クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

安永徹&市野あゆみ デュオ・リサイタル

2014年05月22日 | 音楽と絵画、iPodなど

5月17日(土)、ベルリン・フィルのコンサート・マスターとして活躍した安永徹氏と、ベルリンを中心に国際的に活躍している市野あゆみ氏のデュオ・リサイタルに出かける。
曲目はベートヴェンの「スプリング・ソナタ」、ブラームスのソナタ第一番「雨の歌」、フランクのヴァイオリン・ソナタという定番中の定番が揃ったもの。
期待にたがわない素晴らしい演奏に酔いしれてしまう。
特に安永氏のヴァイオリンの奥の深い甘い音色と、市野氏の左手の強い響きのピアノには圧倒されるばかり。
久しぶりの室内楽の演奏会だったが、聴けば聴くほど味わいの深いものだったと思う。
欲を言うと、老齢の私にはもう少しテンポをゆっくりにして、溢れんばかりにメロディーを歌わせて欲しかったということだけ。
また出かけたいと思う価値のあるコンサートだった。

宗像・沖ノ島と関連遺産群を歩く

2014年04月20日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★★ 2月25日~2月27日
宗像大社 → 高宮斎場 → 辺津宮 → 神宝館 → 海の道むなかた館 → 鎮国寺 → 神湊港 ~ 大島港 → 中津宮 → 御岳山展望台 → 沖津宮遥拝所 → 大島港 ~ 神湊港 一 東郷高塚古墳 → 田熊石畑遺跡 → 桜京古墳 → 新原・奴山古墳群 → 宮地嶽古墳→ 在自唐坊跡展示館 → 竹原古墳

宗像の地は中国や朝鮮に最も近く、その貿易や進んだ文化の受入れ窓口として、重要な位置にあったと言われている。
「日本書紀」には、天照大神が「天皇の祀り事を助け、丁重な祭祀を奉じなさい」と、三女神を宗像の地に送ったことが記されている。
そんな海のみちのシンボル、宗像大社をまずは訪れる。
高宮斎場は宗像三女神の降臨地であり、沖ノ島と共に日本の祈りの原形を今に伝える数少ない古代祭場とされている。
 

宗像大社の境内には、第二宮に沖津宮の田心姫命(たごりひめのみこと)、第三宮に中津宮の湍津姫命(たぎつひめのみこと)が祀られている。
すぐ傍らにある神宝館には、沖の島の出土品が展示されている。
4~5世紀から9世紀までの大量の祭祀遺物が発見された信仰の島”沖の島”は、「海の正倉院」とも呼ばれている。
「海の道むなかた館」<写真は展示品で、蛇のような形をした”旗ざし”>では、宗像の地と大陸との交流の様子、大和王権にとって重要な意味を持つ沖ノ島での祭祀、それを担った宗像氏の存在などを展示している。
 

鎮国寺は、弘法大師が大同元年(806)に創建したと伝えられる真言宗最古のお寺だという。
「花と祈願の寺」としても有名で、年間を通じて美しい花々を楽しめる名所となっている。
神湊港からフェリーで大島港へと渡る。
 

中津宮には湍津姫命が祀られているが、そこは七夕伝説発祥の地とされいて、縁結びの御利益が有名になっている。
安昌院の境内北側に苔むす五輪塔があり、これが安倍宗任の墓だという。
奥州随一の権勢を誇った安倍貞任、宗任らは、「前九年の役」で源頼義、八幡太郎義家らの軍に敗れ、貞任は斬首、宗任はここ筑前大島に配流されて生涯を閉じている。
安倍晋三首相が、この安倍宗任の末裔だとは結構知られていないと思う。
嬉しいことに、お寺の住職が韓国渡来だという聖観音菩薩像を、わざわざ奥から持ってきて見せてくれた
  

