こんなものがCDで手に入るなんて、素晴らしい時代だ。お謡は昔、カセットでいくつか持っていたけれど、何度も聴いているうちにテープが伸びてしまって聴けなくなってしまった。
このCD第1集には「善知鳥」(「うとう」って読むんだよ)が入ってる。これはぼくが一番好きなお謡だ。いや、逆にぼくはこれを知ったから、能が好きになったのかもしれない。この謡にはいろんなことが詰まってる。
舞台はみちのく外の浜。外の浜ってフランス・ブルターニュのフィニステールと同じ。要するに世界の果て。人外の地。ぼくはね、いつも思うんだけれど、日本人て、関東から西に、名古屋、大阪、広島、そして北九州か福岡を貫く東西軸(もちろん、これは東西逆の方向でもいいんだよ)を意識することは多いけれど、北海道から関東までの南北軸ってあんまり意識していないんじゃないか。
日本史で東北や北海道って、どこまで登場していました?
この能の舞台はそんな地の果て、外の浜。フランスのフィニステールも、意味は地の果てだもんな、一緒だ。あそこのそば粉を使ったガレットがうまい、なんて最近言われているが、だいたいそば粉を育てていること自体、貧しい土地がらなんだよ、おしゃれとか言ってんなよ。そんなやつはそば粉を育てるくらいしかなかった長野に来て虫食えよ。虫。ぼくは子どもの頃からイナゴの佃煮食べて育ってるから、なんとも思わなかったけれど、あるとき弁当のイナゴ食べてたら、回りがギャーギャー騒ぐから、ああ、これはポピュラリティーに欠ける食べ物なのだと中学になってから知った。蜂の子を食べてたら、ウジだって言われたし。ざざ虫にいたっては………。
閑話休題。
まず、能にお決まりの諸国一見の僧ってのが出てくる。彼はみちのく外の浜を見たことがないから、行ってみたい、と。で、素直に直行すりゃいいもんを、その途中立山に寄っていく。
で、立山地獄に来て、あまりの風景に驚く。目の前に広がる地獄を見て、彼は思うんだ。「この風景を見て恐れない人の心こそ鬼神より恐ろしい」と。
立山曼荼羅ってえのがありました。そこでは、鬼に責められ苦しめられる様々な人々が描かれていました。針山だの、血の池だの。でも、この謡では、そうじゃないんだ、と言ってる。立山の地獄よりも、それを見て恐れない人の心の方が鬼神より恐ろしい。地獄を内面化しているわけです。地獄は、決して外にあるんじゃない、地獄とは、あなたの心ですって、銭形みたいなこと言ってる。
これはすごいことなんです。
だって、それまで儀式、儀礼、そのほか人々が守ってきた禁忌ってあるじゃないですか。それはそれだけど、でも、何かをやるかってえより、内面の方が大事じゃね? って言ってるんですよ、この謡は。陰陽師が活躍し、その後武士が活躍した中で、でもさ、儀礼とか、たとえば、方たがえとか、あるいは武力もいいけど、そうしたものが現実に影響を及ぼすと思われていたところに、いや、ほんとに大事なのは、人間の心なんじゃね? って、それまでのほとんどすべての歴史にアンチテーゼ出しちゃってるわけですよ、これ。
西欧の宗教革命と同じ文脈なんですよ。行いじゃないんだ、信仰なんだ、と。
で、この謡は、たとえばダンテの「神曲」との地獄観を比較してもすごく面白いだろうし、蓑傘たむけてくれっていうところからそれのフォークロアを探り出しても(たとえば一言主とか)興味深いし、「鬼」ってなんだろう、っていう質問へのひとつの答えのヒントにもなるだろうし(日本の鬼って、西洋の狼男の要素も持っているんですよ、実は。考えれば考えるほど、いろんな多面性があって、ぼくは鬼が好きなんです)、あと士農工商なんてのも室町時代のこの謡曲に出てきて、で、主人公は士農工商に所属してないから、あらあら、なんてことになってしまうし。
とにかく、この謡は面白い上に、訴えるところが大きくて、ぼくは大好きなんですな。って、最初の数十秒分しか紹介してなくて、大好きなんですな、などと言われても困っちゃうよね。
全部で第3集まであるんだけれど、ひとつ約5万円。関係者以外で全部揃えた人はえらい。
このCD第1集には「善知鳥」(「うとう」って読むんだよ)が入ってる。これはぼくが一番好きなお謡だ。いや、逆にぼくはこれを知ったから、能が好きになったのかもしれない。この謡にはいろんなことが詰まってる。
舞台はみちのく外の浜。外の浜ってフランス・ブルターニュのフィニステールと同じ。要するに世界の果て。人外の地。ぼくはね、いつも思うんだけれど、日本人て、関東から西に、名古屋、大阪、広島、そして北九州か福岡を貫く東西軸(もちろん、これは東西逆の方向でもいいんだよ)を意識することは多いけれど、北海道から関東までの南北軸ってあんまり意識していないんじゃないか。
日本史で東北や北海道って、どこまで登場していました?
