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梅田界隈の歴史と変貌ーその3-

2009年07月06日 10時26分49秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

このシリーズの1回目は、JR大阪駅と梅田駅の地名戦争(6月5日掲載)、第2回目は、梅田の百貨店戦争(6月10日)について書きました。
今回は、梅田の影とも言うべき”梅田村事件”について書いてみます。

今でこそ、大阪駅前は、大阪最大のターミナルとして栄え発展していますが、終戦後には、この梅田の街にも暗い影があったのです。

JR大阪駅の南側には、少し古臭い感じのする4つのビルがあります。
これらのビルを「大阪駅前ビル」と呼んでいます。
ここは、当時の大阪市開発局の計画で1970~1981年までの間「ダイヤモンド地区」と呼ばれる広大な再開発エリアに建設されたビルなのです。

       
  昭和30年頃の大阪駅前(バラックが多くあります) 
右は現在の大阪駅前ビル

特に第3ビルは34階建てで高さ142mで1986年までは大阪一の高層ビルでした。
事件は、この再開発事業を起こす前の出来事なのです。

つまり、再開発事業が始まる前は、この場所にあったものは、終戦後からの闇市の時代からの不法占拠のバラックだったのです。

不法占拠しているのは、いわゆる三国人と呼ばれる人で、大阪市の行政は、何食わぬ顔で人の土地に居座る彼らに多額の立ち退き料を血税から支払い、これらのビルを建設したのです。

          
         「大阪駅前ビル」の配置図 上がJR大阪駅。

そのビルは、現在は、パチンコ屋やサラ金業者がはびこり、その同じビルに、地方公共団体の事務所や公共施設が同居している現実、そして空室が多い現実は、憤慨と同時に滑稽でさえあるようです。

しかし、その中で例外があるのです。
無法地帯の不法占拠を力で押し通した人物がいました。
かっての「丸ビル」のオーナーだった吉本晴彦氏で、間違えそうですが、あの吉本興業とは関係はありません。

この地の大地主であった吉本氏は、一向に立ち退かない不法占拠された土地に業を煮やして、ブルドーザーで強制的にバラックを破壊、撤去させました。
裁判沙汰になったのですが、最終的には吉本氏が勝訴し、逆転無罪を勝ち取ったという一連の出来事を「梅田村事件」と称しているのです。

もちろん、暴力団も絡んでいたようですが、「力には力を」で、自分の財産を取り戻し、世間の人々は、拍手喝采をしたとか・・・・

 その吉本氏は「ドケチ社長」としても有名で、自ら「大日本ドケチ教」の教祖と呼んでいたとか・・・・・



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