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長山靖生「偽史冒険世界」

2008年05月14日 09時49分41秒 | 読書


         長山靖生「偽史冒険世界」  ちくま文庫

 刺激的な良書。
 いわゆる「と学会」の一環なんだけれど、その内容は実にわかりやすく、また面白い。
 内容は、今まで連綿と続いて存在してきた「偽史」や「陰謀史」が成立した、その背景、あるいは、そこに潜む願望などを露わにしたものだ。


「偽史運動や戦前の冒険小説みたいな世界観は、いわば最も典型的な通俗の空想世界である。そのご都合主義でロマンチックな空想は、現実的な苦悩や悲惨さを持たないがゆえに、大衆に広く受容されてきた。やたらに威勢がいい物語世界は、現実社会から疎外されていると感じている人々、自分が社会で必要とされていないと感じている大衆を引き付けたのだ。面白いのは、多数派であるはずの大衆が「自分は社会から疎外されている」と感じ、現実から目を背けたがっているということだ」(「偽史冒険世界」)
                   

 義経が実は死なずに蝦夷に渡り、そこからモンゴルに渡ってジンギスカンとなった伝説に始まり、竹内文書まで、めくるめく偽史の歴史と背景が物語られている。
たとえば江戸時代林羅山の「本朝神社考」には義経の項目はあるものの、義経が蝦夷へ渡った記載はない。しかし、その子林春斎の「本朝通鑑」は義経の島渡り伝説が最初に記載された歴史書となる。
 そして、この本は、その親子の書いた2つの本の間にシャクシャインの乱が勃発し、幕府は蝦夷地が日本領である「物語」を必要としたのであった、と主張する。なるほど、と思う。
 物語をバカにしてはいけないのだ。戦前、戦中、どれだけ軍部が自分たちに都合のいい物語を必要としたか、あるいは北朝鮮のキム・イルソンがどんな物語をもって登場したか考えてみれば物語の重要性がわかるだろう。
 そして義経の島渡り物語によって、アイヌ侵略は、義経以来日本領となっている蝦夷地の領土回復となった。
 ちなみに、モンゴルに渡って云々というのは、江戸初期の系図偽造家沢田源内に始まり、伊藤博文の女婿末松謙澄がグリフィスというイギリス人名義で書いた偽書「義経再興記」によるものらしい。明治時代の伊藤博文の女婿というところがまたいい。海外進出をわれわれは長い間忘れていたが、かつての日本人は世界で活躍していた、という明治人にとってたまらなく魅力的な物語だったのだろう。
 で、決定打が大正になって著された小谷部全一郎の「成吉思汗ハ源義経也」であった。
 この書の主張は、こんな風だ。
① 義経は衣川で死ななかった
② 義経は蝦夷に逃げ、アイヌは恭順した
③ 蝦夷海を渡って大陸に入り、人々を教導してモンゴル帝国を築いた
④ 満州、蒙古、シベリアとは古くから交流があり、日本人と同じ血が流れ、文化、宗教、言語に共通するものが多い
⑤ 現在の蒙古、清朝王室はジンギスカンの子孫であり、つまり源氏の末裔
⑥ したがって、満州、蒙古、シベリアの人々と日本は一致団結し、共同体を建設することができる

 いつの間にか、義経伝説にきな臭い匂いが漂い出すのだ。


 「これは大東亜共栄圏の物語に「過去の歴史的権利」という正当性を与えるものだった」(「偽史冒険世界」)

 こんな調子でとりあげられるさまざまな偽史・トンデモ起源。
 木村鷹太郎(当時の通称でキムタカと呼ばれていた)のことを調べたくてこの本を読んだのだけれど、それ以上の収穫だった。
 キムタカの主張はものすごく面白いので、興味本位だけでも損しません。
コメント
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