一昨日はオフ会ならぬ親子会。
子カメ達と一緒に、赤レンガ建造物好きにはたまらない富岡製糸工場に行って来た。
↑正門前
↑製品を検査する人の宿舎「検査人館」を一部改造した受付。
入場料は、大人500円、学生250円。
↑検査人館内部
白が基調の涼しげな造り。
ああ・・中に入りたい。
↑向かって直ぐの東繭倉庫のキーストーン
明治五年・・・明治五年でこの建造物!
その頃はセメントがなかったので、日本古来の漆喰でレンガを積み上げて行った。
フランス積。
↑この東繭館から、ガイドさんの案内に従って見学する。
↑女工館
明治6年、フランスから招いた女性技術者の宿舎として建てられた。
コロニアル様式。
格子状に組まれた天井が、さわやかな風を誘うようだ。
↑女工館のガラス
ガラスの技術がなかった当時、すべてフランスから輸入された。
↑繰糸場
明治5年の建設時のまま残されている。
↑繰糸場の天井
通し柱と三角に組まれた柱とで屋根の重さを分散させるトラス構造。
このため、屋内に柱がなく作業効率を上げることが出来た。
採光のためのガラス窓がふんだんに用いられ、大きな建物であるにも関わらず非常に明るい。
↑昭和62年まで操業していた機械
当初の機械は別の博物館に展示されている。
↑「目標粒付9.1」と言うのは、約9個の繭から一本の糸を紡ぐってことらしい。
↑何やら可愛い赤いバルブ
↑繭から糸先を手繰り寄せる機械
↑糸先を見つけられた繭は、このバゲットに入れられて各機械に落とされて行く。
↑繰糸場と東繭倉庫
↑製糸上裏手には川が流れている。
この清流こそが、この地に官営の製糸場を招いた。
↑病室
南向きの開放的な病室で、
「此処に入院してみたい!」
と、思わず三人で叫んでしまった。
↑東繭倉庫にある計量器
↑乾燥場
乾燥とは熱風を当てて蛹を殺すこと。
買い入れられた繭は、先ず此処で処理された。
↑東繭倉庫と相対して建つ西繭倉庫
それにしても壮大だなぁ!
東京国立博物館本館みたい!
↑煙突
現存するのは、昭和14年に建造された鉄筋コンクリートのもの。
しかし、当初の煙突は4.4メートルのレンガ積の基礎に、36メートルの鉄筒を積んだものだった。
当時にして40メートルほどの高さだったのは、煤煙による生糸の汚れ防止と従業員や周辺住民への配慮だったと言われる。
↑鉄サビの赤と植物の緑
こんな無機質なところからも草は生える。
↑鉄水槽水溜め
当初はレンガで造られていたが、明治8年、造船の横浜製作所が建造した。
鉄板の接合にはリベット留めが用いられている。
・・・此処で思い出してしまった、
そう遠くない昔に、リベット留めのアエロフロート機に乗った時の恐怖を。
マジでボロボロだった。
↑モーター兄弟♪
↑古い古いショベルカー
近くに寄りたいが、「関係者以外立ち入り禁止」の柵に阻まれて行けない。
警備員もやたらと多いし・・(汗
そんなこんなで、充実の見学を終え富岡製糸工場を後にした。
そうそう、東繭倉庫のところで
「富岡市役所の者ですが、モデルになっていただけませんか」
と声を掛けられた。
「女工の恰好をした職員から案内パンフレットを受け取るところを撮らせて欲しい」と。
持ち前の好奇心でヒョイヒョイ着いて行って(アホ!)3人のカメラマンに撮られたから、何かに載るやも知れぬ。
↑折角だからと、富岡銘菓を買おうと和菓子屋さんに入った。
そこで、レトロな販促冷蔵庫発見!
↑先の和菓子屋さんのオススメで向かったのが、橘源氏庵。
シルク入りうどんが美味しいって。
↑うどんがツヤツヤ・シコシコで美味しかった。
お昼ごはんを食べても時間が余っていたので、近くの高崎観音にお参りすることにした。
↑関東八十八ヶ所霊場第一番。
ちなみに、ウチは二十一番。
↑出ました!白衣観音!
↑観音ビーム、発射~!
↑慈眼院本堂
↑光音堂
此処の金色の観音さまは縁結び観音だそうな。
↑金ピカの観音さまよりご利益ありそうな地蔵さま。
そんなこんなでカメ親子らしい一日を満喫した。
そう言や、製糸工場と言うと「ああ!野麦峠!」や「女工哀史」などが先に出て、つい「過酷な労働を課せられ可哀想な女工さん」と頭に浮かぶが、それは民営製糸工場の話で、官営の富岡製糸場では女工さんの待遇はとても良かった。
明治初期にしてこの近代化された建物内で働けるのは、解体された藩士の子女であり、有能な女性ばかりだった。
当時にして最先端の建物、工機、そしてフランス人技師、エリート女工・・・明治26年に三井家に払い下げられるまでは、華やかな光景が繰り広げられていたことだろうと想像する。