今日は筆者が以前から気になっていたペーター・ヤン・マルテ(Peter Jan Marthé/1949~ )指揮ヨーロピアン・フィルハーモニックのブルックナー交響曲第3番(マルテ版)の写真のCDについてふれてみたい。
指揮者のペーター・ヤン・マルテはオーストリアの作曲家、オルガニストでもあり何でもあのセルジゥ・チェルヴィダッケに心酔し薫陶も受けたと言われている。ブルックナーの交響曲に独自の感性、解釈を持って取り組みこの「第3番」も彼自身の「マルテ版」による演奏で実にユニークで我々が通常慣れ親しんでいる「ノヴァーク版」や「エーザー版」とは全く異なるものだ。全般的な特徴としてオーケストレーションの大胆な改変、従来第2楽章に置かれた「アダージョ」と第3楽章「スケルツォ」の順序も入れ替えて演奏する等々、賛否が分かれる彼自身の手法で演奏している。しかも全曲演奏時間が約88分(一番長いとされるノヴァーク版第1稿1873年版でも平均70分前後)も要するCD2枚組の途轍もない「第3番」である。因みに各楽章の演奏時間は第1楽章27:58/第2楽章12:08(スケルツォ)/第3楽章27:00(アダージョ)/第4楽章20:33である。
しかもこの演奏は2005年8月19日、ブルックナーゆかりの地オーストリア、リンツ郊外聖フローリアン大聖堂にコンサート・ライヴ録音でオーケストラはかつてユーディ・メニューインによって創設された有能な若者たちで構成された「ユンゲ・エステルライヒッシェ・フィル」が母体の「ヨーロピアン・フィルハーモニック」である。
ブルックナー好きの筆者もこの聖堂には何度となく訪れたが聖堂の地下に眠るブルックナーの「棺」に対面すると不思議と何とも表現しがたい緊張感につつまれる。この演奏を地下で聴いたブルックナーはひょっとすると苦笑いしていたかも知れない。しかしこの演奏はブルックナー・マニアにとっても賛否両論はあるにしても実に斬新で興味深い演奏の一つであろう。(写真/PREISER RECORDS(オーストリア)2CD-PR90715)
指揮者のペーター・ヤン・マルテはオーストリアの作曲家、オルガニストでもあり何でもあのセルジゥ・チェルヴィダッケに心酔し薫陶も受けたと言われている。ブルックナーの交響曲に独自の感性、解釈を持って取り組みこの「第3番」も彼自身の「マルテ版」による演奏で実にユニークで我々が通常慣れ親しんでいる「ノヴァーク版」や「エーザー版」とは全く異なるものだ。全般的な特徴としてオーケストレーションの大胆な改変、従来第2楽章に置かれた「アダージョ」と第3楽章「スケルツォ」の順序も入れ替えて演奏する等々、賛否が分かれる彼自身の手法で演奏している。しかも全曲演奏時間が約88分(一番長いとされるノヴァーク版第1稿1873年版でも平均70分前後)も要するCD2枚組の途轍もない「第3番」である。因みに各楽章の演奏時間は第1楽章27:58/第2楽章12:08(スケルツォ)/第3楽章27:00(アダージョ)/第4楽章20:33である。
しかもこの演奏は2005年8月19日、ブルックナーゆかりの地オーストリア、リンツ郊外聖フローリアン大聖堂にコンサート・ライヴ録音でオーケストラはかつてユーディ・メニューインによって創設された有能な若者たちで構成された「ユンゲ・エステルライヒッシェ・フィル」が母体の「ヨーロピアン・フィルハーモニック」である。
ブルックナー好きの筆者もこの聖堂には何度となく訪れたが聖堂の地下に眠るブルックナーの「棺」に対面すると不思議と何とも表現しがたい緊張感につつまれる。この演奏を地下で聴いたブルックナーはひょっとすると苦笑いしていたかも知れない。しかしこの演奏はブルックナー・マニアにとっても賛否両論はあるにしても実に斬新で興味深い演奏の一つであろう。(写真/PREISER RECORDS(オーストリア)2CD-PR90715)
ところで、第9番も気になりませんか? 第4楽章を他の交響曲からの引用も含め指揮者が再構成し、演奏時間4楽章計で100分を超える代物らしいですよ。
ご指摘の「マルテ版」の「第9」については当初はちょっと気になりましたが未完の「第4楽章」をマルテ自身が作曲構成したとのことなのでそこまではいくらなんでも「やりすぎ」と思っています。
先日某CDショップ店頭でのクリアランスセールで、気になっていたマルテ版「第9」を\990で入手しました。
第3楽章終了の余韻に浸る間もなく、待ちに待った第4楽章へと心を身構えます。始まった!何だこりゃ!?!?!?!?
既出の補完版やテ・デウムの時よりはるかに違和感を感じます。
音楽自体はなかなか面白いのですが、この第4楽章を前3楽章の続きとして聴くと、ずっこけてしまいます。
でもこれでやっとすっきりしました。買って後悔はしていません。