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新国立劇場 「蝶々夫人」

2007年03月28日 01時21分49秒 | 音楽
 行ってきました、新国立劇場。
 蝶々夫人、初日。
 蝶々夫人というのは基本的にアジアンロリータの純真、純粋さがストーリーの肝なので、ヒロインちょっと不向きな気が。
 多少でも子どもっぽさを感じさせてもらわないと、いい年した大人がいつまでも何バカ言ってんだよ、シャープレスやスズキの言うとおりだろがっ、と思ってしまうんです。で、そりゃどう考えても違うよ、ってなことを大人がいつまでも言い張るというシーンは見ていてあまり気持ちのよくないもの。
 ぼくがそうした光景を目にする場がいけないのかもしれない。そういうのは、たとえばこっち側に帰って来る前の飯星景子だったり、パナなんとかの人たちだったり、定説な爺さんだったり、ラグビー選手でもないのに頭にヘッドギアかぶっている人たちだったりするからだ。
 人の言うことなど決して耳に入れず、親切な人の忠告をなじり、ピンカートンを信じ続ける、という「信」にどこか宗教臭を感じてしまう。
 これが原作通り15で嫁にいっちゃった女の子なら強い悲劇性を感じるのだが、どう見ても貫禄のある女性だ。そんな人が騙されちゃいけないよ。
 こちらの気分がそんなんであったせいとは関係なく、しかも第1幕での彼女はあまりよくなかった。スズキがよくて、ぼくがピンカートンなら間違いなくスズキの声に惹かれるのに、と思うほど。初日のせいか、声を置きにいっている感じがする。のびのびとこちらに伝わってこない。
 アリアをたっぷりと聴かせようとしたためか、若干遅めの演奏だったけれど、これはちょいと頂けなかった。蝶々夫人が好調ならOKなのだが、くぐもった声で声を置きにいくから、ものすごくテンポの悪い演奏になってしまった。
 しかし第2幕は好演。
 あとの人たちもなかなかよかった、と思う。
 演出は不思議な演出で、日本のことをあまり知らない外国人がやったらきっとこんな風になりますよ、というパロディをわざわざ日本人がやっているような感じ。変。光も変。奥の座敷の障子を開けると、どうして居間から光が差すんだ? 逆だろう?
 そしてラストシーン。
 今まで蝶々夫人で泣けなかったヤツは、これ見て泣けとばかり、子どもを出す。ずりい。泣くよ、そりゃ、だってあの子可愛いんだもん。
 子どもに見せるか、それを!
 それで涙しぼるなんて!!
 まあ、まんまとその計略にのってしまったわけだから、情けない、というか演出の勝利と言うべきか。

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