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映画 「 柘榴坂の仇討 」

2014年09月23日 15時45分09秒 | 映画・社会

時は、江戸末期から明治の初め、動乱と新しい時代の幕開けの明治維新。

先週見た映画 「るろうに剣心 」は、同じ時代でも、新しい時代への動乱を描いた、”動”なる映画でしたが、今回の「 柘榴坂の仇討 」 は、新しい時代になっても、武士としての魂を捨てず、忠義を貫こうとする、”静”なる物語となっています。
ネタばれがありますので、承知ください・・・・・・

   

安政7年(1860年)3月3日。
江戸城桜田門外で、時の大老、井伊直弼(中村吉衛門)の登城途中の行列を18名の水戸脱藩藩士らが襲います。
その時、主君直弼の駕籠を警備していた志村金吾(中井貴一)だけは、刺客の一人を追いかけ、持ち場を離れたため、生き残り、主君を守り切れなかったことを悔やみます。

そのため、仇を討つ密命を受け、切腹もさせてもらわれず、襲撃一味を探し求めることとなりました。
武士の矜持を持つ金吾は、妻のセツ(広末涼子)の助けもあり、敵を探し続けます。

明治に入り、警視庁を退職した秋元(藤竜也)から事件の顛末を聞くことが出来ました。
それによると、伊井直弼を襲撃したのは、水戸浪人が17名、薩摩浪人が1名の18名。
うち、当日斬られたものが2名、自決したものが4名、自訴して切腹したものが7名、残り5名が行方不明でした。

そして、事件後13年経ち、襲撃した水戸脱藩藩士らの多くは亡くなり、残るは佐橋十兵衛(阿部寛)だけとなります。

水戸浪士 佐橋十兵衛は、直吉と名を変え、車夫として身をやつし、孤独の中に生きていました。

 

  


この13年間、時代は大きく変わり、徳川も井伊家も無くなり武士という価値観もかわり、ましてちょんまげも刀の帯刀も禁止されている中志村は昔ながらの武士として、本懐を遂げるべき奔走します。

そんな中、明治6年2月7日、仇討禁止令が布告されます。
そして、仇の最後のひとりの男 佐橋と出会った志村は、佐橋の人力車に乗り、柘榴坂で降ります。

二人は、お互いの思いを込め対峙します。
佐橋は、桜田門外での襲撃の際、訴状を出して、行列を止めた張本人で、その時、志村は、直弼から聞いたことを佐橋に伝えると、二人の戦闘意欲はなくなり、お互い涙します。

「かりそめにも命を賭けた者の訴えをおろそかに扱うな。  よしんば、その訴えで命を落とそうとも甘んじて受けるべき・・・・・」