民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

晴天の霹靂

2017-02-04 14:20:00 | その他

 昨年の夏ころから妻の体調がすぐれず、持病の腰痛がよくなることがありませんでした。整形外科、治療院、などいくつも通いましたが、好転しません。というより、痛みはひどくなり筋力が全身で弱まっているみたいです。おまけに、震えが止まらない時があります。疲労感は半端でなく、最近では台所で30分も調理していると横になって休まないといられなくなってしまいました。単なる老化や腰痛とは思われず、ネットで調べてみますと、思い当たる病名がありました。パーキンソン病です。これは大学病院で複数の医師の見立てを検討してもらったほうがいいと考えましたが、今は紹介状なしに直接大学病院に行くとお金も時間もかかるようになっています。仕方なく、行きつけの病院の心療内科で診察してもらい、そこの紹介を経て昨日から大学病院に検査入院しています。これから長い闘病生活の始まりです。一番苦しいのは本人ですから、私も頑張らなければと思います。

今になって思い出されるのは、亡くなった父の言葉です。75歳ころ母が多発性脳こうそくで、体が不自由になりました。父がその後私に「おふくろの面倒は俺がみるから、心配しなくていいでな」といいました。介護のことで、私に心配をかけまいと、並々ならぬ決意で私に告げたものと思いますが、当時私はその言葉をそんなに重く受け止めることができませんでした。今になって、その言葉の重みがやっとわかりました。そして、同じことを自分の子供たちに伝えました。彼らは若く自分自身の暮らしがありますから、そんなには深刻に受け止められないでしょう。でもそれでいいのです。人間には順番というものがあります。年上の者が先に病み、先に亡くなっていくのです。それをこの辺の人々は、「ジュンノメだでな」といいました。年寄りがなくなっても、自然の節理、「ジュンノメ」自然な順番なのです。そう思わなかったら、まだ介護が続いている者が、それから解放されないうちに、自分が介護されなければならなくなるなんて、長生きがほめられるとはいえませんし、安心して年がとれません。妻と妻の妹で分担して介護していた義母は、妻の妹だけに負担をかけることになりました。急きょ、いくつもの施設に入所申し込みをしましたが、どこも多くの入所待ちの人がいるといいます。ギリギリまで在宅介護をして、限界になった者はどうすればいいというのでしょうか。介護者が、被介護者を手にかけてしまうのもわかります。