民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

人生という物語

2005-07-20 09:12:29 | 民俗学
 10人いれば10の、100人いれば100の物語がそこに生まれる。とりわけ女性は、出会ってしまった男性によって大きく物語を展開させていく。ゆうべお話をうかがった女性には、掛け値なしで感動を覚えるとともに、土着とは何か考えさせられた。(主人公の女性は、40代半ばと思われる。)
 主人とは、同じ会社で知り合って、私は後妻として嫁に入ったのよ。お婆さんは、嫁にくる何年か前になくなっていて、お爺さんが小学校3年と1年の2人の孫を育てていた。私は、初婚で嫁にいったとたんに、2人の母親になったわけよ。おじいさんは私に、子どもは作ってくれるなといったわ。そりゃそうだ、男手で子どもを育てるのに苦労していたからね。それでも私は子ども産んだけどね。だから、学校とは本当に長い付き合いだ。地区じゃ、学校の役員の主みたいなもんだ。何年も学校出してる間に、役員を何回もやってるから。血のつながらない2人の子も一生懸命育てたけど、今結婚して27.8になるかな、やっぱし別れた実の母親のほうがよくて、大きくなったら結局そっちについちゃった。くろうしたって?私はのんきで、ぼうっとしてるから感じなかったわ。
 私はマチで育ったのに、嫁に来たのはこんな山の中。おじいさんはよく、マツタケの話なんかするわけ。話聞いてるだけじゃと思って、自分でもとろうと思った。え、シロ教えてくれたかって。そんなもの教えてくれるわけがない。山のはじからはじまで歩いて捜した。今でも、山の隅から隅まで歩いてとる。主人はシロしか歩かないから、そこでとれんとダメだけど、私は全部歩くから新しく生えるところがあったりして、結局今じゃ私の方がたくさんとります。春は山菜、秋はきのこを山でとって売れば仕事になるけど、それ以外のときは仕事なくて困るね。
 嫁にきたときは、何で年寄りと一緒に暮らすのか思ったこともあったが、当時は当たり前のように思われていたね。あのころ嫌だと思っていた私が、今じゃ近所の新しい嫁さんにどうやったらここに居着いてもらえるかって思ってる。おかしなもんだね。