暑い中、荒川サイクリングロードを北上中、もうどうにも暑くてたまらない上、右膝にちょっと違和感を覚えて吉見総合運動公園の事務所で休憩。
ここは荒川サイクリングロードを走るローディーが多く休憩するので、事務所側も気を利かせてくれてるのか、ロードバイクを停めておくためのバーが設置してある。ロードバイクにはスタンドがついていないので、こういう配慮は嬉しい。
で、どうしようか、と思う。実は少し右膝に違和感を感じるようになってきった。お腹もすいた。ここでサイクリングロードを下りて国道を走ることにする。国道を走れば食事をするところもあるだろうし、まあ、のんびり走って行こう、かと。
その途中立ち寄った吉見観音。
神社のしめ縄がお寺にある。明治に吹き荒れた神仏分離令という暴挙を生き延びたあかしなのかもしれない。自転車で来るのにはいいが、電車などの便は非常によくないので人影はなく、あたりはひっそりとしていて、なかなか濃密な雰囲気が立ちこめている。
なんというか、このあたり、なかなかいい雰囲気なのである。
しかし、実を言うと、ぼくはこういう濃密な雰囲気に身を置くのは得意ではなかったりする。吉見には、この観音さまばかりでなく百穴や岩窟ホテルなど雰囲気の重いところが多い。うちから60kmほど自転車をこいだだけでこんな雰囲気に浸れるのだから、好きな人にはたまらないだろう。
国道沿いで食事を取ろうなどと思ったが、何にもない。おまけに東松山を過ぎたあたりの国道254号線は、登った瞬間に下り、下りきったらまた登る、というシジフォスの神話状態。下った先に登りがあるのは仕方ないけれど、少しは遠慮して多少の平坦をはさんだりするだろう? ところが254線にそんな遠慮会釈はない。城を造り続けるミラレパの気分である(大げさだろ、そりゃ)。
なんとか食事をして、国道254号線を走る。せっかくここまで北上したんだから何か見物して帰ろうと考え、旧富岡製糸場へ行くことにした。130km走って、旧富岡製糸場到着。向かい風を浴びたせいか、前髪が中州のクラブホステスのようにトサカ立ってる(いや、スマン、ほんとは中州のクラブなんて行ったことないんだ)。
富岡製糸場。
これはなんというか空母を連想させた。
海の上という孤絶した場所に、人の生活ほとんどすべて、それこそ娯楽や宗教、食事はもちろん軍事までパッケージにして存在させている。
この製糸場も、まったく孤絶した場所に「近代」というものを詰め合わせて作り上げたのだ。塀の外側と内側とではまったく違う世界が存在したことだろう。塀の外には江戸時代の農村が広がる中、内側には、教室、診療所、宿泊施設があり、外廊下の2階屋があり、そして近代工業があった。
近代を一つのモデルとして作り上げたこともすごいが、それを今の今までとっておいたことにびっくりする(もっとも20年前まで操業していたのだが)。
ここから上州富岡駅はすぐ。輪行して帰ってもいいのだけれど、群馬を走りながら、なんだか不思議に昔のことを思い出していた。
ここは荒川サイクリングロードを走るローディーが多く休憩するので、事務所側も気を利かせてくれてるのか、ロードバイクを停めておくためのバーが設置してある。ロードバイクにはスタンドがついていないので、こういう配慮は嬉しい。
で、どうしようか、と思う。実は少し右膝に違和感を感じるようになってきった。お腹もすいた。ここでサイクリングロードを下りて国道を走ることにする。国道を走れば食事をするところもあるだろうし、まあ、のんびり走って行こう、かと。
その途中立ち寄った吉見観音。
神社のしめ縄がお寺にある。明治に吹き荒れた神仏分離令という暴挙を生き延びたあかしなのかもしれない。自転車で来るのにはいいが、電車などの便は非常によくないので人影はなく、あたりはひっそりとしていて、なかなか濃密な雰囲気が立ちこめている。
なんというか、このあたり、なかなかいい雰囲気なのである。
しかし、実を言うと、ぼくはこういう濃密な雰囲気に身を置くのは得意ではなかったりする。吉見には、この観音さまばかりでなく百穴や岩窟ホテルなど雰囲気の重いところが多い。うちから60kmほど自転車をこいだだけでこんな雰囲気に浸れるのだから、好きな人にはたまらないだろう。
国道沿いで食事を取ろうなどと思ったが、何にもない。おまけに東松山を過ぎたあたりの国道254号線は、登った瞬間に下り、下りきったらまた登る、というシジフォスの神話状態。下った先に登りがあるのは仕方ないけれど、少しは遠慮して多少の平坦をはさんだりするだろう? ところが254線にそんな遠慮会釈はない。城を造り続けるミラレパの気分である(大げさだろ、そりゃ)。
なんとか食事をして、国道254号線を走る。せっかくここまで北上したんだから何か見物して帰ろうと考え、旧富岡製糸場へ行くことにした。130km走って、旧富岡製糸場到着。向かい風を浴びたせいか、前髪が中州のクラブホステスのようにトサカ立ってる(いや、スマン、ほんとは中州のクラブなんて行ったことないんだ)。
富岡製糸場。
これはなんというか空母を連想させた。
海の上という孤絶した場所に、人の生活ほとんどすべて、それこそ娯楽や宗教、食事はもちろん軍事までパッケージにして存在させている。
この製糸場も、まったく孤絶した場所に「近代」というものを詰め合わせて作り上げたのだ。塀の外側と内側とではまったく違う世界が存在したことだろう。塀の外には江戸時代の農村が広がる中、内側には、教室、診療所、宿泊施設があり、外廊下の2階屋があり、そして近代工業があった。
近代を一つのモデルとして作り上げたこともすごいが、それを今の今までとっておいたことにびっくりする(もっとも20年前まで操業していたのだが)。
ここから上州富岡駅はすぐ。輪行して帰ってもいいのだけれど、群馬を走りながら、なんだか不思議に昔のことを思い出していた。
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