民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

国家神道とは何か

2017-02-10 08:15:40 | 民俗学

 高額医療費の申請、難病申請など、病院drの面会、そうじ洗濯、同居する息子の分も含めた食事の用意などをしていますと、なかなか忙しい日々です。昨日は保健所への難病申請で不足書類があり、市役所との間を雪の中を二往復したら、疲れました。

 さて『折口信夫』から派生して、島薗進『国家神道と日本人』を読んでおりますが、9日の朝日新聞で「揺らぐ政教分離」というテーマで、島薗さんのロングインタビューが掲載されました。今回はそれについて書きます。島薗さんの発言は、現政権と日本会議、神政連などがめざす復古的な日本の姿に危機感を感じてのものでしょう。同じ日に、「大阪の国有地 学校法人に売却」「金額非公表近隣の一割か」という記事も掲載されました。土地を買ったのは、安倍晋三の妻昭恵氏が名誉校長を務める森友学園で、日本で唯一の神道の小学校を建設するのだという。ちなみに教育理念は、「見本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」だという。私は、さらに恐ろしくなります。島薗さんの発言は、国民の祝日を天皇家の祝祭日と重ねることは、敗戦とともにリセットされたかに見えた、呼び方を変えながら温存され復活してきているなど、今回私がある本に書いたことと重なるものでした。(昨年8月に出版社(八千代出版)に送ってありますが、他の執筆者の原稿がなかなか間に合わないようで、まだ初校が出ません。まさか最近の情勢に鑑みて没となりましたなんてことはないと思いますが。もちろん出版のあかつきには、お知らせします。)記事の中で初めて知ることもありました。

-2013年の伊勢神宮の式年遷宮の際、安倍首相は「遷御の儀」に参列しました。現職首相の参列は、1929年の浜口雄幸首相以来でした。
 「神道で国家行事を行うようなもので、憲法が定める政教分離に照らして大きな疑問のある行為です。16年のG7サミットも伊勢志摩で行い、伊勢神宮で、通常は入れず正式な参拝の場である『御垣内』に各国の首脳を導いています。外交行事に特定宗教を持ち込んだという疑念がぬぐえません。」 

 サミットの直前に伊勢へ行ったのに、まさかそんな事が行われることになっているとはわからなかったです。現天皇家の氏神である伊勢神宮を国家(国民)でまつることによって、日本全国が天皇を崇敬する民であることを確認する。信教の自由などあったものではないです。それを当然のこととしていた成長の家の思想を叩き込まれた、稲田朋美が防衛大臣だというのは、驚くべきことです。「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と述べる大臣です。きっと沖縄は、琉球処分に従わない魑魅魍魎の跋扈する蛮族の支配する土地だとおもっているでしょう。

 伊勢神宮と政治とのかかわりをみると、民間ではそんなに密接に結びついたものではなかったと思うのです。伊勢だといっても八百万の神のなかで特権的な位置をしめていたわけではなく、伊勢講は庚申講や秋葉講などと並ぶ講の一つだったと思うのです。お陰参りという幕末のブームで流行神として全国にはやったことはあるにしても、ムラに祀られる神の一つであったと思います。そこから気になるのは、明治の神社合祀です。小さな神社を合祀して村に一つとし、国が格付けを与えたものです。『日本民俗大辞典』では、次のように書いています。

神社合祀 神社を政策的に他の神社へ合併させ、祭神を合併した神社で合祀して祭祀すること。江戸時代にいくつかの藩で試みられたが、歴史的に注目されるのは、明治末期に内務省神社局が主導して全国的に実施された合祀政策である。その規模は1903年(明治36)から1914年(大正3)の十年間に限っても、府県郷村社が六千社余り減少し、無格社は六万五千社余り減少した。全国で約十九万社の神社が約十二万社になった。無格社は半減した。(中略)地方改良運動が内務省地方局の主導で始まると、神社は行政市町村の団結強化のための施設と位置づけられるようになる。「神社中心説」である。そのために神社は一町村一社への合祀と、さらに神社名の町村名への変更も試みられていく。行政イデオロギーによって強圧的に遂行されていった場合も少なからずみられた。神社が行政の一つの設備ととらえられていった。(後略)

要するに、村に一つの神社に合祀し、行政の末端を担わせたのですが、私が気になるのは、合祀に合わせて天照大御神が祭神ではなかった神社にも祭神として潜り込ませたのではないかということです。普段は自分が何を拝んでいるのか人々は考えませんが、裏では実は伊勢神宮を頂点とするヒエラルキーの末端に絡み取られている、という構図ができあがったのではないかと思うのです。明治国家を構築するために作られた神のヒエラルキーが、いつのまにか伝統のごとく語られてしまいます。おまけに、諏訪大社上社前宮が伊勢神宮の払い下げを受けて造られているように、伊勢の神に追われて諏訪に閉じこもった神を祀るのに、伊勢からの払い下げを受けてしまうような、卑屈な意識まで身に着けてしまったのです。

 明治に創作された国家神道なのに、その甘いにおいを知っている人々、甘い匂いに引き寄せられてしまった人々は、特に支配層に多いと思われ、こいつを払拭するのは簡単ではありません。