毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

新しい足

2007年03月03日 19時44分48秒 | らくがき
 自転車で落車して一ヶ月。ほとんど運動できない状態が続いていた。大きく息を吸い込むと肋骨が痛むし、左手はものが握れない。
 しかし食欲はある。
 運動しないくせに、食欲は以前通り。そう、この一ヶ月で、つまり太ってしまったのだ。ようやく自転車に乗れるようになって、先日調布の先の味スタまで行ってきたのだけれど、こんなんじゃ、もう足りないのだ。この一ヶ月で蓄えた脂肪を燃焼させるには、こんなんじゃ足りないのだ。もっと遠くへ行ける、もっと速く行ける自転車が必要なんだ。
 と、長い長い自分への言い訳をして、出かけたのがサンシャイン60ビル近くにあるギャラクシーという自転車屋さん。
 買ってしまった、初めてのロードバイク。
 これ。

 ジャイアントのTCR。ロードバイクとしては安いものなんだけれど、コンポーネントはシマノの105。リア10速、フロント2速。たとえ安くてもこれはレースに使うバイク。一度サドルにまたがるとその緊張感が自分を包む。ああ、なんて心地よい緊張感だろう。ぼくはもう一つの足を手に入れた!
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神社の系譜

2007年03月02日 15時37分01秒 | 読書
宮本健次著「神社の系譜」           光文社新書

 聖地は時代が変わっても同じ場所が聖地として認知されることが多い。たとえばシャルトル大聖堂。あそこはもともとケルトの聖地であったが、キリスト教の時代になってもやはり大聖堂が建てられ聖地として考えられている。縄文時代の聖地がそのまま今の神社仏閣の地になっていることがいかに多いか、中沢新一の「アースダイバー」を見てもわかる。
 こうした聖地を結ぶと聖地の配置に何らかの意図を感じることがある。
 そう、レイラインである。
 イギリスのワトキンスが幻視し、いちやく広まった概念。日本でもNHKが取り上げて以来、さまざまな遺跡や神社仏閣を結んだレイラインが見つけ出されている。もう割となじんだ概念だと思っていたのだが、新たな事実であるかのように延々と述べられている。また、「三輪山は禁足地となっており、一般の人びとが登ることは禁じられている」とあるが、これは誤りだろう。300円払って、入山者用の襷を掛ければ一般の人びとも登ることができる(ただし滞在時間は3時間のみ、飲食、喫煙、撮影、動植物の採集など一切禁止)。このレイラインのくだりが、だからこうだ、という結論がなく、あっちが春分の日の出、こっちが日没、そっちが夏至の日の出などと延々だらだらと続いていく。
 オホ氏のくだりは確かに興味深いものがあり、冒頭の平将門公の話とともにこの本の最大のセールスポイントだろう。
 それにしても、この本が大層売れているという現象がいささか不可思議な感じのする内容だった。
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