徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画「武士の家計簿」・・・

2010年12月10日 16時15分52秒 | 映画・社会

映画「武士の家計簿」を見てきました。
テレビなどでかなり前から宣伝しており、コメディタッチと思っていたのですが、どうやらホームドラマのようでした。

なにしろ、武士が剣術ではなく、”そろばん”で身を立てるということ事態が以外であり、借金返済のため家財道具を売り、日ごろから節約、倹約に苦心している様は、現在に通じるものがあり、その点どのように表すのか興味がありました。

   
  ポスター                  経費節減で、料理の鯛は絵を描いて出されました

しかし、当たり前のことですが、一国の組織には、経理処理する武士が居てもおかしくはないのですが、その経理担当の武士が、教室に机を並べているように、多くの武士がかしこまってそろばんをはじき、その音が一斉に鳴る様は、少々驚きでした。
これらの人たちは、下級武士が多く、算用者と呼ばれていました。

この映画のプロローグは、明治に入り、海軍主計大監となった猪山成之(伊藤祐輝)が、父直之についての思い出を語るところから始まります。

 

直之(堺 雅人)が、父信之(中村雅俊)や母 常(松阪慶子)おばばさま(草笛光子)らに囲まれて食事する様子から、思い出は始まります。

猪山家は、信之ー直之ー成之と続きますが、ヒラの信之が切米40俵であったものが、直之の代になり「御次執筆」や「婚礼御用」を務め、目覚ましい出世をします。

猪山家は、その主家、前田家に婚礼があるたびに加増されました。

しかし、そこに行くまでには、色々な出来ごとがありました。
上司の不正を暴くことや城主の婚礼にも色々と工夫し、お城の経費節減につなげます。
加増があるたびに、付き合いなどの費用がかかり、知らぬ間に多くの借金が出来ます。
特に借金の整理は、この時代としては、武士としては、当たり前のことなのだったのでしょうか?

江戸時代の武士が借金を抱えていたことは、よく知られています。
大名や旗本も裕福な町人から借金し、権威を喪失してゆきました。
では、普通の武士はどうだったのでしょうか?

この映画の元となった磯田道史著の「武士の家計簿」によると、当時の普通の武士の借金は、町人からもあったのですが、同僚の武士や親戚からも借りているようです。

猪山家の借金は、その時、年収の2倍だったそうです。
借金整理は、計画的にしなくてはならず、家族の協力が大事です。
その点、家族が一つの問題を共有し、お互いに協力する様は、現代の家族にはないものがあるのではないでしょうか?

「二度と借金を背負わないように計画的に家計を管理しよう」と直之の言葉で、以後完璧な家計簿をつけ始めたようです。

これが、廻りまわって神田の古本屋に並んでいたのを、この原作者が購入しました。
これも、直之の決断のお陰といえます。

 この決断に、家族全員が協力します。
直之の父母やおばばさま、それに一番積極的なのが嫁の駒(仲間由紀恵)で、彼女の明るさがこの映画に、一服の清涼剤的な役目がありました。

体面を重んじる武士の世に、世間の嘲笑を浴びながらも知恵と工夫で日々の暮らしを前向きに乗り越えようとしている様子がこの映画で良く分かりましたが、これは原作のごく一部です。
今までの時代劇のようにチャンバラもなく、一般的に知らなかったごく普通の武士の生活 が、淡々と話が進みます。

映画では、まだあらわされなかった部分が、原作にはまだまだあります。
次回には、映画ではない部分を追々書いてみたいと思います。