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佃島観光

2007年03月29日 10時39分06秒 | 観光


 チャリに乗って佃島へ。
 月島、佃島、どちらも江戸情緒溢れる、古い下町の良さを伝える町のように考えられている。
 しかし、リバーシティーに代表されるように、現在では高層建築がばんばん建っている近代的な街並みと古い街並みとが共存する面白い景色に溢れている。
 しかも、同じように考えられている月島と佃島だが、実はまったく違うのだ。

 「だが、この猫の額ほどの広さの島に住み出して、ひとたび島の歴史に首を突込もうものなら、月島が明治時代の中頃まで影も形も存在せず、大川の底の土砂を浚渫して造りあげた埋立地であることを知るだろう。浅草や深川が下町であるように、月島は決して下町ではない。少し大袈裟な比喩を使えば、さながらアメリカ合衆国のように、日本全国の人間が集まり、造船所や鉄工所の工場労働者として住みついた町なのである」(四方田犬彦「月島物語」)

 徳川家康が摂津国佃村の漁民を住まわせた佃島が漁師町として栄えた江戸時代、月島は存在しない。
 それはそうと、この「月島物語」は大変面白い。レトリックにうならされる。
 たとえば、月島特有の玄関と台所の間にある二畳ほどの部屋について、かつて玄関と台所は同じだったことを説明したのち、
 
 「これは台所が玄関から完全に独立する直前に設けられた曖昧な空間の名残りであり、ある意味ではかつて存在していた表台所の唯一の痕跡であるといえるのだ。水棲動物に足と肺が生じ、やがて陸にあがって哺乳類が生じたように、井戸と深い関係にあった土間の台所はこの一世紀の間に「陸にのぼり」、板の間と化して、客の眼の届かない後方へ退いた。したがって二畳間は埋立地月島に似て水辺に出自をもつ場所であり、かつての台所の位置にあってその記憶を無意識裡に留めている空間なのである」(「月島物語」)

 写真は中央大橋に飾られているオシップ・ザッキン作「メッセンジャー」。この橋が造られたときに当時パリ市長だったジャック・シラクから贈られたもの。




 隅田川とパリは縁がある。
 友好河川とは初めて聞くが、そういうものもあるんだな。
 そんなわけで、リバーシティーにはこんなものがある。



 ちょうどこの広場から中央大橋の「メッセンジャー」を見上げることができる。
 さて、このリバーシティーを越して、清澄通りに出ると橋の途中に公園がある。
 川にぽっかりと浮かんでいるかのような中の島公園だ。



 眺めのよい小さな島で、潮位によって水が出入りする池がある。
 橋をくぐって、橋の右、左を自由に行き来ができるが、そこはこんな風になっており、筒状の石柱にはフジツボがついていた。



 最初なぜ通路をこんな風にしたのかわからなかったが、たぶん、これはホームレスが住み着かないようにしたのだろう。
 住吉神社にお参りして佃散歩はおしまい。
コメント
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