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大阪の地名と成り立ち ⑪ -日本橋ー

2010年02月12日 10時43分52秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

大阪の「日本橋」の読み方は、「にっぽんばし」ですが、東京のそれは「にほんばし」と読みます。

読み方にも、それぞれの背景があります。
東京の場合は、もともと「二本の橋」であったそうで、それが次第に「日本橋(にほんばし)」と呼ぶようになったそうです。

大阪は、初めから「日本一」を意識して呼ばれ、最初に架けられたのが、豊臣時代であり、秀吉の意向が多分にあったようです。

  
   地下鉄千日前線 ”日本橋駅”の液晶表示板     
日本橋界隈

もっとも、最近でも日本橋1丁目を「日本一」と呼んでおり、大阪人の「日本橋」の思いは強いのですが・・・・
その割には、今は少々分かりにくいところにあります。
というのも、道頓堀川沿いの繁華街が途切れるところにあるため、日本橋を目当てに訪れことは、あまりないようです。

それよりも、近くにある古本書店街や電気街、それに黒門市場の方が有名になっています。 黒門市場については、後日書きます。

江戸の日本橋は、東海道の起点であり、大阪の日本橋は、熊野へ向かう紀州街道のスタート地点となっており、どちらも、江戸時代は「公儀橋(幕府が管理する)」であったことからも、重要性が分かります。

しかし、当時の日本橋の南詰めは、重罪人の罪状を書いた高札場があり、橋の上で罪人がさらしものにされたようです。
近くの千日前には、刑場や墓所があったのですが、明治4年に廃止され、跡地が盛り場として賑わうと、日本橋界隈はますます栄えてきました。

得てして、昔、刑場とか墓場であった所が、廃止されると盛り場になるのが、多いようです。



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