先日、農林水産省が、平成20年の食料自給率(概算)を発表しました。
それによると日本の食料自給率は、41%だそうです。(カロリーペース)
言うまでもなく、江戸時代の食料自給率は100%です。
では、この時代の食事は、一体どのようなものだったのでしょうか?
江戸時代の食事は、江戸前期は、朝夕二回(朝が午前8時頃なのですが、夕食は午後2時ごろから5時頃まで、説がまちまちです)で、「朝夕」という言葉自体が食事を表していました。
江戸末期、庶民の食事風景
1日三食が一般的になったのは、江戸中期になってからと言われています。
赤穂浪士が討ち入り後、各大名家にお預けになった時、各大名家の記録に、朝、夕、夜食の3度出されていることが、記録に載っています。
つまり、「朝夕」に「夜食」を加えられ、それがやがて、朝、昼、晩の三食になったのです。
当時の江戸の庶民は、一般的に朝がご飯と味噌汁、昼は、朝の残り物で済ませ、夜がご飯、味噌汁と野菜の煮物か焼き魚などのおかずが一品程度だったと思われるそうです。
大名家(柳沢家)の記録では、朝は1汁3菜、昼は1汁5菜、夜は1汁3菜と記録に載っています。 やはり、大名家と庶民とは、大きな違いがあったようですが、普通の武士階級は、一般庶民とあまり変わらなかったようです。
今から思えば、当時、白米は、贅沢だったように思われているのですが、江戸の町においては米は主食として庶民の間でも普及していました。
ただし、地方(田舎)では、それほど米が食べられたということは、ないようです。
地方から江戸に出てくる人の中には、白米が食べれる生活への憧れを抱いて出てくるものも少なくなかったようです。
「三白」と言われる代表的な食材がありました。
米、大根、豆腐で、この三食品は、一日の食事にかなりの頻度で登場しています。