴光徹 党中央委員 91(平井著では朴広徹と表記)
83 李炳三 党中央委員 朝鮮人民内務軍政治局長 70
84 全昌復 党中央委員 中将 62(平井著では全昌福と表記)
85 呉琴鉄 党中央委員 前軍空軍司令官 63
86 金仁植 党中央委員 67
87 金成徳 党中央委員 上将 71
88 呂春錫 党中央委員 -
89 朴勝源 党中央委員 上将 軍副総参謀総長 86
90 李容哲 ?
75位の全煕正は、ANN中国総局の特派員によると、金正日の「身の回りの世話を担当するトップ」だという。
83位の李炳三が所属する朝鮮人民内務軍とは、昨年の聯合通信の報道によると、朝鮮人民警備隊を改称したものだという。ウィキペディアによると、朝鮮人民警備隊とは国境警備隊であり、正規軍と警察の中間に当たるものだという。
一方、産経新聞は今年10月、秘密警察である「国家安全保衛部」や一般警察を管轄する「社会安全部」を取り締まる特殊治安機関「朝鮮人民軍内務軍」が新設され、金正恩が掌握しているとの情報があると報じている。
90位の李容哲は、同名の党組織指導部第一副部長がいたが、2010年4月に死亡している。
趙明禄の国家葬儀委員会序列167位にある李勇哲(党中央委員、金日成社会主義青年同盟第一書記)か?
軍人に続いて閣僚が現れる。
91 朴宜春 党中央委員 外相 152
92 金亨植 党中央委員 石炭工業相 153
93 金泰峰 党中央委員 金属工業相 154
94 全吉寿 党中央委員 鉄道相 155
95 李務栄 党中央委員 化学工業相 156
96 安正秀 党中央委員 軽工業相 157
97 李龍男 党中央委員 貿易相 158
98 柳英燮 党中央委員 逓信相 160
99 朴明哲 党中央委員 体育相 161
100 金勇進 党中央委員 教育委委員長 159
101 張徹 党中央委員 国家科学院長 162
102 成自立 党中央委員 金日成総合大学総長 171
103 金貞淑 党中央委員 対外文化連絡委委員長 166
104 姜東允 ? -
105 金炳鎬 党中央委員 朝鮮中央通信社長 164
106 車承洙 党中央委員 朝鮮中央放送委員長 164
107 梁萬吉 平壌市人民委委員長 170
108位以下は、趙明禄の国家葬儀委員会には見当たらない人物が大幅に増える。知名度も低い人物が多い。
個々に役職を調べるのも大変なので省略し、私でも知っている若干の人物についてのみ触れておく。
121 朴奉珠 党軽工業部第一副部長 党中央委員候補 135
前々首相。化学工業相を経て、洪成南に代わって2003年首相に就任。党中央委員ですらなく異例の起用だった。2007年解任、左遷されたが、昨年復権が伝えられた。経済改革派と評される。
朴奉珠は化学工業相の前にも党軽工業部副部長を務めている。党軽工業部と言えば、金正日の実妹、金慶喜が長年部長を務めている。朴奉珠の復権(あるいは首相就任も?)はその人脈によるものなのかもしれない。
ちなみに、朴奉珠の後任の首相を務め、昨年解任された金英逸(元陸海運相)は、趙明禄の国家葬儀委員会にも今回の国家葬儀委員会にも含まれていない。
163 金桂官 第一外務次官 -
金桂寛、金桂冠とも表記される。いわゆる6か国協議の北朝鮮代表を務める。国際的な知名度は高いだろうが国内の序列はこのように低い。
名簿の末尾は次の2名。
231 金永大 朝鮮社会民主党委員長 最高人民会議常任委副委員長 126
232 柳美英 天道教青友党委員長 朝鮮天道教会中央指導委員長 127
朝鮮社会民主党と天道教青友党。この2党は、政治的な役割を何ら果たしていない、名目上だけの政党である。中国のいわゆる民主党派などと同様の存在である。
金永大の前に社会民主党委員長を務めた金炳植は、もともと朝鮮総聯の幹部であった。副議長まで上り詰めたが問題を起こして本国に召還され、その消息は途絶えていたが、金日成政権の末期に突如国家副主席、社会民主党委員長として復権した。金日成の国家葬儀委員会では序列7位に位置した。
金炳植の死後、同党の委員長となった金永大は、金炳植ほどの高位ではなかったものの、2003年の建国55周年閲兵式では33位、2008年の建国60周年閲兵式では23位であった。現在でも、葬儀委員会序列10位の楊亨燮と共に最高人民会議常任委副委員長を務めている。形式的な国家元首の役割は、序列2位の金永南・最高人民会議常任委委員長が果たしているのだから、金永大と楊亨燮は副大統領的立場にあると言えるはずである。
柳美英は、韓国の朴正煕政権で外相を務めた崔徳新の妻である。1986年、崔とともに北朝鮮に入り、崔の死後、1993年から天道教青友党の委員長を務めている。金日成の国家葬儀委員会では39位、2003年の建国55周年閲兵式では34位、2008年の建国60周年閲兵式では24位であった。
しかし、この両名の序列は、昨年の趙明禄の国家葬儀委員会において著しく低下し、さらに今回の国家葬儀委員会においては最下位に位置している。
これは、現在の北朝鮮の実力者にとって、彼らの存在意義がもはやその程度のものでしかないことを示しているのだろう。