この能の舞台はそんな地の果て、外の浜。フランスのフィニステールも、意味は地の果てだもんな、一緒だ。あそこのそば粉を使ったガレットがうまい、なんて最近言われているが、だいたいそば粉を育てていること自体、貧しい土地がらなんだよ、おしゃれとか言ってんなよ。そんなやつはそば粉を育てるくらいしかなかった長野に来て虫食えよ。虫。ぼくは子どもの頃からイナゴの佃煮食べて育ってるから、なんとも思わなかったけれど、あるとき弁当のイナゴ食べてたら、回りがギャーギャー騒ぐから、ああ、これはポピュラリティーに欠ける食べ物なのだと中学になってから知った。蜂の子を食べてたら、ウジだって言われたし。ざざ虫にいたっては………。
閑話休題。
まず、能にお決まりの諸国一見の僧ってのが出てくる。彼はみちのく外の浜を見たことがないから、行ってみたい、と。で、素直に直行すりゃいいもんを、その途中立山に寄っていく。
で、立山地獄に来て、あまりの風景に驚く。目の前に広がる地獄を見て、彼は思うんだ。「この風景を見て恐れない人の心こそ鬼神より恐ろしい」と。
立山曼荼羅ってえのがありました。そこでは、鬼に責められ苦しめられる様々な人々が描かれていました。針山だの、血の池だの。でも、この謡では、そうじゃないんだ、と言ってる。立山の地獄よりも、それを見て恐れない人の心の方が鬼神より恐ろしい。地獄を内面化しているわけです。地獄は、決して外にあるんじゃない、地獄とは、あなたの心ですって、銭形みたいなこと言ってる。
これはすごいことなんです。
だって、それまで儀式、儀礼、そのほか人々が守ってきた禁忌ってあるじゃないですか。それはそれだけど、でも、何かをやるかってえより、内面の方が大事じゃね? って言ってるんですよ、この謡は。陰陽師が活躍し、その後武士が活躍した中で、でもさ、儀礼とか、たとえば、方たがえとか、あるいは武力もいいけど、そうしたものが現実に影響を及ぼすと思われていたところに、いや、ほんとに大事なのは、人間の心なんじゃね? って、それまでのほとんどすべての歴史にアンチテーゼ出しちゃってるわけですよ、これ。
西欧の宗教革命と同じ文脈なんですよ。行いじゃないんだ、信仰なんだ、と。
で、この謡は、たとえばダンテの「神曲」との地獄観を比較してもすごく面白いだろうし、蓑傘たむけてくれっていうところからそれのフォークロアを探り出しても(たとえば一言主とか)興味深いし、「鬼」ってなんだろう、っていう質問へのひとつの答えのヒントにもなるだろうし(日本の鬼って、西洋の狼男の要素も持っているんですよ、実は。考えれば考えるほど、いろんな多面性があって、ぼくは鬼が好きなんです)、あと士農工商なんてのも室町時代のこの謡曲に出てきて、で、主人公は士農工商に所属してないから、あらあら、なんてことになってしまうし。
とにかく、この謡は面白い上に、訴えるところが大きくて、ぼくは大好きなんですな。って、最初の数十秒分しか紹介してなくて、大好きなんですな、などと言われても困っちゃうよね。
全部で第3集まであるんだけれど、ひとつ約5万円。関係者以外で全部揃えた人はえらい。