沖津宮遥拝所から、約48km先の沖ノ島(沖津宮)を遥拝したかったが、曇り空でまったく望めなかったのは残念だった。
その沖ノ島への上陸は、今も守られる禁忌によって厳しく制限されている。
沖ノ島の古代の祭祀遺跡からは約8万点の奉献品が発見されて、全てが国宝になっているのには驚く。
次に訪れた東郷高塚古墳は4世紀後半の前方後円墳で、宗像の基礎を築いた首長の墓と考えられている。
弥生時代中期の田熊石畑遺跡<現在整備中>からは、銅剣・銅矛・銅戈の武器形青銅器が日本最多級の15点出土している。
 

色付けされた線刻三角文の装飾古墳で有名な桜京古墳を見学した後、新原・奴山古墳群に向かう。
世界遺産を目指しているという新原・奴山古墳群は、沖ノ島祭祀を発展させた古墳時代の宗像において、「海北道中」を支配した海の民のあり方を最もよく表象していると云われている。
 

宮地嶽神社にある宮地嶽古墳は7世紀中頃迄に造られた円墳だが、内部に国内2番目の全長23mの横穴式石室がある。
被葬者は、天武天皇の皇子・高市皇子を産んだ尼子娘(あまこいらつめ)の父・胸形徳善とする説が有力だ。
在自(あらじ)唐坊跡展示館を見学する。
古くから中国から来た人達や中国と貿易していた人達が住んでいた場所で、小学校の校舎を新築していたらその跡が見つかり、床に穴を開けてそのまま展示場にしているのが面白い。
 

6世紀後半に築造された竹原古墳は、鮮明に描かれた装飾古墳が有名で、国指定史跡に指定されている。
壁画の内容は4神思想や龍媒伝説など高句麗壁画の影響をうかがわせたもので、黒や朱の古代顔料で、船や龍、朱雀、馬を引く人物、翳(さしば=うちわのようなもの)などが描かれている。
  


天璋院篤姫の故郷・薩摩へ

2014年03月10日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★ 1月28日~1月30日
仙厳園 → 尚古集成館 → 南洲墓地 → 福昌寺跡 → 石橋記念公園 → 鍛治屋町歩き → 城山展望台 → 鶴丸城跡 → 日置・園林寺跡 → 今和泉島津家屋敷跡 → 今和泉島津家墓地 → 豊玉姫神社 →薩摩一宮枚聞神社 → 池田湖<薩摩富士> → 知覧特攻平和会館・ホタル館 → 知覧武家屋敷庭園

話題になったNHK大河ドラマ「篤姫」を見逃した代わりに、自分の足で天璋院篤姫の故郷、薩摩を訪ねる旅に出る。
仙巌園は万治元年(1658)に19代島津光久によって築かれた別邸で、錦江湾や桜島の眺めを巧みに取り入れた庭園として知られている。
幕末の名君、28代島津斉彬がこの庭園をこよなく愛したというし、第13代徳川家定に嫁いだ篤姫もここを訪れている。
 
 
すぐ隣の尚古集成館は薩摩藩主、島津斉彬が推進した洋式産業の総称で、斉彬が築いた集成館は薩英戦争で焼失したが、島津忠義が復興を進め、慶応元年(1865)に機械工場が完成している。
7ヶ月にわたった西南戦争は、明治10年(1877)9月24日、故郷の城山で西郷隆盛が自刃して、ついにが終わりを告げる。
訪れた南洲墓地には、西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が静かに眠っている。
 

福昌寺は曹洞宗の一大寺院で薩摩藩主島津氏の菩提寺であったが、明治初年の廃仏毀釈により破壊されてしまい、今は島津家当主の墓地のみとなっている、
戦国期の義久、義弘、歳久、家久や、幕末期の斉彬、久光などと、その正室、側室も眠る歴代島津氏当主の墓地群で、島津家を知るには絶対に欠かせない場所といえる。
 

石橋記念公園を訪れる。
江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川に5つの石橋が架けられたが、そのうち3つを移設した公園で博物館もすぐ傍にある。
藩の財政改革が成功したことと、肥後から招かれた名石工・岩永三五郎によって初めて架橋が実現したと言われている。
翌朝ホテルを抜け出し、近くの鍛治屋町を散策する。
ここは明治維新に活躍した多くの薩摩藩士が生まれたところで、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎(写真)など多くの偉人の生誕記念碑が建てられている。
 

