徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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歴史が眠る、もう一つの京都

2007年10月25日 13時49分24秒 | 西国三十三ヶ所巡礼の旅

昨日の続きです。
三十三間堂をあとにして、昼食を食べようと食堂を探しましたが、付近にはありません。 
お寺の前とかイベント会場の付近には、食べ物屋があるものと思っていたのですが、どうやらこの考えは間違っていたようです。

うどん屋かフアミレスがないか、豊国神社に向かって大和大路を北に上って行く事にしました。
途中にフランス料理店がありましたが、コースが3000円でした。
ここを通り越して、とうとう豊国神社の前まできましたが、ありません。
耳塚を見て、当たりを探すと、神社を100mほど過ぎたところに小さなうどん屋を見つけ、そこで昼食を取ることとしました。

店内は、修学旅行の中学生らしき女学生が8人ほどいたのですが、それで店内は一杯で、カウンターに座ることとしました。
主人曰く「このあたりで食べ物屋は、流行らないからありませんよ。 付近の住人は、年寄りが多く、食べに来ません。 元来、京都人はケチなんです」と・・・・

  
   豊国神社の唐門             方広寺の鐘楼

食事をそこそこに済まし、豊国神社にお参りに行きました。
太閤さんの神社らしく、唐門は、立派ですが、参詣者は少なく、寂しい限りです。
この神社は、豊臣滅亡後、家康によって取り壊されましたが、明治13年に再建されました。
立派な唐門は、伏見城の遺構で、国宝です。

隣に方広寺がありましたが、そこはもっと寂れていて、本堂の屋根は傾いていました。 わずかに大きな鐘楼が、大仏の大きさを偲ばれるだけでした。
「国家安康、君臣豊楽」の銘文が刻まれて、この文字が歴史を大きく左右したことも忘れさせるようでした。
同じ太閤さんのゆかりの土地でも、大阪城の賑わいに比べると、この静けさは何なんでしょうか?

  
  六波羅密寺 左下は清盛塚        
境内にある念仏石

ここを又、北に15分ほど歩いて、五条通りを抜けると、六波羅密寺があります。
西国17番札所で、ここの本尊は、十一面観音立像(国宝)で病魔を鎮める仏さんですが、12年に一度しか開帳されず、次の開帳は2012年だそうです。
平清盛ゆかりのこの寺には、清盛の塚や宝物殿には、清盛の坐像や開祖した空也上人像や地蔵菩薩があります。
ここも、輝かしい歴史と裏腹に、寂しい佇まいでした。

京都には、歴史が静かに眠っています。 
多くの遺跡や旧跡も、人気があり、賑やかなところもありますが、今日回ったところは、歴史の脚光を浴び、その重さにも関わらず、現在に取り残されたところでもあったようです



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