民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

伝承とは何だ

2005-07-18 15:49:29 | 民俗学
 オブザーバー参加させていただいている、山田伝承会(山田地区の伝承を掘り起こし受け継いでいこうとする山田の皆さんの勉強会)の皆さんと、山田に上るふもとの村平瀬(この村は胡桃沢勘内が生まれたことで知られる。勘内は平瀬麦雨というペンネームも使用)などの、御岳教を崇敬する講の人々が、山の斜面に作った八滝神社と、その奥にある今は水が枯れてしまった八滝を巡検する。
 公民館に集合するときから、伝承は始った。「オラホノセ、水神様はどこだい」「ホーカイ、そりゃね~」と、周囲の風景を見ながら、次々に話が展開していく。そして、集まって人々皆に「オラホノ~」といった、まるで今はいない家族について語るような神や事物に対する親近感と、村人としての連帯感がある。多分、伝承とはこうしたものなのだろうが、山田においても、意識的に伝承を伝えようとしないと、忘れられてしまうのだという。多分、数百年の言い伝えが途絶えんとする、切っ先の部分に今私たちは立ち会っているのだろう。
 みちなき道を踏み越えた突き当たりに、トンネル工事の結果水が枯れた八滝はあった。そして、辺りの山肌には半分埋もれたり、ひっくり返った石造物がたくさんみられた。八百万の神といってよいほど、多数の神々だ。ふもとの村の、山に寄せた信仰心の強さがうかがえた。沢や尾根は違うものの、山田の子ども達はこの急峻な斜面を毎日上り下りして、平瀬の小学校に通ったのである。毎日登山をしているようで、いまからは想像もつかない。この通学について、伝承会の会長さんが夢のような話をしてくれた。
「これくらい(太さ10センチほど)のクヌギの木は、上へ登ると弓のようにしなるだいね。しなった木につかまって次に木につかまる、そうしたらまたその木をしならして次の木につかまる、まるでターザンのようにして、土の上に1度も降りないで山田からふもとの平瀬まで下りたこともあったいね」