桜島が一望できる城山展望台に行ったが、あいにくの曇りでその雄姿を眺められなかったのが残念。
城山公園を下ったところに、西南戦争で田原坂から敗走してきた西郷隆盛が立てこもり、最後の指令所とした洞窟が史跡として残っている。
鶴丸城は薩摩藩薩主、島津氏の居城跡で、城は「人をもって城となす」という島津の精神に基づき、天守閣のない質素な屋形造りで、鶴が翼を広げた形に似ていることから鶴丸城と呼ばれたという。
島津家は、鎌倉時代の地頭職、守護職から始まり、守護大名、戦国大名、そして徳川時代の近世大名と、代々薩摩大隅地方に連綿と続いた家柄で、丸に十の字の家紋はよく知られている。
 

鶴丸城跡には、島津斉彬の養女となり、徳川家定に嫁ぐまでの間、しばらく城の大奥に住んだという篤姫の銅像が建てられている。
日置・園林寺跡にある小松帯刀の墓を訪れる。
傍には妻お近、そして少し離れたところに陰で彼につくしたお琴の墓も建てられている。
小松帯刀は、小松家に跡目養子に行く前の名は肝付尚五郎と言い、ドラマ「篤姫」の中で初恋役として出演しているが、宮尾登美子の原作には一切出ていないのでややこしい。
それはともかく、彼は薩摩藩家老まで務めた人望がある人で、幕末の英国外交員アーネスト・サトウが「私の知っている日本人の中で最も魅力的な人物」と評したほどだった。
 

豊玉媛神社にお参りした後、今和泉島津家隠居屋敷跡を訪れる。
残念ながら現在は民家の門になっていて、当時を偲ばせてくれるのは近にある石垣だけだった。
今和泉島津家墓地には、初代の忠郷から忠温、忠厚、忠喬、忠剛(篤姫の父)、忠冬(篤姫の兄)までの6代の当主と奥方などが埋葬されている。
篤姫が幼少期を過ごした今和泉島津家別邸跡地、その近くの隼人松原に「幼少の篤姫・於一像」が建てられている。
  

薩摩一宮枚聞神社の祭神は大日霎貴命だが、拝殿は北向きでその先には薩摩富士(開聞岳)があるから、ご神体はこの山と思われる。
池田湖で薩摩富士を眺めるのが楽しみの一つだったが、あいにくの雨天で何も見えず、見たのは大鯰のみだった。
 

知覧特攻平和会館には、太平洋戦争も終りに近い沖縄戦で飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした特攻隊員の遺品や関係資料が展示されている。
映画「ホタル」を生んだ館富屋食堂、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂もきちんと残っている。
   

知覧武家屋敷庭園がある街並みは、260年前から変わらぬ姿を保ち続けており「薩摩の小京都」と呼ばれている。
七つある武家屋敷庭園は、それぞれの趣きが感じられ訪れる人々の目を楽しませてくれる。
 

この曲この一枚 その34 メナヘム・プレスラー Beethoven, Schubert, chopin を弾く

2014年02月08日 | この曲この一枚
 

最近注目していたメナヘム・プレスラーが、素晴らしいCDを出してくれた。
何はともあれ、まずは本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれてありがとうと言いたい。
まずはべートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調 作品110、最高の精神的な高みを感じさせる第一楽章の理想的な表現には言葉では表しきれないものがある。
最も好きなピアノソナタの一つだけに嬉しいの一言に尽きる。
次はシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960、彼の最晩年の作品だけに曲そのものの素晴らしさは当然あるのだが、やはりここまでシューベルトの思いを深く伝えてくれるその演奏の素晴らしさを讃えたい。
そしてショパンの夜想曲第21番嬰ハ短調 遺作、これはアンコールで弾かれたのだろうと思うが、聴く者の心を癒してくれる暖かさが素晴らしいい。
それぞれの曲のベスト・スリーを上げておく。
べートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 作品110
・クラウディオ・アラウ <PHILIPS>
・ルドルフ・ゼルキン <Grammophon>
・メナヘム・プレスラー <BIS>
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960
・マリア・ジョアオ・ピリス <ERART>
・メナヘム・プレスラー <BIS>
・スヴャトスラフ・リヒテル <Victor>
・ワルター・クリーン <VOX>

この曲この一枚 その33 R.Strauss 楽劇「影なき女」 ~ ケンぺ指揮(Munchen1954)

2014年01月10日 | この曲この一枚
 

ルドルフ・ケンぺは、カラヤンと並んでR.Straussを最も得意とする指揮者だった。
いや、むしろカラヤンを超えてシュトラウスの管弦楽曲はもちろんオペラでも最高の演奏を聴かせてくれたと言って良い。
1976年に66歳で亡くなっているから、もう過去の人といてもよいのだが、オケの鳴らし方はもちろん、歌い手の能力を引っ張り出して歌そのものをじっくりと聴かせてくれる演奏は、いまだに私にとって忘れることのできない語り草になっている。
楽劇「影なき女」は私が最も愛するオペラの一つで、カラヤンの1964年ウィーン・シュターツオペラのライヴをよく聴いていたが、新宿ディスク・ユニオンで見つけたケンぺ指揮のもの(好きなレーベル・WALHALL)は、本当に目っけ物で今はカラヤンのものと、とっかえひっかえ聴いている。
歌い手ではリザネックの皇后役が一番素晴らしく、M.シェヒ、そして男性陣も水準以上の歌を聴かせてくれているのが嬉しい。
この曲この一枚として、ケンぺの「影なき女」は、取り上げずにはいられない。
以下にこの曲のベスト演奏を上げておきたい。
・カラヤン指揮、ウィーン・シュターツオペラ、W.ベリー、C.ルートヴィッヒ<1964Live Grammophon>
・ケンぺ指揮、バイエルン国立歌劇場、J.メッテルニヒ、M.シェヒ、H.ホップフ、L.リザネック<1954Live WALHALL>
・ベーム指揮、ウィーン・シュターツオペラ、W.ベリー、B.ニルソン<1977Live Grammophon>
・ベーム指揮、ウィーンフィルハーモニー、P,シェフラー、C.ゴルツ<1955DECCA>

紅葉の秋、北九州横断の旅

2013年12月26日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★ 11月10日~11月13日
太宰府天満宮 → 光明禅寺 → 冨貴寺 → 宇佐神宮 → 青の洞門 → 深耶馬溪 → 九重”夢”大吊橋 → やまなみハイウェイ → 菊池渓谷 → 高千穂峡 → 島原湾フェリー → 仁田峠・普賢岳展望台

太宰府天満宮というと菅原道真をすぐに思い出す。
彼は学問の家に生まれ、右大臣にまで上りつめたが、左大臣・藤原時平の讒訴によって昌泰4年(901)、大宰権帥の職に左遷されてしまう。
大宰府での暮しは都とはうって変わって侘しく、失意のうちに2年間を過ごすが、延喜3年(903)に亡くなってしまう。
遺骸を牛車に乗せて運んで行く途中、牛が動かなくなってしまいそこに埋葬されたが、その地が現在の太宰府天満宮なのだという。
菅家(菅原道真家)の生まれの鉄牛円心和尚が鎌倉時代に建立した光明禅寺は、太宰府天満宮の結縁寺とされる。
 

光明禅寺の裏庭には九州唯一の枯山水の庭園があり、紅葉の特別な風情が素晴らしい。
富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院で、阿弥陀堂は平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられている。
  

全国に約11万の神社があるというが、八幡さまが最も多く4万600社余りあり、宇佐神宮はその総本宮とされている。
祭神は応神天皇、比売大神、そして神宮皇后が祀られている。
創建は神亀2年(725)、聖武天皇の勅願により現在の地に八幡神をお祀りしたことに始まるが、宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けた所で、神代に比売大神が宇佐嶋に降臨したと『日本書紀』に記されている。
 

大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった青の洞門を訪れる。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚がノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)に全長342mの洞門を完成させたという。
深耶馬溪は狭い谷に絶壁や石柱が屏風のように連なり、一目八景からの秋の紅葉は特に美しい展望を見せてくれる。
 

歩行者専用としては日本一の高さと長さの橋という九重”夢”大吊橋、そこから見る鳴子川渓谷と振動の滝の景色は素晴らしい。
次に訪れた菊池渓谷は阿蘇外輪山から湧き出た地下水が造り出した渓谷で、渓流に映える紅葉が美しい景観を見せてくれる。
 

余りにも有名な高千穂峡は宮崎県の五ヶ瀬川にかかる峡谷で、国の名勝、天然記念物に指定されている。
 

雲仙温泉の”地獄”には、受難にあったキリシタンの殉教の碑が置かれている。
最後に訪れた仁田峠、ここから見る有明海のなんと素晴らしいこと、口ではとうてい語りきることのできない眺めにしばし感動する。
  

出雲神話と古代史の舞台

2013年12月01日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★★ 10月27日~10月29日
比婆山久米神社 → 黄泉比良坂 → 揖夜神社 → 山代二子塚古墳 → 八雲立つ風土記の丘 → 出雲国府跡 → 六所神社 → 意宇の杜 → 出雲国分寺跡 → 岩壷神社・那売佐神社 → 長浜神社 → 出雲大社 → 粟島神社 → 赤猪岩神社 → 上淀廃寺<伯耆古代の丘> → 妻木晩田遺跡

出雲は古代神話の宝庫と言われる。
そんな古代史の舞台を訪ねる旅に出る。
比婆山は、伊邪那美命がまだ国生みの途上だったが、無念にも命を落とし葬られたとされる処。
標高320mの山頂付近には、伊邪那美命を祭神とする久米神社・奥の宮があり、麓には久米神社・下の宮がある。
本来は奥宮を詣でなければいけないのだが、体が言うことをきかないので麓の比婆山久米神社で勘弁してもらう。
次に訪れた黄泉比良坂は、≪古事記≫に、「・・・伊邪那岐命は死んでしまった伊邪那美命を呼びもどそうと黄泉の国へと赴くが、〈視てはならない〉という禁を犯して伊邪那美命を視ると、体が腐乱して蛆がたかっている。
驚いた伊邪那岐命は伊邪那美命に追いかけられるが、黄泉比良坂まで逃げもどり,そこを千引石でふさいでやっと地上に生還・・・」とある場所とされている。
 

揖夜神社は、≪出雲国風土記≫には伊布夜社と記されており、≪古事記≫に黄泉比良坂は「出雲国の伊賦夜坂である」との記述があるので、黄泉比良坂の近くにこの神社があるのは納得できる。
出雲最大級の規模とされる山代二子塚古墳を訪れる。
6世紀中頃に築かれた全長92の前方後方墳だが、大正14年に日本で初めて「前方後方墳」の名が付けられた古墳ということで有名らしい。
  

山代二子塚古墳をあとに、バスは全国に17あるという風土記の丘の一つ、「八雲立つ風土記の丘」へと向かう。
 

「八雲立つ風土記の丘」周辺には、多くの古墳はもちろん、山代郷正倉跡や北新造院跡、これから訪れる出雲国庁跡、出雲国分寺跡などがあり、まずは資料館でそれらの資料をいただく。
全国10数ヶ所あるという伊邪那美命の陵墓伝説地の中から、宮内庁が保存すべきものとして認定した岩坂陵墓参考地に立ち寄る。
どこまで信用してよいかわからないが、比婆山の地にあることは確かである。
 

≪出雲国風土記≫に記載された出雲国庁が意宇平野にあることは確かだったが、不明とされた所在地もその後の発掘によって明らかになっている。
国司は国内の各神社を巡拝するのは大変なので、「総社」一社を参拝して”こと足れり”としたという六所神社が国庁跡のすぐ隣に建っている
  

八束水臣津野命が国引きの仕事を終え、”意恵(おえ)”と叫んで杖を刺した処にできたと言われる「意宇(おう)の杜」に寄ってから、出雲国分寺跡へと向かう。
南門・中門・金堂・講堂・僧坊・回廊・塔などの跡が見つかり、主要な伽藍が南北一直線に並ぶ「東大寺式」の配置だった出雲国分寺、今は草が生い茂る跡地だが、当時の荘厳なたたずまいに思いをはせながらじっと眺める。
滑狭郷にある那売佐神社は、「延喜式神名帳」や≪出雲国風土記≫にも記載されている由緒ある神社で、葦原醜男命(大国主命)と素戔嗚命の末娘でこの里の岩坪で生誕したといわれる須世理姫命が祀られている。
  

≪出雲国風土記≫の冒頭に出てくる”国引き神話”で有名な八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)を祀る長浜神社を参拝したのち、バスは一路出雲大社へと向かう。
 

縁結びの神・福の神として名高い大国主命を祀る『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていた。
「古事記」に記される国譲り神話によると、大国主命が高天原の天照大神に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりとされる。
本殿(国宝)は有名な大社造で、伊勢神宮の神明造りとともに古代からの建築様式を伝えている。
 

神楽殿の注連縄は日本最大級の大きさで、長さ13m、重さは4.5tというから、仰ぎ見ただけで圧倒される。
出雲大社から西に向かうと、大国主命と武甕槌命が国譲りの交渉をしたという稲佐の浜がある。
この浜は旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜としても知られている。
 

粟島神社の祭神は少彦名命で、≪伯耆国風土記≫ には国造りを終えた少彦名神が”粟島(あわしま)”から常世の国へ渡って行ったという記述が出てくる。
少彦名命が粟嶋に舟で到着し、最初に上陸したとされる場所には小さな祠が建てられている。
人魚の肉を食べ、”八百比丘尼”とも呼ばれる不老不死となった娘の伝説が残る静の岩屋をお参りする。
  

≪古事記≫によると、八十神に赤い猪だとだまされ、真っ赤に焼けた岩を抱きとめて落命したという大国主命、そんな謂れの地にある赤猪岩神社を訪れる。
女神の手によって蘇生した大国主命にちなみ、「再起」に願いをかけた多くの人々が参拝に訪れるらしい。
バスは鳥取県米子市の南にある<伯耆古代の丘>の上淀廃寺跡へと向かう。
  

上淀廃寺跡は、飛鳥時代(7世紀終り頃)に建てられた寺院の跡で、国内最古級の仏教壁画片や仏像の足の破片などが出土したこともあって、金堂の中の壁画や釈迦三尊像が見事に復元されていたのには、本当に感動させられた。
金堂の東に3塔を南北に配する伽藍配置も古代の寺院において他に例が無く、これを建てた地方豪族の力には驚くというほかはない。
 

金堂の中の鮮やかな彩色の壁画も美しく、この時代に海を渡ってきた渡来人の力なしには成しえないものだと思う。
隣接する「上淀白鳳の丘 展示館」には、石馬谷古墳から出土した”石馬”が展示されている。
高さ90cm、長さ150cmの大きさ、九州で数例の出土はあるが、本州では唯一のもので国の重要文化財になっている。
  

約1900~1700年前の弥生時代に、国内最大級の集落が存在したということで注目を集めた妻木晩田遺跡を訪れる。
調査されたのは156ヘクタールで、竪穴住居跡400棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、墳丘墓は30基以上もあったという。
これだけでも吉野ケ里遺跡より大きいし、発掘されたのは全体の10分の1程度と考えられているから、ここに「クニ」を治める首都的なムラがあったと考えてもおかしくないかもしれない。
 

韓国歴史ドラマ、気になる話 その13(追加補足編8)

2013年09月08日 | 歴史・気になる話
このシリーズ、見直すと追加すべきドラマが新しい年度ごとにどんどんと出てくる。
その分楽しみが増えたと思う様にして、今後の放映のチャンスを期待したい。

98.ミヘギョル <朝鮮王朝中期> <監督:キム・フンドン、カン・ギョンフン> <主要キャスト:キム・ジフン イム・ジョンウン キム・ガプス チョ・ヒボン> 2010年 全12話 <私的評価:未見>
このドラマの紹介文を読むと、「400年間封印されていた朝鮮王朝の秘密が今、明らかに! 朝鮮王朝の奇怪な事件を権力闘争とともに描く韓国版Xファイル」とある。
このドラマはまだ見ていないので、コメントはあまりできないが、秘密の実体とか、奇怪な事件とは何なのか気になることが多いから、いずれ放送される日を楽しみにしている。
 

99.太陽を抱く月 <朝鮮王朝(未特定)> <監督:キム・ドフン、イ・ソンジュン> <主要キャスト:キム・スヒョン ハン・ガイン キム・ミソン チョン・イル> 2012年 全20話 <私的評価:★★>
歴史ドラマは、やはり史実に基づいてドラマを描いて欲しいのだが、私などは正直に言って、その現実には起こりえないドラマの展開には最後までついていくことができなかった。
若者向けの「フュージョン時代劇」と呼ばれるジャンルらしいが、年をとると、内容云々以前に生理的に受け付けないらしい。
  

100.馬医 <朝鮮王朝中期> <監督:イ・ビョンフン、チェ・ジョンギュ> <主要キャスト:チョ・スンウ イ・ヨウオン ソン・チャンミン ユソン イ・サンウ キム・ソウン イ・スンジェ> 2012年 全50話 <私的評価:★★★★★>
放送しているNHKのフレコミを見ると「馬の医者からやがて王の主治医にまでなった男、ペク・クァンヒョン。その波乱に満ちた生涯をドラマチックに描く“メディカル史劇”。ペク・クァンヒョンの医療への志を軸に、ラブロマンス、陰謀、復讐、親子愛など、イ・ビョンフンワールド満載の壮大なエンターテインメントドラマ」とある。
まさしくこれ以上付け加えることのないフレコミ内容で、ほかに言いたいことはと聞かれても、”面白いよ”との言葉しか出てこない。

 

101.武神 <高麗王朝後期> <監督:キム・ジンミン> <主要キャスト:キム・ジュヒョク ホン・アルム ホム・ギュリ パク・サンミン チョン・ボソク> 2012年 全56話 <私的評価:★★>
主人公キム・ジュンは、13世紀の高麗時代中期、奴隷の身分から最高権力者の座にまで上り詰めた実在の人物と言われている。
何よりもキム・ジュン役を演ずるキム・ジュヒョクの父が、「龍の涙」のイ・ソンゲ役を演じた名優、故キム・ムセンということを、このドラマを通じて知ったのは嬉しい。
 

102.大風水 <高麗王朝後期~朝鮮王朝初期> <監督:イ・ヨンソク> <主要キャスト:チ・ソン チ・ジニ キム・ソヨン チョ・ミンギ ソン・チャンウィ イ・ユンジ オ・ヒョンギョン> 2012年 全35話 <私的評価:★★>
「大風水」は、元に支配されていた高麗王朝末期、恭愍王に仕えた武将・李成桂が朝鮮王朝を樹立した過程を、風水の視点で描いた異色のフィクション時代劇。
権力者の周りにいた風水地理学者が、武将イ・ソンゲを前面に立てて朝鮮王朝を樹立するという設定が面白い。
 

103.アラン使道伝 <朝鮮王朝後期> <監督:キム・サンホ、キム・デユン> <主要キャスト:イ・ジュンギ シン・ミナ ヨン・ウジン ファン・ボラ> 2012年 全20話 <私的評価:未見>
紹介文によると、「・・・暗い過去を背負った若き使道ウノと、記憶を失った美しき女幽霊アランとの次元を超えた禁断のラブストーリー」とある。
韓国の有名な伝説「アラン伝説」を題材にしたファンタジー史劇で、若者向けのドラマ作りになっている。
  
韓国歴史ドラマ、気になる話 その12(追加補足編7) 
韓国歴史ドラマ、気になる話 その11(追加補足編6)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その10(追加補足編5)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その9(追加補足編4)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その8(追加補足編3)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その7(追加補足編2)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その6(追加補足編1)
韓国歴史ドラマ、気になる話 その5
韓国歴史ドラマ、気になる話 その4
韓国歴史ドラマ、気になる話 その3
韓国歴史ドラマ、気になる話 その2
韓国歴史ドラマ、気になる話 その1

鳥海山、月山、蔵王、浄土平の湿原を巡る

2013年08月29日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★ 7月30日~8月1日
浄土平湿原 → 蔵王駒草平 → 鳥海山・元滝伏流水 → 鳥海山・獅子ヶ鼻湿原 → 月山・弥陀ヶ原湿原

山形、秋田方面は涼しいだろう、そんな願いを込めて北の方へと湿原めぐりの旅に出る。
浄土平湿原を歩いていると、一瞬だったが、雲の間から一切経山が姿を見せてくれた。
雨の中、蔵王駒草平の展望台に行く途中で可憐な駒草の花を見れたのがラッキーだった。
蔵王温泉に一泊、翌日のバスは延々と北へ走り、山形と秋田県境にある鳥海山の麓の元滝伏流水へと向かう。
 

鳥海山の獅子ヶ鼻湿原は、湿原というより太古の原始林の森という感じで、特にその豊富な湧水の量には圧倒される。
ブナの原生林の中を歩いていくと、”アガリコ大王”と呼ばれる奇形のブナの木が印象的な姿を表してくれた。
  

天童温泉に一泊、翌日のバスは月山八合目にある弥陀ヶ原湿原へと向かう。
弥陀ヶ原湿原は別天地の世界で、たくさんの高山植物が可憐な花々を咲かせながら我々を迎えてくれたのが嬉しい。
 

水の中を覗くとサンショウウオの姿がかすかに見える。
湿原の方を見ると、縦の方向に連なって咲くコバイケイソウの姿が美しい。
月山神社の中之宮にあたる御田原神社が、八合目(弥陀が原)に鎮座している。
  

円熟の時期を迎えた演奏家

2013年08月06日 | 音楽と絵画、iPodなど
いま円熟の時期を迎えているピアニスト、そんな演奏家たちを聴き逃さないよう、ぜひ注目していきたいと思う。

アンドラーシュ・シフ<ピアノ>

偉大な音楽家をたくさん輩出しているハンガリーの首都ブダペストの出身だが、現在はイギリス国籍を取得している。
J・S・バッハ、モーツァルト、シューベルトの録音が良いと言われているが、何故か手元のCDが1枚もないのは残念。
現在、最も人気の高い演奏家の一人だし、これからは演奏会があるときは是非行ってみたいと思う。
それから、夫人がヴァイオリニストの塩川悠子だとは、この記事を書くまで知らなかった。

アンリ・バルダ<ピアノ>

これぞ、知る人ぞ知るフランスのピアニスト。
ピアニストが惚れ込むピアニストというから、その年季が入った音楽性の高さは素晴らしいものがある。
「・・・アンリ・バルダの名前を知っている人は幸福である。そして彼の演奏を聴いた事がある人は、それを誇って良い」と説明文にあるが、本当に的を得た言葉でこれ以上の素晴らしい表現は探しようがない。
CDがほとんどと言って良いくらい発売されていないのが本当に残念だ。

ジョン・リル<ピアノ>

現在68歳で、キャリアはゆうに50年以上もあるという。
1970年のチャイコフスキー国際コンクールに優勝しているが、今は世界的なベートーヴェン弾きとして押しも押されぬ存在とされている。
実際のところ、彼の演奏は十分と言えるほど耳にしていないので何とも言えないが、これからはベートーヴェンのソナタを中心にじっくりと耳を傾けていきたい。

メナヘム・プレスラー<ピアノ>

「ボサール・トリオ」は、よく名前も知っていたし演奏も聴いていたと思うが、彼の名前までは特に注目していなかった。
1923年生まれの彼は、ブゾーニの高弟レオ・ケステンベルグ、そしてロベルト・カサドシュの薫陶も受けているから、ドイツとフランス双方のピアニズムを身に付けたピアニストと言ってよい。
ドビュッシーの演奏などは、その柔らかな音色が、そして力強さと軽やかさが微妙に揺れる表現が素晴らしく、まさに「生ける伝説」と評される円熟の境地がうかがわれる。