亀石から自転車で2,3分の距離でした。
当初は、左手に見えるのが橘寺と思ったのですが、そこは川原寺跡で、橘寺は、道路を挟んで真向かい、道路から右手にありました。
橘寺の全景
橘寺は「新西国三十三か所」のお寺で、「西国三十三か所」に比べると、その選定の歴史は新しく、昭和7年(1932年)に聖徳太子の和の道を基準に、当時の神戸新聞、京都日々新聞、大阪時事新報の新聞連合が、一般読者の意見を入れて選定されたものだそうです。
後で訪れる「飛鳥寺」も「新西国三十三か所」のお寺です。
他には、大阪の天王寺、太融寺、水間寺、や道成寺、鞍馬寺などで、歴史は古く、有名なお寺が名を連ねています。
お地蔵さんの後ろに橘寺が・・・ 本坊から東門を望む
さて、この橘寺は、新西国三十三か所のお寺に選ばれるのは当然なお寺なのです。
というのも、このお寺は、聖徳太子の生誕の地と言われているからです。
本堂(太子堂)は、元治元年(1864年)に再建された建物で、本尊として聖徳太子像が安置されているそうです。
本堂前の太子の愛馬像 二面石 右と左を向いていますが・・・
境内には、太子の愛馬「黒の駒」があり、二面石というのもあります。
高さ1m程の石像で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているそうです。
はっきりと人の顔とは見えませんが、そう言われれば、そのように見えるようです。
往生院に安置されている左に聖徳太子像 往生院の天井 新しく鮮やか
又、往生院(新しく建てられたようです)には、昭和42年に村人が寄贈した聖徳太子像が安置されていますが、この像が何時造られたのか不明で、色々と訳があるようで、各地遍歴してきた放浪の仏さんだったようです。
余計なことですが、最近、聖徳太子は、架空の人物と言われ出しています。
誰かが作った伝説の人物だそうですが、真偽のほどは分かりません。
これでは有難味がなくなります。 神話もそうですが、それはそれで、そーっとしておいた方が良いのではないでしょうか